膵臓癌に負けるな!

膵臓癌を発症した父の闘病記と自分自身の思いを綴ってます。

日々突きつけられる現実(7/22~28)

2007-09-27 19:03:40 | これまでの経緯
2007年7月22日(日)
今日は嫁は午前中仕事、子供たちは資源回収。
自分も資源回収の当番であったが、とても出る事が出来ない状態だったので、
一人で家で留守番。

ネットで『膵臓癌』『膵臓癌治療』を検索していたが、読んでもあまり良い事が記載されていないので止めた。
しかし、気持ちの不安が沈まないのでビールを1本、2本・・・・
アルコールで気が大きくなったのか、再度検索開始。
これがいけなかった。どんどん脈拍と不安が増大しどうしようも無い状態に。
たまたまHITした『膵臓癌闘病記』を読んでいる時は涙が溢れて止まらない。
読み終える頃には昼間だというのにビールを4缶空けてしまっていた。

父の病気で募る不安をアルコールで和らげようとする自分自分を猛烈に反省し、
泣きながら『神様ごめんさい。今日でこんな事しません。今日で自棄酒も止めます。ですから父を助けてください!!!!』とお願いしていた。

その晩、家族で外食し生ビールを一杯飲んだ。
現実逃避の自棄酒は止めよう。
そう決めた日だった。

2007年7月23日(月)
子供たちは今日から夏休みだが、自分は出張が始まる。
しかし、父が病気であってもいつもの日常が訪れる。
仕事はこなしているもの、抜け殻のような自分が感じ取れる。

これではいけないと思い、会社の先輩に事情を説明した。
おかげで自分は少し気が楽になったが、先輩は朝から気分が暗くなったと思う。
ごめんなさい。

東名で名古屋から静岡に向う途中、いつもよりなぜか時間の進む速さが遅く感じた。
現実逃避をしているのだろうか?

仕事を終え、ベットに寝転がってると母から電話が。
『抗がん剤(GEM)を今日投与したけど、吐き気もなかったみたい』との事。
些細な事だが一安心した。
ホテルで一人でいると暗くなって悪い方に考えてしまうので、
少しでも明るい事を♪と思い、父が退院してから出かける予定の家族旅行の企画を練った。

2007年7月24日(火)
今日は昨晩旅行の企画などをして比較的気分が良かったので、
朝から再度企画を練り直し、母さんにメール。
しかし返信メールが『今は考えられない。・・・・・・』
そりゃそうだ。現場で看病している母がそんなこと考えられるはずがない。
馬鹿息子。
でも、こんな事でも考えきゃ不安で仕事にならなくなるんです。
弱い自分をなんとかしなきゃ。

夜、実家母に電話してみる。
あきらかに昨日の夜と声のトーンも違い元気が無い。
大丈夫だろうか・・・・と不安に思いつつ電話を切った。

2007年7月25日(水)
朝、母に昨日嫁から届いたメールを送る。
返信『これも良くなるための我慢。頑張ってもらわねば』
やはり副作用等が出てるのだろうか。
短い文面ではあるが不安になる。

今日は仕事が忙しく、余分な事は考える暇は無かった。

ホテルに戻ってきてから食事をしばらくし、PCの前に座る。
『何があってもしょうない!』と開き直って自分を励ましていたが、
本当にそれでいいのだろうかと疑問に感じ始めた。

夜に届いた母のメール『ちょっと吐き気がでてます』

やはり開き直っても現実はそう甘くないわけで、
つらいが現実を受け止め皆で病魔に勝とうと何故か思い立ち、
様々な『膵臓癌サイト』や『闘病記』を読み捲くった。
『闘病記』などは正直、読むのもツライもので父をオーバーラップしてしまうのが嫌であるが、父の病は事実『膵臓癌』であり、『闘病記』に記されている内容にいつ遭遇するか分からない。

日記を書く患者のご家族は、自分とは全く違い現実を受けとめていた。
自分の弱さが情けなく思えもした。

今日から現実をしっかり受け止め頑張らなきゃ!!!

2007年7月26日(木)
今日は朝から気分が少しすぐれない。
現実を見ようとしたらこれだ。
情けないね~

仕事をしながら色んなことを考えた。
今夏、嫁の両親(四国)と企画しているクルーズ旅行、行かないほうがいいだろうか。
しかし行かないとなると義父にも父のの病気を伝えなきゃいけない。
そういえば、子供たちには何時じいちゃんの病気について教えよう・・・

ホントにお正月を迎えることが出来るのか・・・・・・・

嫌な事を考えてしまう。

20時頃母から電話が。
『ずーっとお風呂に入ってないから入りに来た。』
母も大変なんだ。週末は自分が代わらなきゃ。と思っていたら
『28日は主治医の先生から話があるから13時に来れる?』
今度はどんな話になるんだろう。

しかし結果がどうであれ、気をしっかり保って聞かなきゃ。
父が一番不安、母が一番心配してるんだもんな。
息子がしっかりせなどうすんねん!

父を病気には負けさせへんで!!!!!!!!!!!!

2007年7月27日(金)
今朝は比較的早く準備が出来たのでNETで見つけたHPを読んだ。
実は昨晩の夜から読み始めたのだが、管理者の膵臓癌患者のお母様に対する
2年余の闘病記を一晩で読み終える事が出来るわけも無く・・
また、数日前と違い出て来る治療法・薬品名などメモを取りながらなので、
時間を費やす事になってしまう。

朝の1時間程度の閲覧であったが、自分には非常に勉強になった。

やはり覚悟を決めるとは『死』に対してはもちろんの事、
これから始まるがん治療にも覚悟が必要なのだと痛切に感じた。

そういう意味でこの先少しでさんの癌治療に対していい効果のあるもの、
またいい治療を探しつつ自分も勉強し手助けをしなくてはとも思った。

明日は13時より父の入院している主治医より話がある日。
少しでも良い方向の話が聞けますように・・・・

2007年7月28日(土)
昨晩は少しでも治療に役立つようにとNETで資料をかき集めたので、
就寝したのは自分としては遅い時間だった。
なのに相変わらず6時前には起床。
ここのところ少々睡眠不足気味。

お昼前に病院に到着し病室へ行くと、従妹と父方の叔母が来ていた。
母からの電話でも聞いていたが、父は黄疸が全身出ており、
痩せた顔や腕に子供たちも驚いたみたい。
十二指腸の調子が悪いので胃液や消化物を逆流させる管が痛々しかった。

しかし、孫が来て嬉しかったのか、父は先週より明るく会話していたような気がする。

午後1時からの先生の説明は、今回も予定を大幅に過ぎ2時前からだった。
今回の説明は、肥大している膵臓が十二指腸を圧迫し閉塞している事と、
膵臓癌の進行が予想以上に早いというものだった。
従って、先週から始まる抗がん剤治療も頓挫してしまってるらしい。
特に肝臓の数値は最悪で、先週より数倍に跳ね上がっていた。
しかもダメ押しに余命が年内どころか8,9月に早まるかもしれないとの事…

展開の速さに気持ちがついて行かない状態で、頭の中が再び真っ白になった。

病室に戻って見た父は、明るく会話し氷を食べ元気な姿をして、
『退院したらステーキかラーメンを一杯食うわ!』と息巻いている。
その言葉を聞くのが非常にツラかった。

今日は実家の祭りだったので、夜からお出かけ。
子供たちも楽しみにしていたので気分に転換に♪
と思ったら途中で大雨…
踏んだり蹴ったりのとはこの事だ。

その夜は嫁とも話をし、来月予定を組んでたクルーズを中止にする事に決定。
夜に初めてクルーズ中止も含めて四国に連絡。
楽しみにしていた義父、義母、嫁、子供たちにはホント申し訳ない気持ちで
いっぱいになり、布団に入ってから声を殺して泣いた。
みんな、ゴメンな。

長い一日

2007-09-27 18:48:05 | これまでの経緯
2007年7月21日(土)
本当は車で実家に向おうとしたが、嫁が心配するので結局電車で行く事に。
電車に乗ってる時は買い込んだ雑誌を読み漁り、余計な考えをしないように勤めていたが、電車から駅に降り立つと、いつもと違う変な感覚に戸惑った。

今回の主治医からの説明は、午後1時に自分と母、叔父の3人が聞き、
午後2時から父も一緒に(もちろん1時の説明は内緒)聞く予定だったが、
母が長時間病室に居ないと父がおかしく思うとの事で結局自分と叔父の2人で聞く事に。

主治医は月並みの挨拶交わした後、現在の病状をCTの写真を元に細かく説明してくれた。
『肝臓と膵臓の数値が非常に悪い、膵臓と肝臓に腫れがあり、リンパ節にも白い影が映ってる・・・・』
色々説明は受けたが、主治医から『癌』という単語が出てこない事に違和感を感じていた自分は主治医に
『つまり、膵臓癌ということなんですか?』と聞いたところ、
主治医はつっかえがとれたように
『膵臓癌で、肝臓にも転移し、リンパ節にも飛んでます。また膵臓は浸潤も始まってます。 治療としてはすでに切ることは出来ない状態で、抗がん剤の治療になります。』

すでに頭が真っ白になった自分は後半の治療についてはほとんど記憶に無い。
『3年前から使われるようになった新薬の効果に期待しましょう。』
という言葉だけが残った。
膵臓癌といえばほとんど助からない癌とは知っていたので、
自分自身何か好材料を見つけたかったのだと思う。

しかし、それも『今年の正月を迎えることが出来るか・・・』
という主治医の言葉に駄目を押された。

その後に病室でどういう顔をして父に話をしたんだろう。
父は自分の顔色や表情で何か違和感を感じていないだろうか。
そんな不安でいっぱいだったので病室に居られず喫煙室へ逃げ込む。
情けない・・・・

その後自宅に戻ってから母と色々話をしていたが、母はいい意味で開き直っていたようだった。
いや、開き直ろうと努めていたと言ったほうがいい。
17日のN大病院の検査ですでに『余命3ヶ月』と宣告されたらしい。

その後ひとりでこの事実を背負って、息子に心配かけたくないと今日まで内緒にしていた母を思うと申し訳ない気持ちとお詫びの気持ちでいっぱいになった。
嫁からは『おかあさんが一人じゃ不安だろうから泊まってきてあげて』と出かけに言われたが、少し立ち直った母と今日事実を聞いた自分では圧倒的に自分のダメージが大きく、一緒にいると号泣してしまいそうになるし。
そうなると母が更に心配するだろうと思い、この日は名古屋に戻る事にした。

帰りの電車では雑誌を買い込んだにも関わらず、窓をボーっと眺めているうちに名古屋駅に到着。
まさかこんな気持ちで帰ってくるとは…

自宅に戻り、嫁に事実を話すと涙を流しながら聞いていた。
不思議な事にこの時は全く涙腺は熱くならず淡々と説明できる自分が不思議だった。

母が『外来になったら9月にみんなで旅行に行こうね』
と言っていたのを思い出し、嫁が風呂に入ってる間にPCで検索していると、
急に涙が流れてきて止まらない。
『なんでこんな旅行を企画してるんだろう?こんな楽しみじゃない旅行の企画なんて・・』
と思うと涙がどんどん溢れてきた。
風呂から上がった嫁に、
『せっかく来年で仕事も終わるから皆で海外に行こうと思ってったのに』
『父さんは何のために働いてきたのか・・・』
といった事を話し出すと、もうどうしよう無く泣き捲くった。

こんなに泣いたのはいつ以来だろう。

こうして長くてツライ一日が終わった。

発症

2007-09-27 18:41:18 | これまでの経緯
忘れもしない2007年7月19日(木)
出張先のホテルで食事中、母から連絡があった。

実は父が前立腺癌による手術後も下痢が止まらず3ヶ月以上も続いたため、
地元の病院と前立腺癌の手術をおこなったN大病院にて精密検査をおこなったとの事。

その結果が21日(土)に出るため、来れる?という母。

自分としては驚いたものの、父が癌の手術後のために神経質になっており、
それが原因で神経性のストレスによる下痢を発症しているものと思っていた。

ただ、楽観視は出来ないこともあり嫁にはメールにて連絡はしておいた。