今夜、ekoさんという方から書き込みを頂いた。
クタ、レギャンあたりに出没する(笑)
ヤミガイド「長島たかし」おじさんのことで。
デジカメを持たない頃の写真、
アルバムを開いてたかしさんの画像を撮ってきました~
長島さんとの出会いは、かれこれ13年以上前になるだろうか。
コンビ二時代のアルバイトちゃんが、私の影響を受けてバリへ~
バイトちゃんが泊まったのはポピーズだったと思うけれど、
クタで長島さんと出会う。
3千円でガイドしてくれて、遊んでもらった~
と、戻ってきてからの話だった。
写真を見せてもらって、
へえ、こんな叔父さん大丈夫???
なんて言ったことを思い出す。
そう言いながら、次回から私もお世話になることになる(笑)
その頃の私は少しだけ高級志向?(笑)
クプクプ、ジンバランのフォーシーズンを皮切りに
行きはじめたバリだったが
ガイドは旅行会社専属のガイドを使っていた。
その後は、
航空券とホテルをチョイスするバリ旅行に切り替えて
ガイドがないので、長島さんに頼むことにした。
若い子相手のヤミガイドさん、
私達は、勿論3千円ではなかったな(笑)
旦那はあまり好きなタイプではないみたいだったけれど
惜しげもなくいろんなところに連れて行ってくれるので
私は結構お気に入りだったかな~
長島さんはイワク付きでバリに上陸していたと思う。
最初はお友達の仕入れでついて来て、
そのままバリに滞在していると話していたけれど、
多分、日本から脱出しなければいけない
何か事情があったんだと思う(笑)
レギャンにある皮服屋の「APPLE りんご屋」
誰かと共同経営をしているという話しだったが、
どうだったのかな??(笑)
そして、
講習に出かけたバリ滞在でも随分お世話になった。
この時はお友達との講習旅行だったので、
かなりあちこちに連れて行ってもらった気がする。
そして、ちょうど3年前、
銀婚旅行でバリに行くことになり連絡をすることに。
携帯に掛からないので、りんご屋へ電話、
「たかしはいない、いない、」とそればかり・・・
問いつけると
「亡くなった」という話し。。。
お店の若い子は、チャッカリと
「ガイドいるなら、私達、たかしの後を引き継いでるから
電話してください」ということだった。。
詳細がわからない・・・・
それで、
BALI RATU (クタにあるエステ)
のBamさんに電話を入れる。
たかしは病気になり、東京に息子さんがいるので
帰国するということで、
あの赤い車も家財もりんご屋のスタッフに与えて
東京に戻った。
そして、東京の息子さんのところで亡くなった。
そんな話しだった。
私も驚いた・・・・・
少しショックだったかな。。。
でも、
やっと日本に戻れて、息子さんに看取られたのなら
それで良かったと思えた。
思い出が蘇えった。
たかしおじさんがいつも大切に持っていた手帳。
ある時、それを広げて
「これは僕の財産~こんなにたくさんの人と出会い
こうして手紙も貰っているよ」
そう嬉しそうに話していたことを思い出す。
きっとekoさんのように「たかしおじさん」と出会い
いろんなところに連れて行ってもらい
時には自慢を聞きながら(笑)
バリで陽気に暮らす初老の日本人ガイドのおじさんと共に
バリを大好きになった人も多いことだろう。
旦那との滞在は、
リッツとサヌールのプリサントリアンにしたのだが
サヌールでもたかしおじさんとの思い出はある。
よく連れて行ってもらったプリサントリアンの隣にあるパブ。
旦那と二人でフラっと出向き、
オーナーとたかしおじさんの思い出話しをした。
イタリア人?のオーナーも
たかしおじさんがいなくなってとてもさみしくなった、
と話していた。
長島孝がこよなく愛した「ジャヤパブ」
「TAKASI、TAKASI~」と人気者だったなあ~
多分・・・
たかしさんにとって<BALI>は
いいところも悪いところもみんな呑み込んで~
唯一生きていると感じられた場所だったのではないでしょうか?
日本からやってくる若い女の子達を
間違いのないように自分なりにエスコートしていたのかもしれない。
もちろん、単なるお友達としてだが
たかしおじさんのアパートに転がり込んだ人もいる(笑)
なんでもOK~
居たいだけいていいよ~
あなた色の<BALI>を楽しみなさい。
そんな人だったと思う。
そして、
その後、私のバリ行きはストップしたまま・・・・