直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

指宿の読みと由来

2012年11月25日 | ちょこのひとかけ
『指宿』と書いて『いぶすき』と読むこの地名を耳目にするたびに
こんな漢字でなぜそんな読み方になるのかと母が不満をもらします。

せっかくだからと一応調べてみたところ、
とてもおもしろい結果に行き着きました。
二世紀三世紀ごろの古い神社や神道、古文書や古文を研究する
わたしの知識や興味の範囲に関わるものだったのです。

……というところで、調べた成果を残しておくことにします。

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●第一層 『指宿』ってほんとに『いぶすき』と読むの?

現在は常識的に、『指宿』と書いて『いぶすき』と読んでいるわけですが、
この漢字は本当にこう読んでいいのでしょうか?
まずはそこから確かめていきましょう。

『指宿』の漢字を現代音で常識的に読めば、『ゆびしゅく』になります。
決して『いぶすき』とは読めない字です。
なぜ、これで指宿と読むのでしょうか?

こう疑問を持ってみると、まず考えられるのは、
元は『ゆびしゅく』などの地名であり、
それが訛るなどして『いぶすき』に変化したのではないか、ということです。
これを検討してみましょう。

はじめにとりあげるのは、発音がわかりやすい『宿』。

指宿がある場所は海岸なので、とりあえず海岸沿いに、
『宿』を名前に持つ地名が無いかを探していきます。
なぜかと言えば、人の移動が起こった土地は、
元の土地の名前も人と一緒に運ぶことがあるからです。
たとえば、北広島しかり、吉祥寺しかり。

――と、高知県に『宿毛』という地名が見つかりました。
名前の見た目から推測するに、
指宿と直接の関係はなさそうです。
でも、『宿毛』と書いて、『すくも』と読むというのは
注目に値します。

どういうことかと言えば、

『指宿』=ibusuki
『宿毛』=  sukumo

この共通部分は『suk』です。

宿をsuk、スクと読む単語がないかと考えれば、
古代日本の八色の姓の、『宿禰(すくね)』を思い出します。
ほかにも、宿世とかいて『すくせ』という言葉。

どちらもあたらしい言葉ではないので、
『宿』は古くは『スク』の音を持つようだ、と
考えることができるようになります。

『宿』がなまる、もしくは口になれるうちに
新しい発音、『シュク』や『ジュク』が生まれたのでしょう。
九州の上のほうには今宿(いまじゅく)なんて地名も見つかります。


ところで。
古い文献などを調べてわかったところでは、
古代日本語と現代日本語では、発音が違うものが多々あります。
現代日本語は古代日本語に比べ、かなりの音が失われて
簡略化されてしまっています。

もっとも違うものは、子音止めです。
現在の日本語は、ほぼすべてが母音止めでできています。
でも、古代単語を調べていくと、
子音止めを使っていたと考えなければ理屈に合わないものがあるのです。

これについては古代神道の話で出すのがもっともわかりやすいですが、
すこし専門的なものである上、とても長くなるのでここでは述べません。
この話の続きでもすこし解説していますので、
興味があれば先に下部を参照してください。

さて。子音止め単語には目立つ特徴があります。
それは、
 ・同じ単語にいくつかの発音がある
 ・発音が変化しがちである
というものです。

現代日本語の発音は、ほとんどがひらがなであらわせますが、
英語には発音記号というものがあります。
同じ単語でも、二通りの発音で意味が通じることがあります。
子音止め、子音つなぎなどで母音が入らない単語は
発音が揺らぎがちなのです。

いぶすき、すくも、すくね は、全部が母音止めだと考えると
関連性は薄くなりますが、これを子音止めだと考えると
関連性がわかりやすくなります。
つまり、本来の単語は『宿』を『suk』と発音していた、ということです。

いぶすき=イブsuk
すくも =suk モ
すくね =suk ネ

後の日本は母音体系になっていきますから、
子音止めに母音を補い、発音がずれていったのでしょう。

ここから、指宿の『宿』が『スキ』と読むのは、
古い子音止め発音『suk』の変化である、と言えます。
つまり、指宿の『宿』を『スキ』と読むのは、
『ありえる』ということができるということです。

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では、次に指宿の『指』を見てみましょう。

現代日本語では、指は『ゆび』。
けれど指宿は『いぶ』。
『ゆ』が『い』に変化することなどあるのでしょうか?

……といえば、もちろんあります。
『言う』です。

「つまり、どういうことなの?」
「そう言うこと」

の『言う』、どう発音するでしょうか?
現代の一般的日本人なら、『そーゆーこと』として、
『ゆう』と発音しているはずです。

『言う』と単独で書いて読む場合は『いう』。
『そう言うこと』とフレーズで読む場合は『ゆう』。

なぜこんな発音の揺らぎがでるかと言えば、
古い文献、古い言葉の研究上からは、
その言葉の源流に起因している、と考えます。

『いう』が『ゆう』と同じ発音であるとみなせる理由。
違う発音なのに、同じになってしまう原因。
それを合理的に考えるなら、『言う』が
『あ段』単語ではなく、『や段』単語である、
とするしかありません。

では、『言う』の源流は『iu』ではなくて『yiu』なのか、
と言えば、そうではありません。

脱線話ではなく、後に使いますので、すこし深く考えておくと、
『言う』の活用は、

 いわない
 いいます
 いう
 いうとき
 いえば
 いえ
 いおう

です。

これを見ればわかるように、『言う』が『iu』でも『yiu』でも
活用ができません。
『iu』の終止形が『iwa』の未然形に変化できるわけがないからです。

では、『iwa-ない』などの活用を無理なく作れる、『言う』の源流はなにか。
これを考えれば、ひとつしか可能性はありません。
『yiw』です。

活用を書いてみると――

・言わない……yiw a ない
・言います……yiw i ます
・言う…………yiw u う
・言うとき……yiw u とき
・言えば………yiw e ば
・言え…………yiw e
・言おう………yiw o う

となります。
帰納法から、『言う』の源流は『yiw』である、と考えられます。

今は使わない発音を二つも持っている、ということから
『言う』の言葉の生まれはとても古いものだと言えるのです。

ところで、我が北海道弁には、『言う』を使ったフレーズに
『言わさる』というものがあります。
他の地域でも、
『言われる』『言わはる』などの言い回しがあります。

それらを見れば、
『yiw-a haru』(言わはる)、
『yiw-a reru』(言われる)、
『yiw-a saru』(言わさる)、
です。

『言う』の源流、語幹が『yiw』でないと考えるならば、
『言う』の活用、『言う』の方言形には説明ができませんが、
『言う』の源流、語幹が『yiw』であると考えるならば、
方言の語形変化さえ、合理的に説明できるようにもなります。

よって、『言う』の根幹は『yiw』である、とすることができます。

さて。そこで、指宿の『指』に戻ります。
この単語の源流は何でしょうか?
指が使われる単語をたくさん集めたら、何が見えるでしょうか?

・指抜き
・指差し
・指きり
・突き指
・親指
 ・
 ・
 ・

指という単語を並べてみても、発音が変化しているものは見当たりません。
もし指が『yub』と子音止め単語であったならば、別の単語とくっついたときに
発音が変化している例が見つかるはずです。

(例 はじまり)

たとえば『三』を考えてみてください。
『三』という言葉を使ったものには、

・『三位一体』……『sanm ittai』=『さん み ったい』
・『三悪道』………『sanm akudou』=『さん まく どう』
・『三有』…………『sann u』=『さんぬ』
・『三会』…………『sann e』=『さんね』

という、発音が変化した単語が散見されます。

ここから、本来『三』という言葉は
『sanm』、あるいは『sann』という子音止めであったと考えられるのです。

もし後ろに子音のおまけがついた子音止め単語でない、
『三』は単に『san』であると考えるならば、

・『三位一体』……『san i ittai』=『さん い いったい』
・『三悪道』………『san akudou』=『さん あく どう』
・『三有』…………『san u』=『さんう』
・『三会』…………『san e』=『さんえ』

となるはずです。
慣れ音化されたとしても、

・『三位一体』……『sani ittai』=『さにったい』
・『三悪道』………『sanakudou』=『さなくどう』
・『三有』…………『sanu』=『さぬ』
・『三会』…………『sane』=『さね』

になったはずで、分離した上に音が変わるというものは生み出せないはずです。

(例 おわり)

でも、指にはあからさまな変化形が見つかりません。
何かの単語とくっついて読みが変わるものがないということは、
子音単語ではなく、母音単語であったと考えるべきものです。
つまり、わりと新しい単語だと考えられます。

ここから考えれば、『指(ゆび)』には、
『いぶ』と読める根拠がない、ということになります。

ここに考えいたれば、『ゆびしゅく』が『いぶすき』になる可能性がつぶれます。
『言う』の『ゆう』が『いう』になるようには、
『ゆび』は『いぶ』にはなりえないとわかったからです。

なのに、今、『いぶすき』が『指宿』と書かれる矛盾。
これは、本来は違う漢字に、後に無理やり別の字をあてはめたのではないか、
と考えることができます。

たとえば、
『独擅場(どくせんじょう)』が
『独壇場(どくだんじょう)』とされたような。
あるいは、
『あらた(新)しくて使うのが惜し(あたらし)』が
『あたら(新)しくて使うのがあたらし』となり、
『惜し(あたらし)』が
『新し(あたらし)い』となるような。


そこで、指宿を『指宿』以外に書くものを探してみると、
『揖宿』や『湯豊宿』といった表記が見つかりました。

『湯豊宿』は1550年ごろ作られた石碑にある文字だそうです。
一方で『揖宿』は、940年ごろに書かれた平安時代の
百科事典のようなもの、『和名類聚抄』に載っています。
でも、『指宿』は古い書物には記載が見つかりません。

そこから時代が下ると、『指宿村』は『揖宿郡』に属していた
という記述が見つかるようになります。
古い『揖宿』の文字を持つ郡に、
古い由来を持たない『指宿』が村として属するのですから、
『いぶすき』の本来の文字は『揖宿』のほうだと考えることができます。

つまり、『指宿』の『指』は『いぶ』とは読みません。
漢字としても『指』で『いぶ』とは読まないし、
歴史としても『指宿』で『いぶすき』と読むような地名はありませんでした。
何の歴史的意味も無い、単なる当て字です。

では、なぜその文字が変えられてしまったのかを考えると……
可能性はいくつかあげられます。

たとえば、

・かつて村と村が合併などされたときに、
どこかの村人が、揖宿の文字を使うと
吸収された感じがして嫌だと思った

・揖宿の漢字は難しくて意味もわからず読みもわかりにくいので
似た漢字で置き換えてみたいと権力者が思った

・あるいは揖宿の名前を消して歴史の表舞台から消したいと
力のある層が思った

などです。
現代でも、『埼玉』県の浦和市・大宮市・与野市が合併した際には、
『さいたま』市という市ができました。
なぜこうなったか、などと訊かれてもわたしには理由は答えられません。
実際の結果があるだけです。


以上を踏まえて、まとめです。
『指宿』という漢字は、『いぶすき』とは読みませんし、読めません。
歴史的にはそんな字で『いぶすき』と読むことはなかったからです。

『指宿』を『いぶすき』と読む理由は、そう読みたい・読ませたい、
どこかの考えなしが、『そう読むこと』と押し付けているから
そう読むことにされている、というだけです。


……さて。
『指宿はなぜいぶすきと読むのか』、あるいは
『指宿の読みと漢字について考えろ』というようなレポートであれば、
この程度の内容で終わりです。


でも、古文研究や古文書研究などをやっている身としては、
調べたこともある『和名類聚抄』が関わってきたら
おもしろくなってくるので
もうすこし『いぶすき』について考えてみることにしましょう。

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●第二層 揖といぶすき


『いぶすき』の資料に見える一番古い漢字は『揖宿』であるようです。
でもこの『揖宿』、本当に『いぶすき』と読めるでしょうか?

『揖宿』の『揖』の字、読みは『ゆう』です。
『揖宿』に当てはめれば、『ゆうsuk』(ユウスク)のような音に
なるはずです。
でも、なぜ、そう読んでいないのでしょうか。

ここで、古文の解読技法を使い、考えてみましょう。
(こういった技法については、最下部資料の本をご覧ください)

『揖宿』を考えるために、『揖』に関連がある単語を探し、並べてみます。

すると……

『揖』……………ゆう
『揖宿』…………いぶすき
『揖斐川』………いびがわ
『揖保の糸』……いぼのいと

といった感じになります。
『サンプルを複数集めてそこから共通項を探る』という
『帰納法』を用いると、ここから見えてくるのはなんでしょうか?


まず簡単にわかるのは、『ゆう』と『いぶ』で、
開始音が違っているということです。
この発音揺らぎは、論理的に考えて、存在しえるものです。
どういうことかといえば、先述の『言う』を思い出してください。

同じ単語で、始音が『ゆ』と『い』で揺らぐのは、
その単語の源流が、『ア段』でなく『ヤ段』であるものです。

それを考えて書き直すと、こうなります。

『揖』……………yu う
『揖宿』…………yi ぶすき
『揖斐川』………yi びがわ
『揖保の糸』……yi ぼのいと

ここからもまだ共通項が見えます。
……なにかわかるでしょうか?

答えは――
ごく簡単に結論だけ言えば、
『yiv』か『yiw』が共通だと見て取れるのです。

理由をほんのすこし述べるなら。

・『そう言うこと』
=そう『いう』こと
=そう『ゆう』こと

=そう『yiw』こと
=そう『yuw』こと

これをまとめると、
『揖』……………yu w u
『揖宿』…………yi v suk
『揖斐川』………yi v i がわ
『揖保の糸』……yi v o のいと

となります。
『yuw』は『yiw』と同一とみなせるものですが、
『yiw』は『yiv』と同一とみなしていいでしょうか。

これもサンプルが多くあればわかりやすいのですが、
ここでは省きます。
ただ、一応短く現代語で説明しておくなら。

たとえば、『民族車』といったような意味を表す車を考えてください。
ドイツ語で『volkswagen』(ヴォルクス ヴァーゲン)は、
英語で言うなら、フォークス ワゴン。

『wagon(ワゴン)』=『wagen(ヴァーゲン)』です。
同じものをさしている単語の『w』を、
英語は『ゥウ』と読みドイツ語は『ヴ』と読むのです。

ほかにも、英語の『Water(ゥウァーラー)』は
ドイツ語で『Wasser(ヴァッサー)』。
英語では『ゥウ』と読む『w』を、重い発音のドイツ語では『ヴ』と読みます。

逆に、女性の膣を表す『vagina』。
これは、『ヴァギナ』と読まれたり『ワギナ』と読まれたりします。
始音の『v』を『ヴ』や『ゥウ』としているのがわかるでしょう。

このように、『w(ぅう)』音は『v(ヴ)』音ととても近いもので、
発音の揺らぎを考える場合は、
同音であるとみなせるものなのです。

これらのことから、『揖』の読み、
『yuw(ゆう)』=『yiw(いう)』であり、
『yiw(いう)』=『yiv(いヴ)』であるとすることができます。

古代語の使われ方、発音の変遷から考えれば、
『揖宿』で『いぶすき』と、充分読めるのです。


この考えを補強するために、他の文字を参照してみましょう。
『いぶすき』を『湯豊宿』と書いた石碑を思い出してみてください。

一部には、『湯豊宿』を、
「お湯が豊かだったから湯豊で、『豊』を『ほう』と読んで
『ゆほすき』や『ゆほうすき』だった」
と述べたい人がいるようですが、その可能性はまずありません。

『いぶすき』は九州にあり、九州の上の方には
『豊前(ぶぜん)』や『豊後(ぶんご)』の国があったのですから、
『いぶすき』という音に当てている漢字なら、
それと同じく『豊』は『ぶ』と読むのが合理的です。

『湯』は『ゆ』、『豊』は、『豊後』で『ぶんご』と読む、『ぶ』。
あわせて『ゆぶすき』。

もともとの発音が『ゆうすき』であれば、
合理的に考えて、わざわざ『ぶ』の音を持つ
『湯豊宿』という漢字は使わなかったことでしょう。
でも、実際に使って書かれていることから、
『いぶすき』の地名は『いぶすき』という発音であったと考えられます。

この『いぶすき』の『いぶ』は、『指』の字があたることはありえません。
なぜなら、見てきたように、『指』には『いぶ』になる可能性がないからです。
一方で、『揖』の字は古い資料にも存在し、
発音からも『いぶ』と読む可能性が存在します。

よって、『いぶすき』の古く、正しい漢字は『揖宿』であると
ここでは結論付けます。


……さて。
『いぶすき』を漢字で書くなら
『揖宿』が正しいというところまでわかりました。
指宿の読みと漢字について、ちょっと深めに考えてみたらこんなところです。
一般人が納得できるのもここまででしょう。

でも、ここまで来ると、なぜ『いぶすき』は『いぶすき』なのか、
というのがなんとなくにおってきます。
偶然にも、わたしのメイン研究である、
古い神道と内容が重なってきたからです。

これを述べるとトンデモ論に見えるでしょうが、
せっかくなので、いぶすきとは何か、について
仮説を述べておきます。


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●第三層 『揖宿』の漢字と意味(仮説)

いぶすきはどういう地名、どういう名前なのかについて
もうすこし考えてみましょう。

『揖宿』の『揖』が使われる地名には
『揖宿』『揖斐』『揖保』のようなものがありました。

でも『なぜ』、こんな似た地名があるかわかりますか?

こう疑問を持つと浮かんでくるのが、西暦700年ごろの命令です。
かつて、地名は何でも二字にして、縁起がいい漢字を使えと
全国に命令が出されたと言われています。

『揖』はとても古い地名ですから、
西暦700年前にも存在し、それが西暦700年の命令に引っかかったのでしょう。
それにより、『揖宿』『揖斐』『揖保』という種類ができたと考えられます。

『揖宿』
『揖斐』
『揖保』

発音をつけると。

『揖宿』……yivu
『揖斐』……yivi
『揖保』……yivo

これを見て、なにか思い出すところはあるでしょうか。

先に、子音止め単語は発音が揺らぎがちで、
子音部分に母音が補われがちだというようなことを述べておきました。
それを思い出してください。

母音言語圏に生きる人間は、子音単語が苦手です。
口と頭が母音に染まっているので、子音の部分には母音を補わずには
いられないのです。

たとえば、外人が日本人の発音でよく話題にする、『shock』。
英語では『シャッ』程度の発音ですが、
日本人はこれを『しょっく』と発音します。

ほかにもたとえば、英語の『shirt』。
発音は『シャーッ』程度のものですが、
母音言語になった日本語を使う日本人は、
これを『しゃつ(syatu)』と、子音止めの後ろに
母音『u』を勝手に補って発音します。

このように、現在の終音に母音が補われた姿は新しいものであり、
語の根幹が同じで終音がゆれる形が存在することを考えれば、
『揖』の源流は、子音止め単語であり、
発音は『yiv(イィヴ)』であった、と考えられるのです。
『揖宿』『揖斐』『揖保』の地は元々一字地名で
『揖』(=yiv(イィヴ))であったことでしょう。

『揖』の字が『ゆう』と読み、終端に母音がついていたなら、
『揖宿』が『いぶすき』と読まれることはありません。
『揖斐』が『いび』と読まれることはありません。
『揖保』が『いぼ』と読まれることはありません。

『揖宿』は『ゆうすき』になるでしょうし、
『揖斐』は『ゆうび』になるでしょうし、
『揖保』は『ゆうぼ』になるでしょう。

でも、実際にはそうならず、
『揖宿』が『いぶすき』、
『揖斐』が『いび』、
『揖保』が『いぼ』と呼ばれていることを考えると、
『揖』は『yiv』と読み、子音発音であったとしなければ、
この事実に対し、一切の合理的な説明ができません。

『揖』は『yiv』と読み、子音発音であったとすることで、
 ・yivの後ろに『i』をつければ……『yiv i』→『揖斐(イヴィ)』
 ・yivの後ろに『o』をつければ……『yiv o』→『揖保(イヴォ)』
 ・yivの後ろに『u』をつければ……『yiv u』→『揖(イヴ)』宿
となり、子音止め単語の特徴である揺らぎ単語の発生も自然に導けます。

そして、これら同系発音、子音揺らぎ単語の地名が存在することが、
『いぶすき』の元の漢字が『揖宿』であり、
『湯豊宿』でないことの証左となります。

『湯豊宿』が『いぶすき』のもともとの漢字だとするものは、
『揖宿』『揖斐』『揖保』の広がりに説明ができないはずです。
また、『湯豊宿』が『ゆほすき』音だとする者も、
『揖宿』『揖斐』『揖保』の広がりに説明ができないはずです。


さて。
ここで、目に留まるものが出てきました。
『揖斐』、『揖保』は母音の補い漢字をつけただけと考えられるのに、
『いぶすき』は『揖夫(いぶ)』などにならず、
『揖』の一字で『いぶ』と読み、その後ろに『宿』という漢字が
ついているというところです。

なぜ『いぶすき』は、『揖宿』なのでしょうか?

こう考えると、発音のための飾り字を使った
『揖斐』、『揖保』とは違い、
『宿』はおそらく意味語なのだろうと推測することができます。

意味語。すなわち、お飾りの意味の無い表記ではなく、
意味のある単語だということです。

『宿』とは何かと考えると――
現代語にしてみても、意味の基本は『とまるところ』です。

古代貿易港に、『大輪田泊(おおわだのとまり)』などがありますが
あの『とまり』とほぼ同じ意味、つまり『泊まる』、『留まる』を
あらわす単語だと考えられます。

たとえば古代、大勢の人が泊まり・留まりした都には、
飛ぶ鳥と書いて『飛鳥(あすか)』がありましたが、
その漢字は、『安宿(あすか)』とも書けます。
『安宿王(あすかべのおう)』という人もいるほどです。

(補記 はじまり)

ここで、子音止め単語について、念のため補記しておきましょう。

『宿』には

・安宿……あすか
・揖宿……いぶすき
・宿毛……すくも

という発音を持つ単語があります。
『宿』は絶対『shuku(シュク)』である、
あるいは絶対『suku(スク)』である、と考える人は
これら単語の広がり、単語の揺らぎをどう説明するのでしょうか?

『安宿』なんて、『やすやど』でなければ『アンシュク』でしょう。
『宿』をどうやって『スカ』と読むのでしょうか。

また、『揖宿』の『宿』をどうやって『スキ』と読むのでしょうか。
さらに、『宿毛』の『宿』をどうやって『スク』と読むのでしょうか。

『宿』には『すか』、『すき』、『すく』の特殊読みをする発音があるのだ、
と言うのでしょうか?

……こんなもの、まったく合理的ではありません。
発音と表記揺らぎから考えるなら。

・安宿……あすか=asuka
・揖宿……いぶすき=ibusuki
・宿毛……すくも=sukumo

と並べると、共通部は『suk』。
『宿』はもともと『suk』という子音止め単語であり、
本来の発音は

・安宿……a suk
・揖宿……yiv suk
・宿毛……suk mo

であって。
『後に日本語が母音発音になっていくにつれて、
終音や子音連結部に母音が補われたのだ』
と説明するほうが合理的です。

他の言葉を見ても、
子音に母音がくっついてできる単語はかなり言葉として頑丈で、
そう簡単に、似た単語などは生み出さないのです。

一方、子音単語は簡単に変化します。

たとえば、英語の『chalk』。
学校の黒板に書くアレを見てみましょう。

スペルの末端を見てもわかるとおり、母音なんてついていません。
でも、日本人はこれを『チョーク』と発します。
子音終わりである単語に、勝手に終音『u』を補っているのです。

この『chalk』には、別の発音があります。
裁縫をやったことがある人にはおなじみの、
チャコペン、チャコペーパーの『チャコ』です。
これは、子音終わりである単語に、勝手に終音『o』を補っています。

元の単語は子音止めで『chalk』なのに、
終音『u』である『チョーク』と
終音『o』である『チャコ』が存在します。

これが、子音止め単語は母音が補われて発音がぶれる、というものの例です。

まだ納得できないのであれば、もうひとつ例を出しましょう。
『glass』です。

窓にはめる透明な板、魔術では水と同じ扱いをされるアレを
日本語でなんと言うかといえば、『ガラス』です。

また、ワインを注いだり、水物を注いだりする入れ物を
日本語でなんと言うかといえば、『グラス』です。

元は『glass』で、子音+子音であるのに、
母音言語になった日本人は、子音+子音が口に合わず
勝手に母音を出して、
『gl』を『gura』(グラ)と『gara』(ガラ)の
ふたつの発音にしてしまったのです。


このように、母音言語圏の人間は、子音に勝手に母音を足します。
そして、子音単語は母音との結びつきが弱いゆえに、
なじみが出るまでには発音が揺れがちなのです。

『揖』を使った地名に『揖宿』『揖斐』『揖保』というものがあり、
終音の母音だけが揺れている、という事実は、
(現代でも見られる『チョーク/チャコ』や『ガラス/グラス』の
例と同じように)、
子音止め単語の特徴をよくあらわしており、
『揖』がもともと『yiv』という子音止め単語であるとするしか
合理的な説明はできません。

この『揖』の揺らぎ、それに、その他の地名の揺らぎ、
古い神様や古い神社の名前の変化をあわせて考えると、
日本ではかつて子音止め発音が使われていた、という結論に至ります。

(追記 おわり)

ところで、この国に大きな影を落とした古代の戦争に、
『白村江の戦い』というものがあります。
『白村江』をどう読むかといえば、『はくすきのえ』。
また、今も残る名字に『村主』というものもあります。
これをどう読むかといえば『すくり』。

『白村』の『村』は『すき』。
『村主』の『村』は『すく』。

母音信仰者、あるいは母音原理主義者であれば、
『村』には『すき』や『すく』という特殊読みがあるのだ、
とでもお言うのでしょうが、わたしはそんなことは言いません。

他の言葉とくっついて発音に揺らぎが生じているのを見れば
子音止め単語の特徴だと伺えますから、
『すく』は子音止め単語だったのだろうと考えます。

合理的に考えれば、
『白村』の『村』は『suk』、
『村主』の『村』は『suk』、
でしょう。

人が留まった場所の、『村』は『suk』。
人が留まった場所の、『宿』は『suk』。

文字の使われ方と意味を考えるに、『村』と『宿』の源流は同じで、
発音の源流も同じなのでしょう。

つまり、『揖宿』の『宿』は、『人がとどまった場所を表す意味語』
だということです。
簡単に言えば、揖宿の『suk』・『宿』は、
村・居留地などをあらわす単語だということです。

ついでに述べておくと、
ハバフロスクやバイカリスクなど、
ロシアでも人が集まる場所につけられたように見える、
地名の『スク』は、上流において、日本語の『スク』と
同一のものであった可能性が伺えます。
とは言え、わたしの母言語は北海道弁なので、
外国語のことなどはまったくわかりませんから
これも仮説にしか過ぎませんけれど。


では、『揖』とはなんでしょうか。

国字だとお辞儀をする、などの意味がありますが、
古代の地名にある漢字は、ただの音をあらわすだけで
まったく意味がないことが多いです。

たとえば、アイヌ語を元にした北海道の地名を考えてください。
『札幌』とはどんな意味でしょうか?
漢字を見れば、『幌馬車でやってきた移民団がそこで定住しようと決め、
出自を示す札や名札を打ち込んだからついた』
とかなんとか適当に話も作れますが、漢字に意味なんかありません。
アイヌ地名の音に無理やり漢字をつけただけです。

日本語の地名も、古いものは
漢字のない時代に呼ばれていた発音があり、
その音に対し、後に漢字が入ったときに漢字をあててしまったようです。

でもその後、その漢字を見た人が、
適当にその漢字を駄洒落にして、
地名の由来譚を捏造するということが各地で起こってしまいました。
……先にわたしがでっちあげた、札幌のニセ由来のように。
漢字は便利ですが、呪いでもあります。

よって、古代からある地名においては、
漢字の意味は基本的に考えなくていいのです。


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さて。『いぶすき』全体の話に戻りましょう。

先述したように、『揖』は『yiv』か『yiw』で、『ィイヴ』です。
発音は『イヴ』のほうに近いので、
ここでは『yiv』である、として話を進めます。

『v』音(ヴァヴィヴゥヴェヴォ)は
日本語では『b』音(バビブベボ)とかなり近い発音になるので、
混同や置き換えが起こります。
(例:シリコンヴァレィ=シリコンばれー)

また、『b』音は『m』音(まみむめも)に意外と近い発音を持っています。
疑うのなら、鼻をつまんだ状態で『ばびぶべぼ』と言ってみましょう。
発音器官の構造上、ほぼ『まみむめも』に聞こえるはずです。
すると、そこには理論上、発音揺らぎが発生できます。
そして、実際に発音揺らぎが発生するならば、
どこかにその例は残るものなのです。

(ば 例:蒲  かば=かま)
(ば 例:分  くばる=くまる)
(び 例:寂  さびしい=さみしい)
(ぶ 例:   ひつまぶし=ひつまむし)
(べ 例:   くべる=くめる)
(べ 例:平米 へいべい=へいめい)
(ぼ 例:母神 きしぼじん=きしもじん)
(ぼ 例:木剣 ぼっけん=もっけん)


すると、『揖宿』は
『ィイヴ-スク(yiv-suk)』
『ィイブ-スク(yib-suk)』
『ィイム-スク(yim-suk)』
が、同一単語の発音揺らぎである、と言えるのがわかるでしょう。

さらに、『yi』音は『y』が抜けて
『i』に変化することがあるのも先述の通りです。
(例:古語『言う(yiw)』=現代語『言う(iu)』)

加えて、宿は『suk』が古い形で、
新しくなると『ジュク』や『シュク』の発音になるとも述べました。

これらを全部合わせて考えると、
見えてくるものがあるのがわかりますか?

『揖宿』
=『ィイヴ-スク(yiv-suk)』
=『ィイブ-スク(yib-suk)』
=『ィイム-スク(yim-suk)』

=『イヴ-スク(iv-suk)』
=『イブ-スク(ib-suk)』
=『イム-スク(im-suk)』

=『イヴ-ジュク(iv-juku)』
=『イブ-ジュク(ib-juku)』
=『イム-ジュク(im-juku)』

こう書けばわかるでしょうか。
注目すべきは『イム-ジュク(im-juku)』です。

子音止め単語は、母音言語圏では子音連結部に母音が補われると
先ほど述べました。

それを踏まえ、
『イム-ジュク(im-juku)』の発音に、
口の形をなるべく変えないような母音を補ってみましょう。
この並びだと、母音は『a』が妥当です。

すると、現れるのは……『im a-juku』。
現代発音では『イマ-ジュク』。
すなわち、『今宿』です。

言語研究上、言霊上では、『揖宿』も『今宿』も実は同じもの。
同じ単語の揺らぎ変化形と言えるものだったのです。


……では、なぜ、同じ単語の発音揺らぎと考えられる、
『揖宿』と『今宿』が、九州の上と下、
二つに存在しているのでしょうか。

そう考えると、連想するのは『中華街』です。
中華街とはなにかといえば、
『もともと中国にいた人間が留まっている場所』の意味です。
日本には有名な横浜中華街のほかにも中華街はいくつかあります。
『中華街』、つまり『もともと中国にいた人間が留まっている場所』は
一国の中に何箇所も存在できるのです。

その観点から日本を見れば、日本には、
高麗人だか高句麗人だかが住んだと考えられる地名がいくつかあります。
たとえば、『高麗(こま)』や『高麗川(こまがわ)』です。
『高麗』や『高麗川』は、『高麗』が民族名です。

これを考えに入れると、
『揖宿』の概念は『中華街』や『高麗川』と同じ。
『宿』はとどまっていた場所を表す意味語ですから、
それを抜いた『揖』、すなわち『yiv』、『ィイヴ』は――
民族名を表すと考えられるのです。


さて、結論です。
『揖宿』の読みと漢字はなぜこうなのか、
由来や意味は何なのかと言えば。

『揖』は『yiv(ィイヴ)』と読み、民族名を表し、
『宿』は『suk(スク)』と読み、とどまった場所をあらわし、
『揖宿』で『yivの民』が『留まっている場所』を表したものだ、
と述べます。
現代語では、『yivの民が留まっていた場所』です。

これが今のところ、わたしの結論であり、わたしの仮説です。


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●おまけ 現代に残る『yiv』地名

『揖』が民族名……
(あるいは、一民族のうちの一氏族なのかもしれませんが)
だというのは単なる思いつきのトンデモ話などではありません。
実は、神道には、yivの地出身の存在もいれば、
『yivの民』である存在もいるのです。

これまでの話をふまえ、もっと深く広く考えを進めていくと、
日本の古い話や秘密――
たとえば、卑弥呼はなんと発音するのか、
卑弥呼は現在の神名ではなんというのか、
邪馬台国はなんと読むのか、邪馬台国はどこにあったのか、
なども説明することができるようになります。

神道などとからむ古い時代の話は
研究結果をぼちぼちとまとめていますので
興味があればぜひ読んでみてください。
下のほうにまとめています。

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……というのはさておいて。
シリーズで述べる内容をもうすこし出しておきましょう。

『yivの民』のあるものは神様として祭られ、神社も作られました。
また、一族が関わった地には、その名前が染み付きました。

それが、先の『揖宿』・『揖斐』・『揖保』に、『今宿』ですが、
それ以外にも結構な数があるのです。

たとえば、
神崎郡能登川町『伊庭(イバ)』、
神崎郡能登川町『今(イマ)』。

現在は、
滋賀県東近江市伊庭町
滋賀県東近江市今町
と名前を変えられてしまっていますが……

◆◆画像12-11-25◆◆



名前の揺らぎの近さ、距離の近さなどから考えて、
おそらくこの
『伊庭(イバ)』のイバは『yiv』で、
『今(イマ)』のイマは『yim』だと思われます。
ただし、ここは神社関連でないのでしっかりと調べてはいないため、
本当にそうかは定かではありません。

でも、
『yiv』は後ろに母音が補われることは述べましたし、
『yim』も『yiv』の揺らぎであることも述べました。
つまり、『イバ』も『イマ』も発音揺らぎで
同じものと考えられる、ということです。
ここは『yiv』に関わる地名だと考えられるのです。

『yivの民』関連の地名を、ここではとりあえず
『yiv』地名(イヴちめい)と名づけておきます。

言葉から考えると、どうもここに『yivの民』の集落があったようです。
ここにいた時期にもよりますが、もし、とても古い場合は、
この近辺で貝塚や集落あとが見つかる可能性が充分あります。

そのほかにも、
兵庫県神戸市灘区の、畑原字東上イバも『yiv』地名だと思われます。
また、
徳島県三好市池田町中西イバ というところもありますが、
この『イバ』も『yiv』であり、『yiv』地名でしょう。

その他、
揖が今に揺れるということを考え、
揖斐には揖斐川があることを考えると、
今川も場所によっては本来、yiv名称だった可能性があります。

揖(yiv)川→揖斐(yiv-i)川
       →今(yim-a)川

といった具合です。


『yiv』地名はとても古く、漢字が当たる前には
すでにそう呼ばれていたことが伺えますから、
すくなくとも2000年前には存在していたようです。

古い地名というのは、もともとの名前の由来を失いがちで、
失った由来に対して、新しい人間が適当な由来を押し付けることが
歴史上すくなくありません。

たとえば、『いぶすき』は歴史的には『イブ』という音があり、
のちに『イブ宿』に変わり、
『揖宿』という漢字が当てられたと考えられるのに、
後の世に『指宿』と書かれるのを知った人間が、
『指宿』という漢字で駄洒落を作り、
それを地名の発生譚としてしまう、といったようなものです。

『yiv』地名を持つ場所も、『yiv』に変な漢字をあて、
鋳場、射場、射馬、伊葉、井庭、居馬、井場、斎場、井辺などとし、
その漢字から駄洒落のように由来を引っ張っているものが
数多くあるはずです。

たとえば、地名に『イブ』と呼ぶところがある地域では、
「それは鋳場から来ていて、もともとそこに鍛冶場があったから
そこをイブと呼ぶようになったのではないか」
とか、
「そこには斎場があったから、イバと地名になったのではないか」
とかいった具合です。

でも、それは、『札幌』を
『幌馬車でやってきた移民団がそこで定住しようと決め、
出自を示す札や名札を打ち込んだからついた』とするような、
漢字から引いたいんちき語源であり、完全な誤りです。

わたしは、『イバ』や『イマ』など、
『yiv』地名と考えられるものの由来は、
『揖宿』の『揖』と同じであり、
『今宿』の『今』と同じであり、
『揖保』の『揖』と同じであり、
『揖斐』の『揖』と同じであり、
『yivの民』をあらわすのだ、とここで新説を唱えておきます。

その場所には、『yivの民』が住んでいたことでしょう。

yiv地名の揺れの広がりはもっと大きく、種類はたくさんあります。
それらを細かく大量に集め、分布や音の揺らぎを分析し、
時代や変化を探っていけば、歴史的にもおもしろい結果が出ると思います。

……が、わたしには権力も知名度もないので
収集することすらできないのが悲しいところです。

古い地名をわたしが残すことなどできませんが、
古い地名が新しい地名に塗りつぶされて失われていくのを
ただ黙って見ているのはあまりにも惜しくてなりません。
せめて、古い地名を失わせないためにも、
『イバ』や『イマ』などの古地名の場所を知っているかたは
その知識を記録に残してください。
その場所が昔はその発音で呼ばれていたのだと、ぜひ語りついでください。
と、ここで小さく声を上げておきます。

本当は……古い地名の保存法あたりの法律ができて、
歴史を多分に含む地名というものを
変えることなく残していくような世界になって欲しいものですけど。



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この話に妥当性がある、おもしろいと思ったらまとめ本もどうぞ。
amazonにおいてあります。
今、このページを見ている手段で、
パソコンやスマートフォンからも見られるはずです。

その他、九州などにある、『さいとばる』などの『ばる』はどういう意味があるのか、
四国今治の『いまばり』の『ばり』はなにか、など
地名のおもしろ話もシリーズとしてまとめているので見てみてください。




その他、古い神道文書の解読や、
既存古文訳の誤りの訂正、
方言の研究などもやっていますので、
興味あれば左のカテゴリの自作本をごらんください。



2012-11-25 12:38:42

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1 コメント

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すばらしい推論 (かわを)
2020-02-15 18:13:48
素晴らしい推論の仕方、取り組みに感動しました。結果が正しいかどうかは、時間トレー置きにさせていただきますが、こんな、行き届いた推論をなさるこれまでの積み重ねにただただ、感服いたします。まだ、この指宿への似たような思いからのこのページだけの訪問ですが、このほかのページも、楽しみです。ご活躍祈念します。
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