take your own way...

気の向くまま、心の感じるままに・・・

オーストラリア・旅の記録・・・ウルル/ 手塚様 二日目①

2010年07月31日 | お客様・旅日記・オーストラリア
手塚様親子の旅の記録です。前回からの続きですのでお楽しみください。



【2日目・大晦日】
5:30薄明るくなり目覚め、シャワーを浴びそそくさと出発準備をする。
まだ涼しい空気の中、東の空がオレンジ色に燃え、潅木の間から朝日がのぞく。今日はどんな一日になるのだろう。大好きな時間だ。
暖機を終えスチュアートハイウエイを南下、少し遠回りをして100kmほどダートを走る予定だ。潤はしばらく後ろのベッドで寝かせながら走る。さすがに私と同じ睡眠時間では体が持たないだろう。

140km走行した所で西へ、アーネスト・ジルスロードに入る。未舗装でラフな部分やワインディングもあるが、道幅は広くおおむね平坦だ。安全に注意してだいたい80~100km/h位で巡航する。硬い赤土の路面は、おおむね砂利道と同じ位の感覚だろうか。
車は快調だ。スピードメーターが200kmまでなのと、サブバッテリー用にアイドルアップスイッチがある他は、インパネもスイッチも国内仕様と同じなので操作に戸惑いはない。もともと車体は乗り心地重視の設計でないし、架装もあるので振動は大きく、ガタピシとそこら中激しくキシミまくっているが、エンジンはスムースで吹け上がりにも余裕がある。

こういうホコリっぽい所を走り回る場合は、地面から少しでも離れて清浄な空気を取り入れられるシュノーケルは、必需装備なのだろう。
赤くまっすぐなダート、激しい振動音、バックミラーには通過した瞬間から立ち上がる、赤く大きな砂煙で後ろは見えない。

「おー、いいねぇー。」その景色はどこかで体験した事があるが、オーストラリアで車を運転した事はない。・・・運転しながらぼんやり記憶をたどり思い出した。

・・・それはTV画面の中に見た、あの光景だった。



そういう劣悪な環境でも潤は、振動の中で何事もないように眠っている。脳みそが混ざらないか少し心配だが、頼もしい限りだ。(笑)
まもなく「ん?・・・メトロライト?・・・クレーター・・・?」の看板を見る。よくわからないが、なんだろ~?と興味津々に寄り道を決める。

5kmほど走るとレストエリアと共に現れたのは、なんと本物のクレーターだった。宇宙からの隕石が衝突して出来るあれだ。
直径150m位だろうか、規模が小さいがゆえに全景を見渡すことが容易だ。息子を起こし二人で驚きながら周囲を歩いた。「すげ~!!」こういうシーニック・ポイントには必ず絵入りの説明ボードがいくつかあるので、見ているとだいたい何が説明してあるか想像できる。
大抵の場合、こういうものは自然環境や人間の手などで、消滅してしまうのが通常の流れなのだろうが、現存できたのは、数百km以内に人間が住んでいないという地形も幸いしているのだろう。
過去の気の遠くなるよう前に起きた宇宙の営みの、その痕跡がそのまま残っているという事実に驚く。

再び走り続け、「フィンクリバー・4WDルート」の入口に近づく。
その道にとても興味があった。一台や子供と二人では危険だと言われ、レスキューに4千㌦の、あの道である。
「・・行こうぜ。」せっかくなので大丈夫な所だけ、入ってみる事にした。(笑)
地図では全行程でも100km程しかないのだが、現地で貰った地図にも「ローカルアドバイスと注意が必要な道、最深部分はレンタル車進入禁止」として載っていた。(帰国後の資料整理で気づいた)

荒れた道を20kmほど入った場所にグリット(動物は通れないゲート)があり、その近くに道の説明ボードがあった。
ん?中央付近に弾痕がある。走りながら退屈しのぎに狙うのだ。(笑)
オーストラリアの一般社会に銃は無い事になっているが、奥地のこういう看板などでたまにその存在を感じる。
その看板をよく見ると「一台では入るな。増水に注意して、通れる時だけ行け」と書いてある。ルート図を見て、なぜ容易にスタックするのか理解した。



・・・河を交差しながら走る道なのである。恐らく、何度も渡河があるが当然のように橋はないし、川底を通ったり、横切ったりする部分があるだろう。こういう内陸奥地の川に通常、水はない事が多い。何年も枯れたままの時だってある。雨季やまれに雨が降った時だけに水が流れ、その流れは低地に流れ込み、水たまりが蒸発した後に成分の塩分などが残り塩湖になる。

乾いた川底は一見、歩いてみると平坦だし硬く締まって走り易そうだが、川砂の堆積なので自動車の重みでタイヤを空転させたりすると、あっさり掘れる。そしてその層は自動車のタイヤよりはずっと深い。ハッと気づくと、そこは大きなアリ地獄の真ん中だったりするのだ。
水が流れている時には柔らかい砂は流されて、底は締まっている場合が多いが、それでもまず、最初に自分が歩いて安全に渡りきれるか確認する。それが出来ないような所は、怖くて車など入れられない。

小さな塩湖をいくつか通過し、ゲートからさらに10km位入ったあたりで砂が深い所が目立ち始める、だいたい2WDでスタックする位。「お父さん、引き返そう。」潤の表情がだんだん不安に曇る。
潤とは日本で何度か一緒にスタックを経験しているので、彼はセルフリカバリーグッズを装備しない重量級のランクルが単独で深刻にスタックすると、どうなるか知っている。
まだまだ行けるが、今日の行程も考え引き返す。夕方までにあと35Okmは走らねばならない。
恐らくここが、今回の旅で一番の奥地になるだろうし、再び訪れるかもわからない。彼のアドバイスに従い空いたペットボトルに路肩の赤い砂を詰める。夏の甲子園球児はこういう気持ちだろうか。(笑)

寄り道も含め150kmほどダートを走ったのち、ラスターハイウエイに出てひたすら西へ走る。低い潅木しかないので景色の見通しはよい。数百km間隔でロードハウスがある他に人の気配はない。時間優先で快調に飛ばす。マウントコーナーが見えてくると、エアーズロックまではもう一息だ。

途中道端のレストエリアで小休憩。東屋の日陰でパンをかじっていると、ランクル80が大きなキャンピングトレーラーを引いて入ってきた。なんと後輪が2軸で6輪!どこでも走れそうだ。荷台はパネルバンに改造されている。日本の改造車の感覚は遥かに上回る。トレーラーには日本メーカーの「Daiwa」の大きなロゴ文字。釣りをしながら旅しているのだろう。
これから私たちと同じ、エアーズロックに向かうと言う中年の夫婦だった。

オーストラリア・旅の記録・・・ウルル/ 手塚様 到着初日②

2010年07月30日 | お客様・旅日記・オーストラリア
さあ まだまだ続くよ。 手塚様の旅の記録は画像の下からね。



今日は道に慣れるために長い距離は走らず、明日の朝出発する。
ジュリアから「夕方には裏山からブラック・ワラビー(小型のカンガルー)が遊びに来るわよ。」と聞いていたキャラバンパークにチェックインし、街に戻りスーパーで食料など買出しをすませ、明日の準備をする事にする。

街でスーパーに入りたいのだが、駐車場の入り方がわからない。(笑)交差点のラウンドアバウトもタイミングを外しぐるぐる回り続けて、ちびくろサンボのトラのようにバターになりそうだ。
挙動不審にぐるぐる何度も自分たちの前を通る、東洋人が運転するレンタカーを、店先のベンチに腰掛けた爺ちゃん達が不思議そうに眺めている。文字通り額に玉の汗である。(汗)

スーパーに入り、とりあえずトイレを探す。やっと見つけて、入ろうとするとスタッフに制止された。どうやら有料らしい。二人で1㌦。しかも間が悪いことに車に財布を忘れてしまった。しかたなく潤に借りるが、彼自身のオーストラリア上陸後の記念すべき初出費は、可愛いコアラのキーホルダーなどではなく、なんと便所の使用料になってしまった。(爆)
店に入り選んでやっと買った物を、そのまま忘れてきたり(笑)、引き続きラウンドアバウトに戸惑ったりしながら、初日の陽は傾いてゆく。しかし、まだこの程度は想定範囲内の野次喜多道中だ。



TOYOTAのディーラーを探す。街のハイウエイ添いの目立つ場所にそれはあった。白を基調とした建物や看板に赤文字でTOYOTAやTRDの文字で、旅行者にもすぐわかる。
店先にはプリウスや、日本で正規販売していないモデルがずらりと並ぶ。習性でランクルに吸い寄せられる。「おぉ~!」白い車体が凄い存在感だ。
プラドや260km/hまでメーターが刻まれた200系、そしてV8ターボを搭載した70系が何台も最前列に並ぶ。こういう地域では売れ筋なのだろう。カスタマーの要望に合わせて架装するトラックは、キャブシャシのまま並んでいる。

店内に入るとショールームは小奇麗で、フロアに青く塗られたハイリフトジャッキが整然と並んでいる。日本のディーラーとは少し雰囲気が違う。「HELLO~!」大きな声でスタッフに近づいてゆく。元気のよい挨拶は万国共通だ。だが、実は私は英語が喋れない。(爆)
こういう場面は臆せずに相手の眼を見て、怪しい単語を並べながらパントマイムをすると結構何とかなる。これで旅行や買物で困った事はないが、言葉よりエネルギーを少し余計に使う。額に汗なんか浮かぶと、さらに相手の心はわしづかみに出来る。人間は言葉以外でも会話は出来るのだ。

私が日本で乗るランクル70の写真を見せたり、オーナーズクラブの帽子を指さしてランクル好きな事をアピールすると、「おー、日本から来たのか!」と興味を示してくれながらも「これがキミの車か!クールだな!・・・それで?」という予想より軽い反応だ。(笑)
日本で例えるなら「私はハイエースバンのSTDが大好きで乗ってるんですっ!」という所か。確かに変わった外国人だと思うかもしれない。

日本でのリリースは終わったが、ここでは70系は現役バリバリなヘビーユーザー御用達の頑丈な仕事車。その必要性を強く感じる。好き嫌いの前に、この車でなければならない条件のほうが多いのだ。



日本から持参したランクルのカタログを、現地の物と交換してもらったり、日本では買えない部品を買ったりする。お礼をいって店を出る時、投げかけてくれた「Good Luck!」(気をつけてな!)だけは、私にもハッキリ聞き取れた。
車に向かって歩きながら潤に「中学に入ったら英語を学べる時間がある。何のために勉強するのかわかったかい?」と問いかけると、目を丸くして何度も首を縦に振っていた。(笑)

キャラバンパークに戻り、芝生に水をまくスプリンクラーの「チッチッ・・・」という涼しげな音を聴きながら夕食を作っていると、数十m先の岩場にワラビー(小型のカンガルー)が姿を見せる。のどかな時間だ。
初めての夕食は大きなTボーンステーキとソーセージにコーラとパン2種類。二人では食べきれなかった。

年末年始の日の出・日没は丁度日本の夏の感覚だ。日本ではほんの数日前が冬至だったので、こちらでは夏至だ。日の出は5:30頃・日没は19:45頃でそれからシャワーを浴び洗濯したり夕食の方付けを済ませると、すぐに22:00を回る。二人とも環境の激変と気疲れでクタクタだ。
日記を書きあわてて横になる。眠る前に洗濯物は既に乾いていた。明日はエアーズロックに到達する予定だ。

交差点の信号機はこの街の中心部のみで、最終日に帰って来るまで見る事はなかった。

本日の走行:舗装路のみ31km

                              2日目に続く・・・。

え~~マジで??  そんな出来事

2010年07月28日 | 日記
え~~マジで??  そんな出来事

昨晩、またまた久しぶりにどうしてもマックへ行きたくなって、
気が付いたらドライブスルーの入口に入ってた(汗)・・・。

別にそんな事を改めてアップする事もなかろうに・・・普通なら
そうなんだけどここで事件が・・・。

マイクを通して、「え~っと、単品でダブルクォーターパウンダー
が一つとポテトのLサイズが一つ」  と ここまではいつも通りに
オーダーを済ませ。

あっ  今回は一つ企みがあってさ・・・いつもは何故か我慢して
いるマックシェイクを今回は解禁!と決めつけて・・・かなりの
上機嫌だった♪

そして、いつもは言わない言葉・・・「それから、マ・マック
シェイクのバニラを一つ♪♪」ついに言ってしまった・・・と、
心の中でガッツポーズ!

しかし・・そこで事件が・・・耳を疑う言葉が・・・
「申し訳ありません・・」その言葉に嫌な予感が・・何だろう??
と考える間もなく「本日は機械調整のため、マックシェイクは
お出しできません・・・」

えええ???マジ??  そんなの知るかよ~!
マックシェイクが無いマックなんて・・・そんなの断じて
マクドナルドじゃな~い!!

すでにシェイクの口になっている俺はどうすりゃいいんだ~と
訴えたところで無いものはない・・・その現実を受け入れるのに
数秒の時間を要したが、気を取り直したフリをして、「じゃあ 
コカコーラ・ゼロにして」と気丈にも答えてみた。

わざわざ単品で注文した意味もなくなってしまった・・・そして、
捨て台詞のように「シェイクが無いなら、セットにして
下さい・・・・」の一言を忘れない。

結局は我慢の一日だった(汗)・・・。

何せ、解禁宣言後の我慢だからな~。 つらいよな~。

いつになったらマックシェイクは俺の手に・・・。
相性が悪いんだろうか??そんなくだらない事を考えながら
アツアツのポテトが俺の口を慰めてくれた(笑)

こんなくだらない話(自身はとっても本気)の最後まで付き
合ってくれてありがとう(汗)

次回、必ずリベンジするぞ~~!

愛するために、そして愛されるために・・・。

2010年07月26日 | 日記
旅行記の更新は、今日はちょっとお休み・・・。


愛するために、そして愛されるために・・・。

最近購入した哲学の本に書いてあった一節・・・。 ま、僕が読める
くらいの内容だからそんなに難しい本じゃないけどね(汗)

愛するために、そして愛されるために・・・まずは自分を知ることから
始めよう・・・というもの。

これは決して恋愛に限定した話じゃなくて・・・。

なるほどね~と妙に納得はしたものの、それじゃ、僕は自分の事を
どれくらい知っているだろうか。

かれこれ自分と付き合い始めて40年以上経ったけど、改めて
自分に問いただしてみると、これって結構難しいね(汗)・・・。
というか・・・知ってるようで知らないかも・・・。
いや、知らないようで知ってるか・・・。

自分には夢があるか・・・確かにある。自分さえ逃げなければ、いつでもそこに。
自分は強い人間か・・・弱っちくて、さみしがり屋。でも強がってる・・・。
自分に愛はあるか・・・間違いなくある。大切なものを愛したい、そして
             愛されたい・・・。

自分の今までの歩みを振り返ってみれば、泣いて笑って大騒ぎ(笑)かな。
つらくて泣いている時は、誰かが何も言わずに力を貸してくれた。
笑っている時は、誰かが一緒に笑ってくれた。
そんな仲間に支えられて、僕はなんとかここまで来ている。まだまだ目標は
先にあるけどね。

つらくて「もうダメだ~俺」と思った事もあった・・・。
「おれって幸せだな~」と思った事もあった・・・。

そんな経験が今の僕を作っているのは間違いないし、そんな経験が
あるからこそ、もっと幸せになってやるぞ!!という気持ちも湧いて
くる。

この本には、「まずは自分を知る事」と書いてあるけど、多分僕は
一生をかけて自分探しをしていくような気がするな。

たとえ亀の歩みでもいいから、しっかりとね。

そして、夢に向かって行こう・・・。


オーストラリア・旅の記録・・・ウルル/ 手塚様 到着初日①

2010年07月25日 | お客様・旅日記・オーストラリア
手塚様の旅行記、いよいよ現地へ・・
お楽しみください。



前夜、成田を発ち機内泊。早朝シドニーに到着した。日本のほぼ南に移動したので時差ぼけはない。そのまま国内線に乗り換えアリススプリングスに向かう。飛行機では2時間半程だが、車で走ると一週間はかかる。雲の下が緑から赤茶色に変わるにつれ、なんだかソワソワしてくる。(笑)

昼過ぎ、機内預けの荷物を受け取りエアコンが効いた空港のロビーを出ると、真夏の太陽だ。気温は38℃。日本とは季節が反対なので当たり前なのだが、十数時間前は霜が降りていたのに、なんとも不思議な感覚だ。湿度が低いので日本の真夏のような、湿気に閉じ込められるような不快感はない。

早々にタクシーでレンタカー会社のオフィスへ向かう。車内から行き交う車を眺めていると、ここはアウトバックと呼ばれる砂漠の街というせいもあるのだろうが、小型車は4WDの車が多く目につく。そのなかの大半はTOYOTA、その大半はランクル、そのまた大半は70系だ。スペアタイヤを2本背負う車も多い。ここでは堅牢さという項目が、重要な価値基準の一つだと感じる。

慣れている愛車で走れれば理想だが、航送や手続きなど考えると実走5日間では現実的でないので、今回はレンタカーを選んだ。

到着すると、広大な敷地に大きなファクトリーを持つ、整備に信頼の置けそうな会社なので安心した。広い駐車場に準備が完了し、出発を待つキャンパーバンやモーターホームが、ずらりと並んでいる。

日本ではキャンピングカーのレンタルというとかなり特殊だが、自動車で旅行し休日を楽しむ文化が発達しているオーストラリアでは、ごく一般的だ。わが家のスタイルで旅をしたい場合に、渡航時に手荷物を最小限に出来たり、今回のような1日の走行距離が長い場合に、設営の展開・撤収が早い事もこの車を選んだ理由の一つだ。

予約してあった今回の相棒は、ランドクルーザーのキャンピングカーだ。
決して広くはないランクルにベッドやシンクコンロ、フリーザーに食器や寝具・網戸・遮光カーテン・トースターや湯沸しポットまでもがコンパクトに装備され、果てには、屋根が垂直に昇り、どてっ腹からテーブルやシンクコンロが、飛び出す絵本のように出てくるその車に、私は度肝を抜かれ子供の頃、超合金ロボットで遊んだ時のようなとても楽しい気分になった。
旅行の注意点や周辺の地図・宿泊地・店・観光地情報などの資料が、たくさん挟まったブックレットまでもが無料で貰えるので、手ぶらでもすぐに行動が可能だ。



担当のジュリアという若い女性が、手際よく手続きと車のチェックをしてくれる。
燃料や水タンク・ガスボンベなど全て満タンにしてある。オドメーターは5.7万km。ランクルとしてはまだ新車の部類だ。レンタル車として過酷に使われているはずだが、車内外は清潔に清掃されて、泥やゴミは見当たらない。
DVD鑑賞による車の操作説明と含めて、一時間ほどで手続きは完了した。

受付カウンター横の壁に、全土の地図が貼ってあり、北西部の道が赤ペンで、斜めになぞってある。長い距離だ。今回のレンタカーではルールでその道には入れない。また、他にも指定された遠隔地の道に入るには事前の承諾が必要だ。
それはトラブルの際、リペアサービスやピックアップ、緊急時のレスキューが極めて困難だからだ。
「もし自分の車だったら、私はその道を走れますか?」と聞くと、「とても難しいわ。ここは長いので数台で荷物や負担を分担しながら走るの。信頼できる仲間と十分な装備と経験が必要よ。・・・それに今は暑すぎて、死神がすぐ近くにいるわ。」そう言って明るく笑った。

出発前に、いくつか書き留めておいた質問をすると、店や買い物などについて的確に答えをくれる。
あらかじめ日本で詳細な地図を入手し、いくつかルートを想定していた。今は世界中の、かなり僻地の詳細な地図が日本国内で手に入る。持参したその地図を広げ、候補ルートのいくつかを示し、道路状況を尋ねると、引き続き淡々と的確な回答をくれる。

「この道はそれほど危なくないわ。ただ給油区間は長いので注意して。その道は走るのに許可証が必要よ。
あ、そちらはカスタマーがスタックして、レスキューに4千㌦掛かったわ。あなた1台よね?お子さんと二人でしょう?トラブルが起きた時は危険だと思うわ。緊急時には近くに集落や人がいない時は、ビーコンのスイッチを入れたら、車から離れないで日陰で待っていてね。食料や水は常に多く持っていて。
今みたいに夏の暑い時は、レスキューに向かうレンジャーも大変なのよ。奥地だと到着までに数日掛かることもあるし、体にダメージがあると、着くまでに死んでしまう事だってあるのよ。」

・・・言葉が出なかった。喉が渇き、気が引締まった。今回の旅で初めて「ここは日本ではないんだ!」と実感する瞬間だった。
決して「行くな」とは言われない。けれども、自分で決める以上は全ての結果に責任を持たねばならない。それがここでのルールだ。
レンタルにあたって、オプションの手厚い保険で事故や故障に関してはかなりの範囲をカバーされるが、それでも車の下部面や屋根へのダメージ、またはスタックや水没によるトラブルはすべて自費補償だ。決して無理は出来ない。

旅は、五体満足に帰還できてこそ旅だと思う。今回の目的はツーリングで、アドベンチャーやエクスプローラーではない。ましてや日程はもちろん、帰りのフライト時間まで決まっている非常にタイトなスケジュールだ。
深刻なスタックやクラッシュはその時点で旅が終わるのみならず、帰国さえも出来なくなってしまう。私は安全基準を2ランクほど上げて走る事にした。

オーストラリアはもともとイギリスの植民地であった影響で、日本と同じ左側通行だ。標識も視覚的に理解できるので、地名以外ほとんど走行に違和感はない。
まず始めに街の中心部にあるアンザック・ヒルにゆく。塔が立つ小高い丘から街全体が一望できる。日本人の感覚だと「郊外の小さな町」という感じだろうか。

                             到着初日②へ続く・・・