不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています
新聞記者の雑記帳
新聞記者嵐山太郎がお贈りするプログです。社会、政治からマスコミまで取り上げます。
 



マスコミではほとんど取り上げられていませんが、今国会では、この国の行方を左右しかねない重要な法案が審議入りしています。「共謀罪」の新設を盛り込んだ「犯罪の国際化及び組織化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」です。
「共謀罪」というのは、死刑または無期もしくは4年以上の懲役・禁固の刑が定められている「罪に当たる行為で、団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者」を処罰するものです。
これでは何のことかさっぱり分からないかもしれませんが、簡単にいってしまえば、罪を犯さなくても、話し合っただけで処罰されるというものです。
対象となる犯罪は、557もあります。4年以上の懲役というと、たいそうなことをしでかしたように感じますが、実際はコンビニでの万引きや、けんかで相手を殴ることも10年以下の懲役ですから、当然対象犯罪になります。相談しただけで処罰の対象となるので、権力側がその気になれば、例えば公害被害者団体などが企業に対する抗議行動を計画しただけで「組織的な威力業務妨害共謀罪」とされるおそれがあります。

共産党系の弁護士団体である自由法曹団のホームページでは次のような事例を紹介していました。
【その1 マンション建設反対運動】
ある町で緑の多い傾斜地を開発して地下4階地上3階の地下室マンションを建築する計画がもちあがりました。近隣は、高さ10メートルまでの住宅地域です。突然の計画発表に対し、住民の中に反対運動が広がりました。
一方、建築業者は、安全・安心街づくり条例に基づいて建築するマンションの防犯設備について所轄警察署に設計図を提出して相談しました。警察は、マンションの出入り口と四方に防犯カメラの設置を指導しました。
住民の反対運動にもかかわらず地下室マンション建築計画は進行し、工事着工予定が示されました。話し合いを拒否された住民と、建築を強行しようとする業者との間で対立は激化しました。住民は、反対運動の方法を相談しました。建築資材の搬入を阻止する実力行使も検討しました。業者から防犯設備について相談を受けていた警察は、住民の反対運動に注目していました。このため、住民の中にその動向を警察に通報してくれる協力者を作って情報を収集していました。
業者の資材搬入日が決まると住民らは、相談して、大量動員してピケットをはり、資材搬入を実力阻止することを決めました。これが住民の中の協力者によって警察に伝えられました。
資材搬入の当日早朝、住民がピケのために家を出ようとしたとき、全員が組織的威力業務妨害共謀罪で逮捕され、反対運動は挫折しました。そして、地下室マンションは、業者の計画通りに建築されました。
【その2 労働運動】
ある会社では、リストラの一環として一つの工場を廃止して、別の遠方の工場へ縮小統合することになり、一部の労働者の配転と残りの労働者の解雇を決めて労働者の選別に入りました。
会社の一方的なリストラによる配転と解雇に反対して、労働組合は、他の労働者・労働組合の支援も受け、争議行為に入りました。こうした労働者の動きを警戒した会社は、密かに組合事務所に盗聴器をとりつけました。
団体交渉では、社長が出席しないことから交渉が進展せず、解決の道はなかなか見いだせませんでした。労働組合は、進展しない交渉の打開を図るため、社長の出席を強く求めたところ、ようやく社長の出席が決まりました。そこで労働組合の執行部は、社長が出席した団体交渉では、組合員を待機させ、長時間になろうとも交渉の目途がつくまで社長の退席を認めず、団体交渉を継続することを意思確認して団体交渉に臨むことを決めました。
会社の勤労担当は組合事務所での会話を盗聴することによって、この動きを知りました。そこで、日頃から防犯協会等でつきあいのある所轄警察署に相談しました。
警察は、組織的に社長を監禁することを共謀しているとして、組合執行部の役員を組織的監禁共謀罪で逮捕しました。
執行部が逮捕された労働組合では闘うことはできず、会社の提案をそのまま受け入れざるを得ませんでした。

「そんな大げさな」と思うかもしれません。
しかし、警察が組織をあげてその気になれば、どんなことでも罪に仕立て上げます。
立川反戦ビラ事件をご存知でしょうか。東京・立川の自衛隊官舎の郵便受けに、自衛隊のイラク派兵反対を訴えるビラを配っただけの市民運動家ら3人が、住居侵入罪で逮捕、起訴されました。
立川事件の裁判で、弁護側証人として出廷した龍谷大の山内敏弘教授は、自宅のマンションに自衛隊員募集のビラが入っていたことを引き合いに出し、自衛隊もビラの投函をしているのに、反戦ビラだけを告訴するのはおかしいと証言しました。ルモンド紙東京駐在記者は「間違いなく民主主義国家である日本は、平和的手段による異なった意見の表明の権利という自由社会の特徴の一つを失いつつあるのだろうか?」と批判しました。
葛飾事件でも同じように共産党の議会報告、区民アンケートをマンションに配っただけの支援者が住居侵入罪で逮捕されました。立川事件にしろ、葛飾事件にしろ、何もマンションの部屋に押し入ったわけではありません。郵便ポストやドアの新聞受けにビラを入れただけです。明らかに反体制的と当局が判断した団体を狙い撃ちにしています。
ビラなんてものは、日常的にマンションのポストに入っています。警察の理屈でいえば、ビラを配った業者はすべて住居侵入罪です。ビザ屋や寿司屋の出前メニューが書かれたちらし、宗教の勧誘ちらし、裏ビデオのちらし、私のマンションの郵便ポストには自民党のある代議士の政策ビラが入っていたこともありましたが、これなんかも住居侵入なんでしょう。あとはマンション住民の誰かが告訴する(あるいは告訴するように仕向けられる)だけです。

反戦ビラを配っただけで逮捕される社会になってしまいました。一度、共謀罪のようなものを許してしまえば、事はどんどんエスカレートしていきます。やがて反戦ビラを書こうと相談しただけで逮捕される社会がやってきます。そうなれば対象となる団体も、共産党や市民運動グループだけにとどまりません。どんどん広がっていくに違いありません。やってくるのは、北朝鮮にのように言論の自由なんてかけらもないような社会です。



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




今日は新聞広告の話です。新聞広告は大きな大きな、とても大きな曲がり角にあります。
日本新聞協会が2003年10月に実施したメディア広告の媒体別評価調査があります。対象とした媒体は新聞広告、テレビCM、ラジオCM、雑誌広告、インターネット広告の5種類です。
この中で、「情報が信頼できるのは」(複数回答)との質問に対して、新聞広告は60.9%ともっとも信頼度が高い結果となっています。ちなみにテレビCMが信頼できるとしたのは43.7%、ラジオは9.9%、雑誌9.1%、インターネット7.2%でした。
新聞広告は他にも「内容が公平・正確」、「役に立つ広告が多い」「必要な情報を改めて確認できる」など8項目でトップとなりました。ところが、「情報がわかりやすく伝わる」では、新聞は34.3%にしかすぎません。テレビの59.1%と比べて大きく引き離されています。「新しい商品やサービスを知ることができる」も、テレビの64.1%に対し、新聞は31.9%。インターネット広告の25.5%に肉薄されています。「印象が残る広告が多い」「親しみが持てる広告が多い」などでも、新聞広告はテレビCMに太刀打ちできません。
商品の価格やイベントの日時、キャンペーンなどでの連絡先、応募先を正確に知りたいという時には新聞は強いものの、商品広告や最近増えているイメージ広告ではテレビにまったく勝てないことがわかります。
商品広告はイメージとインパクトが何よりも重要です。新聞広告は、インパクトが強いとは言えず、広告の大部分を商品広告が占めていることを考えれば、新聞広告は今後、高い伸びは期待できそうにありません。
こうした状況は広告費の増減に強く表れています。電通によると、2004年の総広告費は5兆8571億円で、前年比103.0%増と4年ぶりの増加となりました。メディア別ではテレビが前年比104.9%と2年連続で増加。新聞は100.6%で4年ぶりの増加となりました。ラジオは99.3%、雑誌は98.4%でともに4年連続のマイナスです。新聞は0.6%増加したわけですが、アテネ五輪という特殊要因があったことを考えると、実質的にはマイナスだったという見方もでき、既存の媒体ではテレビの一人勝ちということになります。

新聞広告については、下のサイトが参考になります。
新聞広告データアーカイブ…日本新聞協会広告委員会が運営しています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




新人記者が入社して3カ月余りが過ぎました。今日は新人記者も交えてのひそひそ話です。
うちの新聞さあ、先月は2回も創価学会がらみの全ページ広告が載ったよ。
しょうがないじゃないの。この広告不況の時代。今じゃ創価学会は安定的な広告主なんだから。
そうは言っても、嫌になるよ。
新人君:創価学会って、そんなにおいしい客なんですか?
そりゃあ、そうさ。うちの会社は今年の1-6月期の広告が大幅に減って前年同期の10%マイナスって話だしね。夏のボーナスも、半分ぐらいの新聞社が前年割れしているようだ。世間様は、それなりに不況から脱出して、週刊誌なんか読むと大手企業はどこもボーナスが増えている。新聞は、もう完全に構造不況業種だね。広告主の媒体選別も進んでいる。
うちの会社もそうだよ。載っている広告を見ると、自社の出版物の宣伝とか、主催事業の宣伝とか、いわゆる自社広告ばかり。新聞広告全体を見ても、2001年から3年連続で減り続けて、ようやく去年、0.6%ほど微増した。アテネ五輪の広告効果があってもその程度。しかも今年に入って、また多くの新聞社で減っている。
ラジオ広告なんか、もう既に全体で広告量が1800億円を割って、インターネット広告に抜かれている。新聞も、いずれはそうなる可能性が高い。全国紙はまだましらしいけど。
新人君:そうなんですか。
そういうこと。新聞社の収益は、大雑把に言えば、広告が半分、新聞そのものの販売収入が半分。だから好不況もなく、安定的に広告を出稿してくれる創価学会は経営的に見れば、ありがたいお客様というわけだ。本当に情けなくなるけどなあ。
何でもありといえば、聖教新聞と公明新聞の印刷。あれも経営面から見れば、おいしい。毎年、確実に受託料が入ってくる。
創価学会の機関紙「聖教新聞」の発行部数は約五百五十万部。全国紙の毎日新聞や産経新聞よりも発行部数が多いのに、自前の印刷所は持っていない。新聞社は聖教新聞の印刷を請け負うことで金を稼いでいる。自分ところの新聞よりも聖教新聞や公明新聞の印刷部数の方が多いなんてところまである。こうなると、創価学会批判なんて、とてもじゃないができないね。
新人君:どこの新聞もそうなんですか?
そりゃ、すべての新聞社が聖教新聞や公明新聞を受託印刷しているわけじゃない。でも主要紙はほとんど押さえたって感じだね。全国紙の朝・毎・読だろう、ブロック紙の北海道新聞に西日本新聞、有力地方紙の中国新聞や静岡新聞、それから北国新聞に京都新聞、神戸新聞、福島民報も四国新聞も信濃毎日新聞もそう。それから…。きりがないからやめた。
毎日新聞社系の東日印刷の会長や四国新聞の会長にように「創価大学最高栄誉賞」をもらってる連中もいる。
最近は、池田大作(創価学会名誉会長)の寄稿物が頻繁に各紙に載るよね。うちの会社も、正月紙面からいきなり池田大作のオピニオン記事。見出しを考えなくちゃならない整理部員がうんざりしてたよ。まさに「貧ずれば鈍す」で何でもありになってきた。
地方紙だけじゃなくて、全国紙も池田大作のオピニオン記事をばんばん掲載している。全国紙で先鞭をつけたのは天下の大朝日。2001年5月に「私の視点」というコーナーに掲載したのが最初だった。毎日新聞も教育から政治まで2ページにわたるインタビューを載せたことがあるし、読売新聞もインタビュー記事を掲載したことがある。もう新聞社はどこも、創価学会に全面降伏したってところだね。
うちの会社は創価大出身の記者がいるんだけど、聖教新聞印刷委託と採用とがバーターの関係だったようだ。
だろうね。外勤記者なの?
入社してからほとんど内勤(整理、校閲部など)。人間的には結構いいやつなんだよね、これが。ただ、その記者が外勤だった時に市政記者クラブに所属していたんだ。それで、学会員なら公明党議員から裏の話が聞けるんじゃないかと思って、公明党の担当にしたらしい。ところが、これが全然だめ。裏の話なんてとてもじゃないが聞けない。創価学会は序列がすべて。ペーペーの学会員が議員から裏の話なんてとても聞けなかったらしい。
新人君:でも、どうしてずっと内勤なんですか?別に他の点じゃあ、仕事ができない人っていうわけじゃないでしょう?
正直なところ、社としても扱いに困るというのが本音だろうな。学会員記者が順調に出世してデスクやキャップになったとするよ。デスクやキャップになれば、記事の価値判断が問われるようになってくる。もし創価学会や公明党が問題を起こした場合、学会の序列でがんじがらめになった記者が、学会批判や公明党批判ができるのか、怪しいもんだろう。だから会社としては飼い殺しにしておくしか手がないのさ。
新人君:うちの会社にもいるのかな?
創価大出身者だけが、学会員というわけじゃないしね。まあ、どこの新聞社にも最低1人や2人は学会員がいるだろうな。
新人君:じゃあ、あまり学会の悪口をいわないほうがいいですね。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




東京都議選が終わりました。民主党が選挙前の19議席から35議席に躍進し、自民党は51議席から48議席へと微減となりました。これだけ、日本という国をぼろぼろにしても、まだ自民党が48議席もとれるのだから、政治家という商売は楽な商売です。あらゆる商売の中で結果責任を負わない数少ない商売かもしれません。
さてこの選挙、気になるのは投票率がわずかに43.99%しかなかったことです。なんとも惨憺たる状況です。おかげで手堅い創価学会票を持つ公明党が、またしても23議席を獲得してしまいました。創価学会票の力を見せつけたのは、これだけではありません。公明党が自民党候補を推薦・支持した自公選挙協力区は16選挙区の17人。結果は16勝1敗です。国政選挙から地方選挙まで、もはや公明党なしの自民党は考えられない状況になってしまいました。
考えてみれば、公明党にとってこれほどうまい戦略はありません。例えば、前回の衆院選で、ある小選挙区では自民党候補が民主党候補に肉薄されていました。この地域の創価学会票は2万~3万票です。もちろん公明党が独自候補を立てたところで、とてもじゃないが勝てません。しかし、この2万~3万票という数字は、追い詰められた自民候補が勝利を手にするためには決定的な票数となります。
公明党にしてみれば、どうせ独自候補を立てても勝てません。むしろ、自民候補に自らの票を与えることで、「当選後はあれをしろ」「これをしろ」と指図したほうがいい。
日本テレビが6月13日に実施した世論調査によれば、公明党の支持率は、わずかに4%です。自民党の40.6%、民主党の17.9%には遠く及びません。そのたった4%の政党が、政治を左右してしまう状況が果たして民主主義と言えるのでしょうか?
「誰に投票しても同じ」「選挙に行ったところで何も変わらない」という人たち、選挙は「best」の候補者を選ぶ場ではありません。「better」の候補を選ぶ場です。最高の候補ではなくても、「よりましな」候補を選ぼうじゃありませんか。
神ならぬ人の身です。未来を見通すことができるわけじゃありません。自分が「よりましな」候補と思った人物が結果的に政治を誤った方向に導いてしまうかもしれません。失敗も間違いもあるでしょうが、それが民主主義です。
少なくとも私は公明党つまり創価学会に牛耳られた政治は嫌です。だから、選挙に行きましょうと呼びかけたいと思います。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




先日、このコーナーで書いた浅野史郎・宮城県知事が宮城県警の捜査用報償費の予算執行を停止した問題で、警察庁の漆間巌長官が30日、定例記者会見で「言語道断」と浅野知事を強く批判しました。
今回、予算執行を停止したのは、情報提供者や捜査協力者への謝礼などの報償費・捜査費のうち県の負担分です。この問題では、相次ぐ警察の裏金づくりを受け、浅野知事が支出を確認するため、関連文書の全面開示や捜査員の事情聴取を求めたのに対し、県警が「捜査に支障が出る」と応じなかったため、関連予算約1600万円の執行を停止しました。
会見で漆間長官は「知事は捜査協力者に会う目的で、支出に関する文書を見せろと指示している」と指摘。捜査協力者には県庁職員もいる、としたうえで「警察にとって情報源の秘匿は絶対的な厳守事項。警察活動全体に対する介入で、言語道断だ」と批判しました。
さらに「予算執行を停止して治安対策にブレーキをかけている。知事は県民の安全安心を守るという責任を果たしているのか」「(不適正執行があるという)根拠のない話をもとに執行を停止したのは権利の乱用だ」とも批判しました。
この人、何をトチ狂ったんでしょうか。県予算の執行権者は浅野知事です。選挙で宮城県民の付託を受けています。その県費の使い道について、執行権者である浅野知事が「きちんと知りたい」と言っているのに、それを隠すことがさも正当なことであるかのような発言をする。こんな馬鹿な話はありません。県民には税金の使い道を知る権利が、そして県知事には、県民から集めた税金の1円1円まで、その使い道をしっかりと把握する義務があります。浅野知事は当然の務めを果たしているのではないでしょうか。
「根拠のない話をもとに執行を停止した」と発言していますが、この人は新聞も読んでいなければ、テレビも見ていないんでしょうか。警察の裏金づくりが全国各地で相次いで発覚していることを知らないんでしょうか。「警察にとって情報源の秘匿は絶対的な厳守事項」などと言いますが、いもしない人の名前を仕立て、勝手に人の名前を使い、領収書を偽造し、どこが秘匿すべき厳守事項なんでしょうか。警察に対する不信がどれほど渦巻いているのか知らないんでしょうか。それとも見るのに見えず、聞こえるのに聞こえず、都合の悪いことはさっさと忘れることにしているんでしょうか。
そもそも浅野知事は根拠のない話を聞き、「そりゃあ、けしからん」と突然、予算執行を停止したわけではありません。警察が不正を犯しているとの不信感が募っているので、ここらできちんと捜査用報償費の使い道を把握したいと県警に書類の開示を求めただけです。それを県警が拒否したがために今回の事態になりました。予算執行権者として、何に使われているのかもさっぱりわからないようなものに県費を支出できないのは当然のことでしょう。
一人ひとりのお巡りさんを見れば、いい人がたくさんいます。しかし、警察という組織になったとたん組織防衛にばかり精を出す集団になりさがります。漆間長官のような人間がトップでいる限り、警察不信は決してなくならないでしょう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




相次ぐ警察の裏金作りに、宮城県の浅野史郎知事が宣戦布告しました。
浅野知事は6月24日、宮城県警の捜査用報償費が適正に執行されていない疑いがあるとして、予算執行の停止を決定、県警に通知しました。
宮城県警の報償費をめぐっては、仙台市民オンブズマンが2001年度、1999年度の報償費文書の開示を浅野知事に求めて提訴し、現在、仙台高裁で係争中です。被告となった浅野知事は昨年、県警に会計文書の閲覧と捜査員の聴取を要求し、県警はいったん文書閲覧を許したものの、知事の対応を不満としてその後は認めず、対立が続いていました。
今年4月には宮城県警が、1998年~2000年度の県警の報償費などについて内部監査した結果として「適正に執行されていた」と県議会に報告。しかし、県警は、捜査協力者への聞き取り調査をしていなかったため、浅野知事は「監査の名に値しない極めて不十分、不誠実なもの」と批判。捜査員への聴取などを改めて要求していました。
警察の捜査用報償費をめぐっては北海道警や福岡県警などで不正支出が明るみに出ていますが、宮城県警は否定しています。浅野知事は事実を確認するために捜査員への事情聴取が必要だとしていますが、県警が「捜査に支障が出る」と応じなかったため、異例中の異例ともいえる事態へと発展しました。
宮城県警は拒否の理由を「文書には治安確保のため捜査協力者の氏名など重要事項が記載され、捜査活動と密接にかかわる。慎重に取り扱われなかった場合は捜査活動に支障が及び、結果的に治安の悪化につながりかねない」との主張を繰り返しています。
報償費や捜査費は、捜査に協力してくれた市民への謝礼や、市民と会った際の喫茶店代や食事代などの経費として使います。支出関連書類には、きちんと協力者の名前を書き、現金を謝礼として渡した場合はその相手の直筆による領収証などが必要とされています。
ところが、この協力者の名前が架空だったり、電話帳などから適当に拾った名前を勝手に使って、架空の書類をつくり、領収証を偽造して、警察内部に溜め込んでいくという裏金作りが相次いで発覚しています。ここ数年だけでも、北海道警、福岡県警、愛媛県警、静岡県警、高知県警など、次々と裏金作りの疑惑が報じられています。
この問題はまず、裏金作りそれ自体が厳しく断罪されるべきです。さらに県民が支払った税金の使途を県民が知ることができないという構造にもメスが入れられるべきです。
話は飛びますが、この「税金の使途を知ることができない」という構図は、何も警察の捜査費に限ったことではありません。例えば、「第二の議員報酬」との批判もある議員の政務調査費です。
政務調査費というのは、視察や図書購入など調査研究のための経費です。5月19日付の中国新聞によると、政務調査費を議員に支給している広島県内13市議会のうち、収支報告書への領収書添付を会派や議員に義務付けているのは7市議会にとどまっているそうです。透明性の確保に欠かせない領収書の扱いにばらつきがある上、領収書を情報公開の対象にしているのは6市議会で、半数以上の実態は闇の中です。
こうした実態は都道府県でも同じです。5月29日付朝日新聞によると、同社が47都道府県と14政令指定都市の実態を調査したところ、使い道を示す領収書の添付と公開を条例で義務づけているのは、たったの6府県、5市にとどまっていることがわかりました。また、政務調査費は残金があれば年度末に返還することになっていますが、5県では2001年度から4年間続けて、一度も返還がなかったそうです。
ちなみに、全都道府県・政令指定都市の2005年度の政務調査費は総額約180億円にも上ります。これだけのお金の使い道のほとんどが市民にはまったく見えません。警察の捜査費といい、議員たちの政務調査費といい、これが本当に民主主義国なんでしょうか。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




今日は悪名高き「記者クラブ」について解説します。
記者クラブは日本と韓国に特有のシステムで、簡単に言えば、官公庁などの取材先から無償で間借りした部屋と、そこを取材拠点とする記者集団といったところです。新聞や通信社、テレビ局の記者が所属し、記者クラブを通じて取材対象が発表するプレスリリース(マスコミ向けの発表資料)を手に入れたり、記者会見を開いたりします。
代表的な記者クラブには、外務省にある「霞クラブ」や財務省の「財政研究会」、宮内庁の「宮内記者会」などがあります。警視庁には3つの記者クラブがあります。朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞、日本経済新聞と共同通信が加盟する「七社会」、産経新聞、時事通信、NHKなどが所属する「警視庁記者クラブ」、民放各社が集まる「警視庁ニュース記者会」です。日本銀行には「日銀記者クラブ」、日本経団連には「経団連記者クラブ」、東京商工会議所にも「商工会議所記者クラブ」が、東京証券取引所にも「兜クラブ」があります。電力会社や都道府県庁、県警本部、政令指定都市はもちろん、人口数万人規模の地方都市の市役所にも記者クラブはあります。
多くの記者クラブは、日本新聞協会のメンバーであることが加盟資格となっています。加盟社は記者クラブによって変わります。中央では全国紙とキー局が中心となり、地方では地方紙を中心に全国紙、ローカル局が加盟しています。地方の市役所では、テレビ局は加盟していないか、準加盟というケースも少なくありません。所属する記者数は会社によってまちまちで、中小都市のように1人のこともあれば、10人以上が所属することもあります。部屋や机などの備品は、取材先から無償で借り受け、大きな記者クラブになると、記者の世話係を務める職員がいて、毎朝コーヒーを作ってくれます。さすがに最近は電話回線は自社で引くことが多くなってきました。毎月、1人当たり500円とか1000円程度のクラブ費を支払い、集めたお金でコーヒー豆を買ったり、クラブ員が転勤になった際の選別に充てたりしています。共同利用のファクス代金やコピー代を取材先に支払っている記者クラブもあります。
加盟各社は、2カ月~半年交代で幹事社を務めます。幹事社は会見の設定や司会役をしたりします。各記者クラブには、「ルート」などと呼ばれる緊急時の連絡網があります。例えば、事件・事故の場合、管轄する警察署が、報道用資料を作成し、県警本部の了解を得た上で幹事社のA社に電話・ファクス連絡します。A社は記者クラブ加盟社のB社とC社に同様にして連絡します。さらにB社はD社に、C社はE社にといった具合に順番に連絡していきます。
さて、明治時代にさかのぼる記者クラブ制度は、「閉鎖的」「特権意識」「横並び体質」として批判を浴びています。特に「閉鎖的」との批判は強く、実際、週刊誌や海外メディアは排除されてきました。この「閉鎖性」に風穴を開けたのが「ブルンバーグ」です。当時の東京支局長デビッド・バッツ氏は「報道の自由を阻む非関税障壁だ」として、アメリカ大使館やロイター通信、CNNなどを巻き込み、東証の兜クラブへの加盟を求め、最終的に1993年に加盟を勝ち取りました。
ただ、海外メディアに完全に扉が開かれたわけではなく、2002年にEUは「日本の規制改革に関するEU優先提案」の中に、「情報への自由かつ平等なアクセス」の項目を設け、日本の公的機関に対して海外メディアのアクセスの保証と記者クラブ制度の廃止を求めています。
これに対し、日本新聞協会は2003年12月、見解を表明。公的機関に対して結束して情報公開を迫るという役割があると指摘しつつ、①公的情報の迅速・的確な報道②人命人権にかかわる取材・報道上の整理③市民からの情報提供の共同の窓口―などの役割のために記者クラブは必要だとしています。
行政の側からも記者クラブ制度への問題提起があります。
1996年には朝日新聞出身の竹内謙鎌倉市長が、記者クラブの代わりに「広報メディアセンター」を設置。登録を条件にセンターを加盟社以外にも開放しました。2001年には、長野県知事に当選した田中康夫氏が「脱・記者クラブ宣言」をしました。それまで県庁内に3つあった記者クラブスペースの無償提供を取り消し、代わって表現者すべてに開放する「プレスセンター」を設けました。2003年には、田中知事に個人的な反感を持つおたく評論家の宅八郎氏が知事会見に現われ、過去の知事が執筆した記事について謝罪を求め、その1問1答も長野県のホームページで公開されました。
他にも、「官庁などからコントロールされた情報を、批判も分析もせずに垂れ流している」「クラブ室やクラブ設備の一部は、官庁側が無償で提供しており、維持に税金が使われている」「役所などの発表情報を横並びに垂れ流している」「官庁などの取材源から情報を得られなくなることを恐れ、当局追従姿勢に陥りがちになっている」などの批判があります。
これらの批判すべてが正当なものであるとは思いませんが、少なくとも無償での間借りは見直すべきでしょう。記者クラブの維持費に税金が使われているとの批判に対しては何の言い訳もできません。マスコミも利益を追い求める私企業であり、無条件で税金を使っていいはずがありません。
「閉鎖的」との批判に対しても、多くの点で肯定せざるを得ません。雑誌社や海外メディアを排除する正当な理由はありません。ただ、記者会見への出席には、何らかの制限は必要だと思われます。完全に自由化された場合、右翼団体や総会屋の類が会見場に乗り込んできて混乱する可能性もあります。市民運動グループが会見を開くようなケースでは、そのグループと対立する別のグループがやってきて騒ぎ立てるということも可能になります。世間の耳目を集めるような大事件では、野次馬根性丸出しの連中が押しかける可能性もあります。ちなみに地方では、記者会見に出席できるのが必ずしも記者クラブ加盟社だけというわけではありません。大事件の際は、加盟社でも何でもないワイドショーのリポーターや雑誌記者がちゃっかりと出席していることも珍しくありません。
「官庁などからコントロールされた情報を、批判も分析もせずに垂れ流している」「役所などの発表情報を横並びに垂れ流している」との批判については、半分は当たっていますが、半分は誤解です。このことでよく批判に晒されるものに「黒板協定」があります。幹事社が発表を了解した場合、これがクラブの黒板に書き出され、その内容については記者クラブ所属の記者は発表以前に記事にしないことになっています。この点が「横並び」とされる理由の一つでしょう。確かに日々、各紙の紙面を眺めていると同じような記事ばかりと批判されても仕方ない面もあります。政治面の記事には、横並びとしか思えない記事が多く見受けられます。事件報道でも「警察発表を検証せずにそのまま記事にしている」との指摘は、その通りとしか言いようがありません。
ただ、全国紙だろうと地方紙だろうと、官公庁の発表記事しか書かない記者はまったく評価されません。記者は常にスクープを狙い、独自ネタを探しています。「黒板協定」よりも先にニュースをつかもうと努力しています。仮にあるニュースについて会見での発表申し入れがあり、それを幹事社が受け入れたような場合でも、すでに独自取材でそのニュースをつかんでいた場合は、「黒板協定」を拒否することもあります。このことが後々でもめる原因になって、記者クラブ内で「協定違反だ」となるケースもあります。
地方では「黒板協定」は、どちらかというと全国紙が利用したがる傾向にあります。理由は簡単で、地方では地方紙の記者数が圧倒しているためです。手厚い陣容の地方紙は黒板協定で各社一斉に横並びとなるよりも、独自の取材で最初に書こうとします。逆に記者が数人しかいない全国紙は、地方紙のような陣容を展開できるはずもなく、地方紙に抜かれるよりは「横並び」を歓迎する傾向があります。もちろん全国紙も独自にニュースをつかんでいた場合は、この限りではありません。
「特権意識」との批判については、記者クラブそのものに原因があるのではなく、記者一人ひとりの「自分たちは正義なんだ」という独善性とか、「俺は新聞記者だ。その辺の会社員とは違うんだ」というわけのわからない優越感に根ざしていると思います。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




新聞社っていうところは当然、読者から記事の感想とか問い合わせの電話がかかってくるよね。今日はそんな電話の中から、困ったちゃんな読者の困ったちゃんな電話について話そう。
新人記者のころなんだけど、歴代の天皇の名前を全部教えてくれという電話を受けたことがあるよ。夜の9時ごろだったかな。まだ入社2カ月もたっていないころで、僕も今みたいにひねくれてなかった。上司からは読者の問い合わせに丁寧に答えろと言われていたからね、馬鹿正直に資料部に行って、日本史年表で調べたよ。デスクには「何やってんだ」って怒られた。
いるよね、そういう人。新聞社を百科事典か何かと勘違いしている人がさあ。興味あるなら自分で調べろよって言いたくなるもんね。
でも、教師でもいるんだよな。ある地方都市の支局時代だけど、「G7」というのが、どこの国のことなのか教えてくれっていう電話があった。この先生が言うには「子どもたちに教えてあげたいから」だってさ。教師のくせに「G7」を知らないのもどうかしてるけど、こんなことも自分で調べようとしない先生ってのも困ったちゃんだな。こんなことで子どもたちに「学習意欲」がどうたら、こうたらって言えるのかね。
ある時期、毎日のように電話してくる困ったちゃんがいてね、ある日は「魚へんの字を教えてくれ」、次の日は「わしは中曽根首相は偉い人だと思うんだが、どうだろうか」、その翌日に今度は「徳川幕府の第10代将軍の名前を教えてくれ」ってな感じで、毎日電話してきた。さすがにこっちもいいかげんにしてほしいから「そういうことはご自分で調べてください」って言って電話を切ったんだ。それでも懲りずにまた電話してきたよ。
わが社はよくあるのが、電話番号を教えてくれってやつだね。記事に関係しているのならいいんだけど、●●テレビの電話番号を教えてくれとか、市役所の何とか係の電話を知りたいとか。電話帳か「104」で調べてくれって言いたくなるよ。こっちは地方紙なのに、関東の市役所の電話番号なんか知らねえっていうの。
飛行機のチケットの取り方を教えてほしいとか、よその町の花火大会の開催日時を教えてくれとか、電話するのは新聞社じゃないだろう。
「おいおい、そう来るか」っていう記事のクレームもあるだろう?
あるある。これは知り合いの地方紙記者から聞いたんだけど、プロ野球で広島カープが連敗してた時にね、その新聞は「カープ 鯉わずらい」っていう見出しを付けたんだ。「恋煩い」の鯉とカープの「鯉」とをかけたんだけど、次の日におじいちゃんの読者から電話があって「うちの孫が恋煩いの『恋』は、この字でいいのかと言っとる。間違った漢字を覚えたら、どうしてくれるんだ」と怒られたらしい。
はははははっ…
だじゃれ見出しは意外とクレームが多いよね。「このだじゃれは面白くない」っていうのならわかるんだけど、「週刊誌やスポーツ新聞じゃないんだ、もっと真面目な見出しを付けろ」だもんな。
誤字脱字を見つけるのに、命をかけてんじゃないかっていう読者もいる。よくこんなの見つけるなって驚くよ。朝から晩までかかって新聞を全ページ、くまなく見てるんじゃないのかなあ。「てにをは」の違いを見つけると、毎回電話をかけてくる。で、決まって最後に「この間も間違いを見つけて電話した。こんなに間違いが多いんじゃ困る」って言うんだ。そりゃあ、まあ、間違ったこちら側が悪いんだけどさ。
宗教団体のクレームも勘弁してほしいね。有名な某宗教団体の疑惑が紙面に載ったことがあるんだ。通信社の配信記事だったんだけど、もう朝からクレームの電話ばかりだった。「こんなことは絶対にしません」って言うから、「こんなことはしないとおっしゃいますが、どんな根拠があるんですか」って反論したら、「うちの会長はしないって言ったら、しないの」だって。まさに妄信だね。
酔っ払いの電話も多い。だれそれに殴られたとか、馬鹿にされたと言って電話してくる。この間も宿直の時に「村田に殴られた」っていう酔っ払いの電話があった。ろれつが回っていないし、論理もむちゃくちゃ。だいたい、いきなり「村田」って言われても、どこの村田だよ。
でもねえ、そんなむちゃくちゃな電話の中にも、スクープが隠れているかもしれないしね。
だから、「読者からの電話には丁寧に」だよね。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




24日付の朝日新聞に気になるニュースが載っていました。経済産業省の大臣官房企画室が、外郭団体の研究委託費を流用して裏金をつくり、銀行口座にプールしていたという記事です。裏金作りは1988年度から1993年度まで続き、総額で数千万円にのぼり、官房の接待費などに充てられていたといいます。
特に口座の管理役だった前室長(48)は、流用した裏金のうち2400万円を自らの株取引に使っていました。ところが、経済産業省はこの前室長を懲戒免職ではなく、6月6日付で諭旨免職にしたにすぎません。
懲戒免職は国家公務員法や地方公務員法に基づく処分で、退職金が支給されません。一方、諭旨免職は、実質的な強制措置ではありますが、自己都合退職、つまり依願退職の一種でちゃんと退職金も支払われます。どうしてこうも大甘処分なんでしょうか。この前室長のやったことは、まぎれもない犯罪行為です。国民から集めた血税から、退職金を支払うどんな理由があるんでしょうか。
国家公務員だろうと地方公務員だろうと、公務員は国民の税金から給料をもらっています。だからこそ、一般の国民よりも高い倫理観が求められます。ところが、実際には大甘処分ばかりです。

過去の記事からピックアップしてみました(年月は記事掲載年月)
◆2004年12月 外務省は現職大使が在ウィーン国際機関日本政府代表部公使さった1997年から2年間、国から支給される在宅手当の一部を不正に受け取っていたとして、この大使に25日付で帰国命令を出し、帰国後、速やかに諭旨免職処分にすると発表した。
◆2005年2月 東京都内を走る電車内で、女児のスカート内を盗撮した区立小学校教諭(34)が都迷惑防止条例違反の疑いで逮捕された。都教委は教諭を諭旨免職とし、退職金の6割を支給。(教員の場合、諭旨免職では教員免許が残ります。他教委で採用されれば、教員を続けることもできます)
◆2005年4月 東京都教育庁の部長(57)が電車内で下半身を露出させたとして、公然わいせつの現行犯で警視庁に逮捕、書類送検されていたことが分かった。都教委は、この部長を諭旨免職処分にした。
◆2005年6月 出向中に約400万円を着服した和歌山県の元職員に、県が退職金など約1800万円を支払ったのは、地方公務員法などに違反するとして、和歌山市の市民団体が住民監査請求。この元職員は2002年4月から04年3月まで第三セクター「和歌山マリーナシティ」に出向。漁協など約60団体がつくる「県水難救済会」の経理などを担当。02年5月から04年4月まで計32回、同会の口座から約400万円を無断で引き出し、私的に流用した。県は、元職員が全額を返済し、同会も被害届を出さず、事件として立件されなかったことに加え、出向中の不祥事は制度的にも懲戒免職の対象とならないとして、04年6月に諭旨免職とし、退職金約1700万円と期末勤勉手当約100万円を支払った。

不正流用も盗撮も犯罪です。もっと厳しい処分でのぞんでもらいたいものです。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




JR福知山線脱線事故報道は、多くの記者にとって実は疑問の多いものとなりました。
JR福知山線の脱線事故から2カ月。わが社も含めてマスコミ各社ともあいかわらずの過熱報道だった。
この2カ月の報道を見てみると、だいたい3種類の記事に分けられる。一つは事故原因を探ろうとするもの、そして二つ目が、JR西日本社員の「不適切な行為」を糾弾する記事、最後に遺族の思いや被害者の人柄を紹介する記事だ。毎度毎度、この手の事故が起きるとそうなるけれど、事故原因を探ろうとする記事が一番お座なりだ。これこそがメディアの使命だと思うんだが…。
今回特にすごかったのが「不適切な行為」糾弾記事だね。新聞紙面には連日のようにJR社員の「不適切な行為」に関する記事が掲載された。「事故当日にJR社員がボウリング大会を開いていた」「韓国旅行に行っていた」「車掌が宴会をしていた」と、ヒステリックなほどの糾弾記事が続いた。
しまいには、脱線事故から2週間もたった5月8日に、事故現場から30キロ離れたゴルフ場で民主党の参院議員らがゴルフコンペを開いていたことまで批判の対象となった。こうなると、もう何でもありだ。民主党議員の「不適切な行為」は、「週刊朝日」が最初に書いたんだけど、「スクープ」と銘打たれていた。コンペ参加者の中には、「事故の原因追及をする要職にある議員も複数いた」そうだけれど、だからといってこんな記事のどこがスクープなんだろうか。いくらなんでも、2週間もたってから休日にゴルフをしていたことで攻められるいわれもないだろう。
僕も経験があるけど、大事件が起きると、とにかく上司から連日、「続報」を書くように求められる。しかも1本や2本じゃない。一面にも社会面にも、内政面にも、どんなネタでも続報を書かなくちゃならない。ネタがあってもなくても。事故の原因究明こそが重要なのに、どうしても、本質から離れた内容でも記事にしなくちゃならなくなる。
翌朝のライバル紙に、デカデカと続報が載っているのに、自分のところだけまったく関連記事がないというわけにいかないからね。だったら、もっと本質の部分に人員を割いて徹底的に究明すればいいのに、上司も原因究明よりも、糾弾ネタや遺族回りの方に人員を割く。結果的に本質的な問題の方は、国土交通省なんかの発表ものばかりで、何の独自性もない。
事故の原因究明なんて手間はかかるけど、なかなか結論が出ないからね。しかも、新聞記者はしょせんは素人。専門知識がないから、原因究明という部分では判断ができない。それでも時間をかけて徹底的に探っていけばいいのだけれど、報道合戦の中じゃあ、そうする余裕もない。
今回の場合、「不適切な行為」と並ぶ糾弾記事に「オーバーラン報道」がある。「どこそこの駅で、停車位置から何メールも行き過ぎた」「あっちの駅では何メートルだ」というやつだ。実際のところ、オーバーランなんてのはそう珍しいことでもない。こういう事故があると、普段はベタ記事にもならないようなものまで報道合戦になる。
その点、「サンデー毎日」の5月29日号に乗った牧太郎氏のコラム「青い空 白い雲」は冷静だった。タイトルは「『不適切!』と言われたら反論できない嫌~な時代」。本質から外れた報道を「JR西日本の社員は人命救助もしないで遊んでいる人、とでも言いかねない論調(中略)その世間のお怒り度に、僕はそら恐ろしいものを感じた」と書いていた。さらにちょっと大げさな気がしないでもないが、「何か、一億火の玉で米英に立ち向かう第二次世界大戦直前の雰囲気。史上最悪の脱線事故を契機に (あるいは利用して)国民の価値観を統一するキャンペーンが始まったのではないか、と疑りたくなる」と指摘していた。こういう冷静な声が、同じ新聞記者から上がると救われる思いだ。
事故から2カ月たち、各新聞社が事故報道の検証をしているけど、どう思う。
これも、あいかわらずだね。最近はメディア批判の声も大きいから、何か大事故や大事件があると、必ず報道の検証記事が載るんだけど、それでメディアがまともになるかといったら、何も変わっていない。
共同通信の検証で、遺族の一人のコメントが載っていた。「メディアはJR側の不祥事など書きやすいことばかり書いているように見える。再発防止を考えるなら、事故原因の解明にもっと力を注ぎ、安全対策の不備を追及する報道を心掛けるべきだ」という指摘には、まったく反論できない。
それでも各社とも何とか、自社の取材を正当化しようとしている。朝日新聞の検証記事は、いきなり「突然の事故で人生を断ち切られた人たちの生きた証しを、紙面に残したい。そんな思いで、記者らは遺族取材を続けた」だ。おい、おい、本当かよって思うね。確かに、そういう記者が一人もいないとは言わない。だけど、同じ記事中にあった「他社が取材したら取材しないわけにはいかない」というのが本音だろう。
共同通信の検証でも女性記者が「先着した記者数人は取材を終えていた。『出遅れた』と焦りインターホンを押す」と正直なところを書いている。
実際のところ、「生きた証しを、紙面に残したい」という記者は本当に少数派だろう。だから、事故現場で談笑したりするし、会社に戻れば、仲間内で馬鹿話もする。正直言って、大部分は上司の命令か、あるいは単に事件報道の昔からの慣例に従っているだけだ。だいたい「生きた証しを」なんて言うのなら、何も大切な家族が亡くなって茫然自失としている時に取材に押しかけなくてもいい。それこそ、事件から少しばかり時間を置いてからでもいいはずだ。ところが、遺体の確認も終わっていない遺族に、「どなたが亡くなられたんですか」と数十人の記者が殺到する。近所迷惑も考えずに遺族宅にも押しかける。真夜中だろうとお構いなしだ。遺族に顔写真の提供を拒まれると、近所や友人の家まで回って手に入れようとする。
残念ながら、マスコミの人間というのは、自分たちの正義をこれっぽっちも疑わない人種が少なくないからね。それで出てくるのが「犠牲者一人ひとりの人柄や日常生活を知ることで、事故の悲惨さが理解できるし、真相究明につながる。対策を求める世論にもつながる」というマスコミ特有の論理。確かに、犠牲者の人柄を知ることで、事故の悲惨さは強調されるかもしれない。だからといって、遺族の思いを踏みにじっていいわけじゃない。Cも言うように、事件から少し時間を置いて取材すればいい。何も1年も2年も待てというわけじゃない。せめて葬儀が終わるまで待つべきだろう。そうやってじっくりと取材した記事のほうが、実際は多くを語ってくれる。
結局、こういうところがマスコミ批判につながり、「報道の自由を制約すべき」という声が普通の市民からも上がるようになってきた原因だ。ほとんどの新聞記者は、記者になったばかりのころは、本当の意味での情熱を持っていた。それがどんどん会社の論理に流されていってしまう。しかも、へんてこりんな論理を振りかざすようになってしまう。
で、それを今後は政治家たちが利用するようになる。もうそろそろ、さして根拠のない独善的な論理を振りかざすのをやめないと、それこそ「報道の自由」が危ないことになる。


コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »