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葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

本来バラ売りは無理。

2017-07-24 13:48:42 | 仕事
 按摩やマッサージの施術は、本来全身を対象にするのが普通だったと思う。
 それが20年ほど前からだろうか、(無資格の人達を主とした)フットマッサージやクイックマッサージなどが増え始め、肩と背中だけとか足だけといった施術の方が、むしろ普通になってきたようだ。

 だがマッサージとは基本的に、触覚を通して全身に訴えかける方が効果的なので、局所的な施術に終始するのはおすすめしかねる。

 それでも「お客様の選択肢が増えるのは良いこと」というのは売る側の都合であって、内実は稼ぎ方が増えたという方が正しい。

 そもそも局所的なマッサージでも、安ければ嬉しいと感じるなら少々問題がある。
 例えばラーメンを、トッピングだけとかスープだけとかで安く提供されて嬉しいだろうか?
 漫画を一頁とかヒトコマずつ売られたら?
 音楽をワンフレーズずつ配信されたら?
 からかわれているとは感じないだろうか?
 視覚や聴覚や味覚の情報なら、こんなバラ売りをされたら(ラーメンなら自分で調理したり、漫画なら試し読み、音楽なら試聴は別として)おかしいと感じるだろう。

 それは視覚や聴覚や味覚が元から敏感なのに加えて、座ったまま寝たまま、体を動かさなくても使える感覚なので、経験値が高いからだ。
 それに比べると触覚(皮膚感覚だけではなく、筋肉などが動く感覚も含む)は、体内の深部感覚と密接に関係しているので、運動不足だとどうしても鈍ってくる。

 だが動物にとって、触覚とはかなり根源的なものだと思うし、これが鈍感になれば、目先の刺激や快楽に惑わされて、ますます心身を大事にしなくなるような気がする。

 そしていよいよマッサージを、しっかり味わったり効果を引き出すことは難しくなっていく。
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積極的な受け方。

2017-04-17 12:58:32 | 仕事
 私は運動には極力道具を使わないようにしている。
 今使っているのは、カウントアップ機能付きのタイマーぐらいだ。
 動きが雑になったりダラダラしたりしないように、これでチェックしている。
 エクササイズギアといえば、まずはダンベルやチューブだろうというような人にとっては、タイマーだけなんてのは道具を使っていないに等しいだろう。

 だが、別に運動に道具が不要と思っているわけではない。単に優先順位の問題だ。
 私は動きそのものを練ることを最優先にしている。その結果として筋肉が増えたり、心肺機能が上がるのは大歓迎だが、それはあくまでも二番目以降の目的だ。
 それはつまり、毎日使える動きを練りたいからで、だから休養日や期分けといったことは重要視していない。
 これは競技で勝つことを目的として鍛えている人にとっては、非効率的なやり方だろう。

 動きを練るのに道具が必要となると、何かの理由で、その道具が使えなければ、それが休む理由になってしまう。
 道具を使わないのは、そういう懸念を減らすためでもある。
 同様の理由で、運動は畳一畳から二畳の空間があれば出来るようにしている。
 いわゆる拳打臥牛だ。
 だがこれもまた競技で勝つことを目的として鍛えている人にとっては、効率の悪い方法だろう。

 また、道具を使う、揃えるといった行為は、それが目的の全てになってしまいかねないぐらいに楽しく、時間を浪費し過ぎるということも、馬鹿にならない問題だ。
 いや、そうして揃えた道具をちゃんと使えばまだ良いのだが、すぐに飽きてしまうことも珍しくないから困る。
 どんなに優れたトレーニングギアも、ただそこにあるだけでは効果は無い。

 ちなみに鍼灸も、受身一辺倒ではなく、積極的に感じなければ効果は薄いと思う。
 按摩やマッサージは、かなり直接的に触れるので、一種のコミュニケーションだということを比較的実感しやすいのだが、鍼灸は間に道具が介在する分、かえってされるがままにはなりやすいのではなかろうか。
 鍼灸治療を受けるなら、それこそダンベルを扱うように、「受ける」という行為を通して積極的に鍼や艾に働きかけるのが理想だと思う。

 だがこういった手法は商売として考えるなら、お客様目線に立ったやり方とは言いかねるだろう。
 私が仕事で鍼を打つのは気が進まない理由のひとつだ。
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触れ具合の質。

2017-04-10 12:37:01 | 仕事
 無資格でマッサージをしている人(正確にはマッサージをしているとは言えない)に多いのが、反動を利用して圧を加える手技だ。
 この傾向が強いほど、施術を受けている側の体は大きく揺れる。

 このやり方は、とにかく簡単に強い刺激を加えることが可能で、受ける側が鋭角的な刺激を好むタイプであれば、軽いコンタクトスポーツのような爽快感がある。
 動的ストレッチに近い効果が得られる場合もあるだろう。
 何よりも大した技術が要らないから、無資格の施術者を粗製乱造するにはピッタリだ。

 だがそのリスクは大きい。
 反動のついた圧は一度放たれたらコントロールが効かないし、どうしても瞬間的に増減する。
 だから受ける側は反射的に緊張してリラックスできず、筋肉や腱などの軟部組織は緩まない。
 受ける側の体が大きく揺れるのはそのためだ。

 さて、マッサージは受けているその時に気持ちいいだけだとか、揉み過ぎると癖になるとか、かえって組織を痛めるとか、最近では筋膜を歪ませるので凝りを悪化させるとかいった風評を耳にするが、これは先述の反動を使った手技のせいであり、厳密にはマッサージではない。

 本来の按摩やマッサージは、極力反動を排除するように努める。
 筋力によって発生したエネルギーをそのままぶつけるのではなく、施術者自身の体重を骨格で支えるようにして圧にする。
 筋力は主に、そのための姿勢を維持するために使う。
 だから漸増・漸減や持続圧・間欠圧といった制御が可能になる。
 つまり、打つのではなく按ずるのだ。

 しかし、今はもう無資格者の方が有資格者よりずっと多いし、有資格者でもキチンと按ずる手技を使える人は少数派だろう。
 何しろ反動を使う手技の方が見栄えがするし、解りやすく刺激的だから受けが良い。
 あとは接遇と店構えに力を注ぐ方が効率的に経営が出来る。
 これでは地味な上に努力も才能も必要な技術の追求など割に合わないわけだ。
 だからまあ正直いって有資格者自身が、按ずる手技を真摯に追求してこなかったというのもあるとは思う。

 かくして按摩もマッサージも、多くの伝統的な技術と同じく、形骸化していくのだろう。
 まあ世間は世間、私は私だ。
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伝えにくい。

2017-01-23 12:32:30 | 仕事
 私は会話が苦手な方だ。
 時間をかけて文章にすれば、それなりの表現にはなるが、リアルタイムでの言葉のやり取りになると、ついていけないことが多い。
 会話が好きとか得意だという人には理解できない感覚だろう。

 だが人間、何かの能力が低ければ、他の能力が高くなるものだ。
 私の場合、視聴覚による数字や言語の処理能力は人並みかそれ以下だが、触覚の情報処理能力はかなり良いと思う。
 だから、それこそ他人のマッサージを見ていると、なぜそんな手技を?と感じることがよくある。
 しかし残念ながら、触覚の情報は本当の意味では言語化・数値化されていない。
 ズキズキ、ヒリヒリといった表現や、熱い、冷たいなどの形容詞は、触覚の表層しか表していない。
 ペインスケールは優れた道具だが、評価出来るのはあくまでも痛覚の強度のみだ。

 現代の文明社会では、言語化・数値化出来ないものは存在しないも同然だから、マッサージの巧拙を証明することは、現時点ではほぼ不可能なのだ。
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「マシ」は大事なピース。

2017-01-22 13:50:17 | 仕事
 医療を受ける際には色々な選択肢がある。
 どの治療を受けるか、受けないのか等々。
 そしてその多くはどちらが良いかというより、どちらがマシかという選択の繰り返しだ。

 だが多くのマシを積み重ねた先にこそ、回復がある。
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細やかな真理。

2017-01-15 13:16:09 | 仕事
 マッサージの施術中に、圧の加減や凝っている場所を確認したり、時には世間話をしたりするのは、サービスの一環としては普通のことだろう。 言葉によるコミュニケーションは分かりやすい。
 だが同時に言葉によるコミュニケーションは、分かりやすさを優先するために嘘が混じりやすい。

 それに引き換え、凝りをほぐそうという意思に基づいて動く手に嘘は無い。
 この嘘だらけの世界で、ただ思い、ただ動くこと以上に嘘が無いものがあるだろうか?

 マッサージの施術で、どこまで言葉を省けるか、言葉に邪魔をさせないか。
 是非とも追求してみたいテーマだが、業務と両立させるのは難しい。
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笑顔はオマケ。

2017-01-05 15:50:58 | 仕事
 マッサージ師の仕事は、凝りをほぐすことだ。
 その上で笑顔になってもらえれば結構な話だが、それは目的ではない。

 笑顔というのは、その人自身の力で浮かんでくるものだ。
 治療家は、その力の存在を信じて凝りをほぐす。

 凝りをほぐした後に、その力が笑顔として現れればそれでよし。
 それはあくまでも結果論だ。
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それは東洋医術的なのか?

2017-01-04 11:28:01 | 仕事
 例えば、天動説を信じている人達が地動説を理解している人よりも、ずっと多かったとしよう。

 日常生活において、動いているのが地球だろうと太陽だろうと、大した意味は無いかもしれない。
 そして天動説を信じている人達の多くは、素朴に神を信じ、自然に畏敬の念を持ち、日々を感謝して暮らしているだけかもしれない。
 そんな多くの人達の心を乱してでも「地球が回ってるんだ」と主張したいのか?

 …いやだから、そういう問題ではなくて、ただ「地球が回ってる」という事実を事実として認識したいということだ。

 私は、怪しげな治療理論や、営業トークやビジネススキルで「お客様を笑顔にする」のではなく、マッサージ師として、ただマッサージは凝りをほぐす技術であって、それでこそ追求する価値があると言いたい。

 だがそれは、リラクゼーションや整体やエステやカイロや岩盤浴やその他もろもろの代替医療や医療類似行為や癒し産業を心の拠り所にしている人達にとっては迷惑なだけかもしれない。

 心の安らぎよりも、シンプルな事実に重きをおこうとするのは、むしろ東洋的ではないのかもしれない。
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効率良く勝つのが弱点。

2017-01-03 13:54:28 | 仕事
 機械によるマッサージは、プログラムされたパターンを繰り返すだけだから、最初は良くてもすぐに飽きてしまう。

 が、それもひょっとしたら開発費次第ではどうなるか分からないとも思う。
 例えば施術プログラムの選択を、最先端の人工知能にやらせたらどうなるか?ということだ。

 もっともそれも現時点では夢物語だろう。
 今のところ人工知能は、囲碁でプロ碁士に勝つほどに進歩しているが、それで人間を超えたとはいえない。
 今の人工知能は勝負に勝つ工夫は出来るが、面白い勝負は出来ない。
 なぜなら人工知能の仕事は、あくまでも用意されたデータから最適解を選ぶことだからだ。

 断っておくが、ここでいう面白い勝負とは、エンタメの味付けをした台本のある勝負という意味ではない。
 そういう筋書きなら、今の人工知能でも書けるだろう。

 そうではない真剣勝負で人工知能が面白い勝負を出来るとは考えづらい。
 実際、人工知能とプロ碁士の対局で、「思いもよらない手を打ってきた」という評は聞いても「面白い対局だった」という評は聞いたことがない。
 仮に面白いと感じる人がいたとしても少数派だろう。

 もしも人工知能が、囲碁や将棋の真剣勝負で「面白い勝負」が出来るようになったとして、それが人間の体の状態を診ながら、万単位の施術パターンを繰り出すようなマッサージの機械が出来たら、ひょっとしたら人間のマッサージ師に匹敵するかもしれない。

 でもどう考えても、そんなことに開発費をつぎ込もうなんて人がいるわけがない。
 だからやっぱり機械のマッサージには期待出来ないと思う。
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正確さが仇に。

2017-01-02 14:52:25 | 仕事
 格闘ゲームというジャンルがある。
 私が二十代の頃、ストリートファイター2シリーズや餓狼伝説、バーチャファイターなどが盛り上がっていて、私も少しは遊んだ覚えがある。
 下手だったけど。
 で、格闘ゲームが上手いというのは、やはり対人戦が強いということだろう。

 この対人戦というのは、対コンピューター戦よりも遥かに面白い。
 コンピューターの操るキャラクターは、どんなに強くてもある一定のパターンで動いているだけだが、人間のやることは常に変化し、揺らぎ、ブレている。
 だから対人戦は、勝ち負け以前の駆け引きそのものがとても面白い。
 その面白さにハマることは、依存症に近いモノがある。
 だからこそ格闘ゲームは一時のゲーム市場を席巻し、鬼のように高度なテクニックを駆使するプレイヤーを多数輩出したのだ。
 もっとも今の格闘ゲームは少々マニアックかつ煮詰まりすぎてきた印象は否めないが、対人戦の妙味に心を奪われたプレイヤー達は高度化する一方のシステムも何のその、負けじとますますテクニックを高度化させている。

 結局コンピューターが操るキャラクターは、幾ら正確に動けたとしても、面白いということとは別の話なのだ。

 というのは私が、プログラムされた施術パターンを再現するだけの機械によるマッサージを評価していない理由のひとつである。
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