nanaのつれづれ日記

2019年12月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。まだ過去記事を整理できていないのでご了承ください。

ずっと言えなかった「子供」のこと。

2005-11-14 20:27:11 | ♥nanaのひとりごと
名古屋旅行の帰り、車の中で大泣きした理由を、記事に書こうと思っていましたが、何から話せば
いいのか・・、長くなりそうで、思案中です。

まずは、ずっと前から、記事にしようと思っていながら、なかなか書き出せなかったこと、それを先に
話さなければならないような気がします。

それは、「子供」のこと。

私には、子供がいません。
結婚して12年。もちろん、欲しいと思った時期はありましたし、作ろうともしました。
そして、実は一度妊娠もしました。
でも、その時は3ヶ月で流産しました。
もう、7年も前のことです。

それから私の人生が、少しずつ狂い始めたような気がします。

流産なんて、よくあること。
流産したら、またすぐ妊娠する、と病院でも言われました。

そして、次の妊娠を心待ちに、また子作りに励む日々・・。
そんな中で、ダンナがEDになってしまいました。

なぜ?

ダンナは、私以上に、子供をとても欲しがっていました。
でも、なかなか妊娠せず、子作りを始めてからやっと一年後に妊娠するも流産。
ダンナの中で「すごく欲しい」という気持ちが、だんだんプレッシャーになっていったらしいのです。
1年365日と言えど、妊娠可能な日は、一ヶ月にほんの2~3日。
排卵日はたった1日。24時間です。
その2~3日にがんばらなければ、次のチャンスはまた一ヶ月先になってしまいます。
でも、今月も妊娠しなかった、また今月も妊娠しなかった・・・そういうことが数ヶ月続いてくると、
だんだん焦りが出てきます。
うちのダンナがデリケートなだけだったのかもしれませんが、「今月こそは」という思いが、プレッシャーを呼んでしまったのですね。

いつのまにか、ダンナは、完全に、機能しなくなってしまいました。

私だって、早く子供が欲しかったし、今月こそ、と思い、ベッドに入っても、結局ダンナができなくて、また一ヶ月を無駄にしてしまう・・。
私は、何度、ベッドの上で泣いたかしれません・・。
これは経験した人にしか、わからない感情だと思います。
「子作り」という自分の目標に向かって進めない現状、プラス、自分がもう「女」として見られなくなったような不安感。その両方で、おかしくなりそうでした。
子作りという強い目標がなかったら、とっくにダンナとのセックスは試みることもやめていたでしょう。
でも、やっぱり子供が欲しかったし、とりあえずは、ダンナに射精してもらわないことには、私一人では、子供は作れません。
何時間もベッドの上で格闘するも、結果が出ず、また今月もダメだったか・・と諦めて暗くなる日々。
そんなツライ日々が毎月続き、気づいたら、もう2年が経とうとしていました。

こんな状態のままで、子供ができるわけがありません。

結局、その後、色々な方法を試して、ダンナは少しだけ回復し、とりあえず射精まではこぎつけるようにはなったのですが、いわゆる、普通のセックスというものはもうできなくなってしまいました。(どんな方法で、子作りをしていたかは、思い出しても悲しくなるので、とてもここでは申し上げられませんが)

とにかく、かろうじて「中で出す」だけの行為です。その前後には何もありません。
もちろん快感なんて、有り得ません。ただ痛いのを我慢するだけの苦痛としか言えない行為。
それでも、精子が中に入れば、妊娠するはず・・。
そう思って、毎月泣きながら耐えました。

でもやはり、苦痛を伴うような行為が、奇跡を起こしてくれるはずもないのですね。
何度がんばっても、結局妊娠しないまま、また2年の月日が流れました。

当たり前ですが、歳もとって行きます。
妊娠の可能性がどんどん低くなって行ってしまう。

病院には、毎月行っていました。
排卵の日を的確に診断してもらうために。
私には、異常はありませんでした。

最終的には、ダンナの検査をすることになりました。
結果は、やはり、ダンナに原因がありました。
精子の数が少ない、運動率が悪い、そして生存時間が短い。
この3拍子が揃っていました。
ただ、先生いわく、
「全く妊娠が不可能な数字ではない。自然妊娠も有り得るくらいのレベル。
でも、2年がんばっても無理だったんだから、このままでは難しいだろうね。」
とのことでした。

ここから、不妊治療というものに、足を踏み入れることになりました。
(続く)