日本柔術の到達点が「合気」であり、
中国拳法の極意が「発勁」である
ということになりましょうか。
「合気」も「発勁」も
単に柔術や拳法の極意というにとどまらず、
日本武道全体や中国武術全体の
それぞれの到達点として存在する技術です。
具体的な技術であって、
別に魔法でもなんでもありません。
現に、
現代武道の雄であるはずの極真会空手の総帥が
「合気」を学ぶために
大東流に入門してるくらいですから。
ただ、中国拳法の修行者にとっては、
「発勁」というのは、
あまりに当たり前なことであって、
師範によっては、
「なんで発勁、発勁と騒ぐのか」と感じられる方も
おられるようです。
私は、中国拳法修行者ではありませんが、
色々と伝えられるところによれば、
「発勁」とは、
打撃力を最も有効に出す技術のようです。
「太極拳」の套路には、
そのものずばり「発勁」という名称の型が
あります。
「合気」は、
剣道などで「合気をはずす」ということが
よく言われますが、
その場合の「合気」とは意味がちょっと違います。
(実は、完全に意味が違うとは
言い切れないのだが --------- )
「合気」とは、
相手を最も技の掛けやすい状態にして
技を掛ける技術とでもいえましょうか。
広く普及している「合気道」に
「合気」があるかどうかも微妙です。
合気道は元々は大東流から派生してますので
合気技法があっても良さそうですが、
大東流の師範の中には、
「合気のない大東流が合気道だ」 とまで
言う人がいます。
合気道で言うところの「呼吸力」は、
「合気」とは必ずしも同じではありませんし。
ただ、「合気」は、
必ずしも大東流の専売特許ではなく、
剣術の技法を前提とする日本武術であれば
「合気」技法に自然とたどり着くことは
十分に可能です。
また、大東流の中でも
「合気」が各会派で全く同じ技法というわけでも
ありません。
なお、
組み討ち技術で「合気」を使うときの
体の使い方を使って
当身をすると「合気の当て身」
すなわち「合気拳法」になります。
以前、私の稽古を見学に来た、
日本拳法の高段者が
私の「合気拳法」を見て、
中国拳法の発勁や単打(寸勁)に似ている
と言ったことがあります。
果たして、「合気」と「発勁」は
相通じるものなのでしょうか?
笠尾恭二氏と
日本の古武術研究家の
平上信行氏による「中国拳法発勁秘伝」と
「日本柔術当身秘法」に関する対談書。