YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

アムステルの旅~オランダの生意気な子供達

2021-08-18 09:13:38 | 「YOSHIの果てしない旅」 第4章 西ヨーロッパ列車の旅
△ダム広場(PFN)

・昭和43年8月18日(日)曇り時々雨(オランダの生意気な子供達)
 アムステルダム2日目の今日、私は市内観光へ出掛けた。昨日、列車から降りた『アムステルダム中央駅』は、赤レンガ作りで東京駅に似ているので驚いた。東京駅がこの中央駅を真似して作った、と言う事なので、無理はなかった。
 この中央駅前から幾つも観光船が発着していた。市内運河巡りもあれば、アムステルダム港巡りもある。私は、後者の港巡りの観光船に乗った。客は私の他、地元の子供2人であった。どんよりして霧がかかり周りの景色はぼやけて、良くなかった。乗船して来たオランダの子供が非常に人懐っこく、直ぐに仲良くなった。私が日本人であると分ると、余計であった。
 彼等は日本のカメラやオートバイの良さ、そしてサッカーやその他のスポーツの事も良く知っているので感心してしまった。彼等は、小学2年か3年生ぐらいで、既に英語を習っていた。それにフランス語もドイツ語も知っていた。子供で既に4ヶ国語も5ヶ国語も知っている、とても増せている子供で驚いた。
英語も私より上手く、私の方が恥ずかしかった。何年英語を習っているのか聞いたら、まだ2・3年しか習っていないとの事。私は中学で3年、高校で3年、卒業してから独学1・2年程度、合計7~8年以上も習っていてこの子供より下手なので、全く情けない限りであった。日本人は如何してこうも英語が下手なのか、思うにそれは地理的に於ける環境の相異、言語系統の相異から来ていて、仕方がなかった。
驚いた事に、小学2・3年生と言えば8歳か9歳であろうに、タバコをスパスパと一丁前に吸っていた。私があげた訳ではなく、自分で持ち歩いていた。もう生意気を通り越して大人顔負けの態度なので、私は呆れて注意もしなかった。そんな子供達であったけれど、ガイド役を買って出て、「あれは○○、あの建物は△△」と説明してくれた。人懐っこいフレンドリーな、そんな子供達と共に港巡りが出来て良かったし、とても楽しかった。
乗船代は2ギルダーで安かったし、霧で霞んでなく天候が良ければもっと楽しかったし、もっと思いで残る港巡りであった、と思った。
 港巡りの後、国立美術館への途中、私の目の前で自動車が突然、停車中の自動車に衝突した。『ガシャンー』、それは一瞬の出来事であった。事故現場は、昼間の中央駅前の賑やかな通り、たちまち人だかりの山になってしまった。直に救急車やパトカーがサイレンを鳴らして到着した。
初めて衝突の瞬間を目撃して、私も大変驚いてしまった。後で気が付いたのだが、その現場の写真を撮っておけば良かったと思った。〝目撃者談話〟(私)~「信号で停車中の自家用車に他の自家用車が時速30kmぐらいで突っ込んだ。推測だが、ドライバーの前方不注意かブレーキ操作ミスが原因であろう」。
 今日も色々な事があった。腹痛で悩まされた事があったが、団体旅行では味わえない列車の旅を異状なく続けられ、自分なりに納得していた。明日、アムステルダムを去り、パリへ戻る事にした。


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