涙目筑前速報+

詰まるところは明日を知る。なだらかな日々につまずいて
向かうところはありもせず、未来の居場所だって未定―秋田ひろむ

躊躇うな。ミニマルになれ。

2022-12-31 21:00:00 | チラシの裏
今年も残すところあと数時間だ。

今年も色々あったでは済まされないくらい色々あった。
何よりも、我が国の権力者が銃弾により殺されたというのは非常に大きい出来事だろう。

基本的に暴力での解決というのはロクな事にならない。
暴力で解決した出来事は、また暴力によって報いを受けるのが歴史の常だからだ。
だから暴力での解決ではなく、言論の解決を目指すべきだと俺は思っている。

ただ、言論での解決に権力者側が耳を貸さない場合はどうなるのかと思う時もある。
今回の場合はおそらく宗教絡みの私怨という線が妥当だとは思う。
だが、その宗教絡みの部分で権力者側が強いつながりを持っていたというのが明るみに出たことは大きい。

元々大手以外のメディア以外では疑惑が取り沙汰されてはいたが、ここまで事が大きくなったのはあの事件からなのは間違いないだろう。
そういう意味では権力者側が下々の声に無関心であったことも、今回の事件と無関係とはいえないような気もする。

ソレを踏まえると、暴力での解決という事に対して完全に否定しきれない自分も存在している。
絶対にやってはいけない事ではあるし、やってしまった者は裁判の手続きの元、法によって適正に裁かれるべきだと思う。
反面、権力者の腐敗が著しい場合に出てくる暴力というものを全否定出来ないというのも正直な所なのだ。
独裁的な権力者が戦争を推し進めたり、下々の声を聴かずに汚職に耽っている場合、言論での解決が厳しいというケースも出てくるのかもしれない。

暴力によって社会が変革されることはないと願いたいが、今のお上を観ている限りだと、一揆の一つでも起こっても不思議ではない様に思える。
それくらい今の偉い人達は下々なんぞはただのATMくらいにしか思っていないという節ばかりだ。
お上がこの態度を続けていけばいつかは必ず余裕がなくなる。
その時の解決策が暴力であっては欲しくないと感じている。

青臭いヒューマニズムで言っているのではなくて、実際問題として、その矛先が自分に向いたら嫌だからだ。
余裕のない人間は何でもする。それは歴史が証明している。
ただ、何でもする矛先がいつも強い人間に向くとは限らない。

寧ろ昨今は弱い人間が弱い人間に行くのが主流なんじゃないか。
無敵の人が狙うのはまずは一般市民がいるところが多い。
京王線のジョーカーなんてまさにそうだったじゃないか。

余裕の無くなった人間の破れかぶれの一撃が絶対に権力者に行くのなら俺はここまで心配はしない。
寧ろお上が緊張感を持つ意味でも、権力の濫用を監視するのが民主主義に生きる国民としての在り方でもあるという意味でも、そうであってほしいと思っているくらいだ。

でも、弱いヤツは強いヤツにはいかない。
哀しいかな、弱いヤツが弱いヤツを叩いて自身を保つのが昨今のトレンドだ。
表現の自由戦士とツイフェミの争いなんぞを観てると、その典型的な例だと思っている。

ソレを考えると、暴力はあって欲しくないのだ。
次に向かう暴力は同じ弱い立場の俺かもしれないのだから。


そんな事を日々思いつつ、俺は妻と子供と暮らしている。

現状を変えるためには政治家にでもなって腐敗にドロップキックの1つでもお見舞いしてやりたいところだが、生憎俺は家族との日々の暮らしで手一杯だし、おぼろげながらもやりたいことがあるのだ。
銃でも政治術でもなく、作品として世の中にぶっ放したいモノがあるのだ。
まあそもそも政治をやるための後ろ盾も地盤もないわけだが。

今の俺が出来るのは、少しでも自身の主張に合いそうな政治家をピックアップして選挙で投票してやることくらいだ。
ソレ以外の労力は生活とおぼろげながらに見えている作品作りに注力したい。

では来年はどうすべきか。
それは「躊躇うな」を意識したい。

今年は色々な場所に行った。
主に子供の世話をメインとして妻が提案をしてくれた場所に、自分が連れて行くというスタンスだ。
殆ど妻のおかげではあるのだけど、出不精な自分でも結構新しいところには行けたなという実感はある。
今年の課題は「動け」だったが、その意味では達成できたと思う。

反面、妻の新しい提案に対して億劫に感じて消極的な感じになってしまうことも多々あった。
要は変化を恐れているのだ。
昔からの悪いクセである。変化することに対して何でも後ろ向きになってしまう。
変化に伴う手続きやアクションを起こさねばならないことが面倒に感じてしまう。
これを来年は少しでも積極的に行けるように心がけていきたい。

来年は子供も2歳になり、自他ともに変化が出る年だと思う。
その来る変化に対して、躊躇うことなくしっかり向き合って決断できる1年でありたい。
間違っても日和見主義で党内バランスにしか腐心していないようなどこかの宰相のようにはならないようにしたい。

長年の課題でもあるが、小さい事でも良いから自分の中の億劫な心に少しでも打ち勝てるような1年にしてぇのだ。

同時に、来年はミニマルであることを意識したい。
言い換えると、引き算を意識したいのだ。

ここ2年は「何かの縁で使うかもな......」と思って残してきたものがある。
しかし、結局使うことはなかった。
ゲームなどもパッケージからデジタル製品への購入をメインに進めたが、まだまだパッケージで買うケースもあった。
踏ん切りがつかずに漫然とモノを確保しておくせいで、生活のスペースに余裕が生まれなかったなというのが、ここ2年を通しての反省だ。

そういう意味では、来年はある程度「選ぶ年」になると思う。
ミニマルを目指すという形で無駄なモノを省くという引き算を意識して、躊躇った時は躊躇せずに行動に移す。
来年はコレで行きたい。

今年もあとちょっとで終わりだ。
来年は躊躇なく気持ちに余裕をもって行動できる年になるように頑張って走っていきたい。

ありがとう2022年。
良いお年を。


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