ウチのチーコさんとアユ君も観ている「おとぎ銃士赤ずきん」だの、ハリー・ポッターだの、指輪物語だの・・・漫画やアニメや映画には、色々な魔法が出てきます。しかし、私はその殆んどは、実は魔法ではないと思っています。フィクションの世界で扱われる魔法は、呪文を唱えたり、カードをセットしたりと、一定の手順を踏みさえすれば、確実に発動します。それは既に魔法とは言えません。
「魔法」の対極にあるのは「科学」だと思うのですが、「科学」にとって一番大切なことは、「再現性」があるかどうかです。つまり、呪文やカードで常に同じ効果が引き出せるなら、それはもう科学です。では、「魔法」の本質とは?私は、「根拠の無いことを信じられる力」だと思っています。だから魔法とは、一定の「儀式を行う」という事自体に意味があるのです。
東洋医学というのは、その性質上、データを蓄積して統計的にその効果を検証するという事には向いていません。だから私は、東洋医学というのは、実際には「医術」ではあっても「医学」ではないかもしれない、と思っています。しかし、だからと言って、鍼灸師や按摩・マッサージ・指圧師は、「魔法使い」にならないように、常に自戒する必要があるように思います。ただ形骸化された儀式を行って満足し、クライアントと向き合うことを忘れてしまえば、それこそ「魔法」と同じように、フィクションの世界に追いやられるでしょう。
「魔法」の対極にあるのは「科学」だと思うのですが、「科学」にとって一番大切なことは、「再現性」があるかどうかです。つまり、呪文やカードで常に同じ効果が引き出せるなら、それはもう科学です。では、「魔法」の本質とは?私は、「根拠の無いことを信じられる力」だと思っています。だから魔法とは、一定の「儀式を行う」という事自体に意味があるのです。
東洋医学というのは、その性質上、データを蓄積して統計的にその効果を検証するという事には向いていません。だから私は、東洋医学というのは、実際には「医術」ではあっても「医学」ではないかもしれない、と思っています。しかし、だからと言って、鍼灸師や按摩・マッサージ・指圧師は、「魔法使い」にならないように、常に自戒する必要があるように思います。ただ形骸化された儀式を行って満足し、クライアントと向き合うことを忘れてしまえば、それこそ「魔法」と同じように、フィクションの世界に追いやられるでしょう。
私の想像の中では自分の姿は棒のような物を持っていましたよ。シンデレラの魔法使いのおばあさんみたいな感じです。
棒を持って呪文を唱えるってことは按じぃさんの定義では科学なんですねー。
按摩師さんに按摩をしてもらって肩こりがすっかり無くなったら、私から見れば魔法使いですよー。
そうですね、原因(例えば呪文や杖などのアイテム)と結果(魔法の発動)、つまり因果関係がハッキリしていて、再現性があるのなら、それは「科学」だと思います。例えば江戸時代の人にとっては、テレビやエアコンや冷蔵庫は魔法に見えた事でしょう。理解を超えた技術は、時として魔法に見えるものです。ちなみに私にとって、携帯電話は殆んど魔法です。