越中国高岡城 [タカオカジョウ] | ||
別称 | 越中高岡城 | ![]() |
城郭構造 | 梯郭式平城 | |
築城年 | 1609年 | |
廃城年 | 1615年 | |
指定史跡 | 国指定 | |
住所 | 高岡市古城 [MAP] | |
スタンプ設置場所 | 高岡市立博物館 09:00~17:00 | |
御上院販売場所 | 三の丸茶屋 09:00~17:00 |
概要
高岡城は、加賀前田家二代当主前田利長が、自らの隠居城として、
慶長14年(1609)に築城した城であり、小矢部川と庄川に挟まれた
高岡台地上に位置する。
慶長14年利長は、居城である富山城が焼失したため、新たな居城として
6ヶ月で高岡城を築造するとともに、城下を整備した。
慶長19年(1614)に利長が没し、翌元和元年(1615)一国一城令に
より高岡城は廃城となったが、その後も藩の米蔵や塩蔵等が置かれ、
維持管理された。
明治維新後は公園に整備されて今日に至った。
※現地案内板より
大手口
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高岡城の縄張は、キリシタン大名であり築城の名手といわれた
高山右近によるもの。
しかし、近年の研究から築城及び城下町造成に関する利長の書状が約30通
も残っており、利長自らが積極的に指示したことが分かっている。
高岡古城公園
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射水神社
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二上山麓に鎮座し、古来より信仰を集める射水神社が
明治7年(1874)に本丸跡へ。
石垣
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二の丸から本丸に渡る土橋の両側には、築城当時の石垣が
残っています。
内堀側の石垣の石材を調べたところ、高岡から氷見の海岸で切り出される
砂岩が4割、残りは県東部で切り出される花崗岩や安山岩が
用いられています。
石には岩を断ち割る際にクサビを打ち込んだ「矢穴」のほか、
60種類余の文様・記号を刻み込んだ「刻印」を見ることができます。
※現地案内板より
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本丸
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本丸の前後には二の丸と小竹藪を、内堀をはさんで鍛冶丸(枡形)明丸、
三の丸(民部丸/腰郭)がいずれも一直線に並んでいた。
前田利長公銅像
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前田利長は、利家とまつの子として生まれ、加賀藩第二代藩主である。
富山では、「高岡開町の祖」として知られている一方、利長は病弱であり、
早くに隠居した。
本丸井戸
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城内にいくつかあった飲水用の井戸。
その中でも最も大事にされていた井戸で、後に屋形を建てて保存されている。
2024.5訪問