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旅の途中です

別ブログの旅行に関するものを独立させました。全国旅で周りたいんです。まだタイトル決めていません。

木枯し紋次郎 三日月村

2017-05-10 19:21:22 | 旅行
上州新田郡三日月村

紋次郎の生国である。しかし、テレビシリーズを見ても原作を読んでも、どうしてもイメージができない。
私は上州のことをほとんど知らないからである。

生まれて初めて群馬に行ったのは去年の中山道歩きで少し訪れただけである。12月上旬の上州は寒かったがよく晴れて、赤城山や榛名山 妙義山を初めてみて 壮大さに心打たれたものである。

しかし、知ったのは高崎の辺りだけで、物語の舞台となる東毛は想像できなかった。

愛知から群馬はなかなか遠い。

今回は東京から日帰りで訪れる時間があったので、また上州を訪れてみようとおもった。

やっぱり、三日月村に行かなくちゃ。

東京からといえども2時間半。JRと東武鉄道で行く。



特急から見る埼玉群馬の景色は驚くほどの平野ばかりである。小高い丘も緑の森も見えない。 ゆったり流れる大きな川は利根川である。

関東平野恐るべし。
久喜から館林、足利、太田を通りすぎる。途中田んぼかとおもったが よく見ると緑の麦畑が印象的。

藪塚駅に降り立ち、テーマパークである三日月村まで歩く。

実際は本を持たずに行ったので訪れた時はわからなかったことが 後で家に帰って原作を読んでみて、三日月村というものを納得することができた。

三日月村というのは架空の村であるが、原作の描写と今昔マップを照らし合わせると、おそらく江戸時代は藪塚村というところであろう。



真北に赤城山がそびえる。

物語の中で紋次郎は銅街道を北から南に下ってくる。銅街道は三日月村から半里ほど西の街道であるが、紋次郎は雷にうたれ、娘に助けられて三日月村に入った。

娘の祖父は石切人足である。なるほど 東側の小高い山には石切場があったようである。そして娘と祖父は温泉に3日に一度入ると書いてある。
藪塚温泉であろう。ここは冷泉で沸かして使う湯小屋が紋次郎の時代にもあると書いてある。

紋次郎は貧しい農家に生まれた。

とあるが、私には江戸後期の貧しい農家がどんなものかはなかなか想像できない。

この藪塚のあたりは平野も多いし 収穫はありそうである。

しかし、どうやら 水がないらしく、麦や芋が主食となっていたのだろうか。 養蚕も盛んで桑畑の描写も原作にでてくる。実は私は小学生低学年の頃蚕を飼って孵化させるのが趣味で 蚕の成長や桑の葉の匂いなど良く知っている。其の話はおいといて。

農民の中には 頭のいい奴もいて それらは収穫量をふやしたり、商品作物を作ったり富を蓄えていく人もいる一方で 上手く立ち回れず生活費など借金をしたり、田畑を売ってしまう人も出てきただろう。

一家離散した紋次郎の家族は 後者のようだ。

さて、テーマパークの三日月村である。


テーマパークはこんな森の中にあるけど、実際の三日月村は 砂塵を防ぐような森はない。



紋次郎の生家をイメージした家。

家の中は土間と囲炉裏ともう一部屋あるだけ。

あと テーマパークはほかに宿場を再現したものや原作者の館 かかわりーな がある。

普段街道を歩いている私としては、やっぱりテーマパークには 街道特有の空気感が感じられなかった。気が動いていない止まった空間。

でも、建物の傾き加減やボロさなどは なかなか本当の街道にはないリアルさがあった。






案外 時間を潰せず、また歩いて藪塚駅までいった。

家にかえって写真を見返して もっと藪塚温泉のあたりの写真も撮っておけば良かったなと思った。

でも、じっさいにこの地をたずねてみて、赤城山との距離感や南西に広がる平野。冬は空っ風が吹くであろうことや、夏はかなり暑そうだということ、水がなく米が採れない土地であることが実感できた旅だった。

しかしながら、笹沢氏の描写は凄い。その土地に住んでいないのに、まるで、その時代のその土地を見たかのような描写だ。

街道歩きを趣味としている私にとっては まるで紀行文のようでもある。

上州新田郡三日月村 で笹沢氏は 紋次郎の人生観を次のようにのべている。

場所はみな、ひとつみたいなものであった。疲れた手足を伸ばす。眠る。明るくなるのを待つ。
今日が過ぎれば、明日が来る。
昼間は歩くための道があればそれでよかった。いまどこをあるいているかのか、あの場所にふと感慨を覚える、ということは一切念頭に置かないのである。どこへ通じていようと、どこへ近づこうと、そこに道があれば歩くだけなのだ。

それでも、紋次郎は旅をして、どこまでも広い平野や砂塵の嵐の故郷と比べても、山脈のしっとりとした空気や海の湿った潮風を感じて、それなりに感動したんじゃないかなと思う。

さて、このあと やっぱり本当の街道に行きたくなり、私も高速駕籠に乗って中山道に向かうことにした。

途中 羽生から熊谷までのった秩父鉄道は 右も左もどこまでも続く平野に 電車の中でひとりキョロキョロ。


中山道歩き 三留野宿から野尻宿

2017-05-03 20:31:43 | 旅行
三留野宿から野尻宿までは、中山道歩きを踏破する人なら 素直に国道沿いを歩くだろう。
今回は与川道を歩いた。与川道は皇女和宮も通ったり、木曽川沿いの道は度々土石流などて流され、道が無くなったりする時にまわり道として設定されたらしい。距離にして16キロで、かなりのまわり道である。


南木曽駅からスタート




















花桃が満開の素晴らしい季節に歩けて良かったです。日本の原風景を堪能できますが、コースとしてはかなりきつい。

3分の2は登りが続き、途中店はありません。お弁当を持参していったのですが、ベンチもなく道端で座って食べました。
コースから外れ舗装道路のところでたまたまジュースの自販機がありましたが、飲み物も食べ物も持参必須です。ちなみに南木曽駅にも野尻駅でも食べ物もを調達するのは難しそう。

でもそういう不便さを愉しむのが良いのです。
私の中山道歩きは不便を愉しむというのもテーマ。
ゴールデンウイーク中の平日だったけど、追い抜かされた外国人カップルとすれ違った外国人カップルだけでした。

岐阜と長野の中山道は外国人観光客がとても多くなりました。しかも、彼らは電車と歩きです。中山道を歩いていると外国人のほうが多いくらいです。彼らはwalk Japan というツアー会社を通してきているようです。故にこんな日本人でもあまり知らないようなコースを歩くのです。荷物は宿に持っていってもらえるらしく軽装です。

今回は狸に突進されました。

景色の全ては私たちだけのもの!と独占できるのは良いけど、人が少なすぎて 野生動物に遭遇するのがやっぱり怖いです。
今までも 猿に何度か逢ってるし。イノシシ、鹿、熊は勘弁して欲しいです。こちらは何の武器も持ってないし、熊よけの鈴だけです。

根の上峠を越えるときは、もう登山です。しかもこの山に誰も居ないよね…と思うと心細い。

峠を越えると景色は一変します。与川村のほうは 集落が点在して美しい風景ですが、峠を越えると 野尻駅までずっと林道です。

これで、西の大湫宿から木曽福島宿までは歩ききりました。



お弁当も昔ながらの竹皮弁当を作ってみた。

中山道歩き 大湫宿から大井宿

2017-04-16 21:34:09 | 旅行
中山道の大井宿から細久手宿までは 当時も難所といわれていたが、現代もまた違う意味で難所である。

とにかく公共交通機関がないので、大井宿の恵那駅から細久手宿の向こうの名鉄御嵩駅まで30キロほど、山の中のアップダウンを進むことになる。

健脚の人は一気にこの30キロを行くだろう。また 多くの人は細久手の大黒屋に泊まるようだ。
宿をとると天気に関係なくその日に行かなくてはならないのが、運次第になってしまう。

私もここをどう攻略しようか 去年の秋からじっくり考えていた。やはり季節は暑からず寒からずの時期にしようと決め、15キロずつに分けて歩くことにした。

出発は釜戸駅にし、無理をせずタクシーで大湫宿の高札場まで行くことにした。


駅にタクシーは止まっていなかったが、呼べばしばらくすればタクシーがきてくれる。

相当きつい登りをタクシーで10分ほど登り、その急っぷりを見て、タクシーにして良かったとつくづく思った。
歩いて中山道まで行くと中山道にたどり着くころにかなり体力を使ってしまう。

大湫宿は小さな宿だかとても長閑なところ。
満開の桜と朴訥とした風景に癒される。



枝垂れ桜が満開の観音堂。江戸末期の建物。



神明神社の樹齢1300年間の大杉。



さぁ。これから十三峠を大井宿に向かって進みます。
















天気もよく、桜も綺麗で素晴らしい十三峠でした。
食べるところがないだけでなく、自販機すらないので、食料、水などはしっかり持っていった方がいいです。

一里塚を三つ通り過ぎたのですが、その三つとも現存するものようです。槇ヶ根の一里塚近くにある西行の森から見える景色が素晴らしかった。日曜日で桜も満開なのに人が居なくて、景色を独り占めです。

でも、脚はへろへろ。大井宿へ向かう脚が重い。
でも大井宿の宿場に入るとまた気分が上がる。京方面からきて 十三峠を下って賑わいのある大井宿に着いたら旅人はホッとしたことだろうと実感。




馬籠や妻籠 奈良井もいいけど、何分にもとても観光地化されてしまってる。私は大湫宿や大井宿みたいな現代の人の生活がある宿場も好き。


恵那駅から帰りました。

木枯し紋次郎 一里塚に風を断つ

2017-03-27 18:21:13 | 旅行
中山道は木枯し紋次郎の舞台でもあります。
紋次郎は上州の生まれなので、中山道でも上州界隈の話も多いが、木曽路の話も結構あります。

一里塚に風を断つ では 鳥居峠で一悶着あり、頼りの長脇差が折れてしまいます。
紋次郎は方々で刀鍛冶について尋ねますが、なかなか見つかりません。
やっとのことで旅の商人から 妻籠の手前の神戸の里に刀鍛冶がいるという情報を聞きます。

その 商人と紋次郎が腰を下ろして話をしている江戸より71番目の一里塚は沓掛の一里塚です。




ここに紋次郎サンは座っていたのですね。

しかし、紋次郎は折れた刀では命は風前の灯火と感じ、神戸の里まで九里、どうやら冥土への一里塚になりそうだぜ。クールなセリフをつぶやきます。

なかなか文章が読めない私ではありますが、この九里分の九つの一里塚が冥土へ向かう一里塚って事かしら?鍛冶屋にたどり着くまでに襲われたら終わりという意味でしょうか。

なんとか無事に神戸の鍛冶屋まで辿り着きました。あれ? 沓掛の一里塚で追っ手に抜かされていたのに。どうやら鹿沼の親分一家の目的は紋次郎ではないようです。
そして、紋次郎は近道をしたのか、鹿沼の親分一家より先んじて鍛冶屋に辿り着きます。

その鍛冶屋というのは、実は鹿沼の親分一家と因縁があります。鹿沼の親分一家が狙っているのは鍛冶屋夫婦なのです。

その夫婦はとても仲睦まじく紋次郎はこんなお互い信頼しあってる良い夫婦がこの世にいるのだと 信じたくなります。

しかしながら、紋次郎の期待は打ち砕かれます。妻は鹿沼で不義密通をしていて、夫は薄々感づいていながらも、信じている信じていると信じていないのに念仏のように唱えている。紋次郎がこんな妹がいればいいなとちらと思った鍛冶屋の妹は 冷たく姉に死んでしまえばいいんだわと言い放つような冷酷な人間です。

現実を知った紋次郎は 心から湧いてくる怒りを抑えることができません。その怒りの矛先は鹿沼一家に向けられます。

その殺陣の舞台は江戸より80番目の上久保の一里塚。



梅がまだちらほらとしか咲いていませんでした。
この一里塚より妻籠側に鍛冶屋の家はあるのでしょう。

鍛冶屋が作った刀は また折れてしまいました。本当は信じていない心でうった刀はやはり心がこもっていないのでした。

最初にこの話を読んだときには なかなか理解できなくて、テレビ版を見ても何が起こったのか、何が言いたいのかよくわからなかったのですが、他のシリーズを読んだり観たりしているうちにわかったことがあります。

紋次郎は ほんの少しでも信じていた人の裏切りにとても怒りを感じるようです。その裏切りが自分に向けられたものではないときでも、心の底から湧き上がる怒りを抑えきれないようです。

ひとたび怒りで暴れだすと、もう自分に向ってくる相手は容赦なく斬りつけます。その表情には冷静さなどなく、なにか本能のような、獣のようですらあります。
そこが紋次郎の怖いところです。

上久保の一里塚から妻籠に向かって歩きます。
この辺りは 廃屋も風情があります。紋次郎は廃屋となった空き家でも寝泊まりしたりします。



少し薄ら気味悪く歩いていると、妻籠宿の端が見えてきてほっとします。



紋次郎は結局どこで新しい刀を誂えたのでしょうか。






中山道歩き 野尻宿から須原宿

2017-03-25 22:05:48 | 旅行
今年初めての本格的な街道歩き。
3月も下旬というのに、冬の寒さ。
当初、南木曽から野尻宿まで与川道を歩く予定でしたが、寒いということと距離が15キロ程あるので気が滅入り、距離の短い野尻宿ー須原宿にしました。

中津川発松本行きの普通電車は2時間に一本(・・;)
乗った電車に 中国か台湾の女性団体さんが乗って来られて、なかなか旅慣れていて、服装もハイキング仕様。日本語の乗り換え案内アプリも使いこなしていたのが、驚きでした。

野尻駅で降りたのは私たちだけでした。
北東方向に 糸瀬山の向こうに中央アルプスがとても綺麗でテンション上がる。



野尻宿から須原宿までのんびり歩きました。
ところどころ覗く山がとても印象的な旅でした。





途中 19号沿いの道の駅で休憩。
今回はお弁当を持って行ったので、休憩スペースで食べました。木曽路では食べるものは蕎麦と五平餅くらいしかないです。
嫌いではないけど、そればかりではやはり飽きてしまうし、自作のお弁当のほうが、やっぱり美味しいんです。

道の駅では 色々欲しいお土産もあったのですが、重量が増えるだけなので、すんきというお漬物だけ買って帰りました。


須原宿までの集落はとても のどかで素晴らしい景色で小川などのあまりに清らかな流れに身も清められた気分。

順調に歩いていたのですが、今回は登り坂で足の付け根の腰のところが痛くなってしまいました。

須原宿に着いた時にはかなり疲労でした。 ここ3ヶ月ほどあまり歩いていなかったから 身体にきてしまったでしょうか。





須原宿はずれの鹿島神社の樹齢800年と大杉がすばらしかったです。足痛かったけど足を伸ばして良かったです。

しかし、須原駅では次の電車まで2時間近くあり、青春18切符だったので、上り電車にのって電車から寝覚めの床を見物してきました。上松駅でりんごを買って帰りました。