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日中問題

2013-11-29 23:19:40 | ニュース
ヤバいな…。

ー引用開始ー

共同通信 2013年11月29日12時22分
日本と軍事衝突も、と中国紙 防空識別圏で対日強硬策を強調
http://news.livedoor.com/article/detail/8299556/


 【北京共同】29日付の中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は「中国は闘争の狙いを日本に集中し、日本の野心を打ち砕くべきだ」との見出しの社説を掲載し、中国の防空識別圏設定に対する国際社会の反発に対し、当面は圧力の照準を日本に絞った上で、双方の軍事衝突も辞さない姿勢を強調した。

 社説は米国もオーストラリアも防空識別圏をめぐる直接的な相手ではないと指摘。日本が自衛隊機を識別圏で飛行させた場合は、中国も対抗すべきで「接近戦も想定されるので、中国空軍はそれに備え、武力衝突も覚悟すべきだ」と主張した。

ー引用終わりー

後藤新平、ボーイスカウト、フリーメイソン

2013-11-29 23:14:15 | ニュース
後藤新平、ボーイスカウト、フリーメイソン

ー引用開始ー

後藤新平
http://ja.wikipedia.org/wiki/後藤新平




日本の政治家
後藤 新平

生年月日 1857年7月24日
出生地 仙台藩・陸奥国胆沢郡鹽竈村
(現:岩手県奥州市水沢区)
没年月日 1929年4月13日(満71歳没)
死没地 日本 京都
出身校 須賀川医学校
称号 正二位
勲一等旭日桐花大綬章
伯爵
配偶者 後藤和子
第18・20代逓信大臣
内閣 第2次桂内閣 (18)
第3次桂内閣 (20)
任期 1908年7月14日 - 1911年8月30日 (18)
任期 1912年12月21日 - 1913年2月20日 (20)
第34・39代内務大臣
内閣 寺内内閣 (34)
第2次山本内閣 (39)
任期 1916年10月9日 - 1918年4月23日 (34)
任期 1923年9月2日 - 1924年1月7日 (39)
第33代外務大臣
内閣 寺内内閣
任期 1918年4月23日 - 同9月29日
その他の職歴
初代内閣鉄道院総裁
(1908年12月5日 - 1911年8月30日)

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後藤 新平(ごとう しんぺい、安政4年6月4日(1857年7月24日) - 昭和4年(1929年)4月13日)は日本の医師・官僚・政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。
台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3代学長を歴任した。


計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、日本の植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案した(都市計画の項も参照推奨)。

(略)

日本のボーイスカウト活動に深い関わりを持ち、ボーイスカウト日本連盟の初代総長を勤めている。スカウト運動の普及のために自ら10万円の大金を日本連盟に寄付し、さらに全国巡回講演会を数多く実施した。ボーイスカウトの半ズボンの制服姿の写真が現在も残っている。制服姿の後藤が集会に現れると、彼を慕うスカウトたちから「僕等の好きな総長は、白いお髭に鼻眼鏡、団服つけて杖もって、いつも元気でニコニコ」と歌声が上がったという。



ボーイスカウト制服姿の後藤新平

ー引用開始ー

http://ja.wikipedia.org/wiki/フリーメイソン#.E3.83.9C.E3.83.BC.E3.82.A4.E3.82.B9.E3.82.AB.E3.82.A6.E3.83.88

ボーイスカウト[編集]


初期ボーイスカウトの指導者たち。
中央: ロバート・ベーデン=パウエル(メイソンではない)。
左: アーネスト・トンプソン・シートン(コネチカットグランドロッジではメイソン特有の「ブラザー」ではなく「Mr.」になっている[38])。
右: ダニエル・カーター・ビアード(メイソンである)。


ボーイスカウトの創設者ロバート・ベーデン=パウエル[編集]

ボーイスカウトとフリーメイソンリーの関係において、ボーイスカウト創設者の英国陸軍少将ロバート・ベーデン=パウエルは妻オレブによるとフリーメイソンではなく[39]、娘のベティも父ロバートはメイソンのメンバーではないという[40]。
ロバート・ベーデン=パウエルの弟デビッドはフリーメイソンであった[39]。ロバートの孫マイケルもフリーメイソンであり[39]、マイケルはオーストラリアのロッジ「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」の元・マスター(Past Master)である[41]。


フリーメイソンリーのロッジ

「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」のように、ボーイスカウトたちによって作られたロバート・ベーデン=パウエルにちなんだフリーメイソンリーのロッジもあり[39]、「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」は、1929年、豪ビクトリア州知事でビクトリアグランドロッジのグランドマスターを務める[42]フリーメイソンのサマーズ男爵らの会議によりボーイスカウトのフリーメイソンロッジが計画され、設立された[43]。サマーズ男爵はボーイスカウトの理事長、副チーフ・スカウトを経て、1941年のロバート・ベーデン=パウエルの死後、ロバートを引き継いでチーフ・スカウトになった。「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」はロバート・ベーデン=パウエルの名が付けられた最初のロッジであり[39]、また存命人物の名がロッジに付けられることは異例であった[43]。ロバートはこのロッジのために「With best wishes for the success of the Lodge in its good work. Baden-Powell of Gilwell, 12th May 1931」と銘記した[39][43]。
スカウトの名を冠するフリーメイソンリーのロッジ「スカウトロッジ」もある[44][45]。


ジャングル・ブック

「ジャングル・ブックとスカウティング (英語版wikipedia)」も参照
ロバート・ベーデン=パウエルはノーベル文学賞作家ラドヤード・キップリングと友人であった[39][46]。1916年、ロバートは低年齢のスカウトへの教えに適した物語が必要と思い、キップリングの著書『ジャングル・ブック』(1894年)をカブ・スカウト(ウルフ・カブ)のハンドブックのメインテーマに使いたいとキップリングに頼んだ[46]。キップリングは承諾した[46]。キップリングは1886年にメイソンリーに入会し1889年にメイソンリーを辞め、1909年に再びメイソンリーに参加し、1910年に名誉会員を務め、1922年に「Builders of the Silent Cities Lodge No. 12」の設立に関与し、その後生涯にわたりその設立したロッジの会員であった[47][48]。

(一部引用)

ー引用終わりー

石破茂

2013-11-29 21:17:13 | ニュース
石破茂

ー引用開始ー

http://blogos.com/article/74801/

記事
石破茂2013年11月29日 18:23沖縄など


 石破 茂 です。

 沖縄・普天間移設問題に明け、それに暮れた1週間でした。
 その間に特定秘密保護法案の衆議院における可決・参議院への送付という難事が挟まり、いつにも増して辛い日々ではありましたが、沖縄県選出自民党議員や自民党沖縄県連の苦悩を思えばとてもそのようなことは言っておれません。
 多くの方がご存知のことと思いますが、沖縄における報道はそれ以外の地域とは全く異なるものであり、その現実を理解することなくして沖縄問題は語れません。沖縄における厳しい世論にどう真剣かつ誠実に向き合うのか。私は現地の新聞に「琉球処分の執行官」とまで書かれており、それはそれであらゆる非難を浴びる覚悟でやっているので構わないのですが、沖縄の議員たちはそうはいきません。
 繰り返して申し上げますが、問われているのは沖縄以外の地域の日本国民なのです。沖縄でなくても負うことのできる負担は日本全体で引き受けなくてはならないのです。

 中国の防空識別圏の設定は我が国の主張と真っ向から対立するものであり、これを認めることが出来ないのは当然です。日系航空会社がフライトプランの提出を取りやめたのも妥当な対応です。
 しかし中国がこの設定を撤回することは当面考えられないことであり、相当長期にわたって緊張状態が継続することが予想されます。これらに対応するためには、やはり沖縄が果たす抑止力を重視しなくてはなりません。技術革新により「距離の壁」はかなり変化しましたが、なお乗り越えられない「壁」は厳然と存在するのであり、「毅然たる姿勢」はこの分析があって初めて意味を持つのです。

 特定秘密保護法の採決にあたっての「維新の会」の対応は誠に不可解なものでした。自民・公明・みんなの党とともに共同修正を提案したからには、その早期成立にも責任を共有してもらわなくてはなりません。しかるに、日程を延ばすことを賛成の条件としたのは一体どういうわけなのか。質疑を通じて維新の会の主張は確認されたのではなかったのか。反対勢力が日程闘争を行うのはそれなりに理解できなくもありませんが、共同提案をしている党が日程闘争を展開するという前代未聞の光景に当惑せざるを得ませんでした。

 今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。

 土曜日は広島市、日曜日は富山県南砺市へ参ります。
 もう師走、皆様お元気でお過ごしくださいませ。
タグ:
普天間基地移設問題秘密保護法防空識別圏
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ー引用終わりー


「近いうちに、デモ隊を封じ込める動きが出てくるのでは」と感じました。