がれき問題で声明を出していますのでぜひお読みを。
http://www.jcp-fukuoka.jp/offer/2012/0321.html
さて、今日は3月議会の条例予算特別委員会で総括質疑。
市長の「稼ぐ都市」論をただして、人工島や大型開発の無謀を批判したが、
それはまた別の機会に。
この質疑の中で、高島市長が大騒ぎしている
「英語教育」の問題をとりあげたときのことだ。
高島市長は、麻生元首相の弟など財界の意をうけて、アジアからの企業を呼び込むために、
企業誘致の部局の担当者をかませてこの英語教育をすすめている。
いわば、自分の政策遂行の道具として「英語教育」「グローバル人材育成」を
騒ぎ立てている。
しかも、大阪市の橋下市長が教育委員会への介入をする条例をつくり、
それで大変な問題になっているのに、高島市長はこうした中身に「賛成」を
表明している。
だから、私は市長の意をうけて市教委の方針がかわっているのをしめして、
教育の中立性をそこなうのではないか、
教育基本法が禁じている「不当な支配」になるのではないか、とただした。
ところが市長はポカンとして、
え、別に、私は教育委員会と話しただけです、と平然と答える。
それが介入になるのだ、
市長は教育内容について容喙しちゃだめなんだよ、と諭すと、
なんと与党席から「笑い」が起きたのである。市長や民主党もかな。
「そんなわけないだろう」という「笑い」である。
これにはびっくりした。
なんていうかな。ペニシリンを知らない人たちがそれをみて、
「おいおい病人に青カビを打ってるよ」と笑うのを見たのに近い気持ち。
この人たちはなぜ教育委員会と市長部局が分かれていて、
教委の独立性が保障されているのか、よくわかっていないのだろう。
戦前、学校教育は文部省のもとに統制され、
富国強兵をはじめとする国家政策遂行の道具であった。
だから、戦後は教育基本法で、不当な支配が禁止され、
行政は教育の条件整備のみに専念するように定められたのである。
教育委員会は公選制とされ、教育内容は完全に政治から独立した。
このことは時の保守政権の当局者自身、つまり制定者自身が制定当時に述べている。
「教育行政の特殊性からして、それは教育内容に介入すべきものではなく、
教育の外にあって、教育を守り育てるための諸条件を整えることにその目標を
置くべきだというのである」(辻田力、田中二郎監修『教育基本法の理論』)
「教育行政は教育内容に介入すべきでなく、消極的には不当な支配の侵入を防ぎ、
積極的には教育を守り育てるために諸条件を整備確立することを目標とすべきで、
ここに教育行政の使命とその限界が明確にせられている」
(文部省内教育法令研究会『教育委員会 理論と運営』)
与党勢力と市長の無知はあまりに哀しい。
戦前、政治の道具となった教育は戦場に教え子を送り出す装置となった。
戦後、その反省をつづった、ある教師の次の詩は、
私の教師人生の拠り所の一つでもあった。
戦死せる教え子よ
竹本源治
逝いて還らぬ教え子よ
私の手は血まみれだ!
君を縊ったその綱の
端を私はもっていた
しかも人の子の師の名において
嗚呼!「お互いにだまされていた」の言訳がなんでできよう
慙愧、悔恨、懺悔を
重ねても、それがなんの償いになろう
今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対に!」
http://www.jcp-fukuoka.jp/offer/2012/0321.html
さて、今日は3月議会の条例予算特別委員会で総括質疑。
市長の「稼ぐ都市」論をただして、人工島や大型開発の無謀を批判したが、
それはまた別の機会に。
この質疑の中で、高島市長が大騒ぎしている
「英語教育」の問題をとりあげたときのことだ。
高島市長は、麻生元首相の弟など財界の意をうけて、アジアからの企業を呼び込むために、
企業誘致の部局の担当者をかませてこの英語教育をすすめている。
いわば、自分の政策遂行の道具として「英語教育」「グローバル人材育成」を
騒ぎ立てている。
しかも、大阪市の橋下市長が教育委員会への介入をする条例をつくり、
それで大変な問題になっているのに、高島市長はこうした中身に「賛成」を
表明している。
だから、私は市長の意をうけて市教委の方針がかわっているのをしめして、
教育の中立性をそこなうのではないか、
教育基本法が禁じている「不当な支配」になるのではないか、とただした。
ところが市長はポカンとして、
え、別に、私は教育委員会と話しただけです、と平然と答える。
それが介入になるのだ、
市長は教育内容について容喙しちゃだめなんだよ、と諭すと、
なんと与党席から「笑い」が起きたのである。市長や民主党もかな。
「そんなわけないだろう」という「笑い」である。
これにはびっくりした。
なんていうかな。ペニシリンを知らない人たちがそれをみて、
「おいおい病人に青カビを打ってるよ」と笑うのを見たのに近い気持ち。
この人たちはなぜ教育委員会と市長部局が分かれていて、
教委の独立性が保障されているのか、よくわかっていないのだろう。
戦前、学校教育は文部省のもとに統制され、
富国強兵をはじめとする国家政策遂行の道具であった。
だから、戦後は教育基本法で、不当な支配が禁止され、
行政は教育の条件整備のみに専念するように定められたのである。
教育委員会は公選制とされ、教育内容は完全に政治から独立した。
このことは時の保守政権の当局者自身、つまり制定者自身が制定当時に述べている。
「教育行政の特殊性からして、それは教育内容に介入すべきものではなく、
教育の外にあって、教育を守り育てるための諸条件を整えることにその目標を
置くべきだというのである」(辻田力、田中二郎監修『教育基本法の理論』)
「教育行政は教育内容に介入すべきでなく、消極的には不当な支配の侵入を防ぎ、
積極的には教育を守り育てるために諸条件を整備確立することを目標とすべきで、
ここに教育行政の使命とその限界が明確にせられている」
(文部省内教育法令研究会『教育委員会 理論と運営』)
与党勢力と市長の無知はあまりに哀しい。
戦前、政治の道具となった教育は戦場に教え子を送り出す装置となった。
戦後、その反省をつづった、ある教師の次の詩は、
私の教師人生の拠り所の一つでもあった。
戦死せる教え子よ
竹本源治
逝いて還らぬ教え子よ
私の手は血まみれだ!
君を縊ったその綱の
端を私はもっていた
しかも人の子の師の名において
嗚呼!「お互いにだまされていた」の言訳がなんでできよう
慙愧、悔恨、懺悔を
重ねても、それがなんの償いになろう
今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対に!」