直列☆ちょこれいつ

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愛と勇気だけが友達ではないアンパンマン

2012年03月11日 | ちょこのひとかけ


こどものころ、テレビでアンパンマンを見ていました。
それからしばらくのあと、歌詞の内容を考えて、愕然としました。
『アンパンマンのマーチ』の一部分、

♪愛と勇気だけが友達さ

です。

アンパンマンはあんなに友達がいそうなのに、
あれらすべて別の何かで、本人の友達は愛と勇気だけなんて、
なんて欺瞞に満ちた、そして大人っぽい付き合いなんだろうと思いました。
でも今日、別の可能性に気づいたのです。

それはふと、『勇気一つを友にして』を鼻ずさんでいたときです。
『勇気一つを友にして』は、
♪昔ギリシャのイカロスは~
から始まる歌です。

続きは、
♪ロウでかためた鳥の羽根
 両手に持って飛び立った
 (中略)
 勇気一つを友にして
です。

この歌では、飛び立つイカロスを、第三者視点で見ています。
一番の要点を簡単にまとめると、
『イカロスは飛び立った。勇気一つを友にして』となるでしょうか。

一方のアンパンマンのマーチは、
二番らしい部分を軽く抜き出すとこんな感じです。
♪(前略)
 忘れないで 夢を
 こぼさないで 涙
 だから君は飛ぶんだ どこまでも
 そうだ おそれないで みんなのために
 愛と勇気だけが友達さ
 ああ アンパンマン やさしい君は
 行け みんなの夢 まもるため

この部分だけでも、『忘れないで』『こぼさないで』
『飛ぶんだ』『おそれないで』『行け』と、
命令に近いものが使われています。
この歌はアンパンマンに命令する歌なのです。

この部分を要約するとこんな感じでしょう。
『アンパンマンよ飛べ。愛と勇気だけを友達にして』

実は、『勇気一つを友にして』の一番部分の要約、
『イカロスは飛び立った。勇気一つを友にして』と
ほとんど同じ構図が使われていたのです。
たんたんと第三者視点で言うのか、
命令する視点で言うのかの違いです。

そこで『勇気一つを友にして』を見てみたところ、
発表は1975年だそうです。
一方の『アンパンマンのマーチ』は、1988年だそうですので、
影響があってもおかしくない年月がありました。


ではその内容、『勇気を友とする』とは
どういう意味なのでしょうか?

それを考えるに、戦場を引き合いに出してみましょう。

兵役についているボビー(仮)さんに
戦場とはどういうものなのかを訊いてみました。

「そうだね、戦闘には隊で出撃する。
隊のやつらは仲間だし、友達だっている。
でも、戦闘中の『友達』はそういうのとはちょっと違うんだ。
そのときのおれの友達はこいつ(サブマシンガン)だけさ。
だって誰もが自分の命を守るために精一杯のところ、
こいつだけは自分のことなんて考えず、
おれのことだけを守ってくれるんだからね」

それを聞き、わたしは書きます。
『ボビーは戦う。銃器一つを友にして』

その後、出撃する様子を見ていると、
隊長のスペードマン軍曹(仮)さんが叫びました。
「ボビー、戦え! (戦場では)銃とナイフだけが友達だ!」

これを簡単にまとめて並べてみると、

『ボビーは戦う。銃器一つを友にして』
『ボビーよ戦え。ナイフと銃器だけを友達にして』

先述の歌ふたつ、
『イカロスは飛び立った。勇気一つを友にして』
『アンパンマンよ飛べ。愛と勇気だけを友達にして』
と同じような内容になりました。

『アンパンマンのマーチ』の歌詞を全部見てみると、
敵を相手にしてもひるまずに行け、というような内容で
どうやら戦闘の歌のようです。

アンパンマンが戦うとき、それは自分の心との戦いでもあるのです。
自分が戦うとき、くじけそうになるのを本当の意味で支えられるのは
自分自身でしかありません。
その自分自身を奮い立たせてくれるのが、『愛と勇気』なのです。
戦闘以外での社会的な友達は、チーズやかばおくんなど
いろいろいても矛盾はありません。

絵本やアニメでは気楽に見えるアンパンマンでも、
戦うときはすごい葛藤があるようです。
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