25歳で故郷を離れて、ずっとあちこちの土地で暮らして来た。
新しい方言や標準語に慣れて、自分が生まれ育った方言が使えなくなった。
言ってる事は理解出来ても、自分の口からはその方言がいつの間にか出て来なくなって話せ無くなった。
四半世紀経って、浦島タロコは故郷でまた 暮らし始めた。
故郷は、親の生き様も含めて「知らない土地」になっていた。
土地性や方言、新しく出来た道路にナビを使い(笑)、馴染むのに時間が掛かった。
あれからもうすぐ18年が来る。
方言を思い出し、今ではかつての土地とのミックスブレンドの方言を使ってる。
「まぁ まかせときんさい!大丈夫じゃけー」「えーが!えーが!しょわねぇ!」
広島弁と岡山弁です ^_−☆
直訳すると「大丈夫よ💕 心配無いわ💕」
こんな言葉を喋りながら 日々を送っている。
そして、ここに帰ってきた時の親の年齢に近くなって来た。
やっと、老いを感じ、世間の辛苦を舐めてきた親の気持ちを理解出来る歳になって来た。
あの時の親は、老いながらもまだ若さが有った。まだ自立もしていたし、子供に与える物も、心も持っていた。
子供達もそれぞれに結婚し、それぞれにそれなりの生活が出来上がり、親としての務めも終わり、自分達の黄昏時を謳歌していた時期だったのだ。
時代も良く、自分達の欲しい物を揃え、したい生活をし、人生を謳歌していたのだと今は思える。
今は90歳を迎え、人の手が無くては日々を送れない身体になってしまったが、それでも日々暖かい恵まれた環境で過ごしている。
最近、私は自分が黄昏時期になったと思う。
夫婦2人、喧嘩も減り犬猫を相手にのんびりと暮らしている。大層な贅沢は無理だが、暖かい家もあり、食べ物もあり、時にはプチ贅沢も出来ている。永く穏やかな日々が続く事を祈るばかり。
先日来、NHKの首都直下型地震のテレビを見るにつけ、地方に棲む身としてはあそこ迄の災害にはならないにしても、我が子、孫が棲む首都圏。どうか災害が来ません様に! 台風災害、大雨災害が来ませんように! 祈るばかりです。
地球が壊れて行ってるんですものね。
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