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朝、こふくの死を知る。
日付が変わって寝ようと思ったとき、リビングにいたこふくに挨拶をした。
2日続けてOBのところで寝たいということだったから、意向があれば連れて行こうかと。
でも、もうそんな力はなかったようだ。
「また明日ね」ということで部屋に戻って寝たのだが、朝、OBがこふくの訃報を告げた。
ソファに寝かされたこふくはきれいな顔をしていた。
心配していた発作が起こることもなかったんだろう。
手慣れた様子で箱を用意し、こふくを寝かせたOB。
好きだった餌や、エモノとして加えていたものも入れた。
OBが何やらゴージャスな花を入れて、棺は完成。
もろもろ考えると、すぐにでも霊園に運んだ方がよかったんだろうけど、そんな気になれず。
霊園の受付ギリの時間に行こうということにし、こふくにはリビングで休んでもらった。
毎日通院と言われていたので、OBは医者さんに電話。
かなり丁寧にこふくの死を伝えていた。
午後、その電話を受けて、医者さんから花が届いた。
夕方、OBと一緒にこふくを霊園に送って行った。
明日には空に帰る。
そして、骨ーズ新メンバーとしては、週末に加入の予定だ。
こふくは、尾黒のライバルだった、覆面という猫(深めの八割れ)に似てることから名づけられた。
最初に姿を見せた時は、結構人懐っこかったらしい。
(人懐こい姿を僕は記憶していないのだが)
その後ぱったりと姿を見せなくなり、次に現れた時には、片目を白濁させていた。
そして、人を恐れるようになっていた。
だのに無理やり捕まえられ、医者に連れていかれ、点眼の刑に処せられたもんで、対人についてはかなり頑なに。
避妊手術の際に、小さな命を奪ってしまったことも人間不信に拍車をかけたかもしれない。
その後は忍者猫として暮らし始めたが、徐々に猫とは打ち解けた。
で、ここ最近になって、ようやく人間にも慣れてくれたようだった。
こふくが病気になっても何もできないな…という状態から、投薬、輸液できるかでになった。
最期が近づくとOBの膝に乗ったり、亡くなる直前にはOBと一緒に寝ていた。
こふくと言えば、鼻が黒くて、「奇跡の柄」と称していた。
なかなかの美人なのに、そこがご愛敬で、僕は好きだった。
時折毛糸のマットや、スリッパ、バスタオルなどをくわえて「あお~あお~」と鳴きながら運んでいた。
巣作りしたかったのか、獲物を自慢していたのか。
僕のそばに置いて行ったりもしたので、僕のことを養おうとしていたのか? とも思ったりした。
NHKの動物番組で小鳥を見るのが好きで、番組のOP曲が流れるとテレビの前に鎮座していた。
そんなんが思い出かな。
これは先日のババ孫クッキングの際に姪が獲った写真。
つい先日のことなのに、急に…だったな。
何もしてやれなかったなぁ。
こふくの不調をここに書いてから、応援のメッセージをいただいたりした。
ありがたいことだ。
そんな声を背に、頑張ってくれたんだと思う。
賢いいい子だった。
朝、こふくの死を知る。
日付が変わって寝ようと思ったとき、リビングにいたこふくに挨拶をした。
2日続けてOBのところで寝たいということだったから、意向があれば連れて行こうかと。
でも、もうそんな力はなかったようだ。
「また明日ね」ということで部屋に戻って寝たのだが、朝、OBがこふくの訃報を告げた。
ソファに寝かされたこふくはきれいな顔をしていた。
心配していた発作が起こることもなかったんだろう。
手慣れた様子で箱を用意し、こふくを寝かせたOB。
好きだった餌や、エモノとして加えていたものも入れた。
OBが何やらゴージャスな花を入れて、棺は完成。
もろもろ考えると、すぐにでも霊園に運んだ方がよかったんだろうけど、そんな気になれず。
霊園の受付ギリの時間に行こうということにし、こふくにはリビングで休んでもらった。
毎日通院と言われていたので、OBは医者さんに電話。
かなり丁寧にこふくの死を伝えていた。
午後、その電話を受けて、医者さんから花が届いた。
夕方、OBと一緒にこふくを霊園に送って行った。
明日には空に帰る。
そして、骨ーズ新メンバーとしては、週末に加入の予定だ。
こふくは、尾黒のライバルだった、覆面という猫(深めの八割れ)に似てることから名づけられた。
最初に姿を見せた時は、結構人懐っこかったらしい。
(人懐こい姿を僕は記憶していないのだが)
その後ぱったりと姿を見せなくなり、次に現れた時には、片目を白濁させていた。
そして、人を恐れるようになっていた。
だのに無理やり捕まえられ、医者に連れていかれ、点眼の刑に処せられたもんで、対人についてはかなり頑なに。
避妊手術の際に、小さな命を奪ってしまったことも人間不信に拍車をかけたかもしれない。
その後は忍者猫として暮らし始めたが、徐々に猫とは打ち解けた。
で、ここ最近になって、ようやく人間にも慣れてくれたようだった。
こふくが病気になっても何もできないな…という状態から、投薬、輸液できるかでになった。
最期が近づくとOBの膝に乗ったり、亡くなる直前にはOBと一緒に寝ていた。
こふくと言えば、鼻が黒くて、「奇跡の柄」と称していた。
なかなかの美人なのに、そこがご愛敬で、僕は好きだった。
時折毛糸のマットや、スリッパ、バスタオルなどをくわえて「あお~あお~」と鳴きながら運んでいた。
巣作りしたかったのか、獲物を自慢していたのか。
僕のそばに置いて行ったりもしたので、僕のことを養おうとしていたのか? とも思ったりした。
NHKの動物番組で小鳥を見るのが好きで、番組のOP曲が流れるとテレビの前に鎮座していた。
そんなんが思い出かな。
これは先日のババ孫クッキングの際に姪が獲った写真。
つい先日のことなのに、急に…だったな。
何もしてやれなかったなぁ。
こふくの不調をここに書いてから、応援のメッセージをいただいたりした。
ありがたいことだ。
そんな声を背に、頑張ってくれたんだと思う。
賢いいい子だった。