しまと考える ネコと腎不全

1歳になる前に慢性腎不全になってしまった我が家の愛猫「しま」。ネコの腎不全について考えるブログです。

大量の『ミオコンボしらす』。。。

2007年04月29日 12時19分30秒 | TOP PAGE
 はい、そしてこれが大量にネット注文でGETしてしまったミオコンボ『まぐる白身とシラス』でございます。。。
どうしたものだろう。。。
どなたか板橋区、練馬区あたりの方が必要であれば、もれなく無料であげちゃうところなのですがね。。。
困ったものです。

シラス
シラス
シラス

なんだかぼくもシラスが嫌いになってきました。

食べない

2007年04月29日 12時07分46秒 | TOP PAGE
 
 これまで食べていたミオコンボ8歳『まぐろ白身とささみ』を食べなくなったと思っていたら、なんと味違いの『まぐろ白身としらす』のほうを間違ってあげていたことが判明!
こんなことってあるんだろうか?
ちょっと観察力不足にもほどがあるのではないか?

確かにパッケージは非常に似ているが、出したときに感触やら見た目でわかりそうなものなのに。。。
約2ヶ月間、この食べない『マグロ白身としらす』のほうをあげ続けていた。これが今回の体調を崩す原因の一つになったかもしれない。
なにせ食べない『マグロ白身としらす』を与え続けていたのだから。

シマは、この2種類のうちの『マグロ白身とささみ』のほうしか食べないのである。『シラス』は嫌い!
昨日、早速ミオコンボの『マグロ白身とささみ』を近所のダイエーに探しにいったが、取り扱い中止になっていた。なんかあったのか?メーカーさんよ。
あるいはダイエーが勝手に販売取りやめにしたのか?これしか食べないネコがここにいるんだぞ!いつも箱買いしていたではないか?在庫が膨らんでデッドストックになっている商品ではないではないか!

ところが西友にもなかった。
どうしたんだ???
なぜ世の中から姿を消したんだ、ミオコンボ8歳。。。
今日は、いまから和光にあるペットのコジマままで遠征してくる予定。そこで、ミオコンボ8歳用とヒルズのAD缶を強制給餌用に買ってこよう。そのあとダイソーで給餌用の容器も買おう。

シマはあまり元気がない。でも歩いている。話もしている。病院は今日、明日はお休みだ。1日までがんばろう。そして、少しでも自宅でゆっくりしよう。
血管はもうボロボロだからね。



シマ生還!!

2007年04月28日 16時36分53秒 | TOP PAGE
 4月26日(木曜日)。

夕方、病院に電話を入れた。
BUN80、PCV23%、CRE4.6、ナトリウム168、カリウム4.7。

 一度家に帰して、休ませてあげたいと、先生のほうから言ってきた。そうしたいと思う。もう、延べ6日間も病院で点滴につながったままだ。
連休前の急な仕事やら、社員の送別会やらがあったが、「ちょっと営業行ってきまーす」と大嘘をついてシマを迎えに行った。

会社から病院までは約1時間。病院から自宅にシマを置いて、少し相手をして、また会社に戻ったら、もう8時過ぎだ。
言い訳はあとで考えることにしよう。

病院ではなんと立ち上がって鳴いているシマが迎えてくれた!
つい先日までは、立ち上がることも鳴くこともできなかったのに。シマは診察台の上で、ぼくに甘えてきた。
先生は、「シマちゃん、お父さんが分かるの?えらいねぇ。」と言って誉めている。目の前の出来事が信じられない気持ちで一杯であった。
21日の時点での数値を見せられて、すっかり弱気になり、諦めてしまっていた自分が情けない。
シマは、立っている。
こちらを向いて鳴いて呼んでいる。

M先生、なかなかやるなぁ! 
と妙に感心しながら、自宅に戻った。奥さんにもメールして、今夜はシマの復活祝いをやろうと誘った。(たいした食事もでないが。。。)
まあ、家族全員が揃っていることがシマも嬉しいことであろう。
シマは、自宅に戻ると、盛大に声を出し、長らくしていなかった爪とぎをバリバリっと済ませ、じゅうたんの上にゴロンと寝転がり、なでてくれ~、なでてくれ~と
存分に甘えた。

こんなに元気なシマと再会できるとは思ってもみなかった。なんと嬉しいことだろう。シマがいる生活がこれほど嬉しいものだとは思わなかった。

さて、家に帰ってから、ゆっくり病院の領収書を見てみると、金額にびっくりするのはいいとしても、ひとつ気になった。
エリスロポエチンが既に注射されていたのだ。。。
急激にPCVが下がり、緊急輸血を行い、そのときにエリスロポエチンもうったのだろう。これまで、貧血の項目はそこまで深刻な値を示していなかったので、エリスロポエチンなどもっと将来的に出てくるだろうものだと思っていた。

もちろん事態が急変した結果、先生は間髪入れずに、必要な処置を行ったのだ。いちいち、飼い主に「輸血しますよ~、エリスロポエチン注射しますよ~」などと相談している暇はなかったのだ。

そうか、シマにはもうエリスロポエチンがうたれてしまったか。。。
とにかく、少しでも元気なときにできるだけ多くの時間をシマと過ごそう。幸いにもこれから、連休が始まる。連休中も仕事に出る日もあるけれど、いつもよりはずっと早くに帰宅できる。
なるべくシマが食べたいものをあげたい。いまは、あまり物を食べなくなってしまった。とても痩せてしまった。一時期は4キロもあったが、もうすぐ3キロを切ってしまう。

しっかし、食べない。
ほとんど食べない。
好きだったミオコンボ8歳用レトルトパックも食べなくなった。
ウォルサム腎臓サポートもほとんど食べない。
夜寝ているときに時々、遠くでする「カリポリ音」が聞こえると嬉しさを覚えるようになった。すでに何人もの人たちがこの幸せのカリポリ音について色々と語っている。その幸せの音が自分にも実感できるようになってしまった。カリポリッ(1個)、カリポリッ(2個)、カリリポリッ(3個)、、、、、ついつい何個食べているかを指折りカウントしてしまう。「もっと食べろ~、もっと食べろ~」と念じながら。





続く入院生活(2)

2007年04月28日 15時28分10秒 | TOP PAGE
 4月25日(水曜日)。

シマの入院生活はまだまだ続いている。
病院に電話をした。
BUNは110、CRE5.8、ナトリウム162、カリウム4.3、クロール124、PCV14%(!)。

「BUNは下がってきている、利尿もだいぶかかってきた。だけどヘマト(M先生は妙な略しかたをする。。。)がかなり下がっている。これが落ち着けば帰れるとのこと。緊急輸血しました。」とのこと。

えっ!輸血?
そんなにひどかったのか。
どこの猫さんが血を分けてくださったのだろう?

「え、輸血ですか?どちらの猫さんか存じませんが、ありがとうございます。大変助かります。」

「うん、大丈夫。うちは猫4匹いるからね。」

おー!先生のうちの猫さんから血を分けていただいたのでしたか!
本当に感謝です!
35mlいただいた。

それまで知らなかったのだが、猫には血液型が3種類しかなく、A、AB、Bだけとのと。そのうち80%がA型。シマは何型なんだろう?あとで聞いてみよう。別に聞いてどうなるわけではないが。

それにしてもPCV14%は結構危機的な数字である。
輸液を毎日大量に流し込んでいるせいもあるだろう。
腎からのエリスロポエチンも産生されなくなっているかもしれない。

とにかく好転することを祈ろう。

続く入院生活

2007年04月28日 15時00分49秒 | TOP PAGE
 4月24日(火曜日)。

 シマは再び入院生活を送っている。
ひたすら輸液を流す。
老廃物を洗い流すように。
そして利尿を待つ。

 奥さんが先に病院に電話をして、シマの様子を聞いてくれた。
「今朝よりは動きが良くなったけれど、まだまだBUNが140オーバーなので、食べられるようになるまで続ける。おしっこも少しずつで出している」とのこと。

今日もぼくは終電近くまで会社と某国大使館を往復していた。。。
明日は、病院によってシマの様子を見てみたいものだ。

シマ家に帰る

2007年04月26日 22時49分13秒 | TOP PAGE
4月23日月曜日。

朝一番に電話した。
M先生曰く、「かなり弱っている。ナトリウム154、カリウム6.6、BUN140オーバー変わらず、CRE8.7。貧血も始まっている。PCV23%、もっと下がるだろう。とにかく、輸液(5%グルコース)をガンガン流し、ドーパミンも流しいれ、腎血流をUPさせて、利尿を待っている。少し利尿があった。まだ、希望はある。あきらめないで、もう少し様子を見てみましょう」とのこと。

ずいぶんとナトリウムが下がったものだ。。。
ナトリウムは急激な増減があると、脳細胞に多大な影響を与える。今回のような場合は、脳浮腫が懸念される。

しかし、少しとはいえ、利尿があったことも良かった。
まだ腎臓が反応したのだ。
ドーパミンの効果があったようだ。
望みがあると言われれば、もちろん、入院治療続行に異論があるはずもない!

しかし、その日の夕方5時頃。
M先生から携帯電話に連絡があった。
僕は仕事で、電車移動中だった。
電話に出られなかった。
同じ頃、奥さんの携帯のにも電話があったらしい。
なんだろう?
どうしたんだろう?
なにがあったんだろう?

 奥さんはその日は、たまたま休日で、買い物中だったらしく、携帯でシマが危ないと聞いて病院にすっ飛んで行った。
僕は、仕事からどうしても抜け出すことができなかった。
前日には、「シマが危ないなら、もうダメそうなら、家に連れて帰ってあげよう。その判断はシマを実際に見て決めよう。」
そういうような話をした。

その後、30分ほどして、メールがあった。
「今、シマを家につれて帰っています。詳しい話は帰ってからします」
とだけ、短い内容が書かれていた。

ぼくはその日は、12時頃ようやく帰宅した。
シマが自宅に帰っていた。
もう立ち上がることもできずに、キノコハウスに横たわっていた。。。
奥さん曰く「これでもだいぶ落ち着いたんだよ。病院に行った時には、呼吸が荒くて、四肢が全く立たず。すぐにでも死んでしまいそうだったんだよ」とのこと。
 でも、もっとひどかったというシマの様子を見ていないぼくにとっては、今、目の前にいるシマの様子は十分にショックを与えた。

シマはすっかり疲れきっていた。
呼びかけても反応がない。
少し耳が動く。
でも、いつものように話はできていない。
明確な反応が返ってこない。

そのうち、震える足でよろよろっと4、5歩進むと崩れるように横たわってしまった。こんなシマは見たことがない。

病院でどのようなやり取りがあったかを聞いた。

 奥さんは、先生はもう少し点滴を流し込んで様子を見てみたいと言ったけれど、今夜が山場なのではないかと感じて、先生に家に連れて帰りたい、病院で死んでしまうようなことは避けたい、と訴えてつれて帰ってきたそうだ。
先生は治療の中断が残念そうだったようだが、彼女の判断も間違ってはいなかったと思う。誰だって、この様子を見れば、もう余命いくばくもないことが感じられたであろうと思う。今夜中に息を引き取ってしまうかもしれないではないか?という奥さんの意見を覆すほどの自信は先生にもなかった。
 そうであるかもしれないと先生自身も思ったからこそ、我々の携帯に連絡をくれたわけでもある。

シマは、留置針を足につけたまま一時帰宅した。
明日まで生き延びたら、また病院に連れて行くと約束をして帰ってきた。

その日、シマは奥さんとベッドの上で一緒に寝た。ぼくもその横で眠った。
シマは自分ではベッドに飛び乗ることもできないので、いつものように腕枕の上においてやった。
ただただ死んだように横たわっている。
朝、目が覚めて布団をめくって、シマの様子を見てみると、夜に置いたままの状態でいた。寝返りさえ打っていない。
それほどまでに状態が良くないのだろう。

しかし、シマは次の朝まで生き延びた。
ぼくは会社に行き、奥さんにシマを病院に連れて行ってくれるように頼んだ。
シマは再び入院となった。


今日がヤマバ?

2007年04月25日 19時11分47秒 | TOP PAGE
本日4月22日日曜日。
シマ入院2日目。

「静脈点滴を流し込んで、利尿つかなければ、もってあと2日」と診断されてから、1日目が過ぎ、今日がその2日目。
利尿はついたのか?
日曜日は朝から病院に電話をしようと決めていたにもかかわらず、僕は夕方まで眠ってしまった。。。
なぜこんなにも眠ってしまったのか自分でも理解に苦しむ。シマが生死の境をさまよっているというのに。

なんたる怠惰。

結局、4時頃から10分置きに病院に電話をしたが、もう誰にもつながらなかった。あるいは、誰かがいたかもしれないが、なぜかタイミングの悪いときにばかり電話をしてしまっていたようだ。
あとから、聞いた話では、あの日は、朝から当直の先生やスタッフが夕方までいたというのに。

でも、何か悪いほうに急変していれば、さすがに携帯電話に連絡があるはずである。それがないということは、今日死んでしまっているいうことはないのであろう。しかし、今夜事態が悪化して、もう二度とシマのことを見られなくなるかもしれないという不安が頭をよぎった。
何度も。

休日の病院の前まで行って、中を覗き込んでみたけれど、やはり誰もいなかった。昨日、入院させるときに、なぜかいつものセット(ミオコンボ8歳用とウォルサムの腎臓サポート)を持っていくのを忘れていた。
病院のドアにシマのご飯を結びつけて、トボトボ帰ってきた。

シマが、病気ながらもまだ体調が良いときには、ときどきひものついたねずみのおもちゃをくわえてきては、僕の前に持ってきた。
もちろん「おい、遊んでくれ!」ということである。

そんなとき、シマが十分満足するまで遊んであげたのか!?
こちらも仕事で疲れているからと、いい加減にひもを引っ張って、適当に遊んで、すぐにやめてしまったりしたのではなかったか!?
ほんの数分か長くても数十分のことではないか?
シマの寿命は限られていることくらい自分が一番知っているではないか!

シマがとことこ歩いてきて、自分の前に横になったとき、シマを十分になでてあげられたか?
やはり、いい加減に適当にあやしておしまいにしてしまったのではないか?

そんなことばかりが思い出される日であった。

とにかく、明日は病院が開く前から、電話をしよう。
朝一番で電話をしよう。

M動物病院の治療費・検査費など(2007年4月28日更新)

2007年04月24日 15時01分04秒 | 治療費・検査費 (累計)
<M動物病院>

2005年10月27日~2006年05月02日
累計:¥230,255(消費税込み料金¥241,768)

2005年10月27日
初診料 ¥1,500
血液検査一般 ¥6,000
内服薬(フォルテコール7日分)¥700
ad缶 ¥345

2005年11月05日
再診料 ¥500
血液検査 ¥1,500
内服薬(フォルテコール&ウルソ14日分)¥2,800

2005年11月19日
再診料 ¥500
血液検査 ¥1,500
内服薬(フォルテコール&ウルソ14日分)¥2,800

2005年12月03日
再診料 ¥500
留置針 ¥1,000
半日点滴 ¥2,000
抗生消炎 ¥2,000
血液検査 ¥2,500
内服薬(フォルテコール&ウルソ&ネフガード14日分)¥4,200

2005年12月12日
再診料 ¥500
留置針 ¥1,000
半日点滴 ¥2,000
抗生消炎 ¥1,500
血液検査 ¥3,500

2005年12月14日
再診料 ¥500
入院料 ¥2,000×1日間=¥2,000
静脈注射 ¥3,000
点滴 ¥3,000
留置針 ¥1,000
血液検査 ¥3,000
内服薬(フォルテコール&ウルソ&ネフガード14日分)¥4,200

2005年12月30日
再診料 ¥500
血液検査 ¥2,000
内服薬(フォルテコール&ウルソ&ネフガード14日分)¥4,200
内服薬 ¥700
kd缶 ¥210

2006年01月07日
再診料 ¥500
入院料 ¥2,000×3日間=¥6,000
静脈・皮下注射 ¥8,000
点滴 ¥9,000
院内内服投与 ¥1,050
血液検査 ¥5,500

2006年01月18日
再診料 ¥500
入院料 ¥2,000×2日間=¥4,000
静脈・皮下注射 ¥6,000
点滴 ¥6,000
院内内服投与 ¥1,050
血液検査 ¥5,000
内服薬(フォルテコール&ウルソ14日分)¥2,800

2006年01月28日
再診料 ¥500
血液検査 ¥2,500

2006年02月04日
再診料 ¥500
三種混合ワクチン ¥5,000
内服薬(フォルテコール&ウルソ7日分)¥1,400

2006年02月06日
再診料 ¥500
入院料 ¥2,000×1日=¥2,000
静脈・皮下注射 ¥4,000
点滴 ¥3,000
院内内服投与 ¥700
血液検査 ¥3,500
内服薬(フォルテコール&ウルソ10日分)¥2,000

2006年02月20日
ホテル ¥3,000×3泊=¥9,000
血液検査 ¥1,500
院内内服投与 ¥300
内服薬(フォルテコール&ウルソ10日分)¥2,000

2006年03月11日
再診料 ¥500
血液検査 ¥1,500
内服薬(フォルテコール&ウルソ14日分)¥2,800

2006年03月22日
再診料 ¥500
入院料 ¥2,000×2日間=¥4,000
静脈・皮下注射 ¥6,000
点滴 ¥3,000×2日間=¥6,000
院内内服投与 ¥900
血液検査 ¥5,500
内服薬(フォルテコール&ウルソ14日分)¥2,800

2006年04月01日
再診料 ¥500
血液検査 ¥1,500
内服薬 ¥1,200

2006年04月13日
ホテル ¥3,000×3日間=¥9,000
血液検査 ¥1,500
院内内服投与 ¥2,300

2006年04月15日
再診料 ¥500
入院料 ¥2,000×2日間=¥4,000
静脈・皮下注射3日間 ¥6,000
点滴2日間 ¥6,000
血液検査 ¥5,500

2006年04月29日
再診料 ¥500
血液検査 ¥1,500
内服14日(フォルテコール&ウルソ14日分)¥2,800

2006年05月06日
再診料 ¥500
血液検査 ¥1,500

2006年05月13日
再診料 ¥500
血液検査 ¥1,500
内服14日(フォルテコール&ウルソ14日分)¥2,800

2006年11月11日
再診料 ¥500
血液検査@¥500×4項=¥2,000
内服  @¥100×30日=¥3,000

2007年03月10日
再診料 ¥500
血液検査@¥500×3項=¥1,500
内服  @¥300×5日=¥1,500
内服  @¥100×20日=¥2,000

2007年03月31日
再診料 ¥500
血液検査@¥500×3項=¥1,500
内服  @¥100×20日=¥2,000

2007年04月01日~03日
再診料 ¥500
入院料 @¥2,000×2日=¥4,000
処置料 @¥2,000×3日=¥6,000
点滴  @¥3,000×2日=¥6,000
内服処置@¥200×3日=¥600
血液検査@¥500×14項=¥7,000

2007年04月07日~10日
再診料 ¥500
入院料 @¥2,000×3日=¥6,000
処置料 @¥2,000×4日=¥8,000
点滴  @¥3,000×3日=¥9,000
内服処置@¥200×4日=¥800
血液検査@¥500×14項=¥7,000

2007年04月21日~26日
再診料 ¥500
入院料 @¥2,000×4日間=¥8,000
処置料 @¥3,000×6日=¥18,000
点滴(ドーパミン含む)@¥4,500×5日=¥22,500
血液検査@¥500×32項=¥16,000
内服処置@¥200×5日間=¥1,000
エリスロポエチン ¥2,000
輸血  ¥4,000


シマは怒っていた

2007年04月22日 10時40分57秒 | TOP PAGE
 4月21日19:00、かかりつけのM病院が閉まる寸前に飛び込んだ。先生は、いつもの診察室ではなく、入院室のほうに通してくれた。
全部で9つある入院室の真ん中のケージにシマはいた。点滴のラインを足につけられ、1時間16mlの速度で5%グルコースが流し込まれている。ただし、今回は輸液の中にドパミンも入れられている。

夕方の血液検査では、ナトリウム181、カリウム6.6、BUN140オーバー変わらず、CRE9.3となっている。
おしっこはほんの少し出たらしい。
GFRが著しく低下しているとのこと。血圧が低くなり、フィルター役の糸球体でろ過できなくなっている。したがって、輸液で体液量を増やし、血圧をあげ、フィルターに無理やり押し込んで、尿生成を促している。

わかりやすい説明だった。
料理で何かをうらごしするときに、網の目に向かって、へらでギュウギュウ押し出す様子に似ている。網の目が「糸球体」、うらごしされる対象が「血液」、うらごされるものは「尿」(老廃物)、へらを押す力が「血圧」である。

しかし、危機的な数値が続いていることにはなんら変わりはない。おしっこだって、ほんの少し出ただけだ。

それよりも、ケージの中でシマは怒っていた、自分がケージの中に閉じ込められ、留置針をさされて閉じ込められていることに非常に不満を隠せない様子であった。
先生が足に絡みついてしまったラインを直してやると、ありがとうも言わずに、ウーウーと不満そうにやり返した。
朝は立ち上がることもままならなかったのに、立ち上がって、ケージ内をウロウロしている。そのうち、ひっくり返るようにバタンと横になって、ハァとため息をついた。
「あーあ、やってらんないなぁー、もー」といった感じである。よろよろと倒れたのではなく、意識的によっこらしょという感じで横になり、前足の上にあごをのっけて、こちらの様子を見えない目でうかがっている。
ちょっとふてぶてしいくらいである。

自分が病院に行くころにはいよいよ死期が迫っていて、家に帰って看取るか、病院で安楽死という決断を迫られると思っていたぼくはちょっと拍子抜けしたくらいであった。シマは悲しい声をあげ、悲壮感がそこかしこを漂っていると思いきや、シマ様はたいそうご立腹であった。。。

結局シマは、入院続行となった。明日は日曜日だが、当直のスタッフがいるはずなので、お昼頃にまた様子を見に行ってくるつもりだ。
これまで、入院中にはお見舞いに行かないことにしていた。行くとシマは家に連れて帰るために迎えに来たと思ってしまうからだ。
しかし、今はそう言っていられる状況でもない。

奥さんは結局夜8時にやってきた。病院には間に合わなかった。明日も朝から仕事だそうだ。シマには会っていない。
しかし、月曜日と火曜日は非番なので、病院にいくことができる。反対に、月曜日・火曜日はぼくは病院に行くことができない。もしどちらかが、病院に言っているときに判断を迫られることがあったらどうするかを話し合った。

1:基本的には、シマを病院で一人で旅立たせない。安楽死を選択する場合には、2人立会いのもとに行う。処置中は目を背けないで、しっかり見ること。

2:治療続行が無意味な場合には、家に連れて帰って、できるだけ安静にさせて、二人で看取る。

3:どちらか一方が立会いに間に合わない場合には、その場の状況で判断して適切に処置を行う。

もちろん、すべてのタイミングがこちらの筋書き通りには行かないだろう。急死することもあるだろう、誰も見ていないところでひっそり逝ってしまうこともあるだろう。

 今思えば、シマは2年半前にも同じような選択を迫られていたのだ。交通事故に遭ったとき、最寄の病院で、「安楽死させますか?家に持って帰って看取りますか?」といわれていたのだ。
それが、2年半後に再び同じ決断を迫られることになっただけだ。2年半、シマは僕らとともに同じ時間を過ごしてきた。
この2年半が無駄であったとは思われない。シマが我々に与えてくれたもの、教えてくれたものは限りなく多い。むしろ、シマにしてあげられてことのほうが少なかったのではないかと思えるほど。

 あとで書くことになるかもしれないが、実はシマの体調の悪化は、タイミング的に我々に非常に衝撃を与えた。

シマは最後にどんなメッセージを我々に投げかけているのだろうか。。。



お別れの日が近づいた

2007年04月21日 17時03分18秒 | TOP PAGE
本日2007年4月21日。

BUN140オーバー、CRE9.3、ナトリウム188、カリウム7.7、クロール(忘れた)、何も食べない、何も飲まない、経口投薬拒否、おしっこ2日間なし、うんちなし、まっすぐに歩けない、フラフラしている、目はうつろ、尿毒臭なし。

 シマが尿崩症&腎不全と診断されてから、ぼくは様々な猫の病気のHP、人間用の書籍、獣医師向けの本、下手な医者より頼りになる方々が大勢出入りしている猫関連のHP、猫ブログなどを色々と見てきた。

今日の血液検査の数値を見せられたとき、お別れがかなり近いことを示していることが分かってしまった。
かかりつけのM先生も、「腎臓が完全にぽしゃっちゃってる今日明日でしょう」という見解。

素人が聞きかじった知識で色々反論してみるも、そう言っている自分の意見に己自身が納得いっていない。。。
「だって、PCVは十分にパーセンテージを保っているし、腎機能がぽしゃってるなら、そっからホルモンだって出ないじゃん。腎臓まだ生きてますよ。」

今、シマは病院で最後の点滴を受けている。
静脈点滴でいつもの5%グルコースを入れて、洗い出すような形で老廃物を排泄できるなら、まだ望みはあるらしい。
でも、腎が尿を生成できないなら、排泄できない水が貯留し、肺水腫などを引き起こす。利尿がつかなければ、点滴を中止するしかない。

あとは家につれて帰るか、病院で旅立つかである。あと、数時間で病院に行く時間だ。きっと決断を迫られるに違いない。
ダメな人間だ。点滴が効いて、利尿がついて元気を取り戻しているイメージがまるで湧いてこないのである。

奥さんとは昨年の晩夏以来上手くいっておらず、今年の2月には別居を始めている。
今日の病院の検査のあと、メールでシマがもう長くないらしいことは伝えた。彼女は仕事が終わり次第、なるべく早くこちらに来ると返信してきた。
病院は7時まで、彼女は通常の就業通りであれば、早くても8時にしか来られない。
せめて、間に合えば良いのだが。なぜか間に合わないほうが良いのかも知れないとも思う。

なぜだろう。シマと旦那を置いて勝手に出て行ってしまったから?苦しむシマを見せたくないから?

このブログも更新しなくなるのだろうか。。。

旅立ちの間際にできることは何だろう?そういえば、ひびさんのギャオス王国のBBSの投稿の中に、心配停止後も最後まで残る感覚は聴覚だと書いてあったな。。。

こんなことばかりが思い出される。

今、5時のチャイムが会社で鳴った。

そろそろ行かなくちゃ。

そもそも、なんでこんなときにブログなんて書いているのだろう?

行って来ます。