今を生きる  MOMENTARY 

 草の輝く時 花美しく咲く時
 再びそれは帰らずとも嘆くなかれ
 その奥に秘められし力を見出すべし
 ワーズワース

マレーシア滞在記 その3 マラッカ 最終章

2009-10-13 23:10:00 | マレーシア滞在記 KL&ペナン&マラッカ
 15世紀以降、マラッカに移り住んだ中国人移民と現地のマレー人と
 結婚した人々は、中国とマラッカの二国の風習を融合させ
 独自のスタイルを作り出してゆきます。
 そして、この地で生まれ育った彼らの子孫はブラナカンと呼ばれる
 ようになり、男性はババ、女性はニョ二ャと呼称され
 彼らの生活様式や習慣は<ババニョ二ャ文化>と呼ばれるように
 なりました。
 チャイナタウンでは、この<ブラナカン様式>の住居
 (奥行きのある細長い住居)が今でも残り、
 その建物を利用しレストランやショップをしている所も
 数多く見かけます。


  チャイナタウン入り口
  看板に牛が飾ってあるのは、今年は丑年だからそうです。
  私達が訪れた頃は、ちょうどハリラヤプアサというイスラムの
  断食明けのお正月にあたり、どこへ行っても大変な人出でした。

   

  大きな通りが3本、
  ヒーレン・ジョンカー・ハーモニー、それぞれ特徴を持っています。

  ヒーレンストリート(億万長者通り)にある
  ババニョ二ャヘリテージ(豪商館を公開した博物館)
  中央の入り口しか撮影してませんが、左右に延びるこの三倍はある広さです。

   

  入り口でベルで押し、門番の人が鍵を開け中に入る、
  先祖の写真が飾れた部屋には見事な装飾の椅子が置かれて
  内部写真は禁止と知らず、数枚撮ってしまいました。。

  ほとんどが同じ造り(プラナカン様式)の家ですが
  階段の装飾や飾られている物の差が格式の差とでもいうのでしょうか。
  
  奥行きの広い家は、中央部が中庭のようになっており
  吹き抜けで青空が覗く造りです。
  階段の装飾は、見事な貝細工装飾がほどこされています。


  こちらは、ババニョ二ャ料理を頂いたレストラン。
  やはり入り口には、ご先祖様の写真が飾れていました。
  同じ様式ですが、装飾なしの階段や中庭にあたる場所は
  天井が貼られ、テーブル席になっています。
  
  

   ババ二ョ二ャ料理は中華とマレー料理がミックスされた
   日本人にも馴染みやすい味付けで、ほんとにバリと似ています。


   食後、ジョンカーストリート(骨董街)で、
   是非欲しかった民芸品を買い求め、
   次に向かったのは、

   ハーモニーストリート(寺院通り?)にある

   チェン・フーン・テン寺院 (青雲寺)

  青雲亭はマレーシアで一番歴史の古いお寺だそうです。
  15世紀始め、明の永楽帝の命を受け、
  大艦隊を率いてマラッカに寄港した明の提督・鄭和の功績を称えて、
  1646年に開基されたといわれています。
  本堂は1704年に建てられ、1801年に改築されたとのことです。



   本堂の入り口左右の柱に、
   青雲亭の名前の由来の<青蓮開佛国><雲雨潤蒼生>
   の対聯が掛けてあり、本堂の中央に観世音菩薩が祀られ、
   観世音菩薩の左には漁業と航海の守護神<媽祖(まそ)>が
   祭られています。



   青雲寺 HP (英語)
      http://www.chenghoonteng.org.my/index.html

  ガイドさんのご好意~で、私達はここで占いをすることとなりました。
  <ご好意>とは、この占いはかなり時間を要するもので、
  台湾紹介などのテレビでみたことのある占いです。

  まずは、数字棒の入った筒を両手で振りながら一本のみを落とします。
  2本落ちればやり直し。繰り返す事、数回。
  やっと一本のみ落ちました。 番号は十番!

  そして、二つの三日月型の神杯を投げて、結果の良否を伺います。
  あれだけ振って・・・なんと結果は、<否>

  そして、
  再度、筒振りのやり直しです、

  おーーナンと、
  またもや同じ数字が~  十番です!

  かなり周囲から驚かれ(同じ数字が出ることは確立的に低い)
  そしてお伺いの神杯を~

  見事!
  <良>が出て(笑)お札を頂き、

  代金は任意で、箱に入れるだという、
  (勿論、ガイドさんが言う代金を寄付しました)
  なんと心広い菩薩さまなのでしょう☆

  とても良い札だったらしく、
  ガイドさんが一生懸命説明を ^-^

  とっても楽しいひと時でした☆

  <十番> 私のラッキーナンバーなのかな♪


    青雲寺で時間を取りすぎた為、他の見学は車中からとなり(笑)
    運転手さんが車を駐車し、みんなでお昼用のニョ二ャ料理のお店へ~
    途中、
    通りかがかったお土産屋さんで急いで欲しかった物を買い
    レストランへと向います。




    
    
  ブログでは、前後してますが、
  チャイナタウンとお寺を見学、後にお昼を頂き、
  セントポールの丘やオランダ広場を見学する。
  それが、<マラッカ日帰りツアー>のコースです。

  

  
  以上で、<マラッカ日帰りツアー>は完結です。
  アレーシア旅行を予定されている方には、是非お奨めです♪
  

  
  それでは、<マレーシア滞在記> はこれで終了させて頂きます。


  
  出会う人は <宝者>

  その言葉通り、
  ペナンでもKLでもとても良い人柄のガイドさんと出会うことが出来、
  一番の目的のチンファミリーとの再会に加え、
  とても楽しい想い出を刻むことができました。

  私達に関わってくださったマレーシアの方々に感謝します。

  そして、
  つたない<滞在記>をご覧下さった方々にも
  マレー語☆で
   Terima Kasih niko
                (ありがとう)

  
  エピローグは・・・・・・

  個人的主観やツアー用の中級ホテルの紹介や、
  少しだけ買えたお土産など、
  そのうちに書いておきたいなあって思っています。(笑)

  宜しければ
  また覗いてくださいませ~(^-^)
  
  


  
コメント (2)
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マレーシア滞在記 その2 マラッカ

2009-10-13 14:45:00 | マレーシア滞在記 KL&ペナン&マラッカ
 
   

   クアラルンプールから車で2時間、(鉄道利用もあります)
  同じくマラッカも2008年に世界遺産に登録され、
  町に近づくと看板などが目に入ります。


      2008年 世界遺産指定 マラッカ


 「マラッカ」と聞けば、
  現在の恐れられている、
  マラッカ海峡の海賊のお話しが印象的ですが、

 どうして海賊が?と思われる方の為のミニ知識です。

 マレー半島とインドネシアのスマトラ島の間にあり、
 太平洋とインド洋を結ぶ世界で一番船舶の通行量の多い海峡で、
 航路が狭く海底地形も複雑で、ゆえに
 通過する船舶は速度を落とさなければならない海域で、
 その速度を落とした時に狙うのが海賊なのです。
 海峡の沿岸には多くの島や入り江が散在し、
 海賊の隠れ家となっているそうです。

 そして、
 その海峡は、海のシルクロードと呼ばれて、
 中国、インド、アラブを結ぶ歴史深い海峡、
 その拠点となるのがマラッカ王国なのです。

 
 マレーシア・インドネシア・シンガポールの3国に面した        
 全長1000キロの海峡。(マラッカの丘より撮影)


  
  遠く・・対岸にはスマトラ島があるのです。


 小さな寒村から王国へと発展、後に1511年ポルトガルに支配され、
 オランダ、イギリスなど植民地としての時代を経て、
 1957年にはマラヤ連邦(現マレーシア)として独立宣言、
 宣言は、マラッカの地で行われたそうです。

     独立記念博物館 

イギリス植民地時代の1956年、
 社交目的とした「マラッカ倶楽部」のクラブハウスとして建設され
 マレーシアのアブドゥル・ラーマン初代首相が独立を宣言した
 記念すべき建物で、英国から譲渡された。
 現在は独立の歴史を展示する博物館として利用されています。

  

 学生時代は、勉強とはまったく無関係に過ごしてしまった私ですが
 アジア方面を旅をするようになった今頃~
 多くのことを学んでおります(笑)

 

  

 インドネシアとの関わりは、
  
 スマトラ島南部の王国の王子が、
 敵対する王国の侵攻を逃れるために村に逃げてきたそうです。

 木陰で身をひそめて休んでいるとネズミ鹿と呼ばれる小さな動物が
 猟犬と戦うところに遭遇、その小さな体で猟犬を蹴とばし、
 猟犬から身を守った、その小さな姿で戦う姿に感動した王子が、
 「自分も逃げてはいけない」と王国の再建を誓ったそうです。

 (マラッカと言う名前の由来は2通りあるのだそうですが)
 その休んでいた木が「マラッカの木」であったため、
 木の名前より「マラッカ王国」と命名し建国に至ったそうです。
 それ以降、繁栄は続いてゆくのです。

 マラッカではその時のネズミ鹿がシンボルとされ、
 中央広場にネズミ鹿の像が立っています。

 



 マラッカ王国繁栄後、ポルトガル、オランダ、イギリス、ヨーロッパと
 次々に支配された為、マラッカの建造物は様々なスタイルが混在します。

 オランダ建築の代表物とされるプロテスタント教会。
 ポルトガル支配時代に建築されたものを、
 オランダは全て赤茶色に塗りつぶしていったそうです。

 マラッカで赤茶色の建物を発見したら、
 それはオランダ支配の建造物だそうです。

 



 「サンチャゴ砦」
 

 外敵からの攻撃に対抗するために建てられた砦、
 マラッカで唯一残る砦。
 その砦の前には大砲が現物のまま残されています。

 サンチャゴ砦の門をくぐり丘を登ると               
「セントラルポール教会」にたどり着きます。

 
 小さく見えている像が<フランシスコザビエル像>
 右手の手首から先が無くなっているのが残念です。

 
 

 ここはお墓だそうで、セントラルポール教会は、
 フランシスコ・ザビエルが亡くなった後 
 遺体を半年間安置した場所なのだそうですが、壁に立てかけられている
 石板が墓標なのだそうですが、ハートが刻んでいたりして
 イメージは広場のような明るい感じです。

 

 この時も、インド人の有名な?タレントさんがダンスを踊り
 撮影をしていました。
 
 

 歴史を垣間見る楽しさ、1500年時代は特に興味深い時代です。
 学生時代の勉強不足ゆえ、
 まだまだ知りたいことがたくさんあります(笑)


 長くなりそうなので、
 本日はここまで~
 次でホンとに終われるかな(笑)

 毎回、お付き合いをありがとうございます(^-^)




コメント (2)
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