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かつおぶしのココロ

かつおぶしの「我が身を削りながらあらゆる所に感動を与える生き様?」に憧れる〝私〟のつれづれ日記

ナンバー172番に・・

2008年03月20日 10時01分28秒 | 旅絵巻&湯けむり道
ずいぶん前に簡単な旅記録を書いたサイトをひょっこり見つけてしまった。

http://www.around-japan.net/

まだ文体に若さと爽やかさが・・。

国道2号を走らねば一周につながらない為にわざわざ九州まで戻ってすぐUターンする位の勢いが当時はあったのだなあ~。

しみじみ(哀)。

マグロ漁船、当てたのは・・・

2007年02月14日 23時23分11秒 | 旅絵巻&湯けむり道
マグロ漁船の船員さん及びカメラマンの奇跡の生還は世知辛い世の中に一筋の光というか明るい話題でとにかくよかったよかった。

で、その当て逃げした貨物フェリーが早速見つかった。船首にA、社長の名前は有村さん・・・。う~ん、もしやこれは私がその昔の旅の時に那覇から鹿児島へ渡った時のフェリー会社の系列ではなかろうか?確かその頃は有村産業のAラインフェリーと呼ばれてたと思うが記憶違いならごめんなさい。ただ、呼び方はともかく有村さん系列のフェリーに乗っていたのは間違いない。

テレビで見た限りでは過去に今回の貨物フェリー「たかちほ」は過去に2回も事故を起こしているらしくまったくけしからん体質の会社と関係筋は怒っていた。

テレビの報道だけでは判断してはいけない!とここ最近のでたらめなメディアの暴走に警戒はしている私だがこの件に関しては報道と自分自身の体験からしてもこの有村系列と聞いてからは「まあそんな感じかな~」と報道だけで素直に判断してしまったのだ。

では、私の有村さんから受けた仕打ちを告白しよう。

それは那覇から鹿児島へ行く船中、雑魚寝船室は3ブロックくらい分かれているのがなぜか1ブロックしか開放されていない。確かに客は少なかったがかといって一人や二人ではないんだし多少は旅の疲れを軽減させる配慮をするのが船会社の役目であるにも関わらず限られたスペースしか旅人に提供しない姿勢にその頃ですら既に私はイライラを感じていたのだ。

さらにむかついたのがそうした環境の中で寝なければならないのになぜか明かりが消されないのだ!全く持って蛍光灯ギンギンである。小ぜわしい広さと全く遠慮のない電灯の中で熊の冬眠よりも完璧な環境でないと(寝るパーソナルスペースに他人の存在がない、真っ暗、静か等々)寝る事が出来ない私にはこれは取調室の拷問の様なものである。もちろん安眠など出来るはずもなく朝方鹿児島港につきそこからヘロヘロしながらその後の旅を続けたのだが・・・。そうしたサービスの悪さというか不信感を持っていたフェリー会社故に今回の事はいくら気づかなかったと弁明しているはいえ会社の体質として当然の結果なのではと思ったのだ。

因みにある程度お金払ったにも関わらずこうした環境で全く寝る事が出来なかった私はその慰謝料としてそこにあったほどよい硬さとコンパクトさの枕を人知れず静かに旅バッグの中に押し込み、以後約3ヶ月この枕と共にすごしたのだった。

〝みるく〟さん、こんな日記ですいません・・・。←該当者以外気にせんで下さい。

謎の国ニッポン

2007年01月16日 23時02分07秒 | 旅絵巻&湯けむり道
私は考古学ネタ、しかもそれがオーパーツだのミッシングリンクだの謎に満ち溢れたものが実は昔っから大好きである。ただし恐怖ネタは嫌いである。

「ケロロ軍曹Z」を見ていたらイギリスのストーンヘンジがネタで出ていた。いわゆる環状列石という石器時代のどでかい遺跡の事だ。

不思議なものでこのストーンサークルというものは使い方は定かではないが世界各地に散らばっている。イギリスから遠く離れたここ日本でも小さいにしろ同様の遺跡があるのはなんとも不思議な事だなあとふと思ったのだ。

私が見たのは北海道の道東の方と秋田県の2箇所である。青森県や秋田県はそれはそれはこうしたムー的ネタに強い地域で三内丸山遺跡を筆頭にどこぞかのなんとか古文書(竹内古文書だったっけ?)だの黒又山(クロマンタ)の人造ピラミッド説だのといったミステリアスな考古学ネタが満載の地域で非常におもしろい。偶然にもそれらのムーな場所に立て続けに出くわした旅の時の記憶がよみがえったのだ。

・・その日は函館からフェリーで青森に早朝に着いてからあてもなく走り出したら看板で三内丸山遺跡の看板を発見。朝7時という門も開いてない状態の遺跡の中を柵を登って入り(こらこら)遺跡を人知れず堪能したあととりあえず南に向かって走りだすとしばらくしたらストーンサークルの遺跡の案内看板が・・。おお、これが噂のストーンサークルかあ、それにしてもよくこんなのが残ってるもんだと関心しながら進むと今度は「クロマンタ」と書かれた案内看板が・・。謎の人造ピラミッド説のクロマンタの噂は昔から聞いてたのでこれはラッキーと思い黒又山へ。またもやおお、これがクロマンタかあと感心してまたしばらく走っているととんでもない案内看板を発見してしまった。

「キリストの墓」。なんと!青森にはあのイエス・キリストの墓があるらしいのだ。これはなんとしても行かねばならんと思い案内に沿って行くとついにその場所を発見!十字架のお墓が弟子のとあわせて二つある。小さな博物館の様なものもありそこになぜキリストがこの地で骨をうずめたのかなどがこの地域の遺跡のお話とともに説明されていた。真実はともかくとしてもこの地域の数々の遺跡や伝承を聞くと確かにキリストがここにいてもおかしくないのかもとも思えるのがおもしろい。この辺りの村の名前が「ヘブライ」に由来しているだのなんだのととにかくワクワクな場所なのだ。

最後はここの説明にあった近くの山へ行く。山頂に不自然に存在する巨大石は太古の人が何かの為に積み上げた遺跡なのだといわれるその場所には確かにこんな小さな山の山頂にはありそうもない巨石が固まっていた。別に遺跡めぐりをするつもりはなかったのに偶然にもこうして遭遇しまくったのは不思議な力が私をまねいたのであろうか・・・?

余談だが確かこの博物館で「源義経は蝦夷(北海道)へ逃げ延び、そこから船で大陸に渡りチンギス・ハーンになったのだ」というネタも仕入れた気が・・。

どうやら岐阜県や近くでは豊橋市に人造ピラミッド説のある山があるそうなので機会があったら是非行ってみたい。

とんでも晩御飯!民宿たましろ荘

2006年06月04日 15時52分54秒 | 旅絵巻&湯けむり道
果たしてかれこれ9年前の事だがまだたましろ荘はあるのだろうか?

スナフキン系バイク乗りの聖書(空手でいうなら月刊フルコンタクトKARATE)OUT RIDERで見た時から旅をするならここまで行くとココロに誓っていた波照間島に名古屋からフェリーで出港→沖縄本島着→石垣島を経由してようやく到着したもののどこで寝泊りすればいいか分からないのでとりあえず砂浜で野宿をしようと砂浜の隅でひっそりとテントを張っていると近くで既にテント生活をしている人とお友達になり、無事にこの放浪の民の集落に居を構える事が出来たのだった。

その中の人達との会話で「とてつもない量のご飯を出すとんでもない民宿がある」=たましろ荘の事を聞きつけ、数日砂浜生活をした後にそのとんでもない量のご飯をいとも簡単に平らげてしまおうと企んだ砂浜生活者4人と共にたましろ荘へ乗り込んだのだ。

確かご飯付きで4,500円だった気がする。ついたとたん(といっても砂浜から数分の所)に民宿のおじさんが昼ご飯の弁当と言って早速透明容器に一杯のご飯と天ぷらの弁当をくれた。既に相手は満腹降参を狙う戦闘態勢である。

共同売店でオリオンビールを買い、砂浜で弁当を食べながら夜の爆裂晩御飯に備えてまったりと相撲などしながら過ごしていた。

そしてついに晩御飯の時間。確かにとんでもない量のご飯が登場した。どんぶりご飯にどんぶり沖縄そばにおかずの天ぷら色々・・。写真があいにく食べた後の皿しかないのが残念だ・・・。

私は食べても食べても一向に減らない沖縄そばと格闘しながらご飯もなんとか食べきったのだが一緒に行ったうちの二人はおじさんを挑発するかの如く「すいません、ちょっと足りなかったのでご飯をおかわりできますか?」と追加ご飯を要求しているではないか!あの時のおじさんのくやしそうというか残念そうな顔がなかなかよかったな~。

ここでまともに初めてジャスミン茶を飲んだのが私のココロの回復剤ジャスミン茶としてのデビューだったと思う。

一日しか泊まらなかったたましろ荘だがいいところだった。

(写真はガジュマルの木を従えたたましろ荘。看板は手書きでようこそオーリトーリと書いてあるのだ)


旅絵巻はいります~

2006年06月03日 14時56分37秒 | 旅絵巻&湯けむり道
平成の奇跡わしの荘から引っ越す時に消えてしまった旅の写真・・。

必死に探したのだが全然見つからないのでゴミと共に消えてしまったのかと半ばあきらめていたのだが・・・

ところが先日ひょこっと押入れの中から姿を現したのだ。

25歳の時に日本を南から北まで(北から南ではない)走り抜いた4ヶ月半の旅の記録がついにベールをぬぐ!

不定期連載で始まります「かつおぶしのココロの心」

あまり期待しないで待ってくれ。

本日の一枚・・・日本最南端の波照間島で高く広い空を見上げるの巻