膵臓癌に負けるな!

膵臓癌を発症した父の闘病記と自分自身の思いを綴ってます。

辛い帰省

2007-10-27 17:30:57 | 父の病状
今日は実家でお祭りのため、3週間ぶりに帰る。
ここのところ父の病状が芳しくないと感じていたため、
帰る前に主治医に面談の約束もしておいた。

実家について父を見て正直絶句。
黄疸が3週間前と比較するとかなり悪化しており、
黄色というより黄土色になっていると言ったほうがいい顔色。
しかも、起き上がっているのが辛いらしく寝たきり状態になっていた。
予想よりも病状が進んでいたのでかなりのショック・・・
しかし、食欲があることと痛みが出ていない事が救いである。

午後から主治医の話を聞くために嫁と病院へ。
およそ30分ほどの説明であったが、まったく良い事を聞く事がなかった。

現在の病状は、
①体力低下に伴いTS-1が投薬できない事もあり、原発の膵臓癌が大きくなっている。
②肝臓の数値が悪化しており、ほとんど機能していない。
③肝硬変によるものか腹膜播腫の影響か分からないが腹水が溜まっている。
④余命は11月末、もって年末まで。

絶望である・・・

その後、今後の治療に関して話したわけだが、

肝臓が悪化しているために今後GEMなど抗がん剤投与は出来なくなるので、
まずは点滴の投薬により肝臓の状態を優先していくらしい。
というより主治医は、抗がん剤の投与は今更何の意味も無いと言いたいのだ。
しかも腹水の影響で、胆汁を抜くといった減黄処置もできないとの事。

また、これだけ急激に肝臓が悪化したのはTS-1という薬剤の副作用らしく、
原発の膵臓をやっつけてもらうために投与し続けたわけだが、
肝臓のほうが先に悲鳴を上げてしまったのだ。

膵臓に力を入れると肝臓が、肝臓に力を入れると膵臓が悪くなる。
やはり癌とはつくづく恐ろしい病だと痛感した。

その日の夜、床に入った父は悪化する自分の体のことを不安に感じているためか、
3週間前が嘘のように弱気な事を口にするようになっていた。
睡眠誘発剤を飲んでも眠れないらしい。

「もう、あかんかもしれんなあ」
「疲れたわ・・・」
「周りに迷惑を掛けて情けない」

父の寝床に横になっていた自分は、そんな父の言葉に耳を傾けながら
なるべく父の不安を取り除く事ができるよう時には同調し、時には励ましながら会話をしていたのだが、
涙を流しながら弱々しく話す父の言葉を聞いていると涙が出そうになった。

「病気は根治しなくても、せめて旅行に出かけた時のような状態に戻って欲しい」

と願わずにはいられなかった。

発病から3ヶ月

2007-10-22 19:35:07 | 父の病状
10/10のブログから10日余。
長いよう短いような・・・

父が病気になってからは時の流れが早いように感じる。
病状が少しでも良化している明るいブログをあげようと思うのだが、
それをあざ笑うかのように父の癌は休む事を知らない。

N医大で余命3ヶ月と告知を受けてから先週で3ヶ月。
いわゆる中央値を超える事が出来たというべきなのであるが、
ここ数週間の父の病状はそれを素直に喜ぶ事が出来ないものであった。

どうも腹水が溜まっている状態で、父の食欲が減退気味であるらしい。
元々、食欲が回復のバロメーターであったため、
それが無くなってきている事が非常に心配。
同時に体力も落ちてきているらしく、抗がん剤の副作用がキツくなっている。

昨日の電話の声も、体調を崩し入院していた頃のように元気が無い。

『調子が悪くなったら入院するわ』と嫌がっていた再入院についても
口にし始めている父。
一向に良化しないどころか悪くなる病状に気分が落ち込んでいるのだろう。

今週末に実家に帰る予定だが、いったい父はどうなっているのかと思うと
いつもの事であるが何も出来ない自分が腹立たしく思う。

今日はGEM点滴治療の日なので、後で父にメールをしてみよう。

まわれ右

2007-10-10 19:39:34 | 今日の父
今日の父は休薬週という事でGEM投与は無かったが、
現在の病状説明を主治医から聞くために母と病院に行ったらしい。

父からの携帯メールでは、

『黄疸により肝臓の数値が退院前の状態に戻った』

『食事制限の指示を受けた』

といった内容がつづられており、正に回れ右状態。
しかし、7月の入院から抗がん剤治療などで突っ走ってきたので、
父本人にもかなり負担がかかっていると思う。
ここいらで少し小休止をした方がいいのかも。

ただ、メールの最後に『あかんだら、また入院するわ!』
という内容を読んでいると、先日母が主治医から言われた
『今度入院したら再び外来治療することは無理でしょう』
と文言が気になり少し不雑な気分。

とはいうものの、主治医の言う事はあくまで経験値からの判断であり、
全てが父に当てはまるわけではないと思う。

奇跡を信じよう。

父について

2007-10-09 18:52:27 | 父について
生まれ年   1945年生まれの62歳 酉年

血液型    O型

星座     魚座

性格     短気だけど情に厚い。どちらかというと会社人間。

飲酒     休肝日はなし

喫煙     1日1箱程度

好きな食べ物 米 生もの 珈琲

嫌いな食べ物 特になし

主な病歴   平成18年1月 肺気胸手術
       
       平成19年1月 前立腺癌により前立腺全摘手術


と記述したように、60歳を超えるまでこれといった大病をしなかった父でした。

ただ今回の膵臓癌は前立腺癌の手術により抵抗力や免疫力が低下していたため、
病状が進行したのではないかと主治医からも言われました。

特に仕事人間で酒タバコを常習しているお父様をお持ちの方は、
極力まめな検査をする事をお勧めください。

膵臓癌は自覚症状が無いため、発見時はほとんどの患者が末期症状のケースが多いようです。
数週であっという間に病状が進むのが『膵臓癌』です。

『煩い!!』と煙たがられても、検査は勧めることにしましょう。


検査をして何も無い事が一番幸せなのですから。  

何もできない辛さ

2007-10-09 18:19:35 | 父の病状
10/6と/7の両日、実家に戻る。

気になっていた黄疸もあまり症状が良化しておらず、
黄疸治療のための肝臓への点滴をここ数日続けているみたいだが、
父も日々良くならない病状に落胆の色が濃いようだった。

母と2人きりになった時、CT検査の結果を色々教えてもらったが、
肝臓の腫瘍が大きくなり胃にも数個の転移が見つかり、
主治医からも痛みが全く出ていない事が信じられないと言われたらしい。

先月末の旅行までは食欲もあり、滝までの山道を歩いていたのに、
ここ数日でアッと言う間に病状が悪くなってしまった。

さすがに母だけではなく自分や嫁もショックで、落胆の色は隠せない。

セカンドオピニオンも考えたが、両親は今の病院の環境も含めて全てを委ねており、
現状では難しそう。

父の病状を少しでも良くできないかと色々と考えているもの、
今は正直八方塞の感が否めない。

ただ、実家に帰った父の晩御飯があまり食も進んでないようで心配したが、
翌日の夕食時は笑顔もあり食も進んでいたので一安心。
少しでも父が元気になるよう時間を作って実家に帰ろうと改めて思った。


『息子として何が出来るのか、何をすれば良いのか?』


こればかりが頭の中をグルグル廻る。

他人事とは思えません

2007-10-04 19:57:33 | 父の病状
昨日のメールでは元気そうに思えた。
壊れてしまったPCを買い換えるんだと「(^▽^)」←こんな顔文字つきでメールをくれた(笑)
何はともあれ、楽しそうな文面のメールを見ることは良いことだ♪

ただ、抗がん剤を服用しているのに膵臓の状態が改善していないことも不安らしい。

TS-1を朝晩2錠ずつ飲んでいる時は、辛い副作用に悩まされために1錠に減らしたわ
けだが、
副作用が無いと薬の効果が気になるとの事。

無理に抗がん剤を服用すればかえって体力を失いかねないし・・・

今後も難しい選択を迫られそうだ。


そういえば、新聞紙面で抗がん剤の投与量のミスにより患者が亡くなったという記事を目にした。
以前なら何気なく読んだ記事も、今はとても他人事とは思えない。

この記事を読んだであろう父はどういう気持ちだったのだろう・・・

悪化

2007-09-29 13:42:24 | 父の病状

今朝、母からの電話。

病院での治療が必要になったために、予約を取りに来たついでにだったらしい。
「抗がん剤投与の日ではないのになんでだろう?」
と思っていたが、電話越しで話す母の口からは辛い話が次々と出てきた。

旅行中に黄疸が出ていたので心配していたが、
25日のGEM投与日に主治医からも指摘され検査をした結果、
良くなっていた肝臓の数値が再び上がり、その後のCTでは
腹膜にも癌が散らばり、腹水も溜まって来ている事が判明。

主治医からは、やはり正月は越せないだろうとも言われたとの事。

入院、通院のどちらの治療にするかと言われたが、
父は今は元気なので暫くはこのまま通院で治療することに。

先週の旅行ではあんなに元気にしていた父。
「このまま根治するんじゃない??」
と思っていたのに・・・・

癌は静かに体を蝕んでいるのだと思うと、
この病気の恐ろしさを再認識された。

しかし、まだあきらめない。

と自分に再度言い聞かせる。


心配性の息子(9/25~27)

2007-09-27 20:11:59 | これまでの経緯
2007年9月25日(火)
今日はGEMの投与の日。
旅行の疲れが出ていないか心配であったが、調子は悪くは無さそうで安心した。
しかし母からのメールでは少し調子が悪いよう。

2週間の抗がん剤投与でかえって父を苦しくさせてるのでは思いつつ、
やはり治療で少しでも長生きして欲しいと思う自分。

勝手な息子でゴメンな、父さん。

やっぱり頑張って欲しいわ(懇願)

2007年9月27日(木)
旅行中に気になった黄疸の状況が心配だったので母にメール。
朝一番にメールをしたのに中々返信が無かったのでかなり心配したが、
GEM投与による倦怠感以外は特に目立った変化は無いとの事で一安心。

しかし、心配が募るので今週末は一人で実家に帰ろうかな~


湯の山温泉旅行(9/22~24)

2007-09-27 20:01:53 | これまでの経緯
2007年9月22日(土)
今日は嫁が子ども会などの用事で目一杯だったので、
夕方に実家へと出発し18時半頃到着。
父に久々に会ったが、9月頭に会った時よりちょっと痩せるてる事にビックリ。
微熱もあるようだった。

母に聞くと、帰ってくる息子一家のためにガスレンジの前で一生懸命料理を
作ってくれていたらしい。
『そんなに無理しなくても良いのに・・・』
と父の体調が心配だった。

また、体調がすぐれないのでTS-1の服用も中止したとか。
しかし、抗がん剤で体調が悪くなる事を思えば、ここらで少し小休止するのも良いかも。
やはり体力維持・増強が基本なので無理はして欲しくない。
でも癌の進行を考えれば休薬も心配だし・・・

難しい選択だよ、ホンとに(--;

2007年9月23日(日)
父の微熱も下がり、今日は楽しみにしていた湯の山温泉旅行!
片道2時間程度とはいうものの、退院後初の遠出なので心配も尽きないのは事実。
しかし、昨日までの暑さが嘘のように涼しい日になってくれたので一安心。
途中に立ち寄った関ドライブインでは、こちらが心配になるほど父は昼食を摂っていた(^^;

ホテルに到着後小休止してからホテルでお勧めの『蒼の滝』へお出かけ。
駐車場から滝まで400mほどの距離だったが、病み上がりの父にはキツかったかみたい。
途中休息をとる姿を見ると悲しく感じたのは事実だが、
滝について喜ぶ姿を見てホッとした。

ホテルでの晩御飯は結局減量はしてくれなかったので普通食。
でも、こちらの心配をよそに父はほとんど平らげてくれた(苦笑)
環境を変えた事で気分転換になったのか、
こちらが冷や冷やする程に父は行動的で、とても病人には見えなかった。

2007年9月24日(月)
心配していた下痢も軽度なもので済んだようで一安心だったが、
朝、父を見ると黄疸が出ているよう・・・・
急激な運動や過食の影響なのか。
膵臓と肝臓の病状に一抹の不安を感じる。
昨夜の入浴の際、母は気がついていたようだ。

しかし本人はいたって元気そう。
朝食もバクバク食べていたし、体調も良さそうな感じである。

帰りは自分の体調も優れない事もあり、四日市駅まで両親を送迎。
満足そうな父の顔を見て、『また旅行を企画しよう!」と自分も思い電車を見送ったが、走り去る電車を見てると何故か目柱が熱くなってきた。

昨日の朝の母との話では、主治医の話では病状は改善しておらず余命についても変わりないという。
それを聞いてしまったので、今回の旅行では100%楽しむ事が出来なかったのは事実。
病状が少しでも回復しているのだと思っていたのでショックを引きずっていた。

神様。

病気は小康状態のままで良いので、このままの状態でいさせて下さい・・・・

旅行計画(9月初旬~21日)

2007-09-27 19:57:07 | これまでの経緯
9月初旬
抗がん剤との相性が良いのか、父の調子も良さそう。
特に症状の変化が無かったので、特筆すべき事はなかった。

2007年9月10日~17日
1週間の休息後、今週からGEM投与あり。
主治医の話では特に食事制限はしなくて良いとの事らしい。
食べる事が楽しみの父にとっては朗報だ♪
同時に9月23日から1泊で湯の山温泉の『鹿の湯ホテル』を予約した事を連絡。

しかし追々聞いてみるとTS-1の投与が一日2回になって、
ちょいと体調がおもわしくないらしい。
9月20日まではキャンセル可能なので、父との体調と相談しての旅行なりそう。

2007年9月18日~21日
色々心配はしていたが、何とか旅行に行けそうな感じ。
宿泊予定のホテルにも色々とお願いし、父の状況を説明して食事の減量を
電話にてお願いしたが『できません、ご家族で食べてあげてください』との事。
少々むかついたが、出来ない事はしょうがないので諦める事にした

自宅療養開始(8/26~29)

2007-09-27 19:52:29 | これまでの経緯
2007年8月26日(日)
今週は実家に帰ることが出来なかったので久々に両親と電話で会話した。
母と喋ってると特にどうってことなく、旅行の話など取りとめもない話をしたが、
父に代わって喋り始めるとこみ上げてくる感情を抑えるのに必死だった。
心なしか声に元気が無い…

本人は旅行は気候が良くなってから~と言っていたが、自分としては少しでも体調のいい時に連れて行ってあげたい。
でも余り急ぎすぎると父も不安に感じると思うし…

難しいもんですな。

しかし、体力もあり元気のある間に沢山旅行したいよ、父さん。

2007年8月27日(月)
仕事が月末の〆ということで、朝から父から『地獄の〆週やな』と優しい言葉のメールが届いた(笑)
同じ営業を選んだ息子と先輩である父。
同じ職種の息子が気になるんでしょう~

2007年8月28日(火)
特に何も無い1日。
母に副作用等は無いかとメールをしたら返信が。
どうも家でのんびりするのにも退屈し始めてるらしい。
退屈と感じて出かけようと思ってくれれば良いな~と思った。

2007年8月29日(水)
朝、父から父の日に贈った特注ゴルフグローブの注文が出来上がって届いたと連絡があった。
画像付で送ってくれたので現物も見ることが出来たが、
中々かっこいいのが届いたみたいで良かった♪

とりあえずは打ちっぱなしでデビューかな??

体調がよくなれば来年にでもラウンドできると思うので、
それを楽しみの一つとして父には病気に打ち勝って欲しい!

いや、打ち勝つはずだ!!!

癌告知、そして外来治療へ(8/19~8/25)

2007-09-27 19:44:10 | これまでの経緯
2007年8月19日(日)
朝、嫁に母からTELがあり起きた。
しばらくして自分から再度TELをかけ直し色々母から話を聞いた。

18日、すでに主治医から父へ病名の告知がされたらしい。
来週だと聞いていたので驚いた!
母曰く、本人も先月のCTの画像を見てこりゃあかんと思っていたらしい。
従って病名がはっきりし不安から開放されたようだ。
GEMとTS-1の奏功に関しては現在お世話になっている病院では治療成果の結果が乏しく、これから父がその先端を走ってもらうとも主治医に言われた事もあり、
自分がこの治療の結果を残さなければと前向きになっているとも言っていた。

しかし、こういった前向きな思いの反面、おそらく本人は生に対する不安も膨らんだだろうと思うと、何も出来ない自分が情けなく思えた。

その父とはメールで会話をしたが、家族みんなで病気に立ち向かおうと伝えると、

『感謝』と返信が。

『感謝なんてしなくていいよ。息子としては当たり前の事だよ、父さん。』

2007年8月20日(月)
ばたばたしたお盆休みは終わり、今日から仕事。
今朝届いた母からのメールでは、昨夜の父は自分とのメールのやり取りで
泣いていていたらしい。
その話を読んで目柱が熱くなってしまった・・・・
でも父。嬉しい涙は幾らでも流してな。免疫力もUPするらしいよ!!

2クール目2度目のGEM投与。
副作用が無いのか心配。
TS-1の服用から1週間が過ぎようとしているが、TS-1の副作用はこの時期から現れやすいとNETで見かけたので少し心配になる。

2007年8月21日(火)
前日GEM投与だったので父さんに副作用の有無はあったのかとメール。
メールでは『副作用も無く快調』との事で一安心♪
明日の検査が良い様に願わずにはいられない。

2007年8月22日(水)
今朝は検査の日。
夕方父からメールが入った。
『大きい変化はありませんでした。完治は無理なようなので気長に治療します。
 とりあえず明日午後自宅に戻り、外来治療になるそうです。』
という内容から、本人としては少しでも膵臓の数値が良くなる事を祈っていた気持ちが伝わってきて辛かったが、まずは予定通り外来治療になる事が出来てホッとした。

母も昨日のメールで外来に不安を感じていたみたいだが、
病院も近い事だし、気分が滅入らないためにも家に戻ったほうが良いと思う。

この外来治療が少しでも長く続く事を祈らずにはいられなかった。

2007年8月23日(木)
朝、昨夜の父からのメールが気になったので母にメールをしたところ、
肝臓の数値が少し気になると主治医から言われたから?という事だった。
良くなってるばかり思っていた肝臓の数値が気になるとは・・・
癌とは治療が前進し続けるのは難しい病気なんだと改めて思う。

昼過ぎに父から退院のメールが。
まずは1ケ月に及んだ入院生活が終わった。
入院当初は家に戻る事ができるのか不安で一杯だったので、
外来治療に切り替われた事は素直に嬉しい。

退院祝いを兼ねて、来月にでも温泉に行く計画を立てなきゃ♪

2007年8月24日(金)
朝、父から届いたメール。
『自宅は安らぎ調子よく感じます!』
やはり病院より家のほうが落ち着くみたい。

明るいメールだったので安心した♪

2007年8月25日(土)
お昼に届いた母さんからのメールには、夏休みが大変で申し訳なかったと心配する内容だった。
相変わらず気を遣いすぎる・・・
父の体の心配だけしてなさい!(笑)

告知すべきか?(8/12~18)

2007-09-27 19:37:45 | これまでの経緯
2007年8月12日(日)
朝8時半頃実家に向け出発。
帰省の渋滞でいつもより余分に時間が掛かったため
到着したのはお昼前だった。

自宅に帰ると久々に自宅で父が迎えてくれた。
顔色も良く食欲もあるらしく、元気なようで安心した。
しかし、顔全体に大きな瘤のような物が出来ていたのが
ちょっとびっくり。
やはり薬などの副作用なのか。

外泊初日の散髪の途中、病院の看護師からの処置ミスで
病院へと戻った出来事があったとの話を聞いた。
心臓に繋がる管への処置ミスだったららしく、
一歩間違えれば大変な事になるので今後は気をつけてもらいたい。

夕方、父と母の携帯の機種変を行い、
『らくらくホン』に交換。
ジジ臭いデザインに変わってしまったので父が気に入るか不安だったが、
喜んでくれたのでホッとした。
この日の夕方に父は母と病院に戻った。
父の運転で(笑)

2007年8月13日(月)
GEMとTS-1の治療が再開。

病室での父は元気そのもので、ホントに癌なのか疑いたくなる。
この日、どうしても主治医の話を聞きたかったので、
看護師の方に面会が出来るのか聞くと、
お昼前にどうぞという事なので、ごみを捨てに行く振りをして病室を出た。
従って主治医のいる部屋に通されるときゴミ箱を抱えていた(苦笑)

しかし、主治医からは大きな宿題が。
いわゆる病名の告知。
主治医の話だと、現在病状はかなり回復傾向にあり、今後の治療の事も考えると
今週末辺りに話をするのが一番ベストだとのこと。
自分一人では決められないので母さんと相談するということにしたが、
自身の病状に不信感を抱き始めている父の事を考えると、
やはり病状だけでも告知したほうが良いのでは思っていたのは事実。

昼ごはんを母と食べながら主治医の先生の話を伝えたが母も悩んでいた。
当たり前だと思う。

母が告知、非告知のどちらを選択しても良いと思った。
実際、毎日父を診ているのは母なんだから、
その決断にどうこう言えるわけが無いよ・・

2007年8月14日(火)
今日は昼から子供たちは実家近くの市営プールへ。
嫁の友人の旦那さんが来てくれるらしい。
旦那さん、ありがとうございます。

今日も父は状態がよさそう。
昨日から下痢が続いてるらしい(十数回)が食欲はあるらしい。
抗がん剤の副作用もないようで、
本人も気力が溢れている感じであった。
ただ、せっかくこれだけ元気になってるのに、病名の告知が必要なのか…
と思ったのも事実。

母とも色々話したが、結論は中々出なかった。

2007年8月15日(水)
明日、ユニバーサルスタジオへ出かけるので今日が実家を出発する日。

今日は病室へ行くと父は少し調子が悪いようだった。
下っ腹が痛むらしく、表情もさえない。
下剤をしてもらって楽になったようだが・・・
やはり抗がん剤の副作用なのかな~
腹水が気になった。

こんな時に自分たちが居なくなるのは心苦しかったが、
子供たちを連れて大阪へ。

子供たちには、この夏休みにどこにもお出かけに連れていってあげれなかったので、明日は思い切り我侭させてあげようと思った。

2007年8月16日(木)
朝からユニバーサルスタジオは大混雑。

猛暑を心配した父と母から『心配メール』が来たが、
自分たちの事を考えてくれればいいのにとも思った。

夕方には嫁の在所の四国へ出発。

四国に到着し、義父から『よう来たな!』と言葉をかけられた時は
ちょいとばかし涙腺が緩んだ。。
夕食後に義父が近所のスナックへと連れて行ってくれたが、
その心遣いに再び涙腺が緩んだのは言うまでも無い。

2007年8月17日(金)
朝、父からメールが。
『熱が下がり調子がいい』との事。
昨日、熱があったんだ・・・・と妙にしんみり。

と思ってたら長男が昨晩から熱が・・
昨日の暑さにやられたのかな~
今日は長男が体調不良ということで、お出かけは中止。
しかしここ数日の目まぐるしい忙しさから開放され、
家でのんびり出来る事は嬉しかったのは内緒(笑)

2007年8月18日(土)
今日は名古屋に戻る日。
長男の体調が心配であったが、朝から元気にご飯を食べれて一安心。

実家ではおそらく母が主治医と病名の告知について話し合う日であったが、
今は結論が出ている事だろう。
告知・非告知のどちらの答えが出たのだろうか。

夜9時過ぎに嫁の在所を出発。
名古屋に帰宅したのは日付の変わった2時ごろだった。

更に回復&外泊許可(8/5~8/11)

2007-09-27 19:30:03 | これまでの経緯
007年8月5日(日)
夜、何故か気分が落ち込み嫁と話をしていると涙が出て困った。
情緒不安定かな?
いかんいかんと自分に言い聞かせる。

2007年8月6日(月)
今日から定例の静岡出張。
しかし、仕事をする気になれずマン喫へ。
NETで膵臓癌のサイトサーフィン。
見なきゃ良いのに気になっちゃうウンです・・・

2007年8月7日(火)
朝に母からTEL。
今のところ順調で、明日レントゲンと血液検査の結果が出るらしい。
検査結果が良い事を祈らずにはいられなかった。


2007年8月8日(水)
今朝父にメールをしたら珍しく電話が。
ゴルフボール大のオニギリを食べる事が出来たらしい。
本人も日に日に良いことがあるので嬉しかったのか、
声のトーンは高かった♪
電話で父と喋りながら良い事が続くことに素直に感動し、
電話をしながら緩む涙腺を押さえるのに必死だった(苦笑)

夜に母から来たメールでは、肝臓や黄疸の数値が良くなってるが、
膵臓の状況は分からないとの事。
嬉しくも思い心配にも思った1日。
果たして腫瘍マーカーの数値はどうだったのか・・・

しかし、良い話を聞くのは本人はもちろんの事、我々家族にとっても良い事だ!!

希望を捨てずに頑張ろう!!!!

2007年8月9日(木)
朝、母からメールが。
『朝、父と病院の周りを散歩しました( 笑顔の顔文字付(笑) )
入院後、こんな母からの明るいメールが続くのは初めて。

毎日父を診ているのも母。
最初に現在の病状を主治医から聞くのも母。
入院からの先週までは辛い話ばかりだったので、
一人で大変な思いをしただろうな・・・

父の病状良化=母の精神・体も良くなる
もちろんも自分もだけど(苦笑)

このまま何もない日が続きますように。
何も無い事が一番幸せなのだと思う今日この頃である。

2007年8月10日(金)
今朝父にメールをしたら、
『血液検査の結果も良かった』と返信があった。
このまま根治するかもと密かに期待をする。
気分も上々な様子が伝わり嬉しくなる♪

2007年8月11日(土)
今日からお盆休み。
明日から実家に帰るので、今日は一日準備で大忙し。
父が入院してからは週末が待ち遠しい。
やはり病状も気になるし、早く会いに行きたくなるもんだ。

しかし、病院にて入院のストレスと下痢が止まらない事もあり、
父が切れてしまったらしい。
気分転換をという事で、今日から明日まで外泊許可がでた。

快方の日々(7/29~8/4)

2007-09-27 19:21:26 | これまでの経緯
2007年7月29日(日)
今朝の起床は5時半。
年取ったジーさんみたいだ(苦笑)

7時半ごろに母は病院から一時帰宅。
8時半にはとんぼ返りしていったが、息子としては母の体も心配になってくる。
その後母から一通のメール。
『今朝、父さんにお通じがありました。小さなことでも良いことは嬉しい』
同感だった。

病室の2人の暇つぶしにと病院に向う途中にDSを購入。父と母、2人とも交代で楽しそうにゲームで遊んでいたので、買って良かったなあ~と思った。
でも、やり過ぎて逆に疲れる事がないか心配だが・・・(苦笑)

今日のお昼は母と吉野家へ。
色々話をしたが、どうしても明るい会話にならない。
しょうがないか。

ここ2日間明るくしゃべったので、おそらく癌も少しは小さくなったと信じたい。

8月2日に検査結果が出て、再度抗がん剤治療が可能かハッキリするらしいが、
肝機能や十二指腸閉塞が少しでも改善し、抗がん剤治療が始まって欲しい。

2007年7月30日(月)
週末の新たな出来事もあり、今日は仕事を頑張れない。
ちょいと精神的にも疲れてるかな・・・
早めにホテルにチェックインして休息中。
会社の月末なんてどうでも良くなる。

2007年7月31日(火)
母からメール。
『管が取れて一歩前進です。少しでも良い事があると嬉しい!』
ホントにそう思った。
入院からの2回の週末は良からぬ話ばかりだったので、
心から嬉しく思った。

2007年8月1日(水)
母からのメールは快晴マークに大喜びの顔文字付きだった(笑)
不安一杯だった先週から病状が良化している事が嬉しかったのだろう。
もちろん自分も嬉しかった。

日中、義弟からメールが。
『何か出来る事があったら連絡して』
という趣旨であったが、ドラッグストアに勤める義弟のメールは心強かったな~
アガリスク?が安く買えるのかしら?と思ったのは内緒(笑)

夕方の母からのメールでは『高カロリー点滴が始まった』との事。
これは良いことなのか悪い事なのか。
どちらなんでしょ?

2007年8月2日(木)
夜、父からメールの返信が。
『11時間の点滴で暇』というものだった。
心臓に管を通す処置を受け高カロリー点滴をおこなってるらしいが、
メールを読んで可哀想に感じた。

2007年8月3日(金)
明日はようやく実家に行けるぞ!
父が入院して以来、週末に戻れるのが待ち遠しい。
今までは滅多に帰らなかったくせに、病気になったらマメに帰るとは親不孝だな・・・
前日まで自分1人での実家行きの予定だったが、千葉在住の従妹一家が実家に来るとの事で皆で帰ることになった。

2007年8月4日(土)
今日は母方の叔母を名古屋で拾って実家へ。
道中に叔父が癌で亡くなるまで、亡くなった後の話を聞いてちょいとブルーに。
やはり癌患者の家族は大変なんだと改めて思った。

病室を訪れると父は管も外れていたので比較的元気だったので一安心。
お昼に主治医の先生から現況を聞いたが、肝臓の数値も良くなり十二指腸の閉塞も良化しているとの事。
黄疸の数値もこれから良くなるとの事だった。
ただ腫瘍マーカーの数値がもう少し下がってほしかったかな~

その後父と病室で2人になった時に、今後の事を何気に話したが少し涙を浮かべていた事が辛かった。

日帰りであったが、確実に良化してると確信しながら実家を後にしたので
久々に気分良く名古屋に戻れた♪