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sanctuary

てま・ひま・くらし。ていねいな毎日。

神仏を信仰する人と神仏宿るひと

2006-10-19 10:23:34 | 社会科

わたしは弱っちいので、困ったことがあるとすぐに
「神さん、仏さん、どうかたすけてください」と
みえない力にすがろうとしてしまう。

「どうぞお金の回りがよく、安楽に生きられますように」
「どうぞ困難を避けられますように」
「どうぞあの人の心が思いのままになりますように」

わが身をまもりたい一心、邪心満載で手をあわせる。

しかし、こんなお願いを神さんや仏さんが聞いてくれるわけがない。
「自分でなんとかしぃ、なんとかなるし」
とまぁ、やさしく突き放されたりして。

この世にはそうしたお願いなんてしないで
目の前の困難に立ち向かってひとつひとつ片付けていく人がいる。
そうした人に神仏はとてもやさしい。

思えば「なぁ、なぁ、神さんなんとかしてぇなぁ」なんて
すがりついてくるちっちゃい奴より
無心で全力を尽くそうとする人を応援したくなるのは
人情というものか・・・あ、神仏の情か。

まったく信仰というものを口にしない人から
宗教を深く学んだひとと同じ言葉を聴いた。
現実に学んで無心にかいくぐったその道は
真理に通じていたんだなぁ。

邪心で「こうなりますように」と
祈ったところで神も仏もない。
まずは心の大掃除、せんといかんですなぁ。


自費出版系にカモにされかけたはなし。

2006-10-10 15:24:29 | 社会科


わぁ、気がついたらお祭り過ぎて10月も10日だ!

早いなぁ。

春から夏にかけて書いた
公募作品の結果が少しづつ出はじめた。

私としては提出した時点で、すべてを終えた心境で
内容もタイトルも忘れていたのですが

1本は一次選考通過。
1本は月間賞なるものを獲得し、
最終選考にもエントリーしているらしい。

そしてお笑いなのが最初に届いた1本。

これはもう完全に選から漏れたのだけれど
出版プロデューサーなる人物の
「お手紙」が同封されており
なんだかすっごくホメていただいている。
「ぜひ一度お会いしたい」と書いてあり
その方にメールを送信したらば、またもや
「惜しくも入選には至りませんでしたが
選考時から“おもしろい本ができるのではないか”
という声も多く・・・」
なんて、うれしい言葉がならぶ。

でもっ、応募してからわかったことなのですが
どうやらこれは自費出版系の営業戦略らしいですね。

共同出版をすすめて承諾したらけっこうな金額を請求されるとか。
今の私のどこを絞ってもウン百万なんて大金出ないし
本を出版するのにローンなんてトンデモナイ!

というわけで「もし共同出版のおすすめなら
わたしはとってもビンボーなのでご期待には添えませんが
それでもお話を前に進めていただけるのなら」と
メールで返信したら、パッタリ連絡が途絶えた。

せめて「一緒に本づくりができないのは残念ですが
今後のご活躍に期待しております」ぐらいの
お返事くれたら印象もちがっていたのにね。



事件の文脈 その2

2006-09-23 17:00:17 | 社会科


4件つづいてセクハラ事件の「いきさつ」に遭遇した。
ひとことで「セクハラ」といっても内容はほんとうにさまざまなのだ。

たまたま私が聞いた話がそうだったのかもしれないが
被害者が100パーセント被害者だというケースはひとつもなかった。

事件1はもしかしたら冤罪かもしれない。

事件2は被害者女性も相手の権力を利用していた。

事件3は数年前に新聞沙汰にもなった事件の後日談。先日、加害者男性側の潔白が証明された。さらに詳細を聞くと、被害を訴えた女性側の脅迫だった。(加害者として訴えられた男性2名のうち1名は自殺している)

事件4は就職に際して面接官が女性を飲みに誘い「太ももを触らせてくれたら合格にしてあげる」といわれ、触らせた。

権力を行使して弱い立場の人間に性的関係を迫るなんてもう、ウゲェだ。できることならわたしは被害女性の側に立ちたい。鍵が開いていようが、ドアが開いていようが人の家に泥棒に入っていいわけがない。「わるさ」をしようとした方が悪いにきまっている。

しかし。

事件1の場合、お会いしたことはないが、私の方はよく存じあげている加害者男性の人間性について考えるとき「性的な関係を強要するタイプか?」ということを考えてしまう。しかも第三者から話を聞いてみると、どうも組織の権力抗争に利用された側面がありそう。

事件2の場合、被害者女性はかつて私に「力のある人に媚びることが悪いと思わない」と言ったことがある。彼女の仕事に関係のない接待の席でも「来い」と言われたら深夜でもかけつけて酔っ払いおやじの相手をするような座もちのいい子だ。「行ってあげないと面子がつぶれるかなと思って」などと言っているあいだにホテルに誘われ、断ると彼女が職場にいられなくなるような嫌がらせがはじまった。

事件3の場合、被害女性は事件後も職場に堂々と出勤。あえて偏見でモノを言うなら「セクハラされるタイプ」とはほど遠い。しかも事件は深夜に男性2人が酒を飲んでいる部屋に呼び出され、ひとりで遊びに行ったときに発生したことになっている。当初、男性側は示談に持ち込もうとしたが、法外な慰謝料と無理な条件を突きつけられたため、仕方なく裁判で争うことになった。あとでわかったことだが、女性の背後には暴力団がついていた。

事件4の場合、被害女性はこの上司の“引き”で就職した。この事件の場合、本人よりこの女性を受け入れた職場が「何事にもだらしない子」の面倒を押し付けられて大迷惑をこうむっている。みんなに迷惑をかけつつも被害女性はしたたかに面接時から今日に至るまで「セクハラ日記」をつけており、クビを切られそうになったときや辞めるときには、上司の行状を暴露して“なにがしか”をせしめようと目論んでいる・・・。

「被害者の側にも落ち度がある」と、よく言われる。こんな言葉があるがために、ほんとうにつらくて苦しい思いをした女性が二重に傷つけられる、そんなことが多々ある。
だから言いたくない。

が、こうしたケースを次々と突きつけられると、いろいろ考えてしまう。


事件の文脈 その1

2006-09-22 16:51:03 | 社会科
もう数年前のことになるが、ささいなトラブルで
ある人が隣人を刺し殺してしまう、という事件があった。
新聞には「加害者は常にナイフを持ち歩いていた」とあり
突発的な殺人ではなく殺意があったものと
裁判では不利な証拠となってしまった。

すぐ近所の話なので、母は加害者も被害者も知っている。
事件をネットのニュースを知ったわたしが
詳細を伝えると「逆とちがうのん?!」という。

母に限らず、近隣の人たちはみんなそう思った。
殺意のもとにナイフを持ち歩いていたなど
「信じられない」と誰もが口をそろえて言うほどに
加害者は温厚な人柄で知られた人物だった。

大叔父が倒産したとき、商売上でおつきあいのあった加害者は
「うちの分は最後でええから、他の負債をを先に片付けな。
大将にはよう儲けさせてもろたからな」と言ってくれた数少ない人だった。

事件の発端は被害者が加害者の土地を勝手に荒らしたことだった。
何十年にわたって加害者が「やめてほしい」と申し出ていたのに、
被害者は聞き入れず、やりたい放題をくりかえし、
加害者はそのことを腹に据えかねていた・・・

ふたりの人柄をよく知る近隣のひとびとは
なんとなく加害者に同情的だった。
そんな空気を感じた被害者の遺族はさらに傷ついて
地域の人々に心を閉ざすようになってしまった。
メディアの取材でお寺さんが中立的な立場をとった、と
檀家をやめて新興宗教に入信した。

加害者は財産を処分し、妻と離婚して地域を出た。
被害者の妻は用意された示談金を突き返し
犯罪被害者支援団体の支援のもと、訴訟をおこした。

被害者の妻は夫を失い、仕事を失い、地域との関係も途切れて
なお消えない恨みを加害者に突きつける。

命を奪った方が悪いにきまっている。
被害者側の落ち度を突くことがどれほどご遺族に対してつらいことか、
そのことも重々承知しながらも、近隣で事情をよく知る人たちは
「被害者が加害者に迷惑をかけていなければ・・・」と
口には出さねど、心の片隅でそう思っている。


飲酒運転ってストレス社会の問題かも

2006-09-17 11:11:51 | 社会科
機械を思ったとおりに操作できるのは相当に楽しい。思い通りに動く、というのは快感だ。
そのくせ自分じゃ修理できなくて思いっきり痛い目にあってしまうのだけれど。
前のパソコン、修理できなくてもメールデータだけでも取り出したいと、ある業者さんに問い合わせたら「7万~27万ぐらいですかね」だって、どひゃ~。

パソの故障ならワタシが泣いて済むが、クルマで人身事故をやっちゃったらそういうわけにはいかない。そういう意味ではクルマってパソよりも、もっと社会と「リアルな関係性をもつ機械」なんですね。

中央道でやった玉突事故をみていると、夜間走行の長距離トラックがほとんどでプロのドライバーさんがガンガンとばしてたんだろうなぁっていうのがよくわかる。
(でも、あんなふうに運転してくれているからワタシが送った宅急便が翌日には到着するという素敵な社会になったわけで、複雑だ)

さらには3人の子どもが亡くなった九州の事故以来、飲酒運転の取り締まりが強化されていて、外で飲むお酒が面倒なものになっている。
都市では電車移動が可能でも、うちみたいな田舎じゃ国道筋の居酒屋までみんな車で集合、てな感じなのだ。(国道筋に居酒屋があるというのもヘンといえばヘンですね)
クルマがないと不便このうえない。代行サービスに使うお金が惜しい、という人もいるだろうな。

仕事のあとのビール、っていうのはなんてったって爽快。
乾杯の楽しさ、あの開放感、たまりません。
唐揚げや餃子にもビール!おいしいチーズにはぜったいワイン!!
・・・なんだけど、最近はちーともお酒を飲みたいと思わない。

「憂さを晴らす」ということが少なくなったせいだ。
仕事の緊張感から解放されて一杯、というのがなくなったのはどうしたものかと思うが(苦笑)

あくまでも私の場合、ということを前提にしなければならないのだけど、人間関係で緊張しているときにはどうしても「食べたい、飲みたい」気分になった。
手っ取り早く脳の緊張を解くために飲む。休日前にはけっこう飲んで、ひとりでくだまいて寝てたりした。

小心者なので家でコッソリやってたんだけど(笑)。

会社勤めの人は愚痴を言いあうために、パッとした気分になりたくて同僚と飲む人も多い。そういえば一時、トラックや電車の運転手さんの飲酒がニュースになったことがあるが、この人たちも「飲まないとやってられない」超過勤務に耐えかねてのことだった。

ケースはさまざまだと思う。でも飲酒運転で人身事故を起こす多くの人が「憂さ晴らしの酒」を飲んで暴走した人なんじゃないか、という気がする。
「飲まなきゃやってられっか」という人たち。

一方、クルマの運転には自信があるから「ダイジョーブ」なんだろうし。


社会で自分をコントロールしきれなくなった人が飲むお酒。
自分をコントロールしないと運転できないクルマという機械。

うーん、またまた「自己責任」という言葉が浮かんでしまうのだけれど、憂さをお酒で晴らさなきゃやってられないって、どうよ。
「憂さ」そのものが少ない社会になったら、もしかしたら飲酒運転は減るかもしれないなぁ、なんてことを考えたりする。

人間関係の摩擦や軋轢に弱い人も、みんな均一の経済競争の中に放り込まれて生活を維持していかなければならない。しんどいよなぁ・・・・。



男が大切にされたいだけの「憲法草案」ってどうよ

2006-09-16 07:58:51 | 社会科

ある少年事件が発生し、衝撃をうけた自治会のえらいさんが「地域で考えるべき問題」とシンポジウムを開催した。
講師はまちづくりの専門家だし、一見「ええこと」のように思える。

しかし、どうもなんだか胡散臭い。うまく言えないのだけれど自治会のえらいさんたちが「若い母親にも参加してほしい。こういうことに無関心なのがいけない」とか言ってるのがなんかイヤな感じ。

「やっぱり地域ですよね」と話していて最後に「ありゃりゃ?」と思うことがある。とくに高齢者で熱心に地域活動をされている方に多いのだけれど「若者は高齢者を敬い地域に奉仕する」という文脈で地域の重要性を話す人が非常に多いのだ。

いや、これも問題ないといわれたらそうなんやけど、なんかちがう。

おじさんたちの話はいつも自分を中心に上と下がある。女や子どもは「弱い」から下位で、少年、青年も若くて経験不足だからじぶんたちを敬うべき存在だと思っている。

高齢者の知恵や経験をないがしろにするつもりはないが、えらそーに自分たちのほうが上位者だとふんぞり返られても困る。尊敬というのは心のうちから湧いてくるもので、なんでこのオッサンに・・・って思ってしまう高齢者もいっぱいいる。
老人でありさえすれば「大事にするのがアタリマエ」と自分で思っているかもしれないけれど、若者に愛される老人は、やはり人それぞれに「愛される理由」があるのではないかしらん。

たとえば同じ“社長”という肩書きでも卑しく商売してきた人ときれいに商売してきた人はリタイヤしても大切にされ方がちがう。それはサラリーマンでも公務員でも同じだと思う。そういう意味ではみんなちゃんと見ている。

「年よりは大切にするものだ」「男は立てるものだ」という「お約束」をつくっておくと女性や子どもをコントロールしやすい。そっちのほうがお手軽だからとちんたらついていく女性も少なくない。

でもねぇ、ろくでもない船頭の船に乗ると、ちょっとした不具合や嵐で乗員をひとり、ふたりと船の外に投げ落とし、最後は自分だけが助かりたいというのもいたりして。楽チンだからって乗り込んだらとんでもない目にあうこともある。

かつての日本の軍隊に代表されるように「おれについてこい」と威勢よく旗をふり、権威をふりかざしたところで結局は自分のことしか考えてないやんか、というのがわかってしまったので、そういうヒトがやれ道徳だ敬老だと声高に言ってもちーとも大切にしようという気持ちになれない。

いま、日本人がとっても身勝手でお行儀が悪くなっているのを誰かのせいにするなら、その責任は日本国憲法にあるのではなくて、戦前のおじじたちの既得権益である家父長制の「身勝手部分」をさらに自分たちに都合よく解釈したものの惨禍ではないか。

憲法のせいにすな、ちゅうねん。

今の日本国憲法をみておりますと、あまりにも個人が優先しすぎて、公というものがないがしろになってきている。家族を無視するそして地域社会とか国家というものを考えないような日本になってきたことを非常に憂えている。夫婦別姓が出てくるような日本になったということは大変情けないことで、家族が基本、家族を大切にして、家庭と家族を守っていくことが、この国を安泰に導いていくもとなんだということを、しっかりと憲法でも位置づけてもらわなければならない

自民党憲法調査会 2004.3.11 森岡正宏衆議院議員


阪神・淡路大震災でコミュニティの大切さが再認識されたかと思うと、こんどはそれを国家主義に利用しようってかっ!

個人・家族・コミュニティ・国という階層のなかで、日本人は国も捉えているのではないか。したがって、急に国に奉仕しろといわれても飛びすぎで、まず家族・コミュニティに奉仕をする延長線上のなかに国に対する奉仕も位置づけた方がなじみやすいのではないか。そういう意味で家族・個人の関係をもう一回構築をしていくことが、まさに大変なことではないか

自民党憲法調査会 2004.3.11 加藤勝信衆議院議員発言

ほんま、その口にテポドンブチ込んだろか~

運動会のお弁当に異変あり・・・オバちゃん腰抜けそうや

2006-09-14 02:18:27 | 社会科

きょう、おかんが聞いてきた話。

このごろ小学校の運動会で
親が子どもにもってくるお弁当は
仕出し屋に注文したやつとか
コンビニで買ってきたのが
アタリマエなんやって。

し、しえ~

運動会のお楽しみはお弁当やんか~

親が朝からせっせと重箱におかずとおにぎりをつめて
みかんとか、栗とかも入ってたりして
母親が姉と私のためにだけ作ってくれた「ごちそう」やった。
わたしは根っからどんくさいので運動会は嫌いだったけど
忙しい母親がちゃんとお弁当つくって
来てくれていた、そういうことがうれしかった。

そのころウチの母親は骨粗しょう症で
入退院をくりかえすばあさんの介護と
家業と家事と子育てやってた。
うちの母が特別忙しいわけではなくて、
高度成長期の零細企業のおかみさんってみんなそうだったと思う。
それで運動会のおべんとう、つくって持ってきてた。

たとえばおにぎりだけ手づくりで
あとはぜんぶ冷凍食品でもいいから
せめて家の器につめて持ってきたらええのに
そんな手間もかけられへんぐらい
いまのお母さんは忙しいのやろか・・・。
そりゃ、仕出し屋さんとかコンビニ弁当でも
みんなで食べたらおいしいけどさ。
手間なんて知れてるやんかっ!!

ちなみに、昔は小学校の運動会というと
町の一大イベントで「すきやき」をする家もあった。
校庭にガスボンベとお鍋持参で、
マツタケなんか入れて(笑)

みんな忙しくて貧しくて、日ごろはほったらかしでも
こういうときにちょっと手間をかけてもらえたこと
子どもはけっこう覚えてる。

親がかけてくれた「手間」が
特別な思い出をつくる気がするねんけどなぁ。




皇室典範改正、いまぞ立て万国の「長男の嫁」

2006-09-07 10:29:00 | 社会科

紀子さんのご出産にあたっては皇室ファンであるうちのおかんも、大はしゃぎ・・・かと思いきや、いまいち盛り上がりに欠けていた。

生まれた子が皇位継承第3位というのが気に入らない。

「なんで愛子ちゃんを押しのけて皇位継承3位やねん」
「男の子やから」
母、むっつり。
「愛子ちゃんにも皇太子さんの血ィ流れてるやん」
「男系男子やから。雅子さんが産んだ女の子が民間から婿をとってその子が天皇家を継いでも血が薄まってるからアカンねんて」
母、さらに面白くない顔。
「気に入らん!」

うくく、おもしろい~

「本家の嫁」の意地がでた。
次男坊の外孫に男の子が生まれたからって、そっちに「本家筋」がもっていかれるようなやり方が気に入らないらしい。

本家は本家、愛子ちゃんに婿をとって家を成り立たせたらいい、というのが母のお考えのようだ。

分家に男の子が生まれても関係ない、ウチこそ本家。たとえ跡継ぎが女の子でも本家筋というものを大事にしてもらわないと困る、ってところですかね。

男の子を産まなかった母にとって、愛子ちゃんに継承権がないのは「男を産まなかった本家の嫁」が否定されてるような気持ちになるらしい。

「女の子でなぜ悪い」ではなくて「なんで分家(次男)の子が」ってことが不満。もし愛子ちゃんのあとに男の子が生まれたら母はその男の子が家を継ぐことには万々歳なのだ。

母の理想はなんてったって美智子さんなのである。
美智子さんは本家の嫁の代表選手だ。

民間から皇室に嫁ぎ、厳格な習慣にも適応し、強烈ないじめに耐えながら跡継ぎを生み(しかもスペアまで!)、本家の嫁の「つとめ」を見事に果たした。

自分は娘しか産まなかった。それでもがんばってきた。墓だって建てた。美智子さんと同じように「本家の嫁」のつとめを十分に果たしてきた。しかし、皇室が分家の子でも男の子を選ぶということは、娘しか生まなかった「本家の嫁」を否定されている感じがして面白くない。

したがって、世間が騒ぐほどにうれしくない。
本家は本家の血筋の者が継ぐ、というのでなくては、たしかに娘を産んだ嫁の存在価値って何よ、ということになる。

ちなみに、お昼のワイドショーで「皇太子ご夫妻も皇室におけるご自分たちの役割とは何かをお考えになるでしょう」という“有識者”のコメントに

「そうや、これで雅子さんも負けん気だして男の子を産む気になるやろ」

と、満足そうに言った。

なんかちょっと違う気はするが、うちの母みたいに娘しか産まなかった「本家の嫁」や家とり娘も世の中にはいっぱいいるわけで「男を産めなけりゃ分家からでも男をもってくる」皇室典範の支持者に対して「無礼者!」って言わなきゃいけないのはこの人たちのような気がする。

そうよ、立て万国の長男の嫁!男系男子の尊重はあなたを踏みにじっているのよぉぉぉ~


男系男子にこだわる男の正体は

2006-09-06 17:30:52 | 社会科
パソ昇天にあたり新機を購入したものの、いやーん慣れるまでたいへん。
やたらと無駄なソフトが多いせいかネットに接続しても重たい遅い。
(そんなところは持ち主に似ないでよろしい)

てなわけで設定やらなんやかやでモタモタしてる間に
ご出産ラプソディが沈静化しつつある。

いかん、これはいかんっ。
報道直後に目白駅前で「かっぽれ」を披露しなさったマダームたちに
かなりの遅れをとってしまっているではないかっ。

というわけで昨日の書きかけへ。

なんとまぁ、男の子ですと。
紀子さんってホントに出産体質なのね。
前の宮内庁長官が「秋篠宮家に第三子を」と会見で言ったのは雅子さんがブチ切れて「私はもう妃殿下はやりません」と直接電話をかけた後だっけ、それとも先だったかしらん。

後に「あれはあくまでも秋篠宮家を思ってのことで、東宮家は関係ない」なんて言ってたけど、宮内庁長官がそう言えば国を憂いてのことと聞こえるでしょう。
雅子さんについてはちょっと面白い記事(http://www.teamcg.or.jp/project/yawata/jiji02701.htm)をみつけたのだけれど、それにしても皇室のためを思ったとしてもデリカシーなさすぎ。

ま、これは宮内庁長官のざれごとで、生まれるわけないやんか~って思ってたら、コウノトリみながら「決心」したらできちゃった。
さすがナマズの殿下だ(ああ、下品)。

そして懐妊報道のときに「これぞ神風」とうれしがったニュースバカ一代(http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20060906)の狂喜は頂点に達している。
安倍ちゃんもすっかり総理大臣気取りで皇室典範の改正を先送りにしてるし。
男系男子の「伝統」ってつらつら眺めるに皇族よりはどうも、コンプレックスだらけの男が大事にしたいもののようだ。

こういう人たちって何かっていうと神話の時代からの歴史と伝統と文化ゆえに「天皇家」をありがたがっているけれど、戦後の天皇家はそうしたものに縛られながらも国民に寄り添い、この国に生かされていることをふまえて平和と福祉の立場から心ある公務を怠らないロイヤルファミリーに対して国民は好感を抱いてるわけで、美智子さんに代表される「謙虚さ」の姿勢がなくなったら男系男子だろうと歴史があろうと国民は見放すと思うんだけど。

そうそう、男系男子だの、伝統だの言ってる輩にとって天皇家は伝統工芸品なのかもしれない。
じぶんがしょぼくれていても「それがあるとハクがつく」もんね。たとえば外国でうれしそうに「うちは男系男子でウン千年」と言えばそりゃー驚かれるだろう。でも「アホか」とも言われるだろうなぁ。
骨董品のように扱われる天皇家こそお気の毒だし、無理やりに男の理想を押し付けていくほど失礼なことはない。

男系男子にこだわる人は実のところ自分たちにハクがつく歴史や伝統が大事で、そこに生きる皇族なんてどーでもいいんじゃない?