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葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

全感情を肯定。

2015-02-17 07:27:45 | 仕事
 五行色体表で心(蔵)は喜の感情を主るとあります。
 喜の感情が過ぎると心(蔵)の病気になるそうです。

 これはつまり、ただ面白ければいい、楽しければいい、笑顔ならいいというわけではないということでしょう。

 人は喜びだけで生きているわけではない。
 怒ったり、思い込んだり、憂いたり、恐れたりすることも大事です。
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分析せず、ただ感じる。

2015-02-11 09:19:09 | 仕事
 マッサージを受けてリラックスすると、ふと本音が口をついて出たりして、それがストレス解消になったりする。そういうことがあるのは分かる。

 分かるけれど、気持ちを言語化→物語化したら、それはある意味虚構の世界に止まることになる。

 按摩やマッサージには、その先の世界がある。
 そこには、施術を受ける体の感覚や変化に焦点を合わせている(分析とは違う)と、ふっと入り込めたりする。
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昔も今も。

2015-02-01 10:23:23 | 仕事
 マッサージの起源はおそらく、人類の祖先が直立して、両手を道具として使えるようになってからすぐだろう。
 だが、その頃の人類に、いわゆる「現代的」なストレスがあっただろうか?
 肉食獣には追われても、時間に追われることは無かったであろう原始時代に?

 では、原始時代の治療法が、なぜ現代でも使えるのか?

 それは、マッサージの目的が凝りをほぐすことだからだ。
 原始時代においては、痛みからくる不安や緊張こそが心身の凝りを招き、五感を鈍らせ、自己治癒力を狂わせていたのだと思う。
 だからマッサージで丁寧に体をサーチして、凝りをほぐし、心身の現状を正確に認識する。
 その結果、治癒力が正常にはたらくのだろう。

 その機序は、原始時代でも現代でも、同じ人間である限りは変わらないはずだ。
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淡い刺激を味わうには。

2015-01-26 07:21:32 | 仕事
 会話をしながらマッサージを受けるのは、テレビを見ながら食事をするのに似ている。
 それは確かに楽しいし、ある一定以上の効果もある。

 だが、テレビや会話などの視聴覚の刺激は強いから、味覚や触覚などの淡い感覚は薄まってしまう。
 本当に深く味わおうと思ったら、その行為そのものに没頭するほうがいい。
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初心者向けの瞑想。

2015-01-19 07:13:07 | 仕事
 瞑想には、精神疾患を悪化させるようなリスクもあるらしい。
 そういえば、ヨガには「軛をかける」という意味がある。
 現実世界から逸脱しないように、安全性に配慮しているのだろう。

 マッサージは補助付きの瞑想といえるが、常に身体を実感しているので、より安全だと思う。
 まあリスクが少ない分、坐禅のようなディープな瞑想と比べると、ひょっとしたら深い境地には達しにくいかもしれない。
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雑念の具現化?

2015-01-12 10:59:09 | 仕事
 会話をせずに、ただマッサージの刺激に意識の焦点を合わせれば、マッサージの効果を最大限に引き出せる。
 …が、いきなり黙ったままで受けるのはハードルが高い、という人は、喋ってもらって構わない。

 例えば坐禅や瞑想をしていて、湧いてくる雑念を、ただ湧いてくるままに観察し、追いかけずに放っておくのと同じように、口にしたくなった言葉を何気なく紡いでいくというのはアリだと思う。
 ただ、文章としてまとめようとしない方がいい。
 口から出た言葉を追う必要もない。
 雑念を吐き出すように話してみる。

 そのうち「あ、何となく喋らなくてもいいような気分」になれたらしめたもの。
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静かに食べる。

2015-01-06 07:21:21 | 仕事
 茹でた栗の皮をむいて、スプーンですくって食べる。
 夢中になって、沈黙。

 茹でた蟹の殻から、丁寧に身をとって食べる。
 これもまた沈黙。

 マッサージをするのも受けるのも、感覚的にはこういうのに近いと思う。
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痛みは消したい。でも。

2014-12-29 07:30:30 | 仕事
 痛いのは嫌だ、というのは本音だ。
 でも本当に、その痛みを取っていいのだろうか?

 例えば仕事が原因なら、休むべきではなかろうか?
 鎮痛処置は、休養の機会を奪ってしまうのでは?
 そして、一度鎮痛の成功体験を得たら、また痛みがきても、心身と向き合うより先に、痛みを取ってもらうことを優先するようになるだろう。

 そんな状況で「働き過ぎですよ。気を付けてください」とアドバイスしたとしよう。
 クライアントは口では「そうします」と答えても、痛みが取れて働けると分かっていて、誰がその通りにするだろうか?

 まあこんなことは、どんな痛みも自在に取れるようになってから考えればいいのかもしれないけど。
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音と言葉と。

2014-12-24 07:25:52 | 仕事
 くりす鍼灸マッサージ院では、洋楽やインストのCDをかけています。
 本当は音楽も無し、でもいいのですが、あまりに無音だとかえってリラックスできないかもしれないからです。

 でも邦楽はパスです。
 歌詞の意味が分かってしまうと、そちらの刺激に心身が引っ張られます。
 それほど言葉の力は強い。

 あ、でも語学が堪能な人だと洋楽でも同じことか?
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ダウナー系のサービス。

2014-12-18 07:21:01 | 仕事
 マッサージは娯楽とはちょっと意味合いが違うので、テンションを上げればいいというものではない。
 クライアントに冷静になってもらった方がいい場合もある。

 ただ、シビアな意見を言っても、クライアントが「厳しく指導された」ということで満足してしまったら、それはやっぱり一種の娯楽だと思う。
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