およそ2時間に及ぶ上映会が終わった。
エンドロールが流れ、やがて画面が真っ暗になっても、しばらく観客席は静まり返ったままだった。
暗かった館内に照明が点る頃になって、ようやく誰かの拍手が聞こえた。それをきっかけに堰をきったように全員が盛大な拍手を贈り、あっという間に会場は大波のような拍手の渦で満たされていく。
「うわ・・・」
無意識に小さく零れたその言葉に、隣の馬場が気づく。
「どうした?」
「拍手の音聞いたら、なんか急に緊張してきちゃって・・・」
自分の体を抱くように胸の前で交差した両腕が、かすかに震えているのが見えた。
「あれはすべて俺たちへのリスペクトなんだから、何も怖がる必要はない。ステージに出れば、さらに大きな拍手で迎えてくれるぞ」
そう発破をかけた馬場が幸佑の背中をポンと叩くと、不思議なことに張り詰めていた気持ちがすっと解れた。
思わず馬場を見上げる。
「ーーなんだ?」
目が合い、馬場が何気なく尋ねた。
「・・・馬場さんて、ほんとに不思議な人ですね。さっきまでの緊張が、いっぺんに解けちゃいましたよ」
「俺は何もしてないぞ」
「そうかもしれないけど、もうあなたの存在自体が・・・なんて言うか・・・」
どうにかしてこの気持ちを伝えたいが、どうしてもうまい言葉が見つからない。とにかく馬場がそばにいてくれるだけで、わけもなく安心できるのだ。
それは今回に限ったことではない。これまでだって、何度も彼の存在に助けられてきた。
「とにかく俺にとって馬場さんの存在は、その・・・うまく言えないけど、特別なんです」
そう言ってニコッと微笑む幸佑に、馬場も笑みを浮かべる。
「それは俺も同じだ。前にも言ったかもしれないが、おまえは俺が心を許せる数少ない人間の一人なんだ」
自分を見つめる馬場の優しい眼差しを見て、ふと出会った頃の彼を思い出す。人を寄せ付けず、笑顔など見たこともなかった。
それが、まさかこんなに柔らかい顔を見せてくれるようになるなんて、心を許してくれるなんて、思ってもみなかった。
人生は奇なり。ありえないと思っていたことが、現実になることだってある。そしてそれを奇蹟と呼ぶのだ。
「ーーさ、開幕だ。行こう」
開演のアナウンスを受けて、馬場が幸佑の背中を優しく押す。さまざまな思いを胸に抱いて、頷いた幸佑が一歩足を踏み出した。
舞台挨拶は、最高のスタンディングオベーションで幕を閉じた。
完全に幕が下りても、山のような拍手は一向に鳴り止まない。深々と最敬礼のお辞儀をしたままの幸佑たちの胸に、万感の思いが広がっていく。
やがて一人、二人と皆が頭を上げていく中、幸佑だけがいつまでも頭を下げたまま微動だにしない。
「ーー幸佑、もう充分だ。頭を上げろよ」
さすがに見かねた馬場がそう諭すと、ようやく幸佑がゆっくりと頭を上げた。目にはうっすらと涙が浮かんでいるのが見て取れる。
不意に、幸佑の足元がふらついた。
「幸佑?」
体が崩れそうになるのを、とっさに馬場が支える。
「す、すいません。なんか急に足から力が・・・」
馬場の腕の中で体勢を立て直しながら、恥ずかしそうに幸佑が呟く。どうにか自力で立てたのを見届けて、馬場がそっと手を離す。
「張りつめてた気が一気にほぐれたからだろう。大丈夫か?」
「はい、もう大丈夫です。ありがとうございます」
動いた反動で零れそうになった涙をぐいっとぬぐい、晴れやかな笑顔で幸佑が告げる。
「お疲れさまです。みなさん控え室へどうぞー!」
舞台袖からスタッフの声がかかり、出演者たちが一斉にステージから降り始める。幸佑と馬場も彼らに続いて進んでいくと、舞台裏の通路まで来たところで誰かに呼び止められた。
「米原さん!」
背後からの声に振り向くと、そこには花束を抱えた澪の姿があった。
「澪ちゃん、来てくれたんだ!」
嬉しそうに何度も頷いた澪が、幸佑の前に花束を差し出す。
「映画も舞台挨拶も、めっちゃステキでした!感動しました!」
感極まったのか、目を潤ませながらそう興奮ぎみに話す澪から花束を受け取り、少し照れ臭そうに幸佑が微笑みを浮かべる。
「ありがとう。来てくれるなんて思ってなかったから、俺も嬉しいよ」
それまで二人のやり取りを微笑ましく見ていた馬場が、ふと呟いた。
「彼女、どこかで見たことがあるような・・・」
その声に気づいた幸佑が、慌てて澪を紹介した。
「彼女、鈴木澪さんって言って、俺がバイトしてる店のお客さんなんです」
幸佑の説明を聞いて、馬場が何かを思い出したのか、あ、と声を上げた。
「そうだ、たしか俺が一度お邪魔したときに来てた高校生の一人じゃ?」
馬場の脳内に、いつかの光景が瞬時に蘇る。
イマドキの女子学生たちの中で、彼女だけは異質な雰囲気を放っていた。
興味津々、好奇心丸出しな目で自分たちを見ていた他の子たちとは違い、どこか真摯な目をしてじっとこちらを見つめていた彼女の姿が、今も印象に残っている。
「覚えていてくれたんですか?そうです、あの時の高校生です!」
よほど覚えていたのが嬉しかったのか、目を輝かせる澪を、目を細めた馬場が見つめる。
「あ、そうだ。馬場さんに報告したいことがあるんです」
「なんだ?」
「彼女、実は雄也の妹なんですよ」
「え?」
さすがの馬場も、これには驚きを隠せなかったようだ。思わず目を見開いて幸佑と澪を見比べる。
「雄也って、あの?」
「ええ、俺の親友の永田雄也です。あいつの異父妹なんです」
「異父妹・・・」
にわかには信じられない話だった。そんな奇蹟のような偶然があるものだろうか。
しかし今目の前にいる澪を見ていると、そこかしこに雄也を彷彿とさせるものを感じるのは確かだ。顔かたちもそうだが、何より雰囲気がとても似ている気がした。
「俺も最初は信じられませんでした。でもやっぱり似てるんです。お店によく来てくれるようになって、何度も会ってくうちに段々それを強く感じるようになって。ああ、彼女にはまぎれもなく雄也と同じ血が流れてるんだって」
「・・・・・・・・・」
幸佑の気持ちは馬場にもよくわかった。たった二回会っただけの馬場にすら、雄也との繋がりが感じられたほどだから。
「ーーそれに彼女、いま役者を目指してるんです」
「え、役者を?」
「ええ。雄也と同じく舞台役者を目指して、最近上京してきたばかりで」
雄也と同じ夢を持っていると聞いて、運命など信じないはずの馬場でさえ、思わず運命を感じずにはいられなかった。
「役者になるのはもちろん私の一番の夢ですが、ほかにも叶えたい夢があるんです」
静かにそう告げた澪を、幸佑と馬場が見た。ゆっくりと、彼女の唇が動く。
「ーー米原さんと同じ舞台で共演したいんです」
じっと幸佑の目を見て、はっきりとそう告げる。戸惑う幸佑を前に、にっこり笑った澪がひときわ力強く告げた。
「いつか必ず実現するって信じてます。その日まで私頑張りますから!」
そう宣言する澪の目に宿る強く明るい光を、馬場は見逃さなかった。
「そうだな、俺もきっと実現すると思うよ」
ニッと笑った馬場へ、再び澪も笑顔を返す。
「・・・幸佑も、ようやく新しい道を踏み出せそうだな」
誰にともなくそう呟いた馬場を、幸佑が不思議そうに見た。少し意味深にも聞こえるその言葉の意味を図りかねていると、じゃあ行きますねと告げた澪が一礼した。
「今日は来てくれてありがとう!気をつけて帰ってね」
踵を返す澪に向かって手を振りながら微笑む幸佑を、小さく頷きながら馬場が優しく見守っていた。
エンドロールが流れ、やがて画面が真っ暗になっても、しばらく観客席は静まり返ったままだった。
暗かった館内に照明が点る頃になって、ようやく誰かの拍手が聞こえた。それをきっかけに堰をきったように全員が盛大な拍手を贈り、あっという間に会場は大波のような拍手の渦で満たされていく。
「うわ・・・」
無意識に小さく零れたその言葉に、隣の馬場が気づく。
「どうした?」
「拍手の音聞いたら、なんか急に緊張してきちゃって・・・」
自分の体を抱くように胸の前で交差した両腕が、かすかに震えているのが見えた。
「あれはすべて俺たちへのリスペクトなんだから、何も怖がる必要はない。ステージに出れば、さらに大きな拍手で迎えてくれるぞ」
そう発破をかけた馬場が幸佑の背中をポンと叩くと、不思議なことに張り詰めていた気持ちがすっと解れた。
思わず馬場を見上げる。
「ーーなんだ?」
目が合い、馬場が何気なく尋ねた。
「・・・馬場さんて、ほんとに不思議な人ですね。さっきまでの緊張が、いっぺんに解けちゃいましたよ」
「俺は何もしてないぞ」
「そうかもしれないけど、もうあなたの存在自体が・・・なんて言うか・・・」
どうにかしてこの気持ちを伝えたいが、どうしてもうまい言葉が見つからない。とにかく馬場がそばにいてくれるだけで、わけもなく安心できるのだ。
それは今回に限ったことではない。これまでだって、何度も彼の存在に助けられてきた。
「とにかく俺にとって馬場さんの存在は、その・・・うまく言えないけど、特別なんです」
そう言ってニコッと微笑む幸佑に、馬場も笑みを浮かべる。
「それは俺も同じだ。前にも言ったかもしれないが、おまえは俺が心を許せる数少ない人間の一人なんだ」
自分を見つめる馬場の優しい眼差しを見て、ふと出会った頃の彼を思い出す。人を寄せ付けず、笑顔など見たこともなかった。
それが、まさかこんなに柔らかい顔を見せてくれるようになるなんて、心を許してくれるなんて、思ってもみなかった。
人生は奇なり。ありえないと思っていたことが、現実になることだってある。そしてそれを奇蹟と呼ぶのだ。
「ーーさ、開幕だ。行こう」
開演のアナウンスを受けて、馬場が幸佑の背中を優しく押す。さまざまな思いを胸に抱いて、頷いた幸佑が一歩足を踏み出した。
舞台挨拶は、最高のスタンディングオベーションで幕を閉じた。
完全に幕が下りても、山のような拍手は一向に鳴り止まない。深々と最敬礼のお辞儀をしたままの幸佑たちの胸に、万感の思いが広がっていく。
やがて一人、二人と皆が頭を上げていく中、幸佑だけがいつまでも頭を下げたまま微動だにしない。
「ーー幸佑、もう充分だ。頭を上げろよ」
さすがに見かねた馬場がそう諭すと、ようやく幸佑がゆっくりと頭を上げた。目にはうっすらと涙が浮かんでいるのが見て取れる。
不意に、幸佑の足元がふらついた。
「幸佑?」
体が崩れそうになるのを、とっさに馬場が支える。
「す、すいません。なんか急に足から力が・・・」
馬場の腕の中で体勢を立て直しながら、恥ずかしそうに幸佑が呟く。どうにか自力で立てたのを見届けて、馬場がそっと手を離す。
「張りつめてた気が一気にほぐれたからだろう。大丈夫か?」
「はい、もう大丈夫です。ありがとうございます」
動いた反動で零れそうになった涙をぐいっとぬぐい、晴れやかな笑顔で幸佑が告げる。
「お疲れさまです。みなさん控え室へどうぞー!」
舞台袖からスタッフの声がかかり、出演者たちが一斉にステージから降り始める。幸佑と馬場も彼らに続いて進んでいくと、舞台裏の通路まで来たところで誰かに呼び止められた。
「米原さん!」
背後からの声に振り向くと、そこには花束を抱えた澪の姿があった。
「澪ちゃん、来てくれたんだ!」
嬉しそうに何度も頷いた澪が、幸佑の前に花束を差し出す。
「映画も舞台挨拶も、めっちゃステキでした!感動しました!」
感極まったのか、目を潤ませながらそう興奮ぎみに話す澪から花束を受け取り、少し照れ臭そうに幸佑が微笑みを浮かべる。
「ありがとう。来てくれるなんて思ってなかったから、俺も嬉しいよ」
それまで二人のやり取りを微笑ましく見ていた馬場が、ふと呟いた。
「彼女、どこかで見たことがあるような・・・」
その声に気づいた幸佑が、慌てて澪を紹介した。
「彼女、鈴木澪さんって言って、俺がバイトしてる店のお客さんなんです」
幸佑の説明を聞いて、馬場が何かを思い出したのか、あ、と声を上げた。
「そうだ、たしか俺が一度お邪魔したときに来てた高校生の一人じゃ?」
馬場の脳内に、いつかの光景が瞬時に蘇る。
イマドキの女子学生たちの中で、彼女だけは異質な雰囲気を放っていた。
興味津々、好奇心丸出しな目で自分たちを見ていた他の子たちとは違い、どこか真摯な目をしてじっとこちらを見つめていた彼女の姿が、今も印象に残っている。
「覚えていてくれたんですか?そうです、あの時の高校生です!」
よほど覚えていたのが嬉しかったのか、目を輝かせる澪を、目を細めた馬場が見つめる。
「あ、そうだ。馬場さんに報告したいことがあるんです」
「なんだ?」
「彼女、実は雄也の妹なんですよ」
「え?」
さすがの馬場も、これには驚きを隠せなかったようだ。思わず目を見開いて幸佑と澪を見比べる。
「雄也って、あの?」
「ええ、俺の親友の永田雄也です。あいつの異父妹なんです」
「異父妹・・・」
にわかには信じられない話だった。そんな奇蹟のような偶然があるものだろうか。
しかし今目の前にいる澪を見ていると、そこかしこに雄也を彷彿とさせるものを感じるのは確かだ。顔かたちもそうだが、何より雰囲気がとても似ている気がした。
「俺も最初は信じられませんでした。でもやっぱり似てるんです。お店によく来てくれるようになって、何度も会ってくうちに段々それを強く感じるようになって。ああ、彼女にはまぎれもなく雄也と同じ血が流れてるんだって」
「・・・・・・・・・」
幸佑の気持ちは馬場にもよくわかった。たった二回会っただけの馬場にすら、雄也との繋がりが感じられたほどだから。
「ーーそれに彼女、いま役者を目指してるんです」
「え、役者を?」
「ええ。雄也と同じく舞台役者を目指して、最近上京してきたばかりで」
雄也と同じ夢を持っていると聞いて、運命など信じないはずの馬場でさえ、思わず運命を感じずにはいられなかった。
「役者になるのはもちろん私の一番の夢ですが、ほかにも叶えたい夢があるんです」
静かにそう告げた澪を、幸佑と馬場が見た。ゆっくりと、彼女の唇が動く。
「ーー米原さんと同じ舞台で共演したいんです」
じっと幸佑の目を見て、はっきりとそう告げる。戸惑う幸佑を前に、にっこり笑った澪がひときわ力強く告げた。
「いつか必ず実現するって信じてます。その日まで私頑張りますから!」
そう宣言する澪の目に宿る強く明るい光を、馬場は見逃さなかった。
「そうだな、俺もきっと実現すると思うよ」
ニッと笑った馬場へ、再び澪も笑顔を返す。
「・・・幸佑も、ようやく新しい道を踏み出せそうだな」
誰にともなくそう呟いた馬場を、幸佑が不思議そうに見た。少し意味深にも聞こえるその言葉の意味を図りかねていると、じゃあ行きますねと告げた澪が一礼した。
「今日は来てくれてありがとう!気をつけて帰ってね」
踵を返す澪に向かって手を振りながら微笑む幸佑を、小さく頷きながら馬場が優しく見守っていた。