昨日、初めて家でコーヒープレスを使ってコーヒーを淹れてみました。
家にコーヒープレスがあったのを、このたびの引越で思い出しまして…。頂き物で、ドトールの『ボナポット』というプレスで、今まで食器棚の奥にしまったままだったのです。
コーヒーに興味を持ちだしてから早1年近く経ちますが、淹れるのはもっぱらドリップコーヒー。
しかし、今年5月に日田のアラスカンカフェさんで初めてコーヒープレスで淹れたコーヒーを飲みまして、恥ずかしながら、この時コーヒープレスなるものを初めて知りました。
その後、「そういえば家あったの、あれがコーヒープレスだったんだ!」って気付きまして。それまでずっとティーサーバーだと思い込んでいたのです~
しかし、ドリップコーヒーもまだまだ上手く淹れられない状態だったので、まずはドリップをマスターしてから次に~と持ちこしておりました。
そして昨日、突如「コーヒープレス使ってみようかな」なんて思い立ち。
同じ粉でも出方が違うんですね~。
ドリップでは雑味がフィルターで濾される分すっきりしているけれど、プレスだと濁りがあるというか、油分や雑味、コーヒーそのままの持ち味が出るというのか、同じ粉で淹れても随分と違うものだなぁとしみじみです。
プレスを洗った時、プランジャーと呼ばれるプレス部分には油分がしっかりついているのに気付いて「コーヒーってこんなに油分があるんだ!!」と驚きもあったり。
飲んだ後、粉も残るしね。
うん、面白いぞ、コーヒー!しばらくコーヒー熱はまだ続きそうです。
っと、コーヒーから言葉のお話へ。全く違う話ではありますが、一応つながりがありまして、『初めて』つながりの話ということで…。
北海道に来て初めて聞く言葉のあれこれ。
まずは、地域のニュースを見ていてよく聞くのが『全道的』。
『言葉』というより聞き慣れない『音』でした。「ゼンドウテキって?」。本当によく出て来ます。
少し間を置き、頭の中で音を漢字に当てはめ意味を考えると、「なるほど」と分かるのですが初めて聞いた時は「????」。
例えば天気予報。
今までだと、『県内全域で大雨でしょう』というところが、『全道的に大雨でしょう』という具合。
『県内全域』→『全道的』 な訳です。『全県的』とは聞かないけれど、『全道的』はあるのです。
そういや『道内全域』とはほとんど聞かない気がします。聞き逃してるだけかしら?
そもそも『県』が『道』なんだから、よくよく考えればそうだなぁって分かるのですが、まだ『道』にしっかり慣れていません。
書類に住所を書く時。
あらかじめ、『都道府県』が印刷されていること多いですよね。こんな具合に。
で、今までなら『福岡』と記入し『県』に丸をしていましたが、今は『北海』と記入し『道』に丸をする。
福岡と県が分かれるのには違和感がないけれど、北海と道が分かれるのにはとっても違和感があります(笑)
だって、『北海道』は『北海道』だもん。
福岡出身とか福岡出張とは言っても、北海出身とか北海出張とは言わないですもんね。
なんで『道』なんでしょう?
調べてみました。
北海道庁のホームページより抜粋。
○北海道の「道(どう)」って何ですか?
「道(どう)」というのは、律令国家(りつりょうこっか)※1の地方行政の基本区分です。起源(きげん)は古代中国で、それにならって日本 でも天武朝(てんむちょう)(7世紀後半)に成立しました。
みやこに近い5つの国(山城(やましろ)、大和(やまと)、河内(かわち)、和泉(いずみ)、摂津(せっつ))を畿内(きない)※2五カ国とし、それ以外を7道(東海道・東山(とうさん)道・北陸道・山陰(さんいん)道・山陽道・南海道・西海(さいかい)道)に分けました。それぞれの「道(どう)」には、いくつもの「国」がありました。たとえば東海道※3には、三河国(みかわのくに)、遠江国(とおとうみのくに)、駿河国(するがのくに)などが含(ふく)まれていました。また、それぞれの「道(どう)」ごとに、国府(こくふ)を連ねる官道(かんどう)が、みやこから放射状(ほうしゃじょう)に設けられていました。
つまり、五畿七道(ごきしちどう)の「道(どう)」は、「国」をいくつも含むような広い地域(ちいき)であり、また「道(みち)」でもあったのです。
ところで、五畿七道のなかに「北海道」がないことにお気づきでしょうか。
※1 7世紀後半から9世紀頃までの、天皇を中心とした体系的な中央集権的国家機構(ちゅうおうしゅうけんてきこっかきこう)。律・令は法典の名で、古代中国の制度を採りいれたものですが、日本独自の部分もありました。
※2 「畿」は「みやこ」の意で、政権所在地周辺の特別地域のこと。
※3 「東海道」と聞くと「東海道五十三次」を思い浮かべる方も多いと思いますが、この場合は、江戸時代に整備された五街道(東海道・中山道(なかせんどう)・日光(にっこう)道中・奥州(おうしゅう)道中・甲州(こうしゅう)道中)の一つで、五畿七道の道とは異なります。
○なぜ北海道だけ「道」なのでしょう?
北海道だけが、「道(どう)」でひとつの行政単位になっているからだと考えられます。
上に書きましたとおり、「道」は「国」よりも広い地域です。江戸時代の「藩(はん)」は、ほとんどが「国」よりずっと小さいものでした。明治4年に廃藩置県(はいはんちけん)が行われた直後は、3府302県もありました。現在の県は「国」をいくつか含むような広さですが、それでも「道」よりは小さいものです。
北海道の場合も、北海道と命名された時に、11カ国が設定されましたが、「国」が独立した行政区域(くいき)とされることはありませんでした。明治初年、「開拓使(かいたくし)」という官庁が設置されましたが、その管轄(かんかつ)対象は、北海「道」という地域全体でした。
○いつから「北海道」という名称(めいしょう)になったのですか?
明治(めいじ)2年(1869)です。8月15日の太政官布告(だじょうかんふこく)で、「蝦夷地(えぞち)自今(いまより)北海道ト被稱(しょうされ)十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出(おおせいだされ)候(そうろう)事」と周知されました。
この布告の出される以前は、「蝦夷(えぞ)が島」「蝦夷地(えぞち)」などと呼(よ)ばれていました。「蝦夷」とは、華夷思想(かいしそう)※4に基づく異(い)民族の呼称(こしょう)です。したがって、「蝦夷地」とは「異民族の住む地」ということになります。
日本には、北の境の概念(がいねん)が希薄(きはく)だったのですが、江戸(えど)時代後期以降(いこう)、ロシアの進出に伴(ともな)って意識せざるをえなくなりました。いつまでも「蝦夷地」ではいけないので、新名称をつけるべきであるという意見は、江戸時代末期から多かったようです。しかし、それが実現したのは明治になってからのことでした。これにより、北海道が日本の版図(はんと)であることが、内外に宣言されたのです。
『道』のなりたちが分かったら少し落ち着きました
