あじちゃんのぼやき。。

ぶつぶつ。。思うままに。。

実は。。

2020-05-24 05:35:10 | Weblog

日曜日~

今朝は9.3℃

日中は12℃

マーク

今は霧雨です

 

 

 

 

実はですね。。

姉が急死しました・・・

姉は10年以上前から整形的な病気

腰、首、腕と何回も手術入退院を繰り返し

糖尿病も患い

昨年から心臓疾患も患いました

今年になって2回心臓で入院

今月8日に退院して調子がいいって言ってました

コロナのせいで姉のところに行くこともままならず電話だけでした

 

午前中に私のクリニックで薬だけ出してもらうように頼んであったので

10時頃行こうと思っていたらスマホが鳴って。。

ゴミ収集車の人からでした

姉はアパートの2階で玄関前に出したゴミは収集車の方が持っていってくれてるんです

数年前も電話があって玄関は鍵がかかってるし何日もゴミが出てないけどって電話がありました

その時に安否確認で声かけしてくれてるそうです

そしたら22日はゴミは出てるし鍵も開いていて声かけたけど返事がないって。。

連絡先が私になっていたのでね。。

その後私も何回かかけても出ないしかかってもこない

なんか胸騒ぎがして。。

旦那がたまたま事務仕事で家に居たので一緒に行ってもらうことにしました

 

車で5分くらいのところに住んでいるんですけどね

部屋に入るとテレビの音はしていてベッドにいつものように寝ている姿が見えました

「寝てるんじゃない?」って傍に寄ったら。。

顔面蒼白。。唇も紫に。。

声をかけても反応なし。。

救急車をすぐ呼びました

119番では「とにかく救急隊が着くまで頑張って心マやってください」って

旦那がやってくれてました

 

姉はまだ温かくて首の辺りに汗をかいてたって旦那が言ってました

まもなく救急隊到着ですぐに心マの機械を取り付けて。。

初めて見たけど今の心マの機械ってすごいです

ストレッチャーに乗せても運んでいても休むことなくトントンと・・

おにーの部署だったけどおにーは非番だって言ってました

 

すぐにこの間まで入院していた病院に搬送されて。。

救急車には私が乗りましたけど中では絶えず機械や注射とか休むことなく

救急隊の人が頑張っているのを見て。。

不謹慎かもしれないけどおにーもこんなふうにやっているんだって思いました。。

 

病院に着いてすぐに蘇生をしていたけど先生が「やめると止まります」って・・

で。。前に入院したときに主治医に「今度何かあったときは延命は望まない」

と姉が言っていたそうでどうしますか。。と・・

兄がまだ到着していなかったのでそれまで待ってもらって。。

あっけなかったです・・

 

最後に話したのは8日に退院して調子がいいって言ってたんですけどね。。

コロナのせいで会いに行くのは控えていたので気にはなって電話しようと

思った矢先の出来事でした

 

ただ。。

姉は一人暮らしでヘルパーさんが来ていたりしていたけど調子が悪くなると

自分で救急車を呼んでいたんです

22日に行ったときは携帯は枕元にあったし普通に横をむいて寝ているいつもの姿でした

なので想像だけどゴミ出しに玄関まで行ってベッドに横になってすぐじゃないかな。。と・・

見た限りでは苦しんだ様子はなくグッときたんじゃないかと思うことにしました。。

 

糖尿などのせいで手術は出来ないって言われてニトロとかでていたみたいですが・・

死因は「心不全」

最後の電話のときに「こうやって死んでいくんだわ」って言葉が頭を過ぎります

 

 

それからがまた大変で。。

姉は生活保護を数年前から受けていました

誰にも迷惑かけたくないと。。

一人息子は札幌近郊に住んでいて何かあったら息子がやるとは言っていました

なので保護を受けてるので私らが勝手になにもできません

市役所に連絡して息子に連絡とってもらいそれに従うしかないんです

 

息子は今は単身で東京に住んでるとのこと。。

コロナの影響ですぐには行けないので生活保護の基準にのっとったやり方でお願いしますとのこと。。

息子がそう言うなら仕方ないです

ただ。。

保護を受けてる人はお通夜もお葬式も戒名もなし。。

火葬してそこで終わりです

複雑だったけどとにかく息子(甥っ子)と連絡を取らなければと。。

私も30年くらい会ってないし連絡先も知らなかった

姉に一度聞いたら「迷惑かけたくないから」って教えてくれなかったんです

 

夕方にやっと連絡がついていろいろ話したら

「どうしていいかわからなくて」と・・

何回か連絡取り合ったけど

そして考えていた以上にしっかりしていて今後の手配も話しがまとまり安心しました

アパートの片付けのことが一番悩んでいたので。。

それもこれも全て自分がやるとのこと

来週来るのでそれまで姉のお骨は兄が預かって来たときに納骨することに。。

そしてお嫁さんと子供さんとお嫁さんのお母さんが火葬に立ち会うって・・

戒名や法要はイトコの坊さんがやることになりました

 

コロナの影響で家族葬が多いですし姉もそんなに知人も居ないので

家族葬でした

とにかくあっという間の出来事で頭は混乱するし。。

薄情かもしれないけど悲しんでるヒマもなかったです

 

姉と兄とは私は異父兄弟なんです

小さい頃から姉は私に対してひがみのような感情を持っていたみたいで

大人になって私の縁談話がきっかけで親子げんかが勃発。。

母や父の葬式にも参列しませんでした

もちろん私も疎遠になっていたけど旦那と結婚してから

旦那が「なにがどうだかわからないけどせっかく血をわけた姉妹なんだから

    いがみあうことないべ。お互い悪いんだから」

って言われてそれから少しずつ関係を取り戻し一緒に旅行にも行くまでになりました

ただ私の心の隅には「どんな事情でも親の葬式にこなかった」ってことが許せなくて。。

母も亡くなるまで「○○のことは絶対許せない」って言っていました。。

それでもどんどん酷くなる姉の姿を見て母のお墓参りには

「もういいかげん許してあげて」って言ったもんです。。

 

姉は勝ち気な性格でとにかく人ともめます。。

息子たちとも何があったかわからないけどここ数年疎遠になっていました

でも息子は「それでも母親だから自分がやる責任がある」と・・・

 

 

火葬場で初めて甥っ子のお嫁さんと娘さん2人、お母さんと会いました

娘さんは高校生と中学生でびっくりするくらいその頃の甥っ子にそっくりで。。

お嫁さんも感じのいい人だったしお母さんも良かったです

火葬している間 離れて座って昼食をとりながらいろいろ話しました

甥っ子の小さい頃の話しとか。。

姉のことなど・・

話せて良かったです

 

終わってから一度姉のアパートに戻り姉にお別れをさせるためにね

兄と少し片付けたりして姉は兄のところへ。。

もう戻ることのない愛着のある部屋とのお別れでした

形見にしたいものも見あたらないし持って帰ったとしてもどうしようもないしね

ただ。。アルバムが見つからなくて。。

それはとっておきたいです

甥っ子が来たらまた探してみようと思っています

 

 

そんなわけでお互いいろいろ思うところがあった姉妹ですけど

居なくなると寂しいです

でもこれであの首やら腕やら腰やらの痛みや不自由さや

心臓の苦しさがなくなってすっきりしてるだろうって思ったら気がラクです

イトコたちがお金を出してくれて棺桶の中は大好きなお花がいっぱいでした

姉には「あっちに行ってもお母さんとケンカするんじゃないよ」って言いました

性格的に母と姉はそっくりでした

 

 

 

そんなことがこの2日間のできごとでした。。

長々とありがとうございます

明日からは通常なブログに戻りますね!!

 

 

 

コメント (20)
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