膵臓癌に負けるな!

膵臓癌を発症した父の闘病記と自分自身の思いを綴ってます。

告知すべきか?(8/12~18)

2007-09-27 19:37:45 | これまでの経緯
2007年8月12日(日)
朝8時半頃実家に向け出発。
帰省の渋滞でいつもより余分に時間が掛かったため
到着したのはお昼前だった。

自宅に帰ると久々に自宅で父が迎えてくれた。
顔色も良く食欲もあるらしく、元気なようで安心した。
しかし、顔全体に大きな瘤のような物が出来ていたのが
ちょっとびっくり。
やはり薬などの副作用なのか。

外泊初日の散髪の途中、病院の看護師からの処置ミスで
病院へと戻った出来事があったとの話を聞いた。
心臓に繋がる管への処置ミスだったららしく、
一歩間違えれば大変な事になるので今後は気をつけてもらいたい。

夕方、父と母の携帯の機種変を行い、
『らくらくホン』に交換。
ジジ臭いデザインに変わってしまったので父が気に入るか不安だったが、
喜んでくれたのでホッとした。
この日の夕方に父は母と病院に戻った。
父の運転で(笑)

2007年8月13日(月)
GEMとTS-1の治療が再開。

病室での父は元気そのもので、ホントに癌なのか疑いたくなる。
この日、どうしても主治医の話を聞きたかったので、
看護師の方に面会が出来るのか聞くと、
お昼前にどうぞという事なので、ごみを捨てに行く振りをして病室を出た。
従って主治医のいる部屋に通されるときゴミ箱を抱えていた(苦笑)

しかし、主治医からは大きな宿題が。
いわゆる病名の告知。
主治医の話だと、現在病状はかなり回復傾向にあり、今後の治療の事も考えると
今週末辺りに話をするのが一番ベストだとのこと。
自分一人では決められないので母さんと相談するということにしたが、
自身の病状に不信感を抱き始めている父の事を考えると、
やはり病状だけでも告知したほうが良いのでは思っていたのは事実。

昼ごはんを母と食べながら主治医の先生の話を伝えたが母も悩んでいた。
当たり前だと思う。

母が告知、非告知のどちらを選択しても良いと思った。
実際、毎日父を診ているのは母なんだから、
その決断にどうこう言えるわけが無いよ・・

2007年8月14日(火)
今日は昼から子供たちは実家近くの市営プールへ。
嫁の友人の旦那さんが来てくれるらしい。
旦那さん、ありがとうございます。

今日も父は状態がよさそう。
昨日から下痢が続いてるらしい(十数回)が食欲はあるらしい。
抗がん剤の副作用もないようで、
本人も気力が溢れている感じであった。
ただ、せっかくこれだけ元気になってるのに、病名の告知が必要なのか…
と思ったのも事実。

母とも色々話したが、結論は中々出なかった。

2007年8月15日(水)
明日、ユニバーサルスタジオへ出かけるので今日が実家を出発する日。

今日は病室へ行くと父は少し調子が悪いようだった。
下っ腹が痛むらしく、表情もさえない。
下剤をしてもらって楽になったようだが・・・
やはり抗がん剤の副作用なのかな~
腹水が気になった。

こんな時に自分たちが居なくなるのは心苦しかったが、
子供たちを連れて大阪へ。

子供たちには、この夏休みにどこにもお出かけに連れていってあげれなかったので、明日は思い切り我侭させてあげようと思った。

2007年8月16日(木)
朝からユニバーサルスタジオは大混雑。

猛暑を心配した父と母から『心配メール』が来たが、
自分たちの事を考えてくれればいいのにとも思った。

夕方には嫁の在所の四国へ出発。

四国に到着し、義父から『よう来たな!』と言葉をかけられた時は
ちょいとばかし涙腺が緩んだ。。
夕食後に義父が近所のスナックへと連れて行ってくれたが、
その心遣いに再び涙腺が緩んだのは言うまでも無い。

2007年8月17日(金)
朝、父からメールが。
『熱が下がり調子がいい』との事。
昨日、熱があったんだ・・・・と妙にしんみり。

と思ってたら長男が昨晩から熱が・・
昨日の暑さにやられたのかな~
今日は長男が体調不良ということで、お出かけは中止。
しかしここ数日の目まぐるしい忙しさから開放され、
家でのんびり出来る事は嬉しかったのは内緒(笑)

2007年8月18日(土)
今日は名古屋に戻る日。
長男の体調が心配であったが、朝から元気にご飯を食べれて一安心。

実家ではおそらく母が主治医と病名の告知について話し合う日であったが、
今は結論が出ている事だろう。
告知・非告知のどちらの答えが出たのだろうか。

夜9時過ぎに嫁の在所を出発。
名古屋に帰宅したのは日付の変わった2時ごろだった。