膵臓癌に負けるな!

膵臓癌を発症した父の闘病記と自分自身の思いを綴ってます。

父の旅立ち

2007-11-21 19:42:26 | 父の病状
前日の夜から母と、近くに住む叔父さん夫婦と従姉との5人で泊まったが、
病状にあまり急変の様子は無いとのことであったので、
叔父さん達には一度帰ってもらい母と2人で看病をすることに。

朝方看護師が病室を訪れ血圧を測ったが上が40台。

朝を迎えると父の血圧は測定出来ない状況に。
しかし心拍数や血中酸素の数値はまだ大丈夫との事。

この状況下ではおそらく今日明日がヤマとの判断であったため、
会社への報告と仕事の処理のため実家に戻る事にした。
自身は10時には病室には戻ると母に告げての実家への帰宅であったが、
これは自分自身が一生後悔する判断となってしまった。

このような緊迫の状況であったのに仕事の処理が長引いてしまい、
病院に向おうと思った10時過ぎに母から連絡が。

「家族を呼んで欲しいと看護師さんが言っている」

たった5分程度の道中であるが、こんな時に限って2つしかない信号に引っかかってしまう。
車を乗り捨て病室に駆け込んだときにはすでに父は息を引き取っていた。
ほんの数分前の出来事であったらしい。
しばらくして主治医が病室で臨終を告げる。

2007年11月21日 午前10時40分 父永眠

忘れられない日となる。

主治医が告げる臨終には間に合ったが、
自分としては息を引き取るときには必ず皆でと思っていたのに、
痛恨の判断ミスとなってしまった。

臨終を告げられた暖かい父の手を握りながら、
「ごめんな、ごめんな・・・」としか言葉にすることが出来ず、
その後の出来事はほとんど記憶に残っていない。

葬儀場に連絡し日取りを決め父の亡骸と実家に戻ったが、
何が起こったのか家族の誰もが理解できずにおり、
放心状態のまま時の流れに身を任せるしかなかった。

父の病気の発覚から4ヶ月余り。

ちなみこの日は父の実父の命日の1日前であった。

危篤

2007-11-20 19:20:10 | 父の病状
名古屋に戻ってからは出張先のホテルを全てキャンセルし、
何があってもすぐに駆けつける準備をしていたが、
この日の夕方名古屋に戻る高速を走行中に母から連絡が。
看護師から早く息子さんに戻ってもらったほうが良いと言われたらしい。

あせる気持ちを抑えつつ自宅に戻って急いで準備をし病室に辿りつくと、
そこには週末に見た面影はなく、すでに息をしているだけの父がベッドに横たわっていた。
喉仏が動く事で呼吸が確認できる状態で、いつ息を引き取ってもおかしくないとの事であった。
血圧も上が50台、下が40台。
何か他の数値ではないかと疑いたくなるほどである。

しかし、まさかこの日が病室で過ごす最後の夜になるとは・・・

モルヒネ24時間静注

2007-11-18 19:06:42 | 父の病状
昨晩から再び母が父を見ていたのだが、病室を訪れて話を聞くと、
父は相変わらずバタバタと動き以前よりも苦しそうにしていたらしい。

お昼になっても全く改善されないので、
母と自分は主治医から勧められていたモルヒネの静注をどうしようかと悩み続けていた。
24時間静注をすると意識が全く無くなり、
目を覚ました父ではなくなってしまう。
母の事を考えるととても静注をしてもらう事を選択ができなかったが、
座薬や注射が効かずに苦しむ父を見るに見かね、
母と話し合いとうとうモルヒネの静注を選択する事に。

その後点滴で薬が点滴で投入され始め、しばらくして苦しむ父は
眠りに入ったわけだが何を言っても反応してくれない。
自分たちの呼びかけに時折目を覚ますものの、
ほとんどこん睡状態に近い状態であった。

「後は本人の生命力次第です」という主治医の言葉に後ろ髪を引かれる思いであったが、
明日から子供たちの学校もあるため皆でとりあえず名古屋の自宅に戻ることに。

ただ、この日が目を開けた父を見ることが出来た最後の日となってしまった。


え!そうなの??

2007-11-17 18:50:25 | 父の病状
昨晩から病室に泊まり父と初めて一晩過ごしたが、
やはり状態は厳しいものであった。

母が自宅に戻る前に痛み止めの座薬を入れ寝たと思われたのだが、
1時間もすると父は突然起き上がったり水が欲しいと忙しく動いた。

余りに眠れないようであれば、注射をしてみるので連絡をするように言われていたので、夜中の3時半ごろになっても眠れないそうにない父に痛み止めの注射をしてもらう。

すると薬が効いたのか30分程して父は眠りに入り、自分もそれを見て眠る事にした。

朝7時ごろ自分は目が覚め、その後母が来て父に話しかけてみたが何やら様子がおかしい。
前日までとは違い意識が朦朧としており、会話もろくに出来ない状態となっていた。
前日との状態に母も動揺していたので、回診に来た主治医に何を注射したかと聞いたら、
「モルヒネです」と一言。
まさかそんなに早くモルヒネを投入されるとは思ってなかったので、
自分自身も絶句してしまい何が起こったのか理解する事が出来ない。

結局この日を境に父は時折こん睡状態となり、
会話もほとんど出来なくなってしまった。

主治医からの辛い宣告

2007-11-16 18:36:39 | 父の病状
子供たちは学校があるので自分ひとりのみ実家に戻る。
実家に戻る途中に道中が工事で大渋滞。
はやる気持ちを抑えながら、病院に到着したのは正午過ぎだった。

昼過ぎから自分と主治医のみの面談であったが、
内容は絶望感でいっぱいのものであった。

すでに治療と言えるものは特に無く、
後はどのように処置をおこない最後を迎えさせてあげるか。
いわゆる「モルヒネ」をいつから投与するかという選択のみ。

肝臓が完全に機能しておらず、いわゆる肝不全の状態であるらしい。

目の前の現状を理解する事が出来ずにいたが、
母には話さなくてはいけない。
主治医も現在の母の精神状態を考えると選択を迫れないとの事。

ちなみに告げられた余命時間は1週間。

夢の中の出来事のように時だけが過ぎていった1日であるが、
母もここ数日の父の変わりように疲れ果て、
父の入院後初めて看病を変わって欲しいと言うので
この日の夜は自分が泊まる事にした。

母は限界であったのだ。



母からの連絡

2007-11-15 18:23:32 | 父の病状
静岡で仕事中に母から携帯に電話が。

週末に実家に戻る予定であったが、
主治医が出来れば明日にでも息子さんに来てもらい、
今後の治療について話をしたいらしい。

治療を急ぐ主治医に不安を感じながら明日仕事を休み、
実家に急遽戻る事を決めた。

親孝行とは

2007-11-12 18:20:02 | 息子のひとりごと
父が膵臓癌になってからはマメに実家に帰っており、
入院してからは毎週病院に通っている。

叔父や叔母、近所の知り合いからは、
「親孝行をしてるなあ」
「孝行息子だ」
といわれる事がよくあるが、自分自身は全くそんな事思ってない。

父が病気になる前は、実家に帰るのは年に数回程度。
「まだまだ元気だ」と勝手に思ってたらこの事態である。

親が元気で動ける間に出来る事が親孝行なのだと最近痛感する。

父が癌になり入院している病院に通ってる事などは親孝行などではなく、
自分自身としては父に対する懺悔の念と言った方がよい。
事実、病床で寝ている父には「ゴメンな、ゴメンな」と心でつぶやく事もしばしば。

親孝行とは気持ちなのか、金銭的なことなのか、一緒に過ごす時間なのか。
個人の価値観で様々とは思うが、やはり親が健康であって出来る事が皆が幸せな親孝行ではないか。


皆さん、親孝行はご両親が元気で健康な時にする事が一番です。

1歩進んで 2歩下がる

2007-11-11 17:48:16 | 今日の父
今朝は打って変わって父の体調は良くないようだった。

父の兄夫婦やその娘夫婦、孫達がお見舞いに来てくれたが、
ほとんど会話が出来ない状態。

服用している誘眠剤の影響で朝方までボーっとしている事が多かったので、
昨日から服用時間を21時ごろから19時へと早くしたわけだが、
ここ数ヶ月の生活リズムが狂ったのか気分が優れないらしい。

昨日は午後から調子が戻ってきて会話もしていたのに、
今日は時折会話はするものの、トイレに行く以外はずっとベッドの上で眠っていた。

病状が少し前進したと思ったら、あっという間に振り出しに戻ってしまう。
病気が病気だけに致し方ないことではあるが、
昨日調子が良い姿を見てホッとしていた嫁も、
今日一日調子の上がらない父を見てショックだったようだ。

癌という病気はNETで他の患者さんやご家族のHPやブログを拝見していると、
気分や体調の良い時・悪い時が目まぐるしく訪れるようなので、
体調の悪い時があるのもしょうがない。
1歩進むときもあれば、2歩下がるときもあるのだ。

自分たちが自宅に帰る時、
「来週には元気になってるからな~」
と声を掛けてくれたわけだが、その言葉を聞いて少し安心。

「元気になる」という前向きな気持ちを父はまだまだ失ってないので、
自分たちも決して諦めないと強く自身に言い聞かせた。

ジレンマ

2007-11-10 20:37:46 | 今日の父
今週末は子供も連れて父の入院している病院へ。

病室に入ると父は眠っていた。
母に話を聞くと、ここ数日で筋力が弱り一人で起きれなくなったらしい。
先週末に訪れた時は3階の病室から歩いて病院玄関まで見送りに来てくれたのに、
1週間での変化に凹んでしまった。

しかし、幸いなことに食欲は減退することなく旺盛で、
今日も晩御飯に嫁が作ったすき焼きを美味しそうに食べてくれた。

湯通しして油抜きをしたものの肝臓には良くないとは思いつつ、
少しでも父の好きなものを食べさせてあげたい。

体に良い食材だけど食べてくれない。
体に悪い食材だけど食べてくれる。

どちらを優先すべきなのかジレンマに陥ってしまう。


治療は前回の入院同様、専ら肝臓への一日2回の点滴治療。
しかし、父にはこの肝臓の点滴の相性が良さそうで、
体力の減退は否めないが体調は改善したらしい。

このままの調子でけば年末年始は何とか外泊で家族みなで過ごせるのではないか?

そう思わずにはいられなかった。

告知について

2007-11-07 19:18:17 | 息子のひとりごと
父が膵臓癌という病名と余命を告知をされたのは7月。

その時は父に病状と余命については告知せずに肝臓が悪いという事で
治療を続けてきた。
その後の治療過程で予想以上に肝機能が良化し外来も可能になるとの主治医の話であったため、今後の治療を円滑にするために病名だけは父に告げた。

ただ、その時は母や自分は前向きに治療に向い合っている父に、
余命はあくまで経験値という事で言わない事にしたわけだが・・・

旅行にも出掛けるようになった父を見ていると、
このまま根治はしないにしろ数年は延命できるはずだと勘違いしてしまい、
坂道を転げるように悪化した父を見ると、とてもじゃないが今更余命について
父に告知する事が出来なくなてしまったのである。

特に今話題の邦画「象の背中」の記事などを目にすると、
このまま家族のエゴで余命を隠す事に非常に罪悪感を感じてしまう。
父の人生は誰の物でもない、父自身のもの。
それを身内とはいえ自分たちが黙っていていいのだろうか。
父にも残りの人生でやりたいこと、伝えたい事があるのではないか。

と思いつつ、今の父にはとても言えなくなってしまった。

今後父が人生の終焉を迎えたとき、この事は自分自身の罪として
一生背負わなければいけないだろうと思う。