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新聞記者の雑記帳
新聞記者嵐山太郎がお贈りするプログです。社会、政治からマスコミまで取り上げます。
 



相次ぐ警察の裏金作りに、宮城県の浅野史郎知事が宣戦布告しました。
浅野知事は6月24日、宮城県警の捜査用報償費が適正に執行されていない疑いがあるとして、予算執行の停止を決定、県警に通知しました。
宮城県警の報償費をめぐっては、仙台市民オンブズマンが2001年度、1999年度の報償費文書の開示を浅野知事に求めて提訴し、現在、仙台高裁で係争中です。被告となった浅野知事は昨年、県警に会計文書の閲覧と捜査員の聴取を要求し、県警はいったん文書閲覧を許したものの、知事の対応を不満としてその後は認めず、対立が続いていました。
今年4月には宮城県警が、1998年~2000年度の県警の報償費などについて内部監査した結果として「適正に執行されていた」と県議会に報告。しかし、県警は、捜査協力者への聞き取り調査をしていなかったため、浅野知事は「監査の名に値しない極めて不十分、不誠実なもの」と批判。捜査員への聴取などを改めて要求していました。
警察の捜査用報償費をめぐっては北海道警や福岡県警などで不正支出が明るみに出ていますが、宮城県警は否定しています。浅野知事は事実を確認するために捜査員への事情聴取が必要だとしていますが、県警が「捜査に支障が出る」と応じなかったため、異例中の異例ともいえる事態へと発展しました。
宮城県警は拒否の理由を「文書には治安確保のため捜査協力者の氏名など重要事項が記載され、捜査活動と密接にかかわる。慎重に取り扱われなかった場合は捜査活動に支障が及び、結果的に治安の悪化につながりかねない」との主張を繰り返しています。
報償費や捜査費は、捜査に協力してくれた市民への謝礼や、市民と会った際の喫茶店代や食事代などの経費として使います。支出関連書類には、きちんと協力者の名前を書き、現金を謝礼として渡した場合はその相手の直筆による領収証などが必要とされています。
ところが、この協力者の名前が架空だったり、電話帳などから適当に拾った名前を勝手に使って、架空の書類をつくり、領収証を偽造して、警察内部に溜め込んでいくという裏金作りが相次いで発覚しています。ここ数年だけでも、北海道警、福岡県警、愛媛県警、静岡県警、高知県警など、次々と裏金作りの疑惑が報じられています。
この問題はまず、裏金作りそれ自体が厳しく断罪されるべきです。さらに県民が支払った税金の使途を県民が知ることができないという構造にもメスが入れられるべきです。
話は飛びますが、この「税金の使途を知ることができない」という構図は、何も警察の捜査費に限ったことではありません。例えば、「第二の議員報酬」との批判もある議員の政務調査費です。
政務調査費というのは、視察や図書購入など調査研究のための経費です。5月19日付の中国新聞によると、政務調査費を議員に支給している広島県内13市議会のうち、収支報告書への領収書添付を会派や議員に義務付けているのは7市議会にとどまっているそうです。透明性の確保に欠かせない領収書の扱いにばらつきがある上、領収書を情報公開の対象にしているのは6市議会で、半数以上の実態は闇の中です。
こうした実態は都道府県でも同じです。5月29日付朝日新聞によると、同社が47都道府県と14政令指定都市の実態を調査したところ、使い道を示す領収書の添付と公開を条例で義務づけているのは、たったの6府県、5市にとどまっていることがわかりました。また、政務調査費は残金があれば年度末に返還することになっていますが、5県では2001年度から4年間続けて、一度も返還がなかったそうです。
ちなみに、全都道府県・政令指定都市の2005年度の政務調査費は総額約180億円にも上ります。これだけのお金の使い道のほとんどが市民にはまったく見えません。警察の捜査費といい、議員たちの政務調査費といい、これが本当に民主主義国なんでしょうか。


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今日は悪名高き「記者クラブ」について解説します。
記者クラブは日本と韓国に特有のシステムで、簡単に言えば、官公庁などの取材先から無償で間借りした部屋と、そこを取材拠点とする記者集団といったところです。新聞や通信社、テレビ局の記者が所属し、記者クラブを通じて取材対象が発表するプレスリリース(マスコミ向けの発表資料)を手に入れたり、記者会見を開いたりします。
代表的な記者クラブには、外務省にある「霞クラブ」や財務省の「財政研究会」、宮内庁の「宮内記者会」などがあります。警視庁には3つの記者クラブがあります。朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞、日本経済新聞と共同通信が加盟する「七社会」、産経新聞、時事通信、NHKなどが所属する「警視庁記者クラブ」、民放各社が集まる「警視庁ニュース記者会」です。日本銀行には「日銀記者クラブ」、日本経団連には「経団連記者クラブ」、東京商工会議所にも「商工会議所記者クラブ」が、東京証券取引所にも「兜クラブ」があります。電力会社や都道府県庁、県警本部、政令指定都市はもちろん、人口数万人規模の地方都市の市役所にも記者クラブはあります。
多くの記者クラブは、日本新聞協会のメンバーであることが加盟資格となっています。加盟社は記者クラブによって変わります。中央では全国紙とキー局が中心となり、地方では地方紙を中心に全国紙、ローカル局が加盟しています。地方の市役所では、テレビ局は加盟していないか、準加盟というケースも少なくありません。所属する記者数は会社によってまちまちで、中小都市のように1人のこともあれば、10人以上が所属することもあります。部屋や机などの備品は、取材先から無償で借り受け、大きな記者クラブになると、記者の世話係を務める職員がいて、毎朝コーヒーを作ってくれます。さすがに最近は電話回線は自社で引くことが多くなってきました。毎月、1人当たり500円とか1000円程度のクラブ費を支払い、集めたお金でコーヒー豆を買ったり、クラブ員が転勤になった際の選別に充てたりしています。共同利用のファクス代金やコピー代を取材先に支払っている記者クラブもあります。
加盟各社は、2カ月~半年交代で幹事社を務めます。幹事社は会見の設定や司会役をしたりします。各記者クラブには、「ルート」などと呼ばれる緊急時の連絡網があります。例えば、事件・事故の場合、管轄する警察署が、報道用資料を作成し、県警本部の了解を得た上で幹事社のA社に電話・ファクス連絡します。A社は記者クラブ加盟社のB社とC社に同様にして連絡します。さらにB社はD社に、C社はE社にといった具合に順番に連絡していきます。
さて、明治時代にさかのぼる記者クラブ制度は、「閉鎖的」「特権意識」「横並び体質」として批判を浴びています。特に「閉鎖的」との批判は強く、実際、週刊誌や海外メディアは排除されてきました。この「閉鎖性」に風穴を開けたのが「ブルンバーグ」です。当時の東京支局長デビッド・バッツ氏は「報道の自由を阻む非関税障壁だ」として、アメリカ大使館やロイター通信、CNNなどを巻き込み、東証の兜クラブへの加盟を求め、最終的に1993年に加盟を勝ち取りました。
ただ、海外メディアに完全に扉が開かれたわけではなく、2002年にEUは「日本の規制改革に関するEU優先提案」の中に、「情報への自由かつ平等なアクセス」の項目を設け、日本の公的機関に対して海外メディアのアクセスの保証と記者クラブ制度の廃止を求めています。
これに対し、日本新聞協会は2003年12月、見解を表明。公的機関に対して結束して情報公開を迫るという役割があると指摘しつつ、①公的情報の迅速・的確な報道②人命人権にかかわる取材・報道上の整理③市民からの情報提供の共同の窓口―などの役割のために記者クラブは必要だとしています。
行政の側からも記者クラブ制度への問題提起があります。
1996年には朝日新聞出身の竹内謙鎌倉市長が、記者クラブの代わりに「広報メディアセンター」を設置。登録を条件にセンターを加盟社以外にも開放しました。2001年には、長野県知事に当選した田中康夫氏が「脱・記者クラブ宣言」をしました。それまで県庁内に3つあった記者クラブスペースの無償提供を取り消し、代わって表現者すべてに開放する「プレスセンター」を設けました。2003年には、田中知事に個人的な反感を持つおたく評論家の宅八郎氏が知事会見に現われ、過去の知事が執筆した記事について謝罪を求め、その1問1答も長野県のホームページで公開されました。
他にも、「官庁などからコントロールされた情報を、批判も分析もせずに垂れ流している」「クラブ室やクラブ設備の一部は、官庁側が無償で提供しており、維持に税金が使われている」「役所などの発表情報を横並びに垂れ流している」「官庁などの取材源から情報を得られなくなることを恐れ、当局追従姿勢に陥りがちになっている」などの批判があります。
これらの批判すべてが正当なものであるとは思いませんが、少なくとも無償での間借りは見直すべきでしょう。記者クラブの維持費に税金が使われているとの批判に対しては何の言い訳もできません。マスコミも利益を追い求める私企業であり、無条件で税金を使っていいはずがありません。
「閉鎖的」との批判に対しても、多くの点で肯定せざるを得ません。雑誌社や海外メディアを排除する正当な理由はありません。ただ、記者会見への出席には、何らかの制限は必要だと思われます。完全に自由化された場合、右翼団体や総会屋の類が会見場に乗り込んできて混乱する可能性もあります。市民運動グループが会見を開くようなケースでは、そのグループと対立する別のグループがやってきて騒ぎ立てるということも可能になります。世間の耳目を集めるような大事件では、野次馬根性丸出しの連中が押しかける可能性もあります。ちなみに地方では、記者会見に出席できるのが必ずしも記者クラブ加盟社だけというわけではありません。大事件の際は、加盟社でも何でもないワイドショーのリポーターや雑誌記者がちゃっかりと出席していることも珍しくありません。
「官庁などからコントロールされた情報を、批判も分析もせずに垂れ流している」「役所などの発表情報を横並びに垂れ流している」との批判については、半分は当たっていますが、半分は誤解です。このことでよく批判に晒されるものに「黒板協定」があります。幹事社が発表を了解した場合、これがクラブの黒板に書き出され、その内容については記者クラブ所属の記者は発表以前に記事にしないことになっています。この点が「横並び」とされる理由の一つでしょう。確かに日々、各紙の紙面を眺めていると同じような記事ばかりと批判されても仕方ない面もあります。政治面の記事には、横並びとしか思えない記事が多く見受けられます。事件報道でも「警察発表を検証せずにそのまま記事にしている」との指摘は、その通りとしか言いようがありません。
ただ、全国紙だろうと地方紙だろうと、官公庁の発表記事しか書かない記者はまったく評価されません。記者は常にスクープを狙い、独自ネタを探しています。「黒板協定」よりも先にニュースをつかもうと努力しています。仮にあるニュースについて会見での発表申し入れがあり、それを幹事社が受け入れたような場合でも、すでに独自取材でそのニュースをつかんでいた場合は、「黒板協定」を拒否することもあります。このことが後々でもめる原因になって、記者クラブ内で「協定違反だ」となるケースもあります。
地方では「黒板協定」は、どちらかというと全国紙が利用したがる傾向にあります。理由は簡単で、地方では地方紙の記者数が圧倒しているためです。手厚い陣容の地方紙は黒板協定で各社一斉に横並びとなるよりも、独自の取材で最初に書こうとします。逆に記者が数人しかいない全国紙は、地方紙のような陣容を展開できるはずもなく、地方紙に抜かれるよりは「横並び」を歓迎する傾向があります。もちろん全国紙も独自にニュースをつかんでいた場合は、この限りではありません。
「特権意識」との批判については、記者クラブそのものに原因があるのではなく、記者一人ひとりの「自分たちは正義なんだ」という独善性とか、「俺は新聞記者だ。その辺の会社員とは違うんだ」というわけのわからない優越感に根ざしていると思います。


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新聞社っていうところは当然、読者から記事の感想とか問い合わせの電話がかかってくるよね。今日はそんな電話の中から、困ったちゃんな読者の困ったちゃんな電話について話そう。
新人記者のころなんだけど、歴代の天皇の名前を全部教えてくれという電話を受けたことがあるよ。夜の9時ごろだったかな。まだ入社2カ月もたっていないころで、僕も今みたいにひねくれてなかった。上司からは読者の問い合わせに丁寧に答えろと言われていたからね、馬鹿正直に資料部に行って、日本史年表で調べたよ。デスクには「何やってんだ」って怒られた。
いるよね、そういう人。新聞社を百科事典か何かと勘違いしている人がさあ。興味あるなら自分で調べろよって言いたくなるもんね。
でも、教師でもいるんだよな。ある地方都市の支局時代だけど、「G7」というのが、どこの国のことなのか教えてくれっていう電話があった。この先生が言うには「子どもたちに教えてあげたいから」だってさ。教師のくせに「G7」を知らないのもどうかしてるけど、こんなことも自分で調べようとしない先生ってのも困ったちゃんだな。こんなことで子どもたちに「学習意欲」がどうたら、こうたらって言えるのかね。
ある時期、毎日のように電話してくる困ったちゃんがいてね、ある日は「魚へんの字を教えてくれ」、次の日は「わしは中曽根首相は偉い人だと思うんだが、どうだろうか」、その翌日に今度は「徳川幕府の第10代将軍の名前を教えてくれ」ってな感じで、毎日電話してきた。さすがにこっちもいいかげんにしてほしいから「そういうことはご自分で調べてください」って言って電話を切ったんだ。それでも懲りずにまた電話してきたよ。
わが社はよくあるのが、電話番号を教えてくれってやつだね。記事に関係しているのならいいんだけど、●●テレビの電話番号を教えてくれとか、市役所の何とか係の電話を知りたいとか。電話帳か「104」で調べてくれって言いたくなるよ。こっちは地方紙なのに、関東の市役所の電話番号なんか知らねえっていうの。
飛行機のチケットの取り方を教えてほしいとか、よその町の花火大会の開催日時を教えてくれとか、電話するのは新聞社じゃないだろう。
「おいおい、そう来るか」っていう記事のクレームもあるだろう?
あるある。これは知り合いの地方紙記者から聞いたんだけど、プロ野球で広島カープが連敗してた時にね、その新聞は「カープ 鯉わずらい」っていう見出しを付けたんだ。「恋煩い」の鯉とカープの「鯉」とをかけたんだけど、次の日におじいちゃんの読者から電話があって「うちの孫が恋煩いの『恋』は、この字でいいのかと言っとる。間違った漢字を覚えたら、どうしてくれるんだ」と怒られたらしい。
はははははっ…
だじゃれ見出しは意外とクレームが多いよね。「このだじゃれは面白くない」っていうのならわかるんだけど、「週刊誌やスポーツ新聞じゃないんだ、もっと真面目な見出しを付けろ」だもんな。
誤字脱字を見つけるのに、命をかけてんじゃないかっていう読者もいる。よくこんなの見つけるなって驚くよ。朝から晩までかかって新聞を全ページ、くまなく見てるんじゃないのかなあ。「てにをは」の違いを見つけると、毎回電話をかけてくる。で、決まって最後に「この間も間違いを見つけて電話した。こんなに間違いが多いんじゃ困る」って言うんだ。そりゃあ、まあ、間違ったこちら側が悪いんだけどさ。
宗教団体のクレームも勘弁してほしいね。有名な某宗教団体の疑惑が紙面に載ったことがあるんだ。通信社の配信記事だったんだけど、もう朝からクレームの電話ばかりだった。「こんなことは絶対にしません」って言うから、「こんなことはしないとおっしゃいますが、どんな根拠があるんですか」って反論したら、「うちの会長はしないって言ったら、しないの」だって。まさに妄信だね。
酔っ払いの電話も多い。だれそれに殴られたとか、馬鹿にされたと言って電話してくる。この間も宿直の時に「村田に殴られた」っていう酔っ払いの電話があった。ろれつが回っていないし、論理もむちゃくちゃ。だいたい、いきなり「村田」って言われても、どこの村田だよ。
でもねえ、そんなむちゃくちゃな電話の中にも、スクープが隠れているかもしれないしね。
だから、「読者からの電話には丁寧に」だよね。



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24日付の朝日新聞に気になるニュースが載っていました。経済産業省の大臣官房企画室が、外郭団体の研究委託費を流用して裏金をつくり、銀行口座にプールしていたという記事です。裏金作りは1988年度から1993年度まで続き、総額で数千万円にのぼり、官房の接待費などに充てられていたといいます。
特に口座の管理役だった前室長(48)は、流用した裏金のうち2400万円を自らの株取引に使っていました。ところが、経済産業省はこの前室長を懲戒免職ではなく、6月6日付で諭旨免職にしたにすぎません。
懲戒免職は国家公務員法や地方公務員法に基づく処分で、退職金が支給されません。一方、諭旨免職は、実質的な強制措置ではありますが、自己都合退職、つまり依願退職の一種でちゃんと退職金も支払われます。どうしてこうも大甘処分なんでしょうか。この前室長のやったことは、まぎれもない犯罪行為です。国民から集めた血税から、退職金を支払うどんな理由があるんでしょうか。
国家公務員だろうと地方公務員だろうと、公務員は国民の税金から給料をもらっています。だからこそ、一般の国民よりも高い倫理観が求められます。ところが、実際には大甘処分ばかりです。

過去の記事からピックアップしてみました(年月は記事掲載年月)
◆2004年12月 外務省は現職大使が在ウィーン国際機関日本政府代表部公使さった1997年から2年間、国から支給される在宅手当の一部を不正に受け取っていたとして、この大使に25日付で帰国命令を出し、帰国後、速やかに諭旨免職処分にすると発表した。
◆2005年2月 東京都内を走る電車内で、女児のスカート内を盗撮した区立小学校教諭(34)が都迷惑防止条例違反の疑いで逮捕された。都教委は教諭を諭旨免職とし、退職金の6割を支給。(教員の場合、諭旨免職では教員免許が残ります。他教委で採用されれば、教員を続けることもできます)
◆2005年4月 東京都教育庁の部長(57)が電車内で下半身を露出させたとして、公然わいせつの現行犯で警視庁に逮捕、書類送検されていたことが分かった。都教委は、この部長を諭旨免職処分にした。
◆2005年6月 出向中に約400万円を着服した和歌山県の元職員に、県が退職金など約1800万円を支払ったのは、地方公務員法などに違反するとして、和歌山市の市民団体が住民監査請求。この元職員は2002年4月から04年3月まで第三セクター「和歌山マリーナシティ」に出向。漁協など約60団体がつくる「県水難救済会」の経理などを担当。02年5月から04年4月まで計32回、同会の口座から約400万円を無断で引き出し、私的に流用した。県は、元職員が全額を返済し、同会も被害届を出さず、事件として立件されなかったことに加え、出向中の不祥事は制度的にも懲戒免職の対象とならないとして、04年6月に諭旨免職とし、退職金約1700万円と期末勤勉手当約100万円を支払った。

不正流用も盗撮も犯罪です。もっと厳しい処分でのぞんでもらいたいものです。


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JR福知山線脱線事故報道は、多くの記者にとって実は疑問の多いものとなりました。
JR福知山線の脱線事故から2カ月。わが社も含めてマスコミ各社ともあいかわらずの過熱報道だった。
この2カ月の報道を見てみると、だいたい3種類の記事に分けられる。一つは事故原因を探ろうとするもの、そして二つ目が、JR西日本社員の「不適切な行為」を糾弾する記事、最後に遺族の思いや被害者の人柄を紹介する記事だ。毎度毎度、この手の事故が起きるとそうなるけれど、事故原因を探ろうとする記事が一番お座なりだ。これこそがメディアの使命だと思うんだが…。
今回特にすごかったのが「不適切な行為」糾弾記事だね。新聞紙面には連日のようにJR社員の「不適切な行為」に関する記事が掲載された。「事故当日にJR社員がボウリング大会を開いていた」「韓国旅行に行っていた」「車掌が宴会をしていた」と、ヒステリックなほどの糾弾記事が続いた。
しまいには、脱線事故から2週間もたった5月8日に、事故現場から30キロ離れたゴルフ場で民主党の参院議員らがゴルフコンペを開いていたことまで批判の対象となった。こうなると、もう何でもありだ。民主党議員の「不適切な行為」は、「週刊朝日」が最初に書いたんだけど、「スクープ」と銘打たれていた。コンペ参加者の中には、「事故の原因追及をする要職にある議員も複数いた」そうだけれど、だからといってこんな記事のどこがスクープなんだろうか。いくらなんでも、2週間もたってから休日にゴルフをしていたことで攻められるいわれもないだろう。
僕も経験があるけど、大事件が起きると、とにかく上司から連日、「続報」を書くように求められる。しかも1本や2本じゃない。一面にも社会面にも、内政面にも、どんなネタでも続報を書かなくちゃならない。ネタがあってもなくても。事故の原因究明こそが重要なのに、どうしても、本質から離れた内容でも記事にしなくちゃならなくなる。
翌朝のライバル紙に、デカデカと続報が載っているのに、自分のところだけまったく関連記事がないというわけにいかないからね。だったら、もっと本質の部分に人員を割いて徹底的に究明すればいいのに、上司も原因究明よりも、糾弾ネタや遺族回りの方に人員を割く。結果的に本質的な問題の方は、国土交通省なんかの発表ものばかりで、何の独自性もない。
事故の原因究明なんて手間はかかるけど、なかなか結論が出ないからね。しかも、新聞記者はしょせんは素人。専門知識がないから、原因究明という部分では判断ができない。それでも時間をかけて徹底的に探っていけばいいのだけれど、報道合戦の中じゃあ、そうする余裕もない。
今回の場合、「不適切な行為」と並ぶ糾弾記事に「オーバーラン報道」がある。「どこそこの駅で、停車位置から何メールも行き過ぎた」「あっちの駅では何メートルだ」というやつだ。実際のところ、オーバーランなんてのはそう珍しいことでもない。こういう事故があると、普段はベタ記事にもならないようなものまで報道合戦になる。
その点、「サンデー毎日」の5月29日号に乗った牧太郎氏のコラム「青い空 白い雲」は冷静だった。タイトルは「『不適切!』と言われたら反論できない嫌~な時代」。本質から外れた報道を「JR西日本の社員は人命救助もしないで遊んでいる人、とでも言いかねない論調(中略)その世間のお怒り度に、僕はそら恐ろしいものを感じた」と書いていた。さらにちょっと大げさな気がしないでもないが、「何か、一億火の玉で米英に立ち向かう第二次世界大戦直前の雰囲気。史上最悪の脱線事故を契機に (あるいは利用して)国民の価値観を統一するキャンペーンが始まったのではないか、と疑りたくなる」と指摘していた。こういう冷静な声が、同じ新聞記者から上がると救われる思いだ。
事故から2カ月たち、各新聞社が事故報道の検証をしているけど、どう思う。
これも、あいかわらずだね。最近はメディア批判の声も大きいから、何か大事故や大事件があると、必ず報道の検証記事が載るんだけど、それでメディアがまともになるかといったら、何も変わっていない。
共同通信の検証で、遺族の一人のコメントが載っていた。「メディアはJR側の不祥事など書きやすいことばかり書いているように見える。再発防止を考えるなら、事故原因の解明にもっと力を注ぎ、安全対策の不備を追及する報道を心掛けるべきだ」という指摘には、まったく反論できない。
それでも各社とも何とか、自社の取材を正当化しようとしている。朝日新聞の検証記事は、いきなり「突然の事故で人生を断ち切られた人たちの生きた証しを、紙面に残したい。そんな思いで、記者らは遺族取材を続けた」だ。おい、おい、本当かよって思うね。確かに、そういう記者が一人もいないとは言わない。だけど、同じ記事中にあった「他社が取材したら取材しないわけにはいかない」というのが本音だろう。
共同通信の検証でも女性記者が「先着した記者数人は取材を終えていた。『出遅れた』と焦りインターホンを押す」と正直なところを書いている。
実際のところ、「生きた証しを、紙面に残したい」という記者は本当に少数派だろう。だから、事故現場で談笑したりするし、会社に戻れば、仲間内で馬鹿話もする。正直言って、大部分は上司の命令か、あるいは単に事件報道の昔からの慣例に従っているだけだ。だいたい「生きた証しを」なんて言うのなら、何も大切な家族が亡くなって茫然自失としている時に取材に押しかけなくてもいい。それこそ、事件から少しばかり時間を置いてからでもいいはずだ。ところが、遺体の確認も終わっていない遺族に、「どなたが亡くなられたんですか」と数十人の記者が殺到する。近所迷惑も考えずに遺族宅にも押しかける。真夜中だろうとお構いなしだ。遺族に顔写真の提供を拒まれると、近所や友人の家まで回って手に入れようとする。
残念ながら、マスコミの人間というのは、自分たちの正義をこれっぽっちも疑わない人種が少なくないからね。それで出てくるのが「犠牲者一人ひとりの人柄や日常生活を知ることで、事故の悲惨さが理解できるし、真相究明につながる。対策を求める世論にもつながる」というマスコミ特有の論理。確かに、犠牲者の人柄を知ることで、事故の悲惨さは強調されるかもしれない。だからといって、遺族の思いを踏みにじっていいわけじゃない。Cも言うように、事件から少し時間を置いて取材すればいい。何も1年も2年も待てというわけじゃない。せめて葬儀が終わるまで待つべきだろう。そうやってじっくりと取材した記事のほうが、実際は多くを語ってくれる。
結局、こういうところがマスコミ批判につながり、「報道の自由を制約すべき」という声が普通の市民からも上がるようになってきた原因だ。ほとんどの新聞記者は、記者になったばかりのころは、本当の意味での情熱を持っていた。それがどんどん会社の論理に流されていってしまう。しかも、へんてこりんな論理を振りかざすようになってしまう。
で、それを今後は政治家たちが利用するようになる。もうそろそろ、さして根拠のない独善的な論理を振りかざすのをやめないと、それこそ「報道の自由」が危ないことになる。


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朗報です。以前お伝えした尾道のマンション建設問題が解決しそうです。尾道市が、建設を予定していた広島の不動産業者から土地を買収することになりました。
地元紙の中国新聞によると、21日にあった市議会本会議で亀田良一市長が一般質問に答え、①不動産会社と17日に市が土地を買い取ることで合意した②跡地は市民や観光客が憩い、交流できる施設などに整備する③尾道らしい景観形成に向け条例制定に取り組む―と述べたそうです。市の財政問題もあるでしょうが、とりあえず安心しました。
ただ、今回の問題で用地を不動産業者に売却したのはJR西日本です。土地を売った住民とそれ以外の住民という利害関係がありません。だからこそ、行政も住民も、さらには地元経済団体も、一致団結して反対の声を上げやすかった面もあるのではないでしょうか。しかし、多くの景観問題では、用地を売った地権者が住民であるケースが少なくありません。
例えば、土地の所有者である親が亡くなり、息子や娘は東京に住んでいるような場合を考えてみましょう。子どもたちが二度と故郷に帰る気がなければ、その土地は税金がかかるだけの無用の土地です。いずれは土地を手放すことになるでしょう。マンション業者が実勢価格よりも、ほんの少しでも高値で買い取りを打診してきても、土地を絶対に手放さないという人がどの程度いるでしょうか。あるいは、どこかの建設業者が「賃貸マンションを建てれば、賃料収入が入りますよ」と売り込んできたら、どうでしょうか。だからこそ、条例制定に当たっては、住民と根気よく対話していくべきでしょう。
私は尾道ファンではありますが、しょせんは尾道の住民ではありません。自分たちの住む町をどんな町にしたいのか、その土地に根付いて生きている住民が、じっくりと話し合って結論を出す必要があります。
その結果、高層建築が林立する東京の模倣のような町並みを住民が選ぶのなら、残念ではありますが、仕方ありません。しかし、不動産業者やゼネコンの言葉に流され続けてできあがった町並みや、行政の一方的な大規模開発に乗っただけの町並み、大手資本による画一化された町並みが、そこに住む人たちにとって楽しい町であるとは思えません。
愛すべき風景が何なのか、尾道らしい町並みがどんな風景なのかを、住民一人ひとりがじっくりと考えくれることを願います。

景観問題については次の本が参考になります。
美しい都市をつくる権利

学芸出版社

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失われた景観―戦後日本が築いたもの

PHP研究所

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早川いくを著
バジリコ・1500円
ジャンル=生物・イラスト・エッセイ
お薦め度数★★★★★


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摂氏150度の高熱にも絶対零度にも耐える「クマムシ」、頭の上に役割不明の瘤がある「ヨツコブツノゼミ」、脚しかない「ウミグモ」、オスの大きさがメスの20万分の1しかない「ボネリムシ」…。この本に出てくるのは、どれもこれも奇妙奇天烈な生き物ばかり。中でも極めつけは「オオグチボヤ」。地面から生えた「口」。まさに口だけお化けです。しかも怖いというより馬鹿らしい姿。こんな口だけの生き物が実在するというのだから、本当に地球というのはすごい星です。
著者の肩書きは、文筆とデザインを同時にこなす「デザイン・ライター」。本作はイラスト中心ながら、政治や環境問題から「ゴマちゃん」騒動まで、世の中を皮肉った文章が実に軽妙で、これまた楽しい。

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秋田県大仙市136人、秋田県由利本荘市129人、山口県下関市105人、新潟県魚沼市96人…。市町村合併によって 誕生した新自治体の議員数です。地方分権とか地方の時代と言われていますが、この数字を見ると「地方分権なんかして本当に大丈夫?」と心配になってきます。
さて、日本一のマンモス議会となった大仙市。この新しい市は、大曲市など八市町村が合併して3月21日に誕生しました。 人口はわずか9万8000人。ちなみに東京都議会の場合、人口1250万人 に対して、議員数は127人(定数)。都道府県と市町村の議員数を単純に比較するわけにはいきませんが、これはいくらなんでもむちゃくちゃです。議員数136人という異常な人数は、今年9月末までの半年間という期間限定ではあります。しかし、その半年だけでも議員の歳費や共済費は約3億3000万円に上るといいいます(3月29日付産経新聞)。 これが本来の30人なら、9500万円で済むので、3倍以上に膨れ上がる計算です。 行財政改革を狙いの一つとする市町村合併で、 なぜこんな馬鹿げたことがおきるのでしょうか。これは一にも二にも、地方議員 があまりにも低レベルなためです。
市町村議会の議員数は、人口規模に応じて上限となる法定定数が決められています。そして、A市とB町、 C町の合併の場合、B町とC町がA市に 吸収される「編入合併」なら、B町とC町の議員は職を失い、ただの人になっちゃいます。A市とB町、C町が対等な 新設合併なら、A市も含めて全員が職を失います。ところが、合併特例法というお馬鹿な法律には「在任特例」という抜け道が設けられています。この抜け道を使えば、一定の期間に限っては、B町とC町の議員も、合併後も議員を続けられるようになります。で、案の定というか、議員というおいしい蜜を味わった人たちが、この特例に飛びつきました。朝日新聞(4月18日付)によると、今年1月末時点で、それまでの6年間に合併した306市町のうち、6割にあたる183市町が在任特例を適用したといいます。
在任特例を使った大仙市議の言い分といえば、「新しい自治体で、きちんと約束が守られるか見届ける責務がある」という程度のものでした。この人たちは、監視しないと約束も守らないような自治体との合併にOKを出したんでしょうか。だとしたら、それこそ、住民に対するまぎれもない背信行為じゃないでしょうか。
私も合併自治体の取材をしたことがありますが、そこで聞く本音は、議員という仕事を履き違えた情けない言葉ばかりでした。「合併して議員じゃなくなると失業してしまう。それでも町のために身を犠牲にするんだから、多少は考えてもらはないと」。どうも、地方議会というのは、職業安定所だったようです。有権者は選挙のたびに住民総出で投票所に行って、次は誰を失業の恐怖から救ってあげるかを決めているようです。就労支援です。まったくいいご身分です。
しかも、この連中ときたら、合併特例債という有利な借金があるもんだから、使いもしない施設ばかり、ばかばかと造って借金をどんどん増やしてくれます。合併特例債というのは、借金返済の7割を国が肩代わりしてくれる、正確に言えば、借金返済の7割を地方交付税で充当してくれるというものです。

あなた(市町村)は、とある企業に勤める社会人。ところが、あなたは いつまでたっても自立できずに、親(国)から月々仕送り(地方交付税や補助金)をしてもらっている甘ったれです。 あなたの親は、あなたに少しでも社会人としての責任感を持ってほしいと、 「早く結婚(合併)しろ、結婚しろ」と言ってきます。それでもなかなか結婚しないので、親は「何でも欲しいものを買ってあげる」とアメ付きで結婚を促すことにしました。 そんなあなたが、ついに同じ会社のOL(隣の市町村)と結婚(合併)することにしました。 そして、あなたは、結婚を機に分譲マンション(箱物)を買うことにしました。
あなたの親は約束どおり、マンションのローン返済(合併特例債)を助けるため、仕送り(地方交付税)を増やして、助けることにしました。 でもね、それでよろこんではいけません。本当のところ、あなたの親も「何でも欲しいものを買ってあげる」と約束できる ほど裕福ではないので、仕送りを増やすために、サラ金から借金(国債発行)するしかありませんでした。 つまり、実質的に借金返済の義務を負っているのが、あなた自身(市町村)から、あなたの親(国)になっただけの 話で、借金自体がなくなるわけではありません。しかも、この親(国)は、あなたに月々の仕送りをするために、すでにあちこちから借金をしまくっていました。しかも、浪費癖もあり、自己破産(財政破綻)寸前の状態になっています。親(国)が自己破産(財政破綻)すれば、あなた(市町村)も仕送りしてもらうことができなくなり、あなた自身の首を絞めることにもなります。

ちなみに、大仙市議会の在任特例活用に対しては、市民団体から3万2000人分もの反対署名が集まったそうです(東奥日報5月21日付)。人口の3分の1もの反対がありながら、その声を無視するなら、その議会は住民の代表とは言えません。いっそうのこと議会を解散して、住民投票で重要事項を決める直接民主主義に移行してはどうでしょうか。在任特例を活用する低レベルな議員より、反対署名集めをした市民団体のほうが、よほど「監視役」として適任です。

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6月21日付けの毎日新聞朝刊に「悪質リフォーム業者など 33府県で処分ゼロ 特定商取引法違反」という記事が載っていました。各地の消費者センターへの被害相談が、それぞれ数千件以上あったにもかかわらず、特定商取引法による都道府県の処分が、33府県でゼロだったというニュースです。
特定商取引法は、訪問販売、通信販売、電話勧誘販売、連鎖取引販売などについて消費者保護のルールを設けた法律です。悪質業者への処分は業務改善などの「指示」と、指示に従わない場合の「業務停止命令」とがあり、違反業者の名前の公表を義務付けています。
ところが、せっかくの法律も33府県がまったく使っていません。記事で取り上げられている大阪府消費生活センターの場合、職員は腑抜け以外の何ものでもないでしょう。
大阪府では先月、堺市に住む80歳の女性が、悪質なリフォームで1000万円を水道工事会社に支払わされたケースが発覚したばかりです。ところが、大阪府消費生活センターは、このケースについて調査しておらず、担当者は「地元の堺市立消費生活センターが業者を呼んで口頭指導したと聞いている」と話すにとどまります。人員が少ないにしても、もっと府民の被害に対して真剣な対応ができないのでしょうか。
こうした悪質業者の多くは、「悪質」であることを承知の上で「カモ」となる人間を狙っています。口頭指導などという甘っちょろい対応ではなく、事実関係がはっきりとしているなら、業者名をできるだけ早急に広く公表すべきです。配慮されるべきは、業者の経営問題ではなく、消費者の被害です。


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6月16日、東京高裁でわいせつ漫画をめぐる控訴審判決がありました。露骨な性描写がある成人向け漫画「蜜室(みつしつ)」を売ったとして、わいせつ図画頒布の罪に問われた出版社「松文館」(東京都豊島区)社長に対し、田尾健二郎裁判長は一審と同様にわいせつ物と認め、罰金150万円を言い渡しました。
漫画本がわいせつ物にあたるかが、公開の法廷で争われた初のケースです。判決は「大半が性描写に費やされており、平均的読者がこの漫画から一定の思想を読み取ることは困難」とし、「性的刺激を緩和する思想的、芸術的要素もない」と断じました。
この裁判の焦点の一つは、刑法175条そのものでした。刑法175条は、わいせつな文書や写真、絵などを販売したり、販売目的で持っていたりすることを罰するものです。
裁判で弁護側は①刑法175条は、表現の自由及び国民の知る権利を保障する憲法21条に違反し、無効である②仮に刑法175条の法条自体が違憲でなくても、刑法175条を今回の事件に適用することは、捜査官の恣意的な判断に基づき事実上の発禁処分を許すものであり、憲法21条及び憲法31条(何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科されない)に違反し、許されない―などとして無罪を主張。憲法学者や社会学者、漫画家ら著名人が弁護側証人として相次いで出廷し、刑法175条による表現行為の規制について不当性を訴えました。
この裁判の裁判長は、どうも民主主義というものがこれっぽっちも分かっていないんじゃないでしょうか。私たちは日々、「民主主義」ということを格別意識せずに暮らしています。でも、その実、民主主義はとてももろいものです。マッチ棒を柱にした画用紙の家のようです。ほんのちょっと力を加えれば簡単につぶれてしまいます。その画用紙の家を支えているマッチ棒が「言論の自由」「表現の自由」です。これまた簡単に折れてしまう柱です。だからこそ、慎重に扱わなくちゃなりません。
「たかがエロ漫画だろう」と思われるかもしれません。しかし、言論弾圧はいつの時代も「エログロ・ナンセンス」の規制から始まります。最初はエロ本の規制かもしれません。しかし、権力がもう一歩踏み出せば、ヌード写真が載っているということを口実にして、政府に不利なことを書き立てる週刊誌が規制されることになります。さらにもう一歩進めば、そういう週刊誌の広告を掲載したといって新聞を規制することだってできます。権力による表現の自由への介入を一歩でも認めれば、次はもう一歩の後退を余儀なくされます。
「青少年に悪影響を与える」という言葉も同じです。「青少年に悪影響を与える」という言葉のターゲットは、エロ本だけにとどまらないでしょう。少しでも油断すれば、政府に批判的な言葉も、反社会的というレッテルを貼って規制してきます。戦時中、「戦争反対」を叫べば、ただちに「非国民」のレッテルが貼られたのと同じです。
ナチス政権下のドイツに生きたマルチン・ニーメラーという牧師がいました。第1次世界大戦に従軍し、潜水艦長として活躍。その後、ウェストファリアのミュンスター大学で神学を修め、1924年から1930年、同大学学内伝道にたずさわり、1931年から1939年にベルリン・ダーレムのルター派教会牧師となりました。ヒトラーの教会支配に対する抵抗運動の指導者として活躍し,牧師緊急同盟の結成を呼びかけました。しかし、逮捕されて、ダハウの強制収容所に送られた経験の持ち主です。この人が一つの詩を残しています。
ナチスが共産主義者を襲ったとき
わたしはすこし不安になった
けれどもわたしは共産主義者ではなかったので
なにもしなかった
それからナチスは社会主義者を攻撃した
わたしの不安は前より強くなった
けれどもわたしは社会主義者ではなかった
だからやはりなにもしなかった
学校が、新聞が、ユダヤ人が
というふうにつぎつぎと攻撃され
そのたびにわたしの不安は強まったが
それでもわたしはなにもしなかった
それからナチスは教会を攻撃した
わたしはほかならぬ教会の人間だった
だからわたしはなにかした
しかし、そのときはすでに手遅れになっていた

そもそも今回の裁判で、このわいせつとされた漫画によって誰か具体的な被害者が存在しているわけじゃありません。何が芸術的であるか否かは、個々人によって受け取り方が違います。そういった漠然とした個々人の感じ方の問題を、裁判所が「性的刺激を緩和する思想的、芸術的要素もない」と断じることができるのでしょうか。「この本には思想性がない」とか「この本は芸術的だ」などと公の機関が決め付けることを許せば、戦前の言論統制まではあと一歩です。
確かに、自分の子どもが過激なエロ本を読んでいるのを見て喜ぶ親はいないでしょう(自分たちは読んでたくせにねえ)。それでも、そのエロ本を規制することが、やがては自由にものも言えない社会へとつながっていくのではないでしょうか。子どもたちの世代が、そんな暗い社会とならないためにも、もう一度、表現の自由について考えましょう。

言論・表現の自由や監視社会を考える上で次の本をお薦めします
9・11以後の監視―“監視社会”と“自由”

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