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直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

自殺前の声かけ

2020年11月30日 | ちょこのひとかけ
ぼちぼちと、自殺した人の周りの話などを見ていたら、
「最後に話したけど、あのとき違うことを言っていれば
自殺は防げたのかもしれない」
みたいな内容が出てきて、すごい発想するなと思いました。

自殺する人は、何も考えずに適当に死ぬわけではなく、
なにがしかの原因があり、その解決法として死を選びます。

たとえば、
『フルタイムで働いても月の手取り十数万で、糊口をしのぐのがやっと。
この先病気や年で働けなくなったら住むところもなくし、
のたれ死ぬしかない。だから、そこに行く前に今、死のう』
というような。

そんな状況の中で他人と出くわしたとして。
その他人の何かの言葉で、自殺しなければいけない状況が
変わるものでしょうか?

たとえば、
「生きていればそのうちいいことがあるよ」
とか言ったとして、自殺する人が
自殺しなくていい状況になるでしょうか。

……といえば、なるわけありません。
言葉のひとつふたつかけたら
自殺する人が自殺しなくてもよくなって、
その人の言葉で人生取り戻せたありがとうありがとう
などという状況にはなりません。
そんなのを期待しているのだとしたら、
死ぬ人の人生への侮辱もはなはだしいです。

自殺する人には自殺するだけの、自殺しなきゃいけないだけの原因があり、
その原因を取り除かない限り、自殺します。
その原因がたかが言葉、たかが声かけだけで解消できません。
最後に話した罪悪感だかなんだか知りませんが、
「あの時なにか言葉をかけておけば救えた」
などということは絶対にありません。


個人的には、
「生きていればそのうちいいこともあるのに」
というような言葉も大嫌いです。

まともな稼ぎもなく、貯金もなく、
何かあれば即座に、何もなくても将来的に、
住むところを失い、病気になっても治療もできず
死ななければいけない人がいたとして。
その人が得られる『そのうちのいいこと』とはなんでしょうか?

たとえば、どうにかぎりぎり死なない程度に生き続けて、
死ぬ前の一か月なり一年なりに、一億円くらいもらうできごとが
あったとしたら、それは『いいこと』なのでしょうか。

若いうちにそのお金が入っていれば、
住む場所を失うこともなく、自分の歴史を込めたものたちといっしょに
それなりの生活ができて、病気の治療もできて、
それなりに生きられたかもしれないのに。

死ぬ前にお金をもらったところで病気の治療はできずに無駄だし、
住むところも、処分した思い出のあるものも戻ってくるわけではないし、
旅行に行ってもなにもならないし、人生を豊かにする使い方はできません。

周りの同じ世代の人々は、
他人と思いを寄せ合い、自分たちの家庭を作り、
場合によってはこどもも作り、
社会に出て苦しまないだけのお金を稼ぎ、蓄えもあり、
乗り越えられるだけのちょっとした苦労をしながらきづなを深め、
生きて、歴史と幸運を積み上げて、人生の高みへと向かっているのに、
底辺に生きる人は、どれだけ上を目指そうとしても、
積み上げようとしたものは周りの鬼たちに片っ端から崩されるだけの
三途の川原生活です。

『何か』が起こって幸せになれる人は、
元から幸せに生きている人です。
元から幸せにも生きておらず、底辺に生きている人間は
生き続けたからといってしあわせにはなれません。
より悪く、より不幸になっていくだけです。

底辺に生きる人は、早く死ぬことこそが、
相対的に見て『しあわせ』なのです。

だから、
『生きていればそのうちいいことがある』
という概念自体が間違っています。


自殺者に送る言葉は、
『まだ苦しみがすくないうちに死に切れてよかった』
『死に損なわずにすんでおめでとう』
くらいで充分です。

『言葉をかけたら生き延びたかもしれない』
(=お前の人生は言葉のひとつふたつで変えられるような
 薄っぺらいものだと思ってたのに失敗した)
というようなバカな言葉は出さないで欲しいと思います。
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