7月6日(土)に北九州で開催された「7.6城臺美弥子さんと語らう夕べin北九州」が毎日新聞に載りました。
まだ読んでおられない方はぜひご覧ください。
講演:被爆体験、核を否定 長崎の城臺さん、原発再稼働も批判−−小倉北 /福岡
毎日新聞 2013年07月09日 地方版
◇「平和とは、家族とごはんを食べ安心して眠れること」
長崎原爆の被爆者、城臺(じょうだい)美弥子さん(74)=長崎市三川町=の講演が6日、小倉北区であり、30人の参加者が城臺さんの話に聴き入った。
城臺さんは6歳の時、爆心地から2・4キロで被爆。祖母と実家にいて白い閃光(せんこう)が目に飛び込んできたのを覚えている。城臺さんの友達は被爆後、次々に亡くなったが、城臺さんは生き残り、語り部を今も続けている。
自家製の被爆地図やスライドも交え、空襲警報と戦中に歌われた「勝ち抜く僕等少国民」の歌を流し、防空頭巾をかぶって戦時体制を“再現”。小中学生に「平和とは、家族と一緒にごはんを食べ、安心して眠れる日常の暮らしがずっと続くこと」と伝えていると語った。
城臺さんは自民党改憲草案の「国防軍」に嫌悪感がある。「軍隊が何をしたか。軍隊も戦争も知らない連中が先制攻撃をしようと考えている」と批判。2世、3世議員の勇ましい発言を危険視している。
また、原爆投下を「しかたなかった」とする主張には「いかなる場合でも核は使ってはならず、核と人類は共存しない」と断言。日本政府が2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた4月の準備委員会で核兵器の非人道性を訴える共同声明に署名しなかった判断を強く批判した。
東京電力福島第1原発の事故が起きるまで城臺さんは原発の危険性について鈍感だったと打ち明けた。「再稼働して経済が良くなっても放射性廃棄物をどうする。被爆者として一体、何を伝えてきたのか。原発は兵器ではなかったが、同じ核だった」と話した。【林田英明】
〔北九州版〕