新聞記者の雑記帳
新聞記者嵐山太郎がお贈りするプログです。社会、政治からマスコミまで取り上げます。
 



何かと話題にことかかない今回の衆院選。小泉自民党は「郵政が最大の争点」と強調し、郵政法案に反対票を投じた造反議員に対して、相次ぎ刺客を擁立。ライブドアの堀江貴文社長もついに、造反議員の親玉の一人である亀井静香氏の選挙区に立候補することが決まりました。
だけどちょっと待ってほしい。これが政治でしょうか?これが民主主義でしょうか?
小泉首相は盛んに「構造改革」を唱えています。その「構造改革」なるものが、道路公団改革であり、郵政改革でした。確かに表面的には構造改革が進んでいるように見えないこともありません。でも果たしてそうでしょうか。
今の日本は土台が腐った家のようなものです。いつ崩れてもおかしくありません。小泉改革の本質は、このぼろぼろの家の壁だけを塗り替えて、「どうだ、きれいになっただろう」と言っているようなものです。土台はほったらかしだから、どんなにきれいに見えたところで、いずれは崩れ落ちる運命です。
安倍晋三幹事長代理は18日、テレビ番組で「二大政党制では国民の前に選択肢を提示していくことになる。議員個々が『党はこう言っているが、自分はこうですよ』というのが通用しない時代になっている」と語りました。二大政党制の是非は別として、選挙戦において党と公認候補との主張が違うのは、確かにおかしい。地元では「郵政反対」を叫んで当選しながら、国会採決では有権者に何の説明もなく、法案賛成に回る。こういうことが、これまで幾度となく繰り返されてきました。たとえ党議拘束があったとしても、一票を投じた有権者を欺き、政治家たちが一票の価値を軽々しく見てきた証拠でしょう。
しかし、今回の小泉自民党による刺客擁立劇は、政治改革などと言えるものでしょうか。小泉自民党のやり方は「構造改革」を叫びながら、候補者に政治に対する熱意を求めているのではなく、政策とはまったく関係ないところで集まる票だけを求めています。カリスマ主婦だか何だか知りませんが、彼女がいったい政治に対する熱意を持っているのでしょうか。とってつけたように「食育」なとということを言っていますが、「食育」を真剣に考えるなら、この国の農政を破壊してきた自民党から立候補する気になれるとはとても思えません。
執行部は元五輪金メダリストの橋本聖子参院議員を北海道から擁立しようとしましたが、彼女が参院議員として何をしたでしょうか。何ら主張せず、ただのロボット議員でしかありませんでした。郵政に反対せず、有名であれば、政治に対する熱意があろうがなかろうがお構いなしです。
政治の「素人」が選挙に立候補することにとやかく言うつもりはありません。むしろ、民主主義は素人が知恵を絞って、一歩でも世の中をよくしようと奮闘するシステムです。この国の政治を変えたいという熱い思いを持った「素人」が立候補することに賛成ですし、特権を維持することばかり考えている世襲議員でもなく、庶民を省みることのない官僚でもなく、金も地盤も看板もない「素人」が立候補できるような社会こそつくらなければならないと考えています。そうなってはじめて、政治の世界が変わります。
しかし、小泉執行部のやり方は、あまりに民主主義を軽々しく考えています。造反議員の対抗馬だけではありません。自民党の国会議員のうち、いまや世襲議員は50%を超えています。「構造改革」を叫ぶなら、まず熱い思いを持った庶民が、政治に参加できるシステムをつくるべきでしょう。執行部に従えば、無条件で世襲議員が公認を得られる、そこに熱意も民主主義に対する敬愛の念もなく、ただただ、親から特権を引き継ぐ。そんな政治家たちが公認候補となっていることは、郵政法案に反対するよりも何倍も、この国を旧態依然たる状況に追いやっています。
その意味では小泉首相自身が、彼が言うところの「守旧派」ですらあります。小泉首相が非難する「守旧派」と、小泉首相との差は、実のところ「目くそ鼻くそを笑う」のレベルです。自分たちの特権を決して手放そうとせず(議員年金一つ廃止できないで、政治改革などと言えるでしょうか)、政治の世界を一部の世襲議員のもとに閉じ込め、それ以外の人間は、自分たちに逆らわない範囲で利用する価値があれば、政治の世界に招き入れる。そこにあるのは、政治、民主主義に対する軽視の姿勢と、肥大化した特権意識だけです。
小泉首相のあまりにも政治を、民主主義を馬鹿にした態度は、彼の国会答弁を聞けば一目瞭然です。たとえ、敵対者であろうと、質問に真摯に答えることをしないで、どうして民主主義と言えるでしょうか?
郵政に反対しなければ、何ら政治に対する覚悟がなくても構わない。「郵政が最大の争点」と言いながら、どうどうと政策論争を戦わせるのではなく、タレント議員を次々と擁立する。一方で、世襲議員が単に親が国会議員だったというだけで特権を継承することに対しては何の批判もありません。
これを書いているこの瞬間、テレビで、ライブドアの堀江社長が「小泉首相は改革にまい進しているところを、(造反議員が)足を引っ張った」と発言しました。さらに小泉改革によって「自民党が変わってきている」との趣旨の発言もしました。残念ながら、この人も見えているのは表面だけでしょう。自民党を見てみれば、特権意識丸出しの政治家ばかりではないですか。昔も今の何の変化もありません。
考えてみれば、これまでずっと政治家たちは、政治を軽々しく考えてきました。その結果、伊藤信太郎(衆院議員・宮城4区)のように、「この国の国民はこういうふうにものを考えれば幸せになれるんですよということをおおまかな国のなかで規定してほしいというのは、潜在的にマジョリティの国民が持っている願望である」(自民党憲法調査会での発言)などと言う政治家まで現れました。
完全に政治貴族であり、特権意識に凝り固まっています。行き着くところまで行き着いたとしか思えません。これで小泉首相になって「政治家が変わった」などと言えるでしょうか。変わったのは、単に、これまで権力を握ってきた政治家が追い落とされ、別の政治家の手に移ったというだけの話です。小泉自民党が政治を軽々しくみているからこそ、何の覚悟もない世襲議員ばかりが誕生し、何の覚悟もないタレント議院を擁立するのです。
特権意識を持った政治家が力を握り、政治を軽々しく扱うかぎり、郵政民営化だろうと道路改革だろうと成し遂げたところで、別の利権が生まれるだけです。
以上、くどくどと書きましたが、僕は政治を、民主主義を諦めません。皆さんも政治を諦めないでください。そして、新聞やテレビや政治家が争点と叫ぶことだけにごまかされないでください。政治をもっと広い文脈の中で考えてください。小泉改革の本質を、単に郵政法案に賛成か反対かということだけでとらえないでください。
先に上げた伊藤議員のような政治家が、郵政に賛成だからと言って改革派と言えるかどうか、小泉改革が郵政改革を断行したからと言って、それが本質的な構造改革と言えるのか、むしろ、土台を放置して壁を塗り替えただけでないのか。強いものに巻かれろとばかりに小泉絶賛状態に陥っているテレビのコメンテーターにまどわされないでください。政治を庶民の手に取り戻すことこそ、真の構造改革です。


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16日には自民党が第3次公認候補21人を発表し、自民公認候補が265人になりました。一方、郵政造反議員側も17日に新党「国民新党」を旗揚げし、いよいよ衆院選が混迷の度合いを増してきました。
ただ、「郵政が構造改革の本丸だ」と叫ぶ小泉自民党にしろ、綿貫民輔元衆院議長や亀井静香元自民党政調会長らの国民新党にしろ、国民の生活に真摯に向き合っているとは思えません。所詮は権力闘争です。
特に、16日の自民党公認候補名簿を見て、小泉首相のいう改革が底の浅い、まがい物であるとの認識を強めました。「構造改革、構造改革」と叫ぶ小泉首相が、いかに政治を軽々しく考えているかがよくわかりました。小泉自民党が衆院選に勝利し、郵政改革や道路公団改革が成功したかのように見えたところで、「政治」をそして国民を馬鹿にしきった連中のもとでは、結局、新たな利権が生まれるだけでしょう。本当の政治改革は、世襲政治家やタレント議員、元官僚しかいない今の政界を「ぶっ壊す」ことからしか生まれません。

>自民党が第3次公認候補21人を発表し、これで公認候補が265人になった。それにしてもひどい公認候補だ。政治を軽々しく見るのもいいかげんにしろ!って言いたいね。
>まったくだ。愛知4区に料理研究家の藤野真紀子(藤野公孝参院議員の妻)ときた。武部勤幹事長は橋本聖子(参院議員、五輪金メダリスト)に改めて北海道10区からの出馬を要請している。政策について自分なりの考えがあるどころか、政治について深く考えたこともないような連中を担ぎ出す。ふざけるな。
実際、橋本聖子が参院議員になって何をした。何もしていない。採決の際に頭数をそろえるためだけの存在だ。僕は橋本聖子に聞いてみたいよ、あんたには何か政治信条があるのかって。藤野真紀子だって同じだ。参院議員の妻かもしれないが、だからと言って、政治信条があるわけでもないだろう。
こういう連中の名前を上げること自体、自民党がいかに政治を軽いものと見ているかを証明している。政治を軽いものと見ているということは、その先にある国民の生活も軽々しく見ているということだ。カリスマ主婦か何だか知らないが、政策もなにもない、ただ執行部の言うことに盲目的に従うだけの連中を擁立するなんて、自民党執行部が国民を馬鹿にしている証だ。
「政治改革だ、構造改革だ」などと言ってみたところで、やっていることは票を集めるためのタレント議員の擁立と、権力の世襲だ。断言する。郵政民営化なんてものは構造改革の本丸なんかじゃない。たとえ、郵政民営化が達成されようと、庶民の幸福につながる構造改革には絶対につながらない。政治を軽々しくみている連中が政権を握っている限り、世の中はよくならない。
誤解しないでもらいたいのは、僕は素人が政治に携わっちゃいけないと言っているわけじゃない。むしろ、民主主義は、素人が必死に知恵を絞って自分たち庶民がどうしたら幸せになるかを考えるシステムだと思っている。庶民による庶民の政治が民主主義だ。もちろん素人なんだから失敗もするだろう。必死に政策を考え出して、ようやく一歩進んだと思ったら、次の瞬間には2歩さがってしまうかもしれない。それでも、庶民が自分たちの進む道を自分たちで決める。封建時代や絶対王政の時代のように権力者の決定で生死を左右されない社会を僕は求める。民主主義は本来、迂遠なものだ。
だから僕は素人が政治の世界に挑むことを否定しない。むしろ、政治を素人のものに取り戻すべきだと思っている。どんな形にしろ、庶民がもっと政治に触れることができる社会にすべきだと思っている。
だけど、これまで政治について深く考えることも、真摯に向き合ってきたこともないようなタレントを、ただ有名で票が取れるというだけで擁立するなんてことは許せない。
もちろんタレント議員でも真摯に政治と向き合ってきた連中もいる。だけど、橋本聖子が何をした?彼女は参院議員として普通の人たち以上に政治に対して物が言える立場だったし、物を言わなくちゃならない立場だったはずだ。そんな人物を今度は衆院議員にしようとしている。
>亀井静香の広島6区には、刺客としてライブドアの堀江貴文社長の擁立を検討しているようだが。
>これもまた馬鹿にした話だ。自民党の連中は、ライブドアのニッポン放送株買収の際に堀江のことをけちょんけちょんに言っていた。森喜朗元首相なんか「カネさえあれば何でもいいんだ、力ずくでいいんだ
という考え方は、今の日本の教育の成果なのか」と批判していた。「金さえあれば何をしてもいい」という考え方が、どうして今の教育につながるのかさっぱりわからない発言だったけれど、それはさておき、存在を否定するかのように批判していた人物を、なんの総括もせずに擁立しようとしている。むちゃくちゃだ。
>票集めのタレント議員だけじゃない。気が付けば、自民党なんて二世、三世議員ばかりじゃないか。完全に政治貴族状態だ。なんと言っても自民党国会議員の半数以上が世襲。小泉首相も安倍晋三も、みんな世襲だ。橋本龍太郎元首相は引退して、次男に跡を継がせるようだし、武藤嘉文も次男を考えていて、これまた世襲だ。本当に嫌になる。もう完全に世襲が当然だと思っている。
政治について深く考えようともしないタレント議員と、権力の継承は当然だと思っている二世、三世議員ばかりじゃあ、政治はどんどん劣化していくだけだ。
はっきり言って、橋本聖子なんかよりも、うちのマンションの隣りの部屋のおばちゃんの方が、1万倍は政治について考えている。
小泉首相が本当に今のシステムを変えたいと思うなら、なによりもなすべきことは、地盤も看板もかばんもない庶民が政治を志すことができるシステムづくりこそ進めるべきだ。そうやって政治の世界に新しい血をどんどん取り入れていくことだ。そういうシステムづくりの重要さに比べれば、郵政民営化に賛成か反対かなんてことは「目くそ鼻くそを笑う」のレベルの権力闘争でしかない。もっとも小泉首相自身が世襲政治家。無理な相談なんだろうがね。
世襲議員と、そういう世襲議員に利用されるだけの存在のタレント議員、こういう連中を排除しない限り、郵政民営化が達成できたところで、世襲議員につごうのいい新たな利権構造が生まれるだけだ。いずれ人材が枯渇することにもつながる。
>みんな、かなりご立腹のようだね。無理もないけど。「構造改革」なんて言っているくせに、やっていることは今までの自民党とたいした違いはないからね。ところでミス東大の財務官僚で静岡7区に擁立した片山さつきはどう?
>この人、小泉首相に直々にくどかれて、「我々官僚がトップに抱えているのは内閣総理大臣。直接お話しいただき、光栄です」なんて話している。揚げ足を取るようでわるいけど、あんたら官僚が仕えるべきなのは、小泉首相じゃない。国民だ。首相は国民の代理人でしかない。別にそこまで意識してしゃべったわけじゃないんだろうけど、たぶん国民に仕えているなんてこと、官僚になってから一度も意識したことないんだろうな。
>福岡10区の西川京子もどうにかしてほしいね。自民党の憲法調査会で「今の憲法はバーチャル」と言っていた人。この人は、もともと郵政反対派。自民党の中には郵政反対派がごろごろしていたのに、「選挙で公認しない」と脅されて、あれよあれよという間に賛成にまわっちゃった。強い物には巻かれろのあんたの政治信条の方がよほどバーチャルで嘘臭い。
>もう一点言わせてもらいたい。いくら造反議員が憎いからと言っても、今の小泉自民党のやり方が民主主義だとはとても思えない。仮に造反議員の側が悪だとしても、地元選挙区と縁もゆかりもないような人間を落下傘候補として送り込むようなやり方はとるべきじゃない。こんなやり方は、それこそ選挙区が存在する意味合いがなくなってしまう。
確かに国会議員は地方議員ではないのだから、一地域の利益だけを考えるのではなく、国全体のことをしっかりと考えなくちゃいけない。しかし、一方で、日本も広い。山もあれば沿岸部もある。都市部もあれば農村部もある。それぞれの地域の実情と課題を配慮しながら、それを国政に反映させていくのが、選挙区選出の議員の務めだろう。日本全体のためなら地方の切捨ても仕方がないなんて考え方は民主的とはとても言えない。「日本全体のため」を受け入れれば、やがては自分自身が切り捨てられることにつながる。「日本は借金まみれだ。日本全体のために、生活保護は切り詰めます」「日本国のためにも、ここの再開発はぜひとも必要。あんたらはとっとと立ち退け」という具合に。
ところが落下傘候補はどうだ。ホリエモンが、広島6区にある市町村のことを多少でも知っているとは思えない。この地域のことを少しでも考えるとはとても思えない。地方分権とか言いながら、選挙区のことをまったく考えない候補を擁立する。こんなやり方はやはり間違っている。
郵政民営化を訴えるのもいい。ただし、それならば、やはり地元の人間を擁立して、真正面から政策論争を挑むべきだ。
「郵政問題が選挙の争点だ」といいながら、人気取りのために有名人候補を立てるやり方は、結局、郵政問題という争点の一つとは関係ないところで戦おうとしている証じゃないか。だってそうだろう。自民党執行部がホリエモンを擁立する狙いは、明らかに、郵政民営化の是非で争うことではなく、無条件である程度の票がとれる人気に期待してのことでしかない。
結局、落下傘候補の擁立という小泉首相のやり方を見ても、小泉首相が政治、選挙、民主主義のすべてを軽々しく見ている証拠だ。
>でも、小泉内閣の支持率は、どの世論調査でも上がっている。何なんだろうな。俺にはさっぱりわからない。
>まったくだ。ちょっと考えてみれば、小泉政権になって国民にプラスになった政策なんて何もない。不良債権処理は確かに進んだ。でもよくよく見てみれば、銀行に莫大な資本注入をして銀行の不良債権を国の借金に置き換えたようなものだ。
年金はどうだ。小泉首相は絶賛しているが、アホかっていいたいね。スタートしたその瞬間に破綻が決まっているような制度じゃないか。年金改革の前提になる出生率が、スタートした時にはすでに想定を下回っている。
税金でも、サラリーマンの給与所得控除の見直しが検討されている。年収500万円のサラリーマン世帯(妻と子ども2人)なら、年20万円の負担増となる。
国の財政が破綻状態にあるのだから、増税や福祉サービスの切り下げもある程度はやむを得ないだろう。ところが、サラリーマンからはどんどんかすめとろうとするくにせに、政治家や公務員の特権はほとんど手つかずだ。
小泉政権は企業のリストラを加速させただけで、その結果、賃下げはどんどん進んでいる。結局、小泉改革というのは、金持ちの金持ちによる金持ちのための政治でしかない。小泉政権を支持する人たちに言いたいよ。「今すぐ給料明細を見てみなさいよ」ってね。
>一部のエリートが国民全体を引っ張って国民全体の生活水準が上がるという竹中平蔵が好きな理論も、90年代のアメリカを見れば、虚構でしかないことがわかる。空前の繁栄を謳歌した90年代のアメリカでは、実のところ貧乏人はより貧しく、金持ちがより金持ちになっただけだ。
かつてイギリスのサッチャー保守党政権が進めた政策も同じで、金持ちはさらに裕福に、貧しいものはさらに貧しくなった。上下の所得格差が開くにつれて、社会の上層と下層間の移動にもブレーキがかかってきた。現在のイギリスで貧困線以下に位置する子どもたちの数は、1970年に比べて3倍に増えている。
アメリカやイギリスの二の舞にならないためにも、小泉首相には、そろそろ退陣してもらうべきだろう。



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自民党が、郵政造反議員の一人である小林興起の選挙区に小池百合子環境相を擁立することを決めました。10日には、亀井静香の選挙区に竹中平蔵郵政民営化担当相を当てるとの情報まで飛び交いました。仁義なき戦いが過熱しています。
>早くも造反議員潰しが始まったね。
>自民党は東京10区に小池百合子環境相を立てる。造反議員の急先鋒である小林興起つぶしだ。
>でも、へんてこりんな話だね。だって、小池百合子はもともと日本新党でスタートしている。その後、日本新党の解党で新進党へ、さらに小沢一郎と行動をともにして自由党に。ところが自由党がピンチになると、今度はケンカ別れして保守党へ、さらに保守党が埋没すると、他の連中と一緒にさっさと自民党に入っちゃった。
日本新党にしろ新進党にしろ、自由党にしろ、自民党に変わる政権党を目指した政党だ。小池百合子の自民党暦なんてのはごくわずか。しかも、もともとは反自民だったはず。それが、いつの間にか、生粋の自民党議員を追い出して、自分がいすに座っている。
>小林興起は大ピンチだ。2003年の衆院選では、自民の小林興起が8万1979票に対して、民主の鮫島宗明が7万7417票。その差は4000票ほどしかない。その前の2000年衆院選でも、小林が7万1318票に対して、鮫島が6万4272票で7000票ほどの差だ。小林は過去に3度落選も経験しているしね。今回の分裂劇がなくても、地盤が安定しているとは言えない。
>一方の小池百合子の地盤は、兵庫。小池は同じ政党の候補と交互に同一選挙区から立候補する「コスタリカ方式」で、前回は比例近畿ブロックで当選。今回は兵庫6区から立候補する予定だった。出身も伊丹市だし、東京10区での立候補はいわゆる落下傘候補。自民都連としては複雑な対応にならざるを得ないんじゃないかな。
原則論で言えば、落下傘候補というのは決して民主的とは言えない。地元の意向を無視して、中央が候補者を決めてしまう。それで、従わないやつは許さないという話だからね。中央が候補者まで決めてしまい、しかも、その選挙区とは縁もゆかりもないような人物を擁立するというのなら、何も選挙区なんて設ける必要はなくなってしまう。小選挙区制をやめてしまえばいい。
>それにしても、自民党もエグイことをするよな。小泉首相にしてみれば、亀井静香や小林興起なんて憎くてしょうがないんだろうな。ただ、小池の擁立はうまい手ではあるかもしれない。僕は、強烈な権力志向を感じて小池が嫌いなんだけれど、一般には美人でうけもいいようだ。
へたな大物議員を持ってくるよりも、小池なら無党派層の支持もある程度得られる。前回選挙で鮫島に投票した連中の票もそれなりに小池に流れるだろう。
普通に考えれば、自民が小池と小林に割れて、鮫島が漁夫の利を得るという状況になるんだろうけど、小池なら、その鮫島の票もある程度は奪える。
>この擁立劇で自民党の下劣さを垣間見たね。小池擁立で「くのいち忍法でやっつけちゃえ」とか言ってんだもんな。別に小林をかばうわけじゃないけれど、いくら郵政で言うことを聞かなかったからといって、小林もついこの間までは仲間だった議員だろう。戦うにしても、もう少し品のある戦い方ができないものかね。
>10日には、自民が、亀井静香の対立候補として、竹中平蔵郵政民営化担当相の擁立を検討しているとの情報まで流れた。武部勤幹事長も竹中自身も、この情報を否定している。どうも、竹中擁立はなさそうだ。ただし、亀井VS竹中が実現すれば、注目度№1の選挙区になるのは間違いない。
亀井は、竹中が金融改革をやった時も徹底的にこれに反対した。亀井が反小泉の象徴なら、対する竹中は小泉の子飼いで小泉政権の象徴的な存在だしね。
>確かにね。広島6区は地理的にいうと沿岸部から山間部、さらに島嶼部と性格の違う地域が集まった選挙区。中選挙区時代は、宮沢喜一元首相と、佐藤守良元農水相、そして亀井静香という3人の自民党議員がしのぎを削った選挙区だ。だいたいのところで言うと、山間部は亀井静香が圧倒し、沿岸部の尾道市や三原市では宮沢と佐藤が強かった。
それが小選挙区になって、宮沢は広島7区になり、佐藤守良は新進党へ移った。現在は、山間部では亀井が圧倒し、沿岸部では守良の息子である民主党の佐藤公治が健闘しているという状態だ。そして毎回の衆院選で注目されるのが、宮沢支持層の票の行方。もうかなり前になるんだけど、広島県議選で、尾道の宮沢支持者が応援していた現職議員にぶつけるように、亀井が対抗馬の新人を擁立、現職県議が落選したことがある。それで宮沢支持層には今でも反亀井感情が強い。亀井の強引な手法に対する反発もあって、もともと自民支持層が一枚岩ではない。
そこに竹中擁立とくれば、大混乱は必死だ。これまで自民党支持者の中には、反亀井感情から佐藤を応援していた連中も多い。その連中は、自民党支持という面と反亀井という面を同時に満足させてくれる候補者が出てくるなら、そちらにどっと流れる可能性だってある。
>ただ、竹中を応援したところで地元には何のメリットもないだろうね。竹中も小池と同じで露骨な落下傘候補になる。まさか竹中が広島6区にちゃんと家を構えるとも思えないしね。まして、広島6区の面積の半分以上は山間部。郵政問題では小泉を支持しないだろう。竹中には基礎票として創価学会票があるだろうが、他に票が取れるのは基本的には沿岸部になる。竹中にしろ、他の誰かが対立候補で出るにしろ、焦点は沿岸部の宮沢支持層だろう。広島6区で大票田といえるのは尾道市と三原市ぐらいだけど、どちらも10万人ちょっとの人口規模で、典型的な地方都市。無党派層もそれほど多いわけじゃないからね。
>ただ、佐藤公治も竹中擁立なんてことになれば、あせるだろうね。彼は3度、亀井に戦いを挑み、3度とも敗れている。郵政で自民党分裂となれば、選挙区で当選を果たす絶好の機会、またとないチャンスだったはずだ。ところが竹中擁立では、死に物狂いにならざるを得ない。
>造反組の平沼赳夫には、元五輪メダリストの橋本聖子をぶつけるとの怪情報も乱れ飛んだ。
>自民の地方組織もぐらぐら揺れている。鳥取県連は会長が石破茂前防衛庁長官だから、造反した鳥取2区選出の川上義理博を公認申請しない方針を示した。
一方で、岡山県連は、造反した岡山2区の熊代昭彦と、3区の平沼赳夫の応援を確認。「本部が落下傘候補を立てても組織がなく、勝負にならない」としている。
岐阜県連も造反した野田聖子、藤井孝男、古屋圭司を支援する方針だし、山梨県連や徳島県連、佐賀県連や大分県連、宮崎県なども造反議員を支援する構えだ。
>本当、皆さんたいへんだ。でも、政争に明け暮れるそのエネルギーの半分でも、国民に向けてくれれば、もっとましな世の中になると思うんだけどね。

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ついに小泉純一郎首相がやってくれました。衆院解散、総選挙です。小泉首相は、郵政民営化法案に反対した造反議員を公認しない方針です。自民党の分裂選挙。新聞記者冥利につきる面白い選挙になりそうです。

>いやあ、小泉君がやってくれたね。
>本当に解散するとはね。まあ、見事なもんだと妙に感心してしまうね。
>しかし、どうなるのかね。自民党は?ただでさえも、選挙は、日ごろ偉そうにしている国会議員の醜悪な人間性が見えて面白いんだけれど、今回の選挙は自民の分裂選挙。自民党も、そこから追い出される連中も死に物狂いになるだろうから、取材する側から見れば、こんなに面白い選挙はないだろうな。
>注目の選挙区は?
>僕は広島6区に注目だね。広島6区は、造反議員のボスの一人である亀井静香の選挙区。この広島6区は面白い選挙区でね、1996年の衆院選では、元農林水産大臣で新進党の佐藤守良が急死したため、急遽、息子の公治が立候補。亀井静香と対決した。この時は、創価学会は佐藤を支援して、学会批判の急先鋒だった亀井静香なんて、学会から「仏敵」呼ばわりされていた。結局、亀井静香は佐藤公治に3万3000票の差をつけて当選。佐藤は敗北した。
2000年の選挙では、今後は創価学会が「仏敵」とまで言った亀井静香と手を結んだ。それで、亀井は佐藤(この時は自由党)に5万7000票もの大差をつけて圧勝した。幸い佐藤は比例と重複立候補だったから、衆院議員になれたんだけどね。
そして激変の前回選挙(2003年)。3度目の対決では、明らかに亀井の影響力が低下していた。亀井静香は、やめとけばいいのに自民党の総裁選に立候補して負けたりなんかして、どんどん影響力が低下していくんだ。それで、前回選挙では何と、佐藤は亀井静香に1万7000票にまで肉薄する。この選挙区の創価学会票は2万~3万票。学会票の流れは不透明なところがあるんだけれど、仮に学会票がすべて亀井に流れたとしたら、何のことはない、学会票がなければ、この時点で亀井の当選は危うかったんだ。
そして今回。小泉さんは、造反議員を公認しないことを明言しているし、しかも、造反議員の選挙区で自民の対抗馬を出す気でいる。公明党も郵政法案に反対した議員を支援しないようだし、こうなると、はっきりいって亀井は前回以上の大苦戦は必死。落選の可能性も十分にありうる。
自民の実力者の一人である亀井静香が落選するかもしれないんだから、注目度№1だね。
>そうだよな、影響力が低下しているとはいえ、自民党総裁になろうとした男だからね。広島は保守王国だし、亀井が落選するようなことがあれば、県政界にも影響するだろうね。しかも、親分が危ないということになると、子分たちも、ぱらぱらこぼれるように「亀井丸」から逃げ出していくかもしれない。その辺り、政治家は本当に仁義なんてないからね。
>僕は、福岡2区に注目だね。今回の解散劇で、一番悲惨な議員の一人は山崎拓じゃないかな。前回衆院選では愛人変態スキャンダルで落選。「エロ拓」とか「変態」と言われながら、ようやく4月の補選で国政復帰したと思ったら、半年もしないうちにまた選挙だ。これで落選した日には、もう泣くに泣けない。
当選しても、盟友の小泉首相が選挙後も総裁を続けられるかは怪しいものだ。もう、誰も担いでくれないかもしれない。そうなると、山拓を引き立ててくれる有力者もいないから、仮に落選しなくても、政治家として今より上は望めない。後はその他大勢の一人なんてことにもなりかねない。
>補選も含めて過去4回の選挙結果を見てみると、山崎拓の得票は9万3000票~9万8000票で安定している。対抗馬の新進・民主党候補も2003年の衆院選を除いて、7万票台。2003年の衆院選だけ、学歴詐称の古賀潤一郎が10万4600票に対し、山崎拓は9万4500票となっている。だから、変態スキャンダルでも山崎拓の得票は減っていない。とはいっても山崎拓と対抗馬の票差は、それほど大きくない。風向き次第では、またまた落選もありだ。
>前回、比例代表で当選した自民造反議員の出方も注目だね。比例中国ブロックの亀井久興。彼の地元の島根県は、は2000年選挙時には1、2、3区とあったんだけど、前回は1、2区だけになった。それで旧島根3区選出だった亀井久興は前回、比例に回って当選した。ただ、自民が造反議員を公認しないとなれば、亀井は、地盤の残る島根2区から立候補する可能性もある。
島根2区は、竹下登元首相の異母弟である竹下亘の選挙区。竹下VS亀井の可能性は高い。まあ、竹下王国を崩すのは無理かもしれないけれど、それでも自民票は割れる。民主が漁夫の利をかっさらうことになるかもしれない。
>東京12区も、元郵政相の八代英太が、前回は自公の候補者調整で比例に回っている。郵政造反議員の一人で、今回、自民から公認されずに小選挙区に立候補すれば、面白いことになる。
>岐阜4区も面白い。ここはコスタリカ方式で自民が候補者調整している選挙区だ。前回は、藤井孝男が岐阜4区から出て、前行革相の金子一義が比例に回った。今回は、藤井が比例に回り、金子が選挙区から出馬する予定だった。ところが、藤井は郵政で造反した。比例で自民から公認されず小選挙区に出れば波乱が巻き起こる。
(※コスタリカ方式…衆議院議員選挙の制度が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に移行するにあたって問題になったのが、選挙区によっては同じ政党、与党同士で候補者が複数出てしまうこと。選挙区調整のため、2人の議員が小選挙区と比例代表に交互に出るようにした仕組み)
>岐阜県は4区の藤井のほかにも、1区の野田聖子、5区の古屋圭司が造反している。公認問題が焦点にならざるを得ず、自民の県連なんかは大混乱だろうね。
>郵政法案に賛成した連中も、選挙戦になれば特定郵便局長の票が欲しいがために、「本当は反対だったんだが、党議拘束がかかっているから仕方がなかった」なんて醜悪な言い訳をする連中がいっぱい出てくるんだろうね。前回の衆院選でも、小泉人気にあやかりながら、支持者の前では「高速道路の必要性を小泉さんに訴えていく」なんて言っていた連中がわんさかといた。自民党と公認候補の訴えに天と地ほどの開きがあるような選挙区がいっぱいあった。
>郵政法案の採決を棄権、欠席した連中もちょっと卑怯じゃないかな。採決で法案に対する賛否を表明するのは、国会議員の務めだろう。党議拘束があろうと何だろうと、反対なら徹底抗戦すべきだ。党議拘束があれば、「今から戦争します」なんて言われても、採決を棄権しちゃうんだろうか?主張が受け入れられないなら、堂々と胸を張って離党すればいい。
>社民党も、今回の解散はいい迷惑だろうな。選挙のたびに議員を減らし、前回は土井たか子も選挙区で落選、なんとか比例で復活したような状態。党首の福島瑞穂がどんなに威勢のいいことを言っても、彼女には有権者をひきつける魅力がなさすぎる。この選挙で、いよいよ消し飛んでしまうかもしれない。
>その社民党では、横光克彦副党首兼国会対策委員長が離党する方針を固めた。民主党公認で大分3区から立候補するという。横光は前回選挙で、大分3区で落選し、比例九州ブロックで復活当選したが、今回、社民党で戦うのは難しいと判断したらしい。副党首の立場にある人が、早速逃げ出してしまうんだから、本当にこの人たちには仁義もプライドも信念もない。当選するためなら、何でもありだ。
>社民党と言えば、大阪10区の辻元清美の出馬も焦点の一つ。秘書給与問題で辞職し、昨年の参院選に立候補して惨敗した。この辻元がどう出るのか、注目している。
>こんな政争に明け暮れている自民党が相手なんだから、民主党には絶好の機会。ところが民主党にも全然魅力を感じない。
>確かにね。民主党も、自民党とたいして政策に違いがあるわけじゃないからね。社会党から逃げ出したような連中もいれば、「日本も核兵器を持つべきだ」なんていう超タカ派までいる寄り合い所帯だからね。
>しかし、選挙は「best」ではなく、「better」を考えるべき。そうでなければ、また投票率が下がって、公明党だけがほくそえむなんてことになってしまう。
>その公明党も、衆院解散、自民の分裂選挙の可能性が高まった途端、冬柴鉄三幹事長が「組みたくないが、日本のためになる政治の安定にはそれしかないというのなら、ちょうちょすべきではない」と、民主党との連立もあり得るとの考えを示した。神崎武法代表が「党の考えではない」と否定したけれど、こちらも権力を握るためなら何でもあり。毀誉褒貶は政治の常とはいえ、あきれて物も言えない。亀井静香もまたまた「仏敵」になったりしてね。
>ところで、今回の争点は?小泉首相は「優先民営化問題に争点を絞り込む」と言っているけど。
>なんだかピントのずれた話だよね。世論調査でも郵政民営化問題に注目している有権者は少ない。各社の世論調査でも、小泉内閣の優先課題として郵政民営化を挙げたのはごくわずか。郵政民営化よりも、景気対策や年金問題を挙げている。その郵政民営化問題にしても、結局、最初から最後まで民営化してどうなるのか、今一つよく分からないままだった。
>小泉首相はさかんに「構造改革、構造改革」と叫んできたけれど、誰のための「構造改革」なのか分からない面も多々ある。確かに不良債権処理を進めたことは評価できる。道路公団民営化の過程の中で、公団が抱える膿もどんどん明らかになってきた。
ただ、年金制度なんてぼろぼろだ。その一方で議員年金は放置したままだし、公務員削減も手付かずだ。破綻寸前の財政を再建するには、増税もやむを得ないし、福祉の切り下げもある程度は仕方ないだろう。でも、今の構造改革は、政治家や官僚の特権はそのままにして、国民にばかり犠牲をしいる形になっている。
経済面を見ても、企業の業績が回復してきたとは言っても、大企業中心。その大企業も下請けの中小企業を徹底的に締め付けて、コストを減らしているような側面が強い。国民の所得格差はどんどん広がっている。
>「勝ち組に引き上げてもらう」論がある。一握りの勝ち組が牽引役となることで、国民全体の生活水準を引き上げていくという理屈で、アメリカに心酔している竹中平蔵郵政民営化担当相なんかが、よく言っている。ところがどうだろう。90年代、アメリカは未曾有の繁栄を謳歌した。その一方で、貧しい人たちは一層貧しく、豊かな人たちは一層豊かになった。国は栄えたかもしれないけれど、国民の生活が豊かになったわけじゃない。
1996年に、アメリカの雑誌『ニューヨーカー』に掲載された「大企業424社の経営者に対するサンプル調査」によると、アメリカの1979年の大卒者以外の平均自給は11.23ドルだった。これが、1993年にはインフレ調整済で9.92ドルに下がっている。一方でアメリカの大企業のCEOの平均報酬は1976年に社員の平均賃金の40倍だったのが、96年時点では90倍に跳ね上がっている。
これでは、何のための繁栄か分からない。こういう状況を見ていると、「郵政民営化が争点」という小泉首相の訴えには、共感できない。
>今回の選挙こそ、この国の将来設計をしっかりと示してもらいたい。日本の財政が破綻寸前ということを考えれば、今回の選挙がラストチャンスかもしれない。


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今日8月6日は広島に原爆が投下された日です。敗戦から60年、今、日本はどんどん悪い方向に向かっているような気がしてなりません。戦争と平和について考えました。

>また、「原爆の日」がやってきたね。新聞もテレビもかつてないほどの戦争特集を繰り広げている。
>わが社でも連日、原爆関連の報道が紙面をにぎわせている。ただ、内容と言えば、これまでとそれほど大差あるわけじゃない。「戦争は悲惨だ」「原爆は無差別殺人だ」と、基本的には戦争の被害者としての日本人という側面にばかりスポットライトを当てている。
>確かに、原爆にしろ空襲にしろ、殺戮でしかない。ただ、原爆や空襲を無差別殺人というなら、なぜ、イラク戦争の時に、抗議の声をしっかりあげなかったのかと思う。イラク戦争で、アメリカがイラクにやったことは、太平洋戦争でアメリカが日本に対してやったことと同じ。どちらも庶民を巻き添えにしている。原爆や空襲を憎むのなら、同じように庶民を犠牲にしたアメリカのイラク攻撃も憎むべきだ。今ある戦争に立ち向かえないなら、どんなに被爆者や空襲犠牲者の声をかき集めても、単なる昔話だ。
こんなことを言うと、またぞろ、「いや違う。日本は自衛戦争を戦ったのであり、イラクのフセインは侵略者だ」なんて言う連中がいるかもしれないけどね。
>その点は日本人全体にも言えることだ。僕は一時、広島に住んでいたことがある。原爆の犠牲になった都市だけあって、広島は平和教育に熱心だ。ところが、不思議でならないんだけれど、広島はとても保守的な都市。前回の衆院選では広島県内でも民主党議員が1人当選したけれども、基本的には保守王国。つまり反核平和を叫び、戦争は残酷だという人たちの多くが、一方で自民党に投票している。何だかとても矛盾している。結局、国民の多くにとっても平和というのは日本の平和でしかない。
>実は、うちの新聞はイラク戦争の時、最初はどちらかというと反対の声を中心に展開していたんだ。ところが、途中で役員が口を出してきた。「これじゃあ、公平中立とは言えない。イラク戦争に賛成の声も反対の声もあるんだから、もっと中立な立場をとるべきだ」なんて言い出してね。あきれたよ。この人たちは、いつでもどこでも公平中立ときたもんだ。でもね、主張すべきことを主張する時に、「公平中立」なんてことを言っていたら、結局、何もできない。
>結局、政治家たちに目をつけられるのがいやで「公平中立」とか言ってんだよね。政治家たちの多くはアメリカ礼賛。イラク戦争でもいけいけどんどんだ。そこに公平とか中立なんてものはこれっぽっちもない。ところが、メディアのほうは「公平中立」なんて建前に隠れてるんだから、タカ派連中にどんどん押し込まれていく。
>タカ派連中が「一国平和主義」という言葉を叫んでいるけど、まったく別の意味で、この国のメディアも「一国平和主義」に陥っている。平和ボケしているとか、そういうことを言いたいわけじゃない。メディアが叫ぶ「平和」は、いつだって内向きで、世界に目を向けていないんじゃないか。だから、この時期になると新聞もテレビも「戦争は悲惨だ」「被爆者の悲しみ」「二度と戦争なんて起こしちゃいけない」なんて言葉があふれかえるけれども、イラクやアフガニスタンで起きたこと、今まさに起きていることに対しては、「公平中立」なんて言うんだよな。イラクやアフガニスタンで、小さな子どもが死んでいくのに、その子どもたちの死が、原爆や東京大空襲で死んだ子どもたちと同じように理不尽な死であることに気づいていない。もちろん言葉では、理不尽というさ。でも、その言葉が血となり、肉となっていない。だから人の死すらも、「公平中立」とか「客観報道」という言葉で終わらせてしまうことができるんだ。
>タカ派連中は「日本人は平和ぼけだ」っていうじゃない。でもさ、「平和ぼけ」なのはタカ派の政治家たちなんじゃないだろうか。戦争の凄惨さを知らないからこそ、まるで戦争がかっこよくて、いさましいものであるかのごとくに語る。しかも、そんな連中に限って、40歳になっても50歳になっても、親の七光りでぬくぬくと生きてきた世襲議員だったりする。彼らを見ていると、戦争映画の中の戦闘機を見て「かっこいい」と言っているのと同じようなレベルで戦争を語っているんじゃないかっていう気がしてくる。
>自民の石破茂なんて「命をかけて国を守ることは喜びであって…」なんてことまで言っている。一人で自己陶酔するのはかまわないけど、国民を巻き込むなよな。自民党の憲法調査会の議事録を見ても「国を愛する」とか「国を守る」「愛国心」なんて言葉がいっぱい出てくる。その愛国心ではちきれそうな議員たちが、何をやった?自分たちの議員年金一つすら廃止できない。この国が今にも破綻しそうなのに。ご立派な愛国心だと思うよ。こんな連中が「戦後教育や憲法のせいで、日本人は権利ばかりを主張して、義務を果たさなくなった」なんて言ってんだからね。権利ばかり主張しているのは、どこの誰だって言うの。自分たちの特権を放棄しようともしない連中に言われたくない。国民には犠牲を強いるくせに、自分たちの特権だけはしっかりと守ろうとするような連中の「愛国心」なんて信じられるわけがない。「命をかけて国を守る」ことに幸せを感じるなら、とっとと特権を捨ててみなよ。
>太平洋戦争の時だってそうだった。負けるまでは「愛国心」「愛国心」と言っていた連中が、何をした?満州にわたった日本人をほっぽりだして逃げ出した軍人たちがいっぱいいる。ほんのちょっと前まで「鬼畜米英」なんて叫んでいたくせに、負けたとたん手のひらをかえして、その「鬼畜米英」に媚を売った連中がわんさかといる。中には進駐軍の将校用に、慰安所まがいのものまでつくった連中がいる。
>自民党の憲法調査会で、西川京子(衆院議員・比例九州ブロック)が「現行憲法は、日本人の魂を否定するための憲法であったわけで、憲法を読んでいて1番感じることは、生きた憲法でない、無味乾燥、バーチャル憲法だと。そこに生きた人類の歴史なり、生きた人間の生活が本当に感じられない憲法」「長い歴史のなかでこの国がいまある、この国を未来の私たちの子孫のために受け継がせていくためには、この国のみんなが心を合わせて、法律としてつくっておこう。その気持ちの表れが憲法であるわけで、国に対する愛というもの、思いというものがない憲法が憲法として成り立つのか」なんて発言している。
何と「バーチャル憲法」だそうだ。僕に言わせれば、タカ派連中の言う「愛国心」のほうがよほどバーチャルだ。さっきも言ったけど、議員特権一つ見直せない連中が言う「愛国心」なんだぜ。こんなにうそ臭くてバーチャルな「愛国心」はない。
>最後に一つ。僕は、戦争の残酷さっていうのは、敵に対してどこまでも残忍にならなくちゃならないところにあると思う。
日本軍はあの戦争で、中国や韓国に対して残忍なことをした。でもね、一人一人の兵隊は、家に帰れば、よき父、よき息子、よき夫だったんだと思う。家族を守るために毎日毎日、一生懸命働いて、子どもが生まれた時なんかは最高に喜んで、その子どもの成長を楽しみにしていて、時には奥さんとも喧嘩するけど、それでも奥さんのことを愛していて、平々凡々だけど一生懸命生きて。敵国の兵隊だって同じだ。そのよき父、よき息子、よき夫が、同じようによき父、よき息子、よき夫を殺すんだ。鉄砲で撃ち殺し、銃剣で突き刺す。よき父、よき息子、よき夫が落とした爆弾が、小さな子どもたちの体を木っ端微塵にする。敵の背後にある生活のことなんかこれっぽっちも考えない。考えることができない。こんなに残酷なことはない。どこまでも敵を憎まなきゃならない。広島に原爆を落としたエノラゲイの乗組員だって、妻や子どもの幸せを願う人たちだと思う。その妻や子どもを愛してやまない人が、敵国とはいえ、一つの都市を壊滅させ、多くの命を一瞬で奪った爆弾を落としたんだ。
靖国参拝問題で、よく賛成派の人たちは「この国を守るために戦場に散っていった英霊」なんて言葉を口にするけど、敵方の兵隊たちだって自分の国を守ろうとして死んでいった。自分の国を守るために戦った人たちが、同じように自分の国を守ろうとして戦った人たちを殺したんだ。どちらも同じ幸せな思い出を大切に胸に抱いていたんだ。だのにどうして戦争を賛美するんだろう。父の死を、息子の死を、夫の死を悲しいと思うなら、どうして同じように悲しい思いをしているに違いない人たちに思いを巡らさないんだろう。どうして憎んでもいない人たちを殺さなければならならい戦争を賛美するんだろう。「愛国心」とか「命をかけて国を守る」とか、どんな言葉で語っても戦争は戦争だ。ハリウッド映画のようにかっこいいものでもなければ、勇ましいものでもない。
>だからこそ、政治の責任は大きい。戦争も平和も政治の結果なんだ。よき父、よき息子、よき夫を死に至らしめるのも政治の結果だ。弾が絶対に飛んでこないところで勇ましいことを叫んで、その一方で死んでいく人たちがいることを、もっと深く考えるべきなんだ。


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今、マスメディアは大きな批判にさらされています。被害者の葬儀にかけつけてところかまわずマイクを向け、写真をとる無神経さなど、口ではメディアスクラムを反省するかのようなことを言いながら、あいかわらずの報道姿勢です。そのマスコミの独善性が、政治家による言論封殺を招き、「マスゴミ」という呼ばれ方までする始末です。今回は自省の意味も込め、報道のあり方や言論の自由について語り合いました。

>今やネットの世界を中心にすさまじいメディア批判が起きている。新聞記者の一人として正直言って悔しい。ただ、事件や事故の被害者をさらしものにするかのような報道に僕自身、これが報道の使命かという思いが強い。
>そういうふうに思っている記者は意外と多いよ。ただ、ほとんどの記者は、そんなことを考えもしない。報道のあり方なんてことは何も考えずに動いているだけ。しかも、僕らのようなペーペーの新聞記者は、組織の歯車の中で回るだけ。回るのをやめようとするとたちまち弾き飛ばされてしまう。
>大きな事件事故が起きるたびに被害者の私生活まで書き立てるヒステリックなほどの報道が正義だとは思わない。今は誰もが新聞もテレビも、メディアなんてものが正義じゃないことに気づいている。ここらで一度立ち止まって、真剣に報道のあり方を考えなくちゃならないのに、旧態依然たる編集幹部の連中はそんなことにも気づかない。
>どうしてこんななんだろうねえ。福知山線の脱線事故でも、メディアが一生懸命になっていたのは被害者の話ばかり。それもまだ遺族が遺体に対面もしていない段階で取り囲む。「メディアスクラムを防ぐために取材の仕方に気をつけた」なんてことをどの社も言っている。じゃあ、どうしてメディアスクラムが今回も起きたのか。すべての社が報道被害が起きないように気をつけたなら、メディアスクラムが起きるわけがない。そんなことも気づかずにアリバイ的に、事故報道を検証した特集を載せ、「被害者の人柄、遺族の悲しみを報道することが、悲惨な事故をなくすことにつながる」なんて言っている。
>もちろん、そういう報道がまったく必要ないとは思わない。被害者の人柄や遺族の悲しみをつづることが、世の中を動かす原動力になったこともあるだろう。でも、悲しみを伝えるのが事件直後である必要はない。せめて葬儀が終わるまで遺族への取材を控える、それぐらいの人としてあたりまえの心遣いがあってもいい。遺族がある程度落ち着くまで待ったとして、それで報道の価値がなくなるとか、風化するなんて考えるのは間違っている。正直言って、新聞記者を続けているとだんだんあたりまえの人間性がなくなっていくような気がする。
>以前、サツ回りだったころ、先輩記者と飲みに行った時に、僕が、担当していた警察に警戒電話(定期的に事件事故が起きていないか確認する電話)をしたんだ。「もしもし、事件事故はないですか」って。事故はあったんだけど、物損。先輩が「何かあったか」と聞くから物損ですって答えたら、その先輩は「何だ、死ななきゃ商売にならん」。さすがに何なんだこの人はって思ったよ。冗談でも「死ななきゃ商売にならん」なんて言葉を吐くべきじゃない。事件記者を長くやったせいで、完全に感性が狂っている。人の死が商売なんて、それじゃあ、新聞記者は本当にただの寄生虫になってしまう。もともと新聞記者なんてのは、社会の生産になんの貢献もしていない。でも世の中を少しでもよくしようと頑張っているから、存在する理由がある。だのに、人の死を待ち望んでいるかのようなことを言うなんて、本当、これじゃあ、世の中に寄生しているだけだ。
>そういう記者って多いよね。だから、被害者の葬式の時に平気な顔をして笑えるんだろう?
>生き死にの話じゃなくて悪いんだけど、台風で何時間も大規模停電が起きたことがあってね、とにかくずっと停電なんだ。わが社は地方紙だから、そういうニュースもかなりきめ細かく載せるんだけど、夜の10時ごろにね、何を思ったのかデスクが「●●団地がまだ停電している。停電で困っている人たちの怒りの声を拾って来い」って言うわけよ。アホかっていうの。夜の10時だよ。しかも停電してて電気もつかないし、テレビも見れないんだから、とっとと寝てるよ。そんな時間に押しかけろって言うあんたの感性に腹が立つよ。
>それでどうしたの。取材にいったわけ。
>アホくさかったから、取材行くふりして車の中で寝てた。で、30分ぐらいしたところで「皆さん、もう寝てました」ってデスクに電話を入れた。デスクは「何とかしろ」って電話で騒いでたけど、「はいはい」って適当に答えてまた寝た。そしたら締め切りが来たんで終わり。おかげでそのデスクとは今でもちょっとね…。
>ははは…。ところでさあ、毎日新聞が7月31日付朝刊で「被害者名発表 判断は警察任せとは暴論だ」という見出しの社説を載せてただろう。政府の犯罪被害者等基本計画検討会が、被害者名を公表するかどうかの判断を警察に委ねる旨を盛り込んだ基本計画の骨子案について書いた社説だ。
この社説は「それでなくとも警察当局による匿名報道が増えている折、警察の裁量が広がれば、捜査活動がますます不透明になりかねない。メディアの公権力監視機能を無視した暴論と言える」と訴えている。
それでね、「警察が被害者の名前などを明かさなくなれば、警察の発表をうのみにせざるを得なくなりかねない。極論すれば、警察が虚偽の発表で報道を誤導する余地さえ生じてくる」「一昔前、新聞などが匿名報道を原則とする少年や精神障害者による事件で、冤罪(えんざい)が繰り返されたことも忘れてはならない。警察など捜査当局の情報は可能な限り市民に公開するのが健全な民主社会のあり方でもある。不祥事を隠ぺいする体質でも分かるように、不都合なことを隠そうとする警察に、実名か匿名かを選択させるなど言語道断だろう」と。
確かにその通りなんだ。実際のところ、一人一人の警察官にはとても人間的な人が多い。ところが、いったん警察という組織になった途端、組織防衛が一番になる。裏金問題のような都合の悪い情報は隠すし、多くの冤罪も生んできた。だから、メディアがしっかりと監視していくのは重要なことだと思う。
ただね、現実には、この社説が書いているように「事件、事故が起きると、担当記者は警察が公表した情報をもとに加害者、被害者本人や周辺からの取材で裏付けを取った上で、事実を報道するべく努めている」なんてことは、世間の注目を浴びるような大事故や大事件をのぞけば、ほとんどない。日々の小さな事件事故では、ほとんど加害者から話を聞くなんてことはしない。
確かにデスクやキャップは「警察の発表を鵜呑みにするな、もっとよく取材してこい」とは言うよ。でも大事件を除けば、「もっとよく取材してこい」というのは、加害者にも取材しろという意味じゃない。警察から「発表資料に書いてないこと一つでも多く聞き出せ」ということだ。取材対象は同じ。実際、今の新聞記者は、昔のように昼間から麻雀するような暇はない。あまりにもゆとりがないもんだから、じっくり一つのネタを追いかけることもできない。冤罪事件だって、新聞やテレビのおかげで、冤罪とわかったケースなんてほとんどない。だって、加害者どころか、その弁護士にだって取材しないケースが大半なんだから。
>その社説なら読んだよ。社説の中で「一部メディアの興味本位の報道が、悲しみに沈む被害者本人や家族、遺族らを傷つけたケースは少なくない。事件報道にプライバシー保護などの面で特段の慎重さが求められるのは当然だが…」とか「犯罪に社会として取り組まねばならぬ折、メディアに良識ある判断と自制が求められるのは当然だが」とか書いてあるけど、いかにもアリバイ的だったね。僕は毎日新聞は好きな新聞なんだけど、この社説はちょっとね。社説が言う「一部のメディア」というのは他人事みたいだ。日本の新聞、テレビで被害者のプライバシーを無視した報道をしていないところはないだろう。
だから、権力につけ込まれる。なすべきことをなさずに、事件や事故があった時に、被害者の気持ちを無視してマイクを向け写真をとる。葬儀の場に押しかけるどころか、病院に駆けつけた家族をわっと取り囲む。犯罪報道でも、警察の発表を現実には垂れ流している。そうしたマスメディアのやり方に国民の多くが怒っている。当たり前だ。僕だって、自分の家族が事故に巻き込まれた時に、「どんなお気持ちですか」なんてマイクを向けられてアホな質問をされたり、フラッシュをピカッとやられたら怒り狂うよ。そんなの人間として当たり前だ。
>そう。それでどうなるか。「マスコミは自浄能力がない」となる。そして、被害者保護を建前にして、政治家がメディアや表現、言論を規制しようとする。個人情報保護法や人権擁護法案のようなメディア規制に反対する声を上げても、誰も共感してくれなくなる。今、国民の反メディア感情に乗じて、急速に政治家たちがメディアを縛ろうとしている。これはメディアの商業主義やわけのわからない独善的な「正義」が招いた結果だ。
>残念なことだけど、マスコミの多くは、社内的な言論の自由がない。議論はしても、紙面構成をどうするかというような話ばかりで、今の報道のあり方のようなもっと根本的なことをじっくりと話し合うことがない。官僚にも負けないほど前例主義に陥っている。
>それでも何とかして言論、表現の自由を守るべきだ。政治家たちはいろんな理由をつけて表現の自由、言論の自由を縛ろうとする。僕も、こんなもの守る価値なんかないって思うような雑誌だってある。だけど、守る価値がある言論や表現だけを守っていたんじゃ、表現の自由も言論の自由も守れない。守る価値があるのかないのかなんてのは多分に主観の問題だ。僕みたいな人間は、タカ派の言説に価値があるとは思わない。でも、逆にタカ派の連中からしてみれば、僕のような人間の言説を守る価値があるとは思わないだろう。
政治家にしてみれば、自分たちの失政を報道するマスコミに、守る価値があるなんて思わないに違いない。
本来、表現の自由とか言論の自由というのは、権力に対して物申すためにしっかりと保護されなくちゃならない。権力が守る価値があるかどうかを判断し、決めるようになれば、残されているのは北朝鮮のような独裁国家への道だけだ。
それに、守る価値があるのかどうか境界線上の事例だってある。エロ、グロ、ナンセンスの中にだって政治批判がある。いや、エロ、グロ、ナンセンスに見えるものが、権力に対抗するための武器であることも多い。守る価値があるかどうか境界線の事例では、自分の表現が保護されるかどうか分からないから、危ない橋を渡るのはやめようと自己規制も働く。そうなれば、笑うのは権力の側だ。
だからこそ、メディア批判はどんどんしてもらっていいけれど、読者には表現とか言論の自由なんていらないという考えだけは持たないでほしい。
>長野を除くと今やすべての都道府県に青少年育成条例がある。「青少年の健全育成」のためにエロ本の販売を規制したりしている。「青少年の健全育成」なんていっている政治家が、変態疑惑を持たれたり、愛人問題が出てきたりと、とても健全育成なんて言えるような連中じゃないんだから、笑ってしまう。それに、実のところ何が青少年の健全育成に良くないのかなんてことはいくらでも定義しようがある。「セックス描写はダメ」の次に来るのが、「反政府的な言動は青少年に悪影響を与える」なんてことにだってなりかねない。今、タカ派の政治家たちがいっているのは、まさにそれ。「自虐的な歴史観が、若者の愛国心をなくした」と言っている。
>そうだね。それと勘違いしちゃあいけないのが、政治家のプライバシー。僕は、政治家のプライバシーと一般の国民のプライバシーとは明確に区別されるべきだと思っている。娘の離婚問題を書いた週刊文春の出版を田中真紀子が差し止めしようとしたことがあったよね。「家族は関係ない。プライバシーの侵害だ」というわけだけど、冗談じゃない。
実際、多くの政治家たちが資産を妻や子供の名義にして資産公開をすり抜けるようなことをしている。選挙になれば、家族ぐるみで応援する。まして今や、自民党所属の国会議員の半数以上が二世や三世の世襲議員。つまり政治家と家族は一身同体だ。
以前、ある事件の取材で政治家の自宅に押しかけたことがあるんだ。するとその政治家は「自宅まで押しかけるとは何事か」と怒り狂った。冗談じゃない。自宅だろうと、休みだろうと、政治家には説明責任がある。何か事件があった時に「今日は休みだから取材に答えない」なんてことが許されるわけがない。そんなことを許せば、政治家は不都合なことがあれば、家に逃げ帰ってしまえばいいことになる。権力というのは、常に腐敗して暴走する危険性がある。だから、権力を監視するためにも政治家のプライバシーは制限されて当然だ。
>言論や表現の自由を規制して政治家がやろうとすることは、何のことはない、自分たちに不都合なことを書かせないようにすること。政治批判なんてのは、実のところ名誉毀損と紙一重のようなところもある。
残念ながら、新聞はどちらかというと、決定的な証拠がない限り、政治家の不正を書かない。ところが雑誌ジャーナリズムは違う。決定的な証拠がない段階でも不正を書く。そうやって明らかになり、結果的に刑事事件に発展した政治家の不正はいくらでもある。でも決定的な証拠がない段階で書くということは、一歩間違えると名誉毀損だ。そんな名誉毀損を繰り返す「言論」は規制してしまえとなる。
政治批判だって、「●●首相は独裁者だ」と書くことが名誉毀損にだってなりかねない。結果的にどうなるか。先ほどBが言ったように「これは名誉毀損で訴えられるかもしれない。危ないからやめよう」と自己規制するようになる。
「●●首相は独裁者だ」が危ないなら「●●首相はまるで独裁者のようだ」も、そして「●●首相は、周囲の意見を聞かず独裁的だ」も危ないという具合に、どんどん自己規制が広がっていく。この自己規制というやつは、いったん始まるとどんどん加速していく。
言論とか表現の自由というのは、それぐらい脆い。だからこそ政治家の言論介入を防がなくちゃならないし、そのためにも、マスメディアはつけ込まれるような隙を見せちゃあいけない。日本は、かつて今の北朝鮮にも負けないぐらいの言論統制をした経験がある。油断すれば、また同じようなことになりかねない。右翼だろうと左翼だろうと、こと言論の自由の問題については一緒になって戦うべきだ。そして、胸を張って一線の記者が戦えるよう、もう悲しみ、苦しんでいる被害者を追っかけまわすような無意味な取材はやめるべきだ。


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