昨日は高気圧だから、そして、期待してましたが? 台風のせいか、どうにもならない状態、血圧は下がり、眠気、爆睡、歩いていても、ガルシアマルケスの、エレンデイラ状態、但し、 呼ぶは 独り言。
ウクライナ情勢は重く圧し掛か単語る。あのロシア の 経済封鎖。トラウマ単語。父親から言い渡されていた事。そして借金、返済。地獄ではなかったけど出発。造るこのことが人生の岐路。フアインアートなんてやれなかったけど、物造りは大好きだった。今でも。体力の衰えには勝てませんけど、料理も同じ、コラージュですから。手造りが面白く,ちゃっかり、生活に困ってるなんてことは言わなかった。若いころは、お嬢さん馬鹿!!! 不思議なことにその中で大きな借金が半端でないことを知ったクライアントがいくつものセクションを持っており、噂になり、口コミ、仕事。営業さん、飲み会噂。お仕事依頼、その間、別の仕事関連 新聞に大きく倒産報道の出た孫請けは内装関係。覚悟して、前倒し資金。その時は融資でなく今でもよかったと思う。以前のリスク経験から学んでおいたというより、冒険だったような気がする。当然、親など知るわけもなし キャバクラ内装。ホスト関連。嫌いではありませんでしたから。倒産の時、一言、小野さんは個人商店だから負担掛けないようにするから、やったーでなく、この事無駄にせづ
その代わりといっては何ですけどその後 数年、そこからの仕事は役所ウインドウなどやっていました。入札形式でしたから,金額的には安かった。断れないでしょ!繋がりは切れておりませんでした。。
今から思うと長いことかかわっていた事務所は何か犬に餌やる感じ。展覧会を開催しても、逆に仕事。最初のうちは大きな年間契約の話持ち掛けられー---活動させない圧力、最後、逆に仕事、回さないとはっきり告げられました。でもしぶといからー-しかし、サイコパスはいませんでした。というより気がつかなかったのかもしれません。苦労したとは思っていません。親と唯一、仲が悪いという表現は「経済封鎖」そんな、噛みしめながら来てしまいました。この父親は息子は入るけど、一時、自分の育て方が良く、独り立ち出来たとさ!
吸い上げ、こちらはクライアントも定着して彼女からは段々と離れ、独立、そしてこの私、手配師、小道具造り。明け暮れてー-それでもここまでくると、選んだ道。結果、それぞれ 結婚しながらお仕事続けてる人達、違う業種についた人。バルセロナに渡るころは周りのデザイン関係、フリーの人たち多くは税金の為にまでまで働くのも疑問?。多くは男性陣でしたが、早くもスローライフ実践組。その前に、自分、男でシクジリ。いっそー---。翼広げとんでしまいました。飛べたんです。其れも大きくー--。相手は亡くなりましたけど。私だってあるんです。その後、初めてインターネットをサンフランシスコでアカウント取得、彼が亡くなったことを知り、日本へ帰国。当時は墨作品など展開していましたが、その男は死に際、知人を介して逢いたい?誰にでもある経過だとしても芸能界束になって逃げるしかなかったね!
京阪歴史画像 車内。
今思い出すとサイコパスは作品説明。私の記事から(同時代最後展覧会説明文。記事起こしは画廊さんですが。丸々抜き取り 盗用。それをまた,評論家が裏付けを取ることなく、美術雑誌に寄稿。ほかにもあるだろう。
FB繋がり、友人が少ないからと言って甘くみたのかしら?年寄りイジメ。アイスピックでグサグサ。、生き甲斐。
自分はまだ、不器用なままだし、悟れません。忘れません?。たったいくつかの自分の発した言葉。間違ってましたか?そんなの関係ないまでは呑み込んだ。そして多くの知人は巻き込まれまいと知って知らん振りでしたが今の御時世に習って、