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プラネット・アース

2006年05月04日 | 趣味
誰もみたことのない地球の素顔を、極上の映像で描く
 
これは、NHKとBBCが五年の歳月をかけて撮影・制作した大型自然ドキュメンタリー。
神秘と美しさにあふれる生命の星・地球の姿を、最高のハイビジョン映像で描いた野心的なシリーズです。
二十一世紀に入り、私たちは地球上のすべての自然を知っていると思い込んではいないでしょうか?しかし、まだ目にしたことのない風景、見たことのない生きものたちのスペクタクルが地球には残っています。
ツンドラ平原を大移動する数万頭のカリブーの群れ、その後をつけ狙い襲いかかるオオカミ。乾期の砂漠で砂嵐に巻き込まれ、群れからはぐれてしまうゾウの母子、、、。地球には不思議に満ちた自然景観があふれ、そこには誰も見たことのない野生のドラマがあります。 これまで撮影困難だった大自然の景観。そして、千載一隅の決定的瞬間。これらをおさめるために、BBCが培ってきた世界第一線の自然・動物カメラマンの力と、NHKがもつハイビジョンの新しい技術が結集。全世界200カ所以上で大自然と向かい合いました。
 
撮影日数は、のべ2000日。コウテイペンギンの南極・越冬撮影、地底数百mで10日間キャンプしながらの洞窟撮影、山賊の襲撃におびえながらのユキヒョウ撮影など、限界への挑戦の連続でした。
そして誰も見たことのない私たちの「地球の素顔」をとらえることに成功したのです。
シリーズは、地球の環境ごとに11本で構成。第一シリーズでは、「生きている地球」「淡水」「洞窟」「砂漠」の4本。第二シリーズでは、「高山」「草原」「浅瀬」の3本。第三シリーズでは、「極地」「森林」「ジャングル」「深海」の4本を放送いたします。
 
惑星・地球が作り出したダイナミックな環境と、そこに生きる生きものたちのドラマを、かつてないスケールで御届けします。

<5月7日-10日>
第1集「生きている地球」
第2集「淡水に命あふれる」
第3集「洞窟 未踏の地下世界」
第4集「乾きの大地を生きぬく」

<今後の放送のご案内>
第2シリーズ(10月にお送りする予定です。)
 第5集「高山の輝き」
 第6集「果てしない草原」
 第7集「渚 あふれる命」
第3シリーズ(2007年1月にお送りする予定です。)
 第8集「凍った世界 極地」
 第9集「樹木の小宇宙 森林」
 第10集「ジャングル」
 第11集「知られざる海」


藤田嗣治

2006年03月31日 | 趣味
@東京国立近代美術館。

エコール・ド・パリの作品群のなかに必ず登場する藤田嗣治。
しかし、その全貌はよく知らなかった。

彼がフランスではじめて目の当たりにしたのは「絵画の自由さ」だったという。
生涯をとおして画風が激しく変転する。
これまで印象深かった乳白色の画風や猫の描写はその一断面に過ぎなかったようだ。
戦争画を描いて以降の作品は動きの描写がダイナミックになっているような気がする。
特に、晩年の宗教画。

大手町と竹橋のあいだは徒歩15分ぐらいか。
丸の内オアゾにはじめて行った。
というかはじめて存在を知った。
梟のキーホルダー(時計)を買った。
地球儀も面白かった。
散歩してみるもんだ。

民主党、偽メール問題で前原代表辞任。

セガンティーニ

2006年03月25日 | 趣味
Bunkamuraで開催中の「スイス・スピリッツ-山に魅せられた画家たち-」展にセガンティーニの作品が出展されていた。
「アルプスの昼間」という作品。
画像はセガンティーニの代表作であり遺作でもある三部作「生」「自然」「死」のうち「死」。
これはさすがにスイスのセガンティーニ美術館まで行かないと見られないようだ。

ミュージアムショップで面白いものを探していたら、小学校低学年ぐらいの女の子がからんできた。
おもちゃをいじりながら「すごーい」とはしゃいでいた。
何の警戒心もなく知らない大人にかまってほしそうにしている無邪気な女の子。
「おうちの人は?」と聞こうとしたらお母さんが現れ、「すみません」といって連れて行った。
子どもというのは楽しい場所や面白いものの前では全く人を警戒しないということがよくわかった。
こうして子どもは犯罪に巻き込まれていく。

ヒトラー

2006年02月22日 | 趣味
「ヒトラー-最後の12日間-」を見た。
ヒトラーに心から忠誠を貫くナチス幹部と幻想から目覚めつつある幹部とのギリギリの駆け引きが描かれているように思った。
主人公のユンゲと親子のふりをして敵の包囲を脱する少年は架空の登場人物か。
映画らしいドラマ性を演出していたのはあの場面だけだった。
あとは何の盛り上がりも起承転結もなく、時系列順に淡々と出来事が展開していく。

歴史の重大局面に居合わせているようなリアリティ。
ここまで再現できたのはたいしたものだ。

バーク・コレクション

2006年01月31日 | 趣味
@東京都美術館。
よかったもの。
・マンガちっくな「源氏物語絵巻」 室町時代(15世紀)
・英一蝶「雨宿りの風俗図屏風」 江戸時代(1709年以降)
・酒井抱一「桜花図屏風」 江戸時代(1805年ごろ)
・円山応挙「芦雁・柳に水上月図屏風」 江戸時代(18世紀)
・長沢蘆雪「月夜瀑布図」 江戸時代(18世紀)
・谷文晁「瀑布図」 江戸時代(1827年)

ついでに東博「書の至宝」。
爺さん婆さんが多かった。

HOKUSAI

2005年12月03日 | 趣味
HOKUSAI展@東京国立博物館。

ディベートのあとT氏と昼食を採りながらよもやま話をしていたら、いつのまにか2時半になっていた。
上野についたのが3時半ごろ。
「こりゃゆっくり見られないな」と思いつつ東博に入場したら、70分待ち。
一瞬あきらめて都立美術館の展覧会に行こうかと思ったが、HOKUSAI展は明日で閉幕なので並ぶことにする。

途中「特別展のみ6時まで延長」の館内放送。
「そうじゃなかったら入場させねーよな」と思いつつ会場へ。
会場内は異常な人口密度。
入り口付近の展示が小さい作品ばかりなのでますます混雑に拍車がかかっている。
仕方ないのでいつもの作戦を実行。
まず足早に会場内の全ての作品を一瞥する程度に見て、全容を把握する。
最後まで見たら最初にもどって、もっとよく見たい作品をとじっくり見る。
なぜこんなことをするのか。
展覧会の入り口付近は閉館1時間ぐらい前が最も混雑する。
出口付近は閉館30分ぐらい前が最も混雑する。
人は入り口から出口に向かう方向に流れるからだ。
実際、閉館30分前には入り口付近には本当にまばらにしか人がいないこともある。
もう入場は打ち切られているからだ。
だから、残り30分になったら最初にもどってお目当ての作品だけをゆっくり鑑賞するのが得策なのだ。

結局、閉館時間がさらに30分延長されて6時半になったので、予想に反してかなりゆっくり見て回ることができた。

で、感想。
数年前に常設展でやっていた「富嶽三十六景」の特集に毛が生えたようなものかとおもっていたが、かなり違った。
北斎の溢れんばかりの才能が生々しく伝わってきた。
ゴッホが北斎に憧れたというのも納得できた。
70分並んだ甲斐があった。
大地の塔とはえらい違いだ。

フェルメール

2005年08月16日 | 趣味
「ドレスデン国立美術館展-世界の鏡」@国立西洋美術館。

フェルメールが見たかっただけなので他にどんな展示品があるのかほとんど知らなかったのだが、最初の「美術収集室」のコーナーに出品されていた各種の科学計測機器が興味深かった。
フェルメールの絵には地図や地球儀がよく出てくるのだが、最初のコーナーには当時の地球儀も展示されていた。
その詳細さには驚くばかり。
それを精密に描写するフェルメールもすごい。

東博で国宝・納涼図屏風(久隅守景筆)も見た。

お昼ごろ地震があった。
結構大きな地震だったことを後で知った。


恐竜博2005

2005年07月01日 | 趣味
上野公園に寄って(というか行って)、「恐竜博2005」を見てきた。
「世界最大の恐竜博」(2002)、「驚異の大恐竜博」(2004)につづく、恐竜シリーズ第3弾だ。
なんとなくシリーズ全てを見ておかなければスッキリしない気持ちがあった。
今週末で閉幕なので、早めに仕事を切り上げて足を伸ばしてみたのだ。

目玉のはずのティラノサウルス「スー」の骨格はレプリカだった。
以前の博覧会では巨大な全身骨格の実物がいくつも展示されていたことを思うと、明らかに見劣りがする。
考えてみれば、科博の展示室にそんな巨大な化石が入るはずがない。
しかし、さすが国立博物館だけあって、解説プレートはわかりやすく、内容も濃かった。

恐竜が滅びたあと、少数の羽毛恐竜の子孫が生き延びて鳥類になった。
しかし実際には、恐竜と鳥類の関係はそれほど単純ではないらしい。
近年の研究成果によれば、恐竜と鳥類の間には明確な境目は見いだせないのだそうだ。

シルクロード

2005年06月17日 | 趣味
1985年に新疆ウイグル自治区の且末県で出土した、まるで今眠りについたかのような「こどものミイラ」。副葬品として牛の角の杯と羊の乳房の皮を縫い合わせて作った哺乳器が納められている。
身長は51センチ、年齢は8か月から1歳と考えられ、頭には青い羊毛の帽子をかぶり、身体は赤い毛布でくるんだ上から赤・青二色の毛糸を寄り合わせた紐で縛ってある。

☆☆☆☆☆

新シルクロード展@江戸東京博物館。
2002年に東博で開催された「シルクロード展」と同じものが多く出展されていた。
楼蘭の「木製ミイラ」、ダンダンウィリクの「如来図」、新疆ウイグル自治区博物館の「嬰児ミイラ」(写真)などがみどころだろうか。
Nスペで「東洋のモナリザ」と紹介されていた「如来図」をみられたのはよかったが、絵はがき以外のグッズはすべて売り切れだった。
残念。

ベルギー象徴派

2005年05月19日 | 趣味
18日。
午前中、小学校を訪問。
午後、教材用ビデオを借りるため、某資料センターへ。
そのあと、ベルギー象徴派展@bunkamura。

19世紀、ヨーロッパの産業化にともなって登場した印象派の画家たちは、刻々と変わりゆく都市や農村の情景、そこに生きる人々の日常を鮮やかな色彩で印象的に描いた。
ところが、そんな「今」から距離をおき、進歩や発展、常識や公序をあざ笑うかのように、目に見える世界の陰にかくされた死・性・愛などの神秘的なテーマを追求するグループがあらわれた。
それが「象徴派」の画家たちだ。
象徴派の詩人モーリス・マーテルランクは、「隠された真実こそが、われわれを生かしめるのだ」と言った。

阿部謹也氏によれば、キリスト教的合理主義に基盤をおく近代ヨーロッパ社会は、人々の日常生活から神秘空間を排除することによって成立したという。
中世ヨーロッパでは、阿部氏のいう「大宇宙」と「小宇宙」のあいだに「死」「性」「大地」などを司る神秘空間が存在しており、それが人々の日常生活を支配していた。
一神教であるキリスト教はその神秘空間を排除した。
それによって近代社会が成立したのだという。

そうしたときに登場したベルギー象徴派とは、近代社会が「闇」に押し込めてしまった人間の生の真実に光をあてようとした挑戦的な絵画様式だったのかもしれない。
「闇」を直視するには恐怖が伴う。
おぞましい絵が多いのも納得がいく。
まさに悪魔の絵画なのだ。
(画像はジャン・デルヴィル「死せるオルフェウス」)