直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

南大塩 津島神社の石碑の看板の暗号

2020年09月08日 | ちょこのひとかけ
ネットで、おもしろげな看板と写真を見ました。
看板の文は以下。

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津島神社の石碑

「妙義大権現 金毘羅大権現 秋葉大権現」と
三行に分けて伸び伸びと書いてある。

南大塩へ一人の修験者が来、土地の人達から尊敬されていた。
そして請われるままにこの文字を書き与え、
村人によってこの碑が完成した。

碑が建てられて間もなく別の修験者が通りがかり、
「立派な碑ですが、一箇所不思議な所がある」
と言って立ち去った。

このうわさが 書いた修験者の耳に入り、
修験者は改めて碑を見つめなおして、顔色を変えると、
弟子を一刀のもとに切り捨て、村から立ち去ったと言う。

碑の建てられたのは享和二年(1802年)、
弟子がこの碑文にどのようなことをしたのかわからない。
(伝承)

南大塩区

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場所はこれです。
◆◆画像20-09-08◆◆



こういう神社関係の文章は大好きです。

しかも、内容や書き方がすごくおもしろく、
もしこの内容の時代が1400年以上前だと述べられて、
神の名が当時の神のものであったとしたら、
何かしらの真実が含まれていると考えて
調べ始めてみるくらいの響きを持っています。

もし、古代神道の話なら、
『津島神社』、場所が諏訪の近くということですから、
登場人物としてまず考えるのは、
『津島』、すなわち現在の『対馬』の方向から飛ばされた、
タケミナカタの関係者です。

完全に時代が違うため、ありえませんが……
古代神道に通じるような書き方をされた、すごくいい感じの文です。


せっかくなので、この看板についてちょっと考えてみます。
看板の文章をまとめると、

・南大塩の修験者Aが文字を正しく書く→村人が正しく彫る
・彫ってすこしすると修験者Bが来る→碑に不思議なところがあると言う
・修験者Aは碑を見直す→弟子を切り殺す

という感じになります。

修験者Aは文字を正しく書き、村人も正しく彫ったのですが、
修験者Aの弟子が、完成後のすこしの間に石碑になにかしたようです。
さて、何をしたのでしょうか。


●弟子の行為

碑の完成後、大勢の村人が見ても、
修験者Aが見流しても、異常に気づきませんでした。
修験者Bが見て、気づき、
『どうしてそんなことをするんだろう』と思えるようなもの。

修験者Bの言葉で、修験者Aが見直してもすぐにはわからず、
じっくり見て初めて気づき、
意味がわかったら修験者Aが弟子を切るほどのもの。

このことから、弟子がおこなったのは、
修復不能な行為だったと考えられます。

つまり、碑を削る、彫る、といった行為です。

でも、他人にはまったく気づかれず、
修験者Aも言われなければ気づかなかったことから、
それはとても些細なものだったと考えることができます。


●行為の意味

修験者Bはおかしさに気づいたものの意味がわからず、
不思議なところがある、と述べたということですから、
それはほぼ気づかれず、気づいても普通の人には
理解できないものだった、と考えられます。

すなわち、弟子は暗号を刻んだ、と言うことができます。

たとえば、大戦のときの検閲手紙に使われた針穴暗号。
普通の文章の横に針で穴を開け、穴文字を読めば別の内容が出る
という形式があります。
碑文の文字の横に薄く点が彫ってあり、そこをつなげたら
別の内容が出てくる、というようなものです。

これなら、近づいてよく見なければ異常はわかりませんが、
『不思議なのは一箇所だけ』という内容があるのでこれはありません。
でも、そういった感じの暗号です。

実際に、碑の表面の凹凸を抜き出して見られれば、
作為の跡が読み取れるものかもしれません。
でも、実際にかつてなにかしらが彫られていたとしても、
碑自体が古くなってしまったため、わからないかもしれません。
あるいは、作為を見て取れたところで、
暗号になっているのでしょうから、理解はできないかもしれません。

そこで、考え方を変えてみましょう。


●弟子は何をしたかったのか の前に

暗号はおそらく解けないので、
弟子は暗号で何を伝えたかったのか、を考えましょう。

こんな碑文に何か暗号を残すとしたら、なんでしょうか。
弟子が師匠の碑に手を加えようとしたら、
どんなことをするでしょうか。

これについて考えるには、まず、師匠である
修験者Aについて考える必要があります。

修験者Aは、
・村に来たよそ者で
・村人に尊敬されるようになり
・字がうまく
・弟子を連れていて
・弟子を一撃で殺せる
という人物です。
ここから読み取れるものがあるでしょうか。

……この人は、ほぼ間違いなくニセモノだというのが、わかったでしょうか。


●修験者Aについて

ここで、修験者というものについて考えましょう。
たとえば、有名なお話、『勧進帳』。

『勧進帳』では有名な源義経は修験者の格好をしていました。
昔から、修験者というものは移動ができて身分も隠せるジョブだったのです。

本来の修験者というジョブは、修行をする宗教者です。
その修行というのは宗教のものであって、
人を殺すためのものではありません。
かつての寺院では僧兵などがいて、
人を殺す練習もしていましたが、
江戸時代にはそれほどの力はないはずです。

なのに、修験者Aは、弟子の行動の意味を知ったとき、
一刀のもとに切り捨てた、と言います。
修験者Aは、一撃で人を殺せるほどの腕を持っていたということです。

これは、修験者Aが殺人狂、刀狂いで
人を殺す練習をしていたというのではありません。
それまでに、村人に尊敬されていたとあるのですから、
本来修験者Aは、尊敬される人格者であり、
書を求められるようなカリスマ性を持った人です。

これをまとめると、修験者Aは、
・身分をごまかせるジョブの修験者であり
・よそから来た人であり
・村人から尊敬されるほどの人格者で
・書を求められるほどカリスマ性があり
・字がうまく
・お供を連れていて
・お供の弟子を一撃で切り殺す腕の持ち主で
・時には人を殺す判断さえできてしまう
という人物であったとできます。

古代神道の時代だと、修験者Aのような人は、
戦に負けて逃げ延びた、一族の長あたりの人物です。

江戸時代あたりだと、どこかの国のお殿様や、
主君を失って反撃や復活の機会を待ちながら潜んできる重臣……
とかそういう感じになるのでしょうか。
江戸時代にはまったく詳しくないので知りませんけど。


●弟子は何をしたかったのか A

では、そんな修験者Aについている、お供の弟子は
師匠の手に、何をしたのでしょうか。
石碑に手を加えて、暗号を作り、何を表現したかったのでしょうか。

これには個人的には、二つの可能性が考えられます。

ひとつは、『師匠を貶めたものへの呪い』です。

こんなすばらしい師匠なのに、
修験者に扮して身を隠していなければいけないなんて。
師匠をこんな立場にしたあいつめ!
……と、書かれた文字のどこかに手を加え、
相手を貶めるものにしたというもの。

これなら、たとえば、『秋』と『葉』の間に小さく点を彫ってしまうとか
そういったことでも簡単にできます。

修験者Bにすれば、何でそんなことをするんだろう、不思議だ
とも思う内容になります。

すると、その意味が他人にもわかってしまえば、
自分たちだけでなく、村人たちまで反意ありとみなされ
罰を与えられてしまうからと、修験者Aは
張本人の弟子一人だけを切り殺し、
自分の存在を匂わせて逃げるという行為につながります。


●弟子は何をしたかったのか B

弟子がした行為の可能性、
もうひとつは、『師匠を誇りたかった』です。

修験者に身をやつしていても、あふれ出るカリスマ性、育ちのよさ。
請われて字を書き、ずっと残る碑になる師匠は、
実はこんな人なんだぞ!
……と、書かれた文字のどこかに手を加え、
師匠の名前を出したというもの。

よくある下卑た人々、下卑た場所では、
すごい人の名前は便利に使って売りにしたいものです。

たとえば、源義経や空海の名前を使って、
ここで腰掛けただの、ここで杖を突いただの、
栗につめで傷をつけただの、海の向こうに渡っただの、
いろいろな話は今でさえ残っているでしょう。

逆に、すごい人が来たけど、絶対に名前は出さない、というのは
神道や平氏がらみの話に多いです。
特に平氏の落人は実際にいて、
見つかったら本当に殺されるものであったらしく、
村人には言わないか、あるいは村人は知っていたとしても
お約束として絶対に気にしないことになっていたことが伺えます。

名前を出さないこの碑の伝承が名前を伝えるものだとしたら、
たとえば、金毘羅大権現の『毘羅』の間に点を打つなどで
金毘羅の別名、『金刀比羅』『琴平』を意識させ、
平氏の人間だとにおわせることができます。
時代が違うので別に平氏ではないのでしょうが、そういう概念です。

すると、名を隠して潜んでいる修験者Aは、
これを見て誰かが気づき、
村人たちが自分たちをわかっていて匿ったと言われ、
咎を受けてはいけないとして、
弟子を切り殺し、一人の責任とし、
殺した自分はまた隠れるという行為につながります。



●まとめ

以上を考えると、わたしは、この碑で重要なのは、
『弟子が行った石碑改竄とはなにか』ではなく、
『これほどの修験者とはだれか』であると思うのです。

そして、こんなに修験者を語ろうとするのに、
あえて石碑のほうに意識を向けようとしていることを考えると、
弟子の暗号は、修験者の名前を告げるものだった、というほうが
可能性が高いと思います。

すると、石碑の文字自体に暗号を入れればいいことになるので、
切り殺された弟子というのはいなかったのかもしれないと
考えられるようになります。

……とはいえ、これはわたしの知っている時代に基づいての話ですから、
江戸時代のことや、当時のその場所付近の状況をちゃんと考慮に入れられれば
まったく違う話になるのでしょう。
たとえば、隠れるとして有名な隠れキリシタンだとか。

あるいは。今もそこらへんに住んでいる人には
普通に伝わっていたりする話なのかもしれません。
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