goo blog サービス終了のお知らせ 

sanctuary

てま・ひま・くらし。ていねいな毎日。

遂にきてしまった!

2006-09-02 16:46:49 | 社会科
昨日、友人に「ウチもパソにガタがきてて・・・」ってメールしたら今日、ホントにダメになった。
いつものとーり、立ち上げたらカタカタへんな音がして「おぺれーてぃんぐしすてむのっとふぁうんど」の表示。ガーン!
リカバリもダメ。
くー、痛いなぁと思いつつもなぜか「リセット」という言葉が浮かぶ。
幸い、大事な原稿は古い印刷用のに保存してるし、こうなるとヒマも幸いだ。
きっと一新、ということなんだろうな。
新しいパソが新しいことを運んできてくれる、そうよね、きっと。

遊びっぱなしのマナー知らずと政治家って

2006-09-01 09:29:31 | 社会科

うちの地域には共同墓地があり
お墓の古い花やゴミを燃やせる場所があった。
自治会で当番が決められ、また近所の心ある人が
いつもきれいにお掃除してくださっていたのだが
この春、突然にその場所が使用できなくなった。
お墓のものを持ち帰るということに抵抗を覚える人も多くて
「自治会の手抜き、面倒臭くなって廃止したんとちゃうか」と
かなりのブーイングが出た。

ところが話をよく聞いてみると
その「焼き場」(と私たちは呼んでいる)に
犬や猫の死骸を入れていく者がいる、というのだ。
しかもここ数年、頻繁に。

心ある方々は、やはり「もう御免」と白旗をあげ
自治会としても管理しきれないということで
「ゴミは各自持ち帰りましょう」ということになったらしい。

地域の人たちはいずれ自分たちも当番が回ってくるかもしれないし
ゴミの始末や掃除の大変さも知っているので、その人たちの
負担を軽くしようとマナーを守ってきた。
何十年も同じように運営してきて問題なく過ぎてきたことが
「墓なら犬でも猫でも燃やしてくれるやろ」という
すんごい“論理のねじ曲げ”をやった誰かのおかげで崩壊した。
みんなが不便になった。

ここのところワイドショーでは海岸や河川敷で
花火やバーベキューをやる人々の
モラルの低下をとりあげている。

やってる人たちは楽しい「夏の1日の思い出」だが
そんなのが毎日毎晩だと周辺住民はたまらないし
ましてやゴミも片付けずに帰られた日にゃあ。

日常の領域では近隣の目を気にして「何か言われるからやらない」のに
非日常の場所でみんなが同じ事をやっていたら、いいよね~、と
みんなでゴミの山をつくって「楽しかった」と帰っていく。

公共の場なら「どうせ税金で片付けるんだろう
納税者には捨ててもいい権利がある」なんて
思っている人もいるかもしれない。

百歩譲って、公務員の誰かが片付けるとしても
片付ける公務員は気持ちいいわけがない。
他人の身勝手なゴミをなんで片付けなきゃいけないのか。
こんなことで彼らを働かせるのもまた
税金の無駄遣いなのに・・・。

税金がお給料なのに納税者をバカにしてる公務員はいやだけど
おまえら税金で喰ってるんだろうという納税者の傲慢さも嫌だ。

じぶんたちのやってること、しでかしたことの「後始末」をしない。
「その先の想像力」がない。
金で人を動かせばいいと思っている。

あれれ?

結局、権力をもってるところに言う文句と同じになってしまった。

やっとここまできた(笑)

2006-08-31 10:32:42 | 社会科


みょうがさん、バースデーコメントありがとうございまっす。
ほんとに振り返ると長い道、先をみるとまた長い道!
うーん、てくてくと歩いていきます。

ところで、誕生日がきたかと思ったら
昨日は母の検査結果の日でした。
ようやく検査が半年に1回、
お薬も飲まなくてよいことになりました。
はぁ~、やっとここまできたという感じ。

本人は検査がくるたびにナーバスになり
結果を聞きに行く日がちかづくと
「再発」の宣告に怯えていました。

祈るような気持ちで過ごしてきた日々、
母の気持ちが楽になるのはありがたいことです。

というわけであさっての仏教婦人会の旅行
(3時起床!)には何を着ていこうかと
今朝はるんるんのご様子。
わたしのネックレス、持っていかれました。
これからファッションショーがはじまります・・・たはは。


冥王星の嗤い

2006-08-26 16:48:38 | 社会科


冥王星が惑星でなくなるとかって、そんなにすごいニュースなんだろうか。

たしか最初は「惑星をもう3つ増やしましょう」って言っていたと思うのだけれど、学会では逆に冥王星が降格することになった。

ここにもアメリカの政治的な思惑があったとかなかったとか。

しかし今回のこの「事件」、ある意味興味深い。

世界中の権威が冥王星を「降格」させたところで、冥王星は痛くも痒くもない。

地球の中で起こることは権威があれこれ言っては泣く人笑う人あり、ことによっては重大な差別を生み出している。
しかし冥王星は「降格」されたところで「わしゃ知らん、どーでもええ」と泰然。

なんか、かっこええわぁ。

冥王星からみたら地球人の「格付け」ほど無意味で馬鹿げたことはないだろうな。


長谷川京子の濡れ場で視聴率稼ごうと思ったの?

2006-08-23 11:51:58 | 社会科


5年もボランティアというものに関係し、
その中ですばらしい人々に出会ってきた。
残念ながら、行政側が排除してきた人たちの中にこそ
ほんとうの「ボランティア文化」を育ててきた方々がいる。

(災害ボランティア「お前が決めるんやない」
怒声で肝に銘じた “主役”は被災者
http://osaka.yomiuri.co.jp/shitei/te60808a.htm)

きのう「最後のナイチンゲール」というドラマをみていて
まぁ、いろいろツッコミを入れたいシーンはあったのだけれど、
看護隊として動員された女子高生たちが
「自分の意志でここにやってきた」と言わされていたシーンは
忘れてはいけない。

お国のためという言葉を信じた少女、
参加しないのなら奨学金を停止されるからという少女、
「なんとなく行かなければならない気分」で
どの子たちも参加している。

国が国民の思想を操作し、なおかつ
多人数の中で、その場から離れることが難しい空気。
みんなと一緒なら安心、という排除の恐怖。
そして「みんなで協力すること」の美しさ。

ボランティアはもともと「志願する」「志願兵」という意味をもつ。

つまり彼女たちも形式上は「ボランティア」なのだ。

国民保護法制というものができて
もし日本が北朝鮮に攻められてどこかの地域が
壊滅的な被害を受けたとき
医師、看護師は被災地に応援部隊として赴く。
とうぜん安全地域の医療人が不足する
その場合に備えて専門ボランティアの役割が
位置づけられている。(某県の事例です)

県制度における登録ボランティアは
もともと善意の方々が登録しておられるのだから
皆さん、必ず都合をつけて応援に駆けつけてくださるだろう。
しかし、ほんとうにそれでいいのか?

NPO法人の某理事がこの点を指摘すると
あるバカ県職は「イヤな人は行かなければいいんですよ。
ボランティアなんだから。これだから左寄りは困る」と
笑っていたが時代の空気で参加を煽られ
「志願兵」「民兵」として利用される
可能性がないなんて誰が保障できる?
そのときは誰もが「ノー」を言わない
高揚した気分になっているのだ。
冷静な人は非協力的な人とみなされるだろう。

行政機関のボランティア制度には
「時局に添う」という危うさが潜んでいる。
人道的支援のつもりがが気づいたら
戦争に荷担していた、という可能性は捨てきれない。

ボランティア、地域活動、人の絆が大切なことはいうまでもない。
でも「誰とつながるか」は見きわめていかないと。
なにを基盤として、ボランティアとして活動するのか。
善意が戦争に利用される、なんてことがないように。

多数決の多い方には気をつけなきゃ。

眞砂子さんと雅子さんの自由

2006-08-22 11:46:05 | 社会科


あああああ、くろすけ脱走!
ついに外庭からお隣へとエリアをひろげたもよう。
自由がほしい、そういうお年頃になってしまったのね。
母の心配はつきまじ~

自由といえば、気になるのはふたりの“まさこ”さんの自由。
作家の板東眞砂子さんの子猫殺しの記事に
きっこさんが噛みついた。
眞砂子さんの主張は
「メスの機能を人為的に操作するのはどうか」というもので
行間読みとると、自然の摂理に逆らうのはどやねん、
人間の傲慢と残虐は紙一重でしょう、というメッセージかなぁ。
猫ばかのわたしとしては胸痛む内容でしたが。

ただ生命のコントロールについて考えると
きっこさんのように烈火のごとく怒れないんだなぁ。

どうもこの世には「絶対正しい」という回答はないような気がする。
持論というものは持たないといけないと思うのだけれど
多様な考え方、視点に耳や目をふさいではいけないなぁ
なんてことも考えつつ。

もうひとりの“まさこ”さん、皇太子妃の雅子さんの
自由について思いを馳せる。
静養中のため、わずか8分しか許可されなかった
オランダでの取材映像なんだけど、
愛子ちゃんがあんなに笑ってるのを
はじめて見たような気がする。
お母さんの気持ちをそのまま表現してるようで
うーん、雅子さんやっぱりしんどいんだ~。

さて、皇太子一家の静養について
オランダのマスコミが「静養という名の逃避」という
なんとも真意をついた記事を掲載したそうな。
朝のテレビで取材を受けていた現地の記者は
「宮内庁の記者会見の規制は常軌を逸している
日本の記者もなんであんなに堅苦しいのか」と
異常なガードの固さに首をかしげていた。

だいたい、こういうのが出ると
「人の国のこと、ほっとけ」という人たちが出てくる。
首相の靖国参拝ににチャチャいれてくる
外国に言うのと同じ調子で
「おまえらには言われたぁないわ」とオランダが
どんなに悪い国かという評判をいっぱい流したりする。
「日本の皇室とは歴史と文化がちがう」とかって。

でもまぁ、にんげんって自分自身に関することは
「おまえらには言われたぁないわ」って部分、あるよなぁ。
(亀田のお父ちゃんみたいにあまりお行儀のよろしくない
教育論を堂々と述べる輩には何か文句言いたくなるけど。)

人にとやかく言われたくないこと、というのはある。
いくら自分の国のことだからって「男の子を産め」と
プレッシャーかける国民っていうのはどうなんでしょ。
産む側にしてみたら「おまえらに言われたぁないわ」ではなかろうか。
たしかに皇室のひとびとは公人だから、さまざまな制約がある。
しかしもう象徴天皇なんだから「象徴」として
やんごとないように暮らし、
平和外交やってくれたらそれでよいではないか。
日本国憲法がいまのところそう定めてるんだから。
(そういえば皇太子夫妻の外遊の少なさについて
官邸が外交カードを握りたいがために
皇族から外交の場を取り上げているという説がある。
だとしらたこれって、戦前に軍部の暴走によって
天皇の権限が「あってなきもの」にされた状況と似てない?)
外国に向かっては「うちの国のことをとやかく言うな」と
大声で文句を言い、国内問題においては
「タネもってきてでも男子を」という。
皇室はおめーらの理想の国づくりの道具?

菊のマークが大好きな人たちって
ふたりの男の子を産んだ美智子さん、
たぶん男子出産するであろう紀子さんは
「男子産んで皇族」だけど
愛子ちゃんを産んだ雅子さんは
なんか値打ちが下のように言う。
(「雅子」と侮蔑して呼んだ県庁のK、
あんたのことだよ)

さらには愛子ちゃんが民間の男と結婚したら
「皇族の血が薄まっていく」などと!!

それこそ皇室に対する侮辱ではなかろうか。
天皇家がそんなにありがたいのなら
愛子ちゃんのことも母堂である雅子さんの
自由をもう少し尊重してあげてもいーんじゃない?


テロという自己主張

2006-08-20 10:07:11 | 社会科

母がいま必死で修得にかかっている
レース編み図面の上にどっかと乗るくろすけ。
退屈すると、これをやらかしてくれる。
これも一種の自己主張というか、テロですね。

猫なら可愛いが、人間はそういうわけにはいかない。
「正義」というものに名を借りた暴力というものがほんとうに嫌いだ。
しかし、なんでわたしはこうも過剰反応するのだろう。

そう、さいきんは「怒っておしまい」じゃなくて
「どうして怒るのか」を考える知恵というものがついてきた(笑)

しばらく考えていたら、子どもの頃のある光景が浮かんできた。

わたしの家の中にはいつも「なにがなんでも思い通りにする人」がいた。
祖母である。
仏事に関してはことのほか熱心で
本願寺さんの本堂に似せた仏壇飾りの収集、立派な法事に余念がなく、父から金を引き出し、母を手足のようにコキ使った。
どちらかが「それはできない」などと言おうものなら
全身からネチネチと怒りのオーラを出し何日も口をきいてくれない。
(さすがヘビ年だ)

結局、周囲が根負けして彼女の言い分に従うのである。

反社会的な行為ならともかく、コトは仏事である。
家の先祖を祀るという「よいことをする私のどこが悪い」という祖母。
ソレダケジャナイコトは分かっていたのだが、
母は「でも、だって」と逆らったことがない。

同じ構造で、父が強権発動することもあった。

なんとはなしにやり過ごしてきたが、
いま思えばあれは家庭内ファシズムそのものだ。

祖母と父の方針は絶対で、母は完全に言論封鎖されていた。
「わたしはこう思う」という母の意見を祖母や父が尊重し、認めたという光景をみたことがない。母が何か言えば「うるさい黙っていろ」もしくは嘲笑めいた言葉で無視。
母の気持ちを受け入れる余地など微塵もなかった。

「それでも言う」という人ではない。
「誰かが我慢しないといけないでしょう」と黙って従う。
おかげさまで家の中はいつでも強者のわがままが優先される重苦しい空気のなかで「まあるく」おさまっていた。

「異なる意見に対して パターン1」=力による言論封鎖
「異なる意見に対して パターン2」=本意ではないが隷属

思想弾圧に対する怒り、というのはどうもこのあたりに原因がありそうな気がする。そして「考え方のちがう人間に対して石を投げる人間」と「我慢と爆発をくりかえす私」、というのもまたどこか根のところでつながっている気がする。

意見のちがう人の中でちゃんと自己主張していく方法を身につけてないんじゃないかな。人様の批判ではない。私自身のことね。


美しい国を汚しているのは・・・

2006-08-19 09:48:45 | 社会科


加藤紘一さんのご自宅が焼かれてしまった事件にはどうにもこうにも腹立たしい。
暴力で言論を封鎖するような行為が許せないのである。
あんにょんサヨナラ」というドキュメンタリーの主人公の女性が
今年も靖国神社に「勝手に祀られた」父の名を取り戻しに行ったのだが
そのとき、彼女に浴びせられた汚らしい言葉と罵声も許せない。

右翼団体構成員とか青少年育成××とかってタテの儀礼を重んじる割に
考えのちがう人間に対して平気で暴力や罵声、怒号で威圧する。
うつくしい日本、といいながら街宣車で騒音公害をまき散らすのも彼らだ。
さらに、天皇、英霊という「なんか逆らえないモノ」をタテにして
正義だの聖戦だのをふりかざして暴力をもってでも我が身を立派に見せようとする。
そういうのがイヤだという人を腰抜けだの売国奴だのと罵り
脅し、それでもモノ言う人間には家を燃やしたり殺人に及んだりして
さらに自分も腹かっさばいて「義勇の人」の看板を獲得しようとする。

彼らの中にある「義勇」のウソくささが許せない。
本音は「もっとオレを尊重しろ」なんじゃないか。
皇国という看板に依って立ち、そこの番人でいる限りは仲間があり
過激であればあるほど周囲が驚き、その存在を認める。

「特攻隊」。

命をかけて国を守ろうとした方々を汚すつもりは毛頭ない。
わたしがイヤなのはこの方々を利用して強烈なパフォーマンスで
ニセの正義をみせつけて自己の存在を認めさせようとする
そんな人たちが不快なのだ。

東条由布子というカリスマ

2006-08-16 18:15:46 | 社会科


きのうは37.3度。ウチの市で観測史上最高を記録した。
どーりで暑かった!

暑いので冷たい麦茶をがぶがぶ飲んでたらお腹はヒエヒエ、胃が痛くて下痢ピーで食欲不振。ああ立派な夏バテ。

この暑さだけでも不愉快なのに首相の靖国参拝に反対してきた政治家の家が燃やされたというニュース。そして朝からハマコーが「行きたくないヤツは行かなくていいんだ」と大声で叫んでいる。
父や叔父が「そこにいる」ことを錦の御旗にして、「日本国首相が行くのがあたりまえなんだ」と相変わらず下品にほたえている。

そんな大声が反対する人の家を燃やすという暴挙につながっているのがなぜわからない。
加藤さん、某元右翼議員のバックにいる団体から嫌がらせや脅迫されていたらしい。

御霊を想う心とかきれいごと言いながら、ちょっと考えが異なると嫌がらせをする。意見のちがう人を脅すことが「うつくしい日本」を愛する日本国民のやることかー。

あの戦争は正しい、東京裁判はやれ押しつけられた裁判だの、戦勝国の勝手な裁きだの。
あれだけの戦争に国民を巻き込んだ人間が「英霊」ってどうよ。
「行け」と言った人と「行かされた」人はやっぱりちがう。

戦犯を「英霊」とすることは、戦争指導者を肯定することになる。
「亡くなったらみな神様」という理屈をここで持ち出されては困る。

加えて東京裁判は戦勝国の勝手な裁判で日本人によるものではないというが、仮に日本人が国内で戦争指導者を裁いたとして当時、あの戦争を肯定し、戦犯を救うような判決など出せるわけがない。
小泉フィーバーの時のようなヒステリック状態の中で東条憎し、天皇の戦争責任が騒がれてもっと多くの「戦犯」が打ち首獄門、さらし首なんかにされたかもしれない。

いま生きている人間ががゴチャゴチャ言う前に「これは命をもってあがなうことである」というのは当事者たちが十分に理解していただろう。自分たちが靖国に祀られる資格があるのかどうか、ということも含めて。

赤紙一枚で「天皇の赤子」なんて洗脳されて「靖国で会おう」と、さも美しい言葉のように持ち上げているけれど、生きて帰った人たちの中には「結局、そういう気持ちにさせられた」と思っている人たちもいる。
「靖国で会おう」を美しい楯にする人たちは戦死をうつくしいものとしたいだけなのだろう。特攻で玉砕し、餓死し、半死で置き去りにされた人たちの最後はあまりにも無惨だ。その死は決して美しくはない。もし彼らがいまこの世で戦争を指導した人に会ったら「俺たちの青春を返せ」と叫びたいだろう。思いを残したまま靖国で戦友に会い、何を語るというのか。

戦地から帰ってきたひとたちが語る「戦場」の悲惨さや「兵隊にとられた者」としての言葉、広島、長崎の人々が語る「被爆体験」と“靖国を美化”する人たちのこの温度差は何なのだろう。

分祀論になると「霊はひとつになるからそれは不可能」で、しかし魂はそこにはないからかまわないというわけのわからない理屈もなんとかしてほしい。
合祀を取り下げてほしいという人には「名前だけですから」と言い、ありがたいと想っている人たちには「ここに英霊が集う」などという重々しいことを言う。

さらに、A級戦犯合祀についての新聞発表は1年後だった。そのプロセスがまったく明瞭でないことを棚上げにして「国会決議、天皇の御裁可もいただいている」という一点張り。「兵隊にとられた」人々の遺族はもとより、世論には何も問いかけてもしないで「さっさと」合祀してしまった。

結局、合祀賛成派は通らぬスジを屁理屈いっぱいつけて通してしまった。そして「もういいじゃないか」と国の決議を楯にしてジリジリと「あの戦争は正しかった」という方向に世論を導こうとしている。

で、いまその象徴として担ぎ出されているのが東条由布子さんだ。

昨日、お昼のワイドショーに出演していた彼女はキュッと唇を結び、靖国分祀論者、中国や韓国に迎合する反日分子には負けるものかというぶあつい鉄仮面をつけていた。

東条英機の遺族としてさぞやの思いで生きてこられただろうというのは想像に難くない。
しかし、心のどこかで「祖父は悪くない。いつの日か名誉回復を」と、怨念ともいえそうな信念のもとに今日を迎えているのがわかる。

靖国神社にA級戦犯が合祀されたことについては「国と国民が決めたこと。国民の総意」をくり返していた。

ご本人の意見というより「言わされてるなぁ」という感じは否めない。
皇国史観に依って立ってる保守派の人々は、誰か柱となる人の言葉を鵜呑みにしているのだろうか。判でついたようにみんな同じコトを言う。周囲が白い目で見る中、必死になって自分たちの「思い」を擁護してくれる人のところに依って立ってる感じがしてならない。
新保守派の意見そのままで、どこから攻撃されてもいいように理論武装を重ねに重ねてマイノリティの立場から多数派に挑んでいるのがわかる。

その皇国史観、保守派の広告塔、東条由布子さんは櫻井よし子さんと同じように、生まれも育ちもよくて、義侠心が強く、負けた側に立って毅然と言うべきことを言う。「無礼者!」って言いそうな武士の娘のタイプ。典型的なええとこの社会派お嬢さんとお見受けする。

あまりに興味深いので東条由布子さんについてネットをめぐってみた。

その著作について

「岩浪(東条さんの本名 岩根淑子) 由布子氏が書いたこの本はまさに世間への強い恨みが綿々と続く書でした。自分の父親(東条英機の長男)は「いい学校」(都立戸山高校)を出たのに、東条の子供であるが故に進学できなかった、とか自分が就職した時は外国プレスに色々取り上げられた、とか、自慢話でっか?と言いたくなるような記述が散見される上、彼女の強烈な燃え上がるような自己と東条一族の正当性の主張と世間への怒りには、仮に彼女の主張が全て正しいにしても、反発をしたくなる思いを抑えられませんでした。」

思想について

「だが(東条由布子氏は)、日中戦争は「侵略ではなく、自衛戦争」「中国だけが侵略と言う」「日本は第1次世界大戦後に獲得した利権を守ろうとしただけであり」西欧列強国も日本と同じことをした、これのどこが悪いねん!と居直っている。」

とまぁ、手厳しいが、わたしもそう思う。

A級戦犯の分祀については

「A級戦犯合祀が問題になった際、木村兵太郎陸軍大将の妻で、処刑されたA級戦犯の遺族の会である白菊会の会長でもあった木村可縫夫人らがA級戦犯分祀を提案したが、東條家の強硬な反対で、実現しなかった」

東条英機の孫娘としてメディアで発言することについて

「東条英機の遺言通り「ひっそり生きる事を是とする」彼女の叔父・東条英機の次男・三菱自動車の元社長である東条輝夫氏とは絶縁となってしまったことを自著の中で明かしている」

「東条英機と激しく対立した事で知られる石原莞爾や廣田弘毅の遺族は一切の沈黙を守っている」

という意見は注目したいところ。

東条由布子さんはテレビでたびたび東条英機の遺品を紹介する。その中には遺髪や最後に吸ったタバコなどもあった。
戦後、どれほど石を投げられたとしても東条一族の暮らし向きは地に落ちていない。侮辱は経験しても貧困ゆえに死の恐怖にさらされること、貧困ゆえに身を売らねばならないほどの屈辱をこのひとは味わっただろうか。

元気な身体で戦地に送った息子が返された木箱には石ころすら入っていなかった、また軍属として強制連行されたアジアの人たちの戦後の日々を思うとなんと恵まれたことかと思う。

日本人はもはや東条家の人々を鞭で叩くようなことをしない。おそらく彼女が「合祀されてなぜ悪い」と言わなければ。

「中韓は日本の軍国主義化と叫んでいるが、この日本のどこに軍国主義の流れがあるのか。国内問題に口を出さないでほしい」とフジ・サンケイグループで喰ってる評論家は20年後にも同じ事を言っているだろうか。

政界にジワジワと浸透している保守の思想は「美しい日本」のために人々が批判しにくい錦の御旗を掲げ、格差社会の下方にいる人間が人権や福祉の権利より「我慢」の美学で国に奉仕させる、そんなシステムをつくろうとしている。

東条英機の孫娘が「あの戦争は正しかった」と語るとき、自分自身に依って立つところのない若者が「負けていない日本」の幻にすがりついていく。

東条家こそ、二度と過ちをくり返してはいけない・・・のではないだろうか。


サービス社会の中で自立するということ

2006-08-13 14:35:40 | 社会科

相当なキャリアの専門職女性がヘルパー修行をしている。

長年勤務した会社の無謀な人事異動で昨年、適応障害からの鬱病と診断された。

病気になって人生観が一変し、ヘルパー講習を受講。
常勤しながら週に1度、夜だけのヘルパー勤務で
上級資格の取得をめざしている。

彼女のクライアントは全身マヒの方なのだが、かなり厳しいらしい。
気がつかないのではなくて気が回りすぎる彼女を叱る。

「やめてください、それは自分でできますから」と。

その方はかなり自立心の強い方で、できないことが本当に少ないのだとか。

「“言われる前に動く”という教育をされてきたでしょう。全身マヒという状態ならこれぐらいのことをしないと、という思い込みがいけないみたい」

当事者の必要に応じて援助していくという基本がわかっていても、彼女はつい余分に動いてしまう。余分な気働きが当事者の自立の妨げになるのだということがわかってからは「“これをやってほしい”と言われるまであれこれ聞くまい、動くまいと思っているんだけど、つらいんですよ、これが」とのこと。

仕事や社会生活の中で
「相手が遠慮しながらお願いする前に、こうしてあげた方がいい」と動き
「ありがとう助かったわ。あなたは気がきいてよく働く人ね」と言われる人=有能

言われるまで動かない人=気が利かない、無能

彼女に限らず、女性にはこうした図式が身に染みついていまいか。そして、先回りして動く方が実は楽でもある。

わたしにもこの要素はまんまんだ。
相手のためによかれと考えて先回りして動く。でもそれは相手に合わせるのではなくて自分に都合よく(動きの上でも、気持ちの上でも)、相手を「動かす」ことでもある。
相手もそれを望んでいるであろうと思うので満足してくれるはず、褒めてくれるはず、感謝もされるはず・・・と思って。

ところが「余計なお世話」だったり「重荷」になったりすることもあるし、自立を削ぐ場合もあり感謝されるとは限らない。

そういえば・・・

ビジネスの世界では「ユーザーニーズ」という言葉がよく出てくる。顧客の「これあったらいいのに」を先回りしたサービスが質の高いサービスとなり売上向上につながる。

女性がこれまで教えられてきた「気働き」やビジネス業界の「サービス」というもの。
はたしてこれには自立を促す効果はあるのだろうか。

家庭における母の気働きと商業主義化されたサービスの中で自立した子どもって、育つのかな?