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ねをぱぁく

公園みたいにふらっと立ち寄って、ほっと一息して欲しい、そんな演劇ユニットです。

春生のこと

2017-08-08 01:38:52 | 日記

春生は大竹野正典さんの二番目の子で長男坊。

2002年ラフレシア演劇祭に参加していた、くじら企画の「夜、ナク、鳥」を観に行った時に初めて出会った。

お母さんそっくりな顔で、友達の藤井くんと一生懸命にお手伝いしていた春生。

家族みんなでムーンライダーズのライヴで東京に来た時は、友達に会いに行き遅れて、仕方がないのでチケットを預かって、到着するのを会場の入り口で待っていたら、急ぎもせずにフランクフルトを頬張りながら歩いて来た春生。

何考えてるんだかさっぱりわからなかった春生。

その時はまだ宇宙人みたいだった。

大阪に引っ越す前に何度か来た時は、既に大竹野さん家が定宿になっていて、来るたびに飲んで、居候生活の半年間は、春生と毎日のように飲んで、やたら話した。

時にはお姉ちゃんのさとや、従兄弟のひろくん、藤井くんなんかも一緒に。

 

居候の朝は小寿枝さんの

「春生ー!春生ー!!」

の声で目が醒める。

この家では何かあると、小寿枝さんが春生のせいと決めつけて、朝から春生を呼びつけるのだが、当の春生はまだ夢の中で、起きてもこないし、もちろん返事もない。

小寿枝さんは何度も呼んでいるけど、そのうち出勤時間が近づいて諦めて会社に出かけていく。

春生は、そのうち起きて来て、ご飯を作って食べて出かけていく。

愛猫の小雪ちゃんとテテとテンに挨拶して出かけていく。

 

春生は相変わらずよくわからない子だったけど、とても優しい子で、実はとても賢い子だった。

たくさんのことを考えていた。

 

大竹野さんが旅立った時も、春生はずっと耐えていた。

 

第一次反抗期の旗揚げ公演は春生の作、演出、出演で、藤井くんとコトリ会議の山本くんの三人芝居だった。

春生はまだ何かに耐えていた。

でも、表現することで、何か一つ解決したような感じで、目の中に少しだけ光が戻って来たような気がした。

 

今回、久しぶりに第一次反抗期をやると聞いた。

観たいような、観たくないような複雑な気持ちと、旗揚げ公演の時には制作だったので相談もない寂しさもあった。

タイトルは「せめてもの賛歌」

 

春生はどんな賛歌を書いたんだろう。

そして誰のための賛歌なんだろう?

 

想いはぐるぐる回る。

 

観に行こうかどうか迷っていた時期に制作補佐の晴佳ちゃんから受付のお手伝いを頼まれた。

珍しく三日間空いていた。

制作チーフでもなく、炊き出しもしない現場なんて久しぶりだ。

気楽に三日間過ごした。

 

実は怖くて台本も読まないようにしてたし、観るのも千穐楽に変えてもらってたから、春生が何を書いたのかまだわからなかった。

 

うだるような暑さの中、上演中も外の受付にいると、所々セリフが漏れ聞こえて来る。

耽美くん、めっちゃ丁寧にセリフ言ってるなー、とか

一幸さん、私が観て来た渋い一幸さんではないキャラやなー、とか

小室は相変わらずすげーなー、とか

春生はなんだかハッチャケてんなー、とか思いながら、でもあんまり内容を聞かないようにしてた。

それでも耳に飛び込んで来たべべちゃんのセリフを聞いて、衝撃を覚えた。

春生、すげー頑張って書いたんだなと思った。

 

千穐楽は、客席で観ていた。

 

小室のセリフが胸に刺さる。

ところどころ、大竹野さんの芝居を思い出す。

これを観ている小寿枝さんやさとのことを想う。

そして春生のことを想う。

大竹野さんはなんでいないんだろうと想う。

 

べべちゃんの最後の長ゼリが始まる。

もう涙が止まらなかった。

終わってからも、ひとしきり事務所で泣いた。

 

大入袋を配り終わった春生が、最後の挨拶を始めた。

春生の言葉が、突き刺さる。

ずっと言えなかったことを春生が言ってくれたような気がした。

 

弟のような春生はいつしか、よくわからない宇宙人から、素晴らしい演劇人に成長していた。

 

春生、芝居続けようね。

春生、芝居続けて行こうね。

そしてまた劇場で大竹野さんに会おうね。

公演、お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

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最後の夜

2017-04-21 22:05:44 | 日記
とても見晴らしのいい、某リゾートマンションの最後の夜。

お部屋が広くて、窓際でよかったー。
四人部屋だったけど、ほんとに四人だったのは二日くらい。

ブルーレイもあるし、これでwifi繋がってたら最高だな(笑)

今回色んな方々にお見舞いに来て頂き、ありがとうございました。
気にかけて下さった方々も本当にありがとう。

結局、何も考えないでただ己の身体とだけ対話したのは、多分手術日だけで、あとはなんだかんだ仕事の事やら、これからの事やらを考えながらの日々でした。
貧乏性だな。

退院後の食事制限もほぼなく、あとは傷の痛みと、畳と階段の生活をどうクリアして行くかが当面の目標。

今回、連絡をくれた友人の一人がいま別の所で闘っている最中だと知った。
彼女の精神力と、行動力はほんとすごいなと思う。

他にも闘っている友人が何人かいる。

ほんとにみんなよくなって欲しい。
毎日笑顔で過ごして欲しい。

今宵は星に祈りを捧げて眠ろう。

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お誕生日のプレゼント

2017-04-19 09:39:04 | 日記
今年1月のお誕生日は、たくさんのおめでとうを頂いた。
珍しく、相方からのプレゼントがなかった。(お小遣いほぼないからね)
そのかわり、なんだかものすごいプレゼントを貰ってしまって、それをどうしたものかとしばらく悩んでいた。

誕生日の次の日に予告があって、次の週の月曜日に届いたものだ。

まぁ、予告の時にはすでにどんな物が届くのか予想はしていたし、それに関してたくさん調べてみたから、実際にそれとわかった時は、やっぱりこれが来たかと思っただけだったんだけど、時間が経つにつれ、本当に厄介なものだなぁと思って、しばらくナーバスになってしまって。

たくさんの人に会っておかなきゃ!
とか
ずっと会えてない人に会わなきゃ!
とか
それまできちんと仕事をしなきゃ!
とか

でもやる気のない日もあったし、
体調が悪いとネガティヴになって、
大酒を飲んでた(これはいつも通りかもだけど)

その後、その贈り物を処分すべく、先週から入院している。

入院日も病院の都合で二転三転したので、本当に無事に済むのか不安だったけど。

0.6%から2.9%くらいしかならない場所のさらに希少な場所に二ヶ所。
内科、外科、消化器内科の三つの科の合同手術となり、開けてみないとわからない部分もあり。
この時期によく見つかったと褒められた。

それもこれも、原因不明の吐き気を診てくれた、玉造のかかりつけ医の中村先生のおかげ。
普通なら、吐き気どめを出されて、様子を見ましょうで終わるのを、きちんと3日をかけて調べてくれたのだ。
胃カメラも胃の先の十二指腸まで調べてくれたので、今回の贈り物が見つかった訳で。
も一つ言うと、吐き気が続いた時に、深津が二回も夢に出て来て、これは病院行かなきゃなと思ったわけで。

あとは、相方が、きちんと受け止めて、普段通りにしてくれたので、それも本当に感謝している。

通っている立ち飲み屋では、酔っ払ってクダを巻いたので、常連の一人が募金箱を作って置いてくれている。


普段は強面の兄貴みたいな人が、わたしの代わりに泣いてくれた。

相方の家族が前回同様、全面的にバックアップしてくれた。
特にお母さんは声を聞くだけで元気が出る。
旦那の愚痴も言えるし、お姑さんではあるけれど、本当の母よりも心強い。

黙っていると辛くて、割りと周りに喋っちゃったけど、それを優しく受け止めてくれた仲間たちにも感謝。

たくさんの方がお見舞いに来てくれたり、直接連絡をくださったり、SNSでコメントをくださったり。
中々返信出来ずにごめんなさい。

今回も様々な方々に助けてもらって、なんとか生きて行けそうだ。

ありがとう。

諸々心配をおかけしておりますが、術後の経過も良く、病理検査の結果もセーフ!
最低でも一年間は検査が続くし、また自然発生するかもしれないけど、そこはまたその時に考えます。

寝返りと咳とくしゃみ、痰が絡んでいる時がまだ辛いし、面会に来てくれるみんなが面白くて笑っちゃって痛いけれど、今週土曜日に退院です。
この景色ともお別れ。


しばらくは自宅療養となりますので、誰かご飯を作りにもしくは差し入れに来て下さい。
切に切にお願い致します(笑)

病は気からという言葉はありますが、直接それを言われるのも辛かった時がありました。
でも、自分自身できっと大丈夫と思う事は大切な事だと思います。
前回もそうだったしね。
笑って生きていきたいし、そうして来たし、これからもそうしたい。
そして、周りにいる人と笑い合って生きて生きたい。

場所や程度は違えど、いまも同じ病気で闘っている、私に繋がる全ての人が、良くなりますように。

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少しずつ整理を。

2017-02-05 10:45:55 | 日記

台本をプリントアウトしている間にブログの整理をしていたら

自分で書いたことなのにすっかり忘れていたりして。

そして折々に、同じ人の話が出てくる(苦笑)

10ヶ月以上放ったらかしの時があったり(去年ね)

あははははははは。

日記、やっぱり苦手なんだ。

というより、継続することが苦手なのかも。

 

今年は本当にいい現場が続くので、ワクワク感が半端ないのだが、いま稽古中の

矢内原美邦最新作『曖昧な犬』は本当に観て欲しい作品になってきている。

矢内原美邦という天才の頭の中にはどれだけたくさんの部屋があって

どれだけたくさん出入りしても、ブレない。

隣で稽古を見ているときの幸せよ。

昨日は、何か新しい企みを思いついたような顔している瞬間があって

ゾクゾクしたぜ。

詳細はこちらでね→http://www.nibroll.com/aimai-na-inu.html

 

今日は9月に上演する『屋上のペーパームーン』の読み合わせ。

オリジナルメンバーの二人以外のキャスティングを決める日。

大竹野さんの名作を金くんがどう調理してくれるのか。

これも楽しみな現場の一つ。

 

明日からは第一主義の現場。

飲み友達の沢渡くんの劇団でオリゴ党の岩橋くんの作品です。

こちらも是非!

https://d1syugi.jimdo.com/次回公演/

 

その間に、これからの動き方が決まる。

自分と向き合って、一つ一つ大切にして行きたいな。

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二月になりました

2017-02-01 11:41:57 | 日記
あの時は、10月頃から風邪を引いて中々治らず、
歩いて5分の病院にいた隆三さんのお見舞いにも全然行かれなかった。
ようやく落ち着いて1月末にやっと、
前に久美さんが入っていたホスピスに会いに行けた。
何人かの人が会いに来ていて、
大好きなすき焼きを食べていたっけ。

ずっと笑顔で。

そのすぐ後だった。

井尻と待ち合わせしてたんだけど、その前に連絡が来て、すぐにかけつけた。
そこから、やる事がたくさんたくさんあって。
隆三さんはきっとその時もニコニコしながら見守ってくれていたのだろう。

今でもあの笑顔は忘れない。

その一年後、今度は米が旅立ってしまった。

中々会えずにいたから、やっと会えた感じだった。
米もいつも笑顔で。

もうすぐ井尻がお母さんになるんだよ。

時間はやはり過ぎて行く。

でも、でもね、やはり二人の笑顔は忘れない。

その声も。

私も、そうなった時に、ずっと笑顔でいたいなと思う。
みんなに笑顔の私を思い出して欲しいと思う。

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