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猫のこと、走ること、その他

3/25~3/27 停電の日々 その2

2011-03-28 23:31:34 | 自然災害

3/25(金) 仕事を終わらせて駅に到着するとわが街は停電で真っ暗(@_@;)

「そうだ今日は停電の日だった」とやっと思いだした

ラジオは購入したものの電池はないし、冷蔵庫にはガスで温めて
食べるものもない。

2軒のスーパーは閉まってるし、コンビニもやっていないみたいなので
蕨まで戻ってお買い物。

給料日だったし、作る気力もなくなったので
お寿司を購入して、真っ暗なマンションの階段を上って、
月の光で鍵を2本の鍵を見分けてドアを開ける。

ニャンズに「ただいま~♪」とか言いながら
手探りでヘッドランプを探して、

「さてスイッチを入れましょう!」と思ったら、

「バチッ、バチッ、バチッ」と音がして電気がいきなりついた。

「いったい、私は何をしていたのだろう?」と正直思った。

そして、お寿司の匂いによってきたニャンズを交わすため、
サイエンスダイエットの猫缶を開けて先に食べさせてから
ぼ~っと食事。

やっと1週間が終わった。

3/27(月) 第2グループだけ午前中に停電していたみたいだ。

会社に行ってからなので、帰ってきてからお風呂の
時計が消えていて気づいた。

明日は中止らしい。

やっと、ラジオの電池や通勤用の懐中電灯も入手できて、

「これで停電も快適!」と思ったのに

「いったい私は何を準備したのだろう???」とまたしても思う。

被災地の方に比べれば幸せな悩みだ。

けど、日々首をかしげてしまうこの頃です


3/26 福祉村ドヨレン

2011-03-28 23:16:16 | 大袋走友会 福祉村ドヨレン♪

3/26 5:45起床で7:00に家をでて福祉村に向かう。
途中の川を北上してるときに風が強いことに気づく。

集合場所に行ってすぐにすでにJOG1周を済ませた
路の途中さん、Bowstringさん、ねもっちさんと合流して1周JOG。

その後、路の途中さんと1キロのインターバルを5本することに。

1.4:26
2.4:29
3.4:28
4.4:32(ここは風が強くて下がったのです。言い訳だけど
5.4:28

1キロの半分以上が向かい風と横殴りの強い風という
最悪のコンディションでしたが何とか5本終了。

1人だったら3本で終わったかと思うけど、
30秒くらいタイムは違いましたが路の途中さんとご一緒できてよかったです。

ありがとうございました。

その後は、路の途中さん、BowstringさんとJOG1周をして
ねもっちさんも含めて、みなで解散しようとしたら
○すがさんが登場。

あまりに寒いので頭の中は帰ることしかなく、
ハイドレ背負って帰宅準備の格好で半周だけJOGを
ご一緒させていただきました(;_:)

逃げ帰って申し訳ありませんでした


3/20 大袋シティマラソンに参加しました(^_-)-☆

2011-03-22 23:18:59 | 大袋走友会 福祉村ドヨレン♪

3/19のドヨレンは、朝5:45に起きたものの(ホントです)
JR東日本運行情報で武蔵野線を探しているうちに
何だか疲れてしまい自主トレにしてしまった

3/20は駄馬さん主催の大袋シティマラソンに参加して
勝手にLSD30キロの部 8:30頃スタート。

P3200025
主催者の駄馬さん。大袋一番の美脚です♪

P3200023
Bowstringさん、脚をお大事に(^_-)-☆

P3200024
大袋セクシー度No.1のジェームスさん!
(*その他写が撮れなかったみなさんゴメンナサイ^^;)


種目は各自それぞれなので優勝も狙えました

8:00からフルマラソン・10キロはスタートだったので、駄馬さん、路の途中さん、ジェームスさん、Bowstringさん○田さんはすでに走っていました。

私はというと、福祉村までJOGで行って距離を前倒して、
マゾさん、鈴智さんと走る支度を。

1周目は鈴智さんと走っていただき、
3周ごとに給水しながら6分前後でゆっくり30キロを目指しました。

その後、同じ大会にエントリーしていながらなかなか
お会いできなかったマーキュリーSさん(5,000m×2)、
○すがさんも登場。

最後はHさん、スッチーさん、31番さんもきて、
1人ゆっくりと走っているものの
うしろから声をかけていただいたり、
併走していただいたりで飽きることなく
30キロを走りきることができました。

皆様ありがとうございました(^_-)-☆

地震後、私が3月~4月に申し込んでいた大会は
すべて中止になりました。

モチベーション0なので、しばらくは脚を休めて、
心を休める意味で福祉村の裏シリーズを楽しみたいな♪
と思ってます。

色々あって皆さんにたくさんのご心配をかけてしまいましたが、
2007年に

「ここから先は少し頑張って走ろうかな?」

と思った地点にもう一度戻るととももに、
今でも変わらぬお付き合いをしてくださっている方々に
感謝しながら、走っていきたいなと思っています。

ありがとうございました


3/12-3/17までの日々

2011-03-17 22:30:33 | 自然災害

12日(土)・13日(日)

前日の疲れ、また、羽生が中止になったことの脱力感もあって、
起きれないし、走る気力もなかったので練習
は珍しくお休み。

そして、14日(月)

1週間がはじまる。

いつも通り7時に起き、TVのスイッチを入れたら、
交通情報がガンガン流れている。

京浜東北線は、赤羽からしか動いていないし、
高崎線も埼京線も動いていない。

「自転車でどこかまで行こうかな?」と思って上司に電話すると、

「判断にまかせる」という返事。

「じゃ、行かなくてもいいの?」とは思ったものの、

気になる仕事があるので「何とか行かねば」とネットと
TVを交互に見る。

8時過ぎにようやく埼京線が動き始めたので、
歩いて武蔵浦和に行って赤羽から京浜東北線に乗れた。

赤羽では入場規制をしており、最初に並んだ際は一番後ろだったけど
始発なので一旦降りて、ちゃっかり次の電車に乗って座る。

途中の日暮里あたりで人が押し寄せ新橋まではぎゅうぎゅうに
混雑していた。

そして、会社について得意先に電話し、11日の話になると
車で帰ったらしいのだが、

「都心が動かないので、家についたのは朝の5時でした」と担当者
が言っていた。

歩いたほうが早かったのである。

この日は、必要な仕事を済ませると電車がまた止まるのが怖いので
「帰って良いよ」と言われたので5時前に会社をでる。

15日(火)

電車は動いていたものの、
今度は福島原発が爆発!東電の計画停電!

急ぎの仕事は事情でストップになったので、それまで
ストップしていた仕事をして、きりの良いところで帰ってきた。

帰ってくると、正面のM百貨店が暗いが、いつものスーパーは
あいている。

「あ~停電じゃないんだ」と思いながら家に。

そして、走りに行こうかな?と思って着替えて出ようとした矢先に

「走らないほうが良い」とのアドバイスが入る。

内心、どうしようか?悩んでいたのだけど

「やはり」と思ってあっさりやめた。

というのは、福島原発の爆発が気になっていたからだ。

政府や専門家が色々言っているけど、
柏崎も最初の甘い見通しから、どんどんヒドイことになったし、
やはり信じられない。

「健康あって走れる」わけなのだし、大会も中止になって
いるので少し様子をみたいかな?

で、昨日16日(水)

計画停電も気になったので、会社を4時ごろにでて帰ってきて
スーパーが閉まっていたので、M百貨店で買い物を済ませて
帰る途中でお隣のお父さんとスレ違い

「今、停電だよ~。1時間くらい経ったかな?」と
教えてもらう。

なので、すぐさまM百貨店に戻って、
暖かい主食類を買い直しする。

家に着いたのはたぶん5時30分ごろ。
少し暗いものの、日はまだ残っていた。

ハセツネで使用のヘッドランプと、埃をかぶっていた
キャンドルスタンド・キャンドルを用意すると
暗さが増してきたので、さっそく火を燈した。

P3160015
心にも灯りを燈さないとですね!

TVもつかない、エアコンもつかない、
ラジオもない。

ヘッドランプとキャンドルの灯りで
黙々と買ってきたトンカツ弁当(これしか残っていなかった)を
食べていると

「1人の長い停電は苦痛だな~」と思わざるを得なかった。

そして、本日17日(木)

電車は快適に動いて、停電が心配なので
またまた早めに家に帰る途中でラジオを購入しようと
家電量販店に立ち寄る。

購入する寸前で店員さんに

「これは電池はついてますか?」と聞いたら

「ついていませんし、在庫もないんです」と言われ、

初めてスーパーやコンビニの電池が売り切れになっていた理由と、
そのラジオが売れ残っていた理由を知る。

遅い。。。

家に帰ると、停電の時間まであと30分。
急いで食事の支度をしたのだが、夕方からの停電は中止のようでほっとした。
Photo
雪ちゃんもダラ~ン

Photo_2
「アンタ緊張感ないの?」と見つめるリッチ!

明日からはまた電車が少ないみたいで気がかりかな?!

ま、今週もあと1日。

被災された方に比べれば何ともないと
思って頑張ろう!

という1週間でした

まだまだ、続くのだろうか???


3/11 東北地方太平洋沖地震の当日編

2011-03-16 21:29:59 | 自然災害

3/11に会社でPCを前に仕事をしていたら
いきなり揺れ始めた

だんだん揺れが激しくなり、机の引き出しがなぜか?開き、
そして、ハードディスクの上に積んであったCD-ROMが飛んできた

揺れが収まったときは、ただただ呆然

しばらくすると、また揺れてその揺れがおさまったときに
窓から外を見たら、交差点の真ん中に人が10人くらいたっていて、
前のビルは横にユラユラ揺れていた。

打ち合わせで外出した上司も心配して帰ってきたが、
外から見える他のビルの揺れには相当ビビったらしい。

夕方になり「帰れなかったらTプリに泊まれば」とは言われたものの、
部屋などあいていよう筈がない。

19時ちょっと前にFMのニュースで

「JR東日本全線運転取りやめ」というニュースを聞いて

「サウナがあいてたらサウナに泊まろう。ダメだったら歩きかな?」

って感じで会社をでる。

烏の森通りは人がいっぱい歩いている。
すでにビジネスホテルは満杯でOLさんグループが肩を落としていた。

そして、サウナは電気がついていないので通り過ぎてしまった。

「あれ?」と思って引き返すと、
どうも停電みたいで営業をしていないみたいだった。

「もう歩くしかない!」

まずは、コンビニに行って食料と飲料を調達。
すでに、おにぎりやパンはない。

ワッフルとかを3つ買って皇居に向かう。

新橋の駅を見ると電気を消した京浜東北線と山手線が
構内に止まっていて少し不気味だった。

皇居に向かう路も人であふれていて、なかなか前に進まない。

不幸中の幸いで、普段はブーツで通勤しているのだけど、
この日は足のアーチが気になってジョギングシューズに
インソールを入れて履いていた。

皇居につくと、帰宅難民のラッシュ。
ヘルメットを被って会社の仲間と話しながら帰る人、
黙々と歩く人で凄い人。

道路のほうは、車の大渋滞。
どう見ても歩いたほうが早い。

白山通りに入っても人は途切れない。

春日のあたりで金寿司のおやじさんのところに
よりたかったけど、ご迷惑かと思いそのまま通りすぎる。

このあたりからトイレにいきたくて
mini stopによったのだけど、

「トイレは貸せません」と断られた

我慢して巣鴨前後でまたam pmによった。
そしたら、また断られた

「あ~、トイレ難民だ~!」と思ったら、
いきなり公衆トイレがあったので助る。

巣鴨を越えて少し人が減ったかなという感じだったけど、
帰宅ランをしたときには人の気配を感じないところなのに
まだまだ、たくさんの人が歩いてる。

中には白い杖をついたご夫婦や赤ちゃんを連れている
若いお母さんもいて、とても気の毒だった。

また、普段スポーツなどしていない方はよほど辛いのか?
途中に座り込んだりしている方、途中の信号でストレッチする
人などが多数いました。

板橋に入ると、

都営線が動いたので3駅ほど乗って
志村3丁目で下車して、R17を探す。

駅前で地図を見たのに、あさっての方向に進んでいて
途中で前を歩いていたサラリーマンに路を聞いて逆に歩いて
いたことを知る。

環八にでてR17を見つけて、いよいよ戸田橋。
この橋を渡れば埼玉なので、色んなところから難民が合流して
橋の上はまたまた渋滞。

でも、もう10キロは切っているので足も軽い。
戸田~蕨を過ぎてやっとさいたま市に到着。

時刻は23時30分 約19キロを歩いて、

ファミリーマートでビールとおつまみを購入して帰宅して、
何事もなかったように走り回るニャン2と再会できました

帰宅するまでは家に帰ることしか考えていなかったけど、
TVを見て地震の大きさに愕然とした。

一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。

続く。。。