≪2021/8/1≫
澤村拓一や154日でロッテへ復帰したサブローなど 巨人とロッテのトレード史
話題となった澤村と香月のトレード
プロ野球の長い歴史において、巨人とロッテとの間で行われた交換トレードは数少ない。振り返ってみると、2000年以降に両チーム間で行われた交換トレードはわずか2件。しかし、その2件は球界に衝撃を与えるインパクトのあるものだった。
まずは2020年9月に成立した巨人・澤村拓一とロッテ・香月一也とのトレードだ。2010年のドラフト1位で巨人に入団した澤村は、ルーキーイヤーの2011年に11勝を挙げると、翌年も10勝をマーク。2015年、2016年はクローザーとして2年連続で35セーブ以上を挙げるなど、通算48勝74セーブ(巨人時代)の実績があった。
一方の香月は2014年ドラフト5位でロッテに入団後、2軍で過ごすことが多く、1軍での出場はわずか47試合。将来の長距離砲と期待されながらも、1軍での本塁打は1本と力を発揮できずにくすぶっていた。
トレード直前、澤村は2軍でも結果が出ずに3軍降格を経験するなど厳しい状況だったが、それまでの実績や年俸差から格差トレードなどとも言われた。しかし、このトレードが両選手にとって転機となる。
澤村は入団会見と同日に出場選手に登録されると、その日に行われた日本ハム戦の1点リードの場面で本拠地ZOZOマリンのマウンドへ。巨人時代の同僚の大田泰示から得意のスプリットで空振り三振を奪うなど、3者連続三振という圧巻の投球を披露した。以降も澤村は、ブルペンに欠かせないリリーバーとして“救世主”と呼ぶに相応しいセンセーショナルな投球を続け、切望していたメジャー移籍の道を切り拓くまでに至った。
一方の香月は移籍後、2020年こそ1軍での出場が8試合にとどまったものの、今季は39試合に出場。ロッテ時代の1軍ではわずか1本塁打だったものの、今季は序盤の段階で3本塁打を記録。現在は2軍だが、虎視眈々と1軍昇格を目指して奮闘中だ。
わずか154日でロッテへ復帰したサブロー
2011年6月に成立した、ロッテ・サブロー(巨人での登録名は大村三郎)と巨人・工藤隆人とのトレードも衝撃的だった。
当時サブローは、右手薬指の打撲により5月に登録を抹消されるなど2軍での調整が続いていたが、前年に下克上日本一を達成したチームの4番打者。生え抜きでプロ17年目を迎え、選手会長も務めるなど“ロッテの顔”とも言える存在だった。
対する工藤は、俊足攻守のプレーヤーで2007年には日本ハムで1軍のレギュラーに定着し、同年のリーグ優勝に貢献。サブローと同じ外野手でありながら、タイプの異なるプレーヤーだった。
サブローは移籍直後の中日戦に代打で登場すると、挨拶代わりとばかりに移籍後初打席でいきなりの勝ち越し本塁打を放ち、存在感を示した。しかし、放った本塁打はこの1本のみ。出場は48試合にとどまり、打率.243、9打点と振るわなかった。
同年、フリーエージェント(FA)宣言し、「巨人にいるときもロッテの試合を常に気にしていた。自分はロッテの人間だなと思った」とロッテ愛を示した形でロッテへ復帰。巨人に在籍した期間はわずか154日と、衝撃的なトレードとともに短期間での電撃復帰も当時話題となった。
一方の工藤はシーズン途中での加入ながら、53試合に出場。俊足攻守の岡田幸文らと鉄壁の外野陣を形成するも、打率は.200と低調だった。以降も層の厚いロッテの外野でレギュラーを獲得することができず、2013年には戦力外通告に。トレードをステップアップのための転機とすることは叶わなかった。
巨人とロッテの交換トレードは10件に満たない
それ以前の交換トレードは1999年までさかのぼる。近鉄時代には33本塁打をマークするなど長打力と勝負強い打撃が特長の石井浩郎と、ロッテで通算93セーブを挙げるなどリリーバーとして活躍した河本育之との交換トレードだ。
石井は移籍1年目に主軸を任されるなど、打率.266、10本塁打、51打点と一定の活躍を見せたが、2年目はわずか36試合の出場にとどまり成績も下降。河本も巨人在籍4年間で5勝8敗2セーブと、全盛期の投球を取り戻すことができなかった。
巨人とロッテの交換トレードは、ロッテの前身の毎日大映オリオンズ(略称は大毎オリオンズ)時代も含めて9件。これまで20件以上行われている巨人と日本ハムの交換トレードに比べると少ない。だが巨人にとって、パ・リーグ球団とのトレードで加入した高梨雄平(元楽天)や鍵谷陽平(元日本ハム)のようなプレーヤーは、戦力として欠かせない存在といえる。
澤村と香月の成功事例もあるように、巨人とロッテとの間で再び衝撃的なトレードが見られるかもしれない。
文=浜田哲男
(SPAIA)
澤村拓一や154日でロッテへ復帰したサブローなど 巨人とロッテのトレード史
話題となった澤村と香月のトレード
プロ野球の長い歴史において、巨人とロッテとの間で行われた交換トレードは数少ない。振り返ってみると、2000年以降に両チーム間で行われた交換トレードはわずか2件。しかし、その2件は球界に衝撃を与えるインパクトのあるものだった。
まずは2020年9月に成立した巨人・澤村拓一とロッテ・香月一也とのトレードだ。2010年のドラフト1位で巨人に入団した澤村は、ルーキーイヤーの2011年に11勝を挙げると、翌年も10勝をマーク。2015年、2016年はクローザーとして2年連続で35セーブ以上を挙げるなど、通算48勝74セーブ(巨人時代)の実績があった。
一方の香月は2014年ドラフト5位でロッテに入団後、2軍で過ごすことが多く、1軍での出場はわずか47試合。将来の長距離砲と期待されながらも、1軍での本塁打は1本と力を発揮できずにくすぶっていた。
トレード直前、澤村は2軍でも結果が出ずに3軍降格を経験するなど厳しい状況だったが、それまでの実績や年俸差から格差トレードなどとも言われた。しかし、このトレードが両選手にとって転機となる。
澤村は入団会見と同日に出場選手に登録されると、その日に行われた日本ハム戦の1点リードの場面で本拠地ZOZOマリンのマウンドへ。巨人時代の同僚の大田泰示から得意のスプリットで空振り三振を奪うなど、3者連続三振という圧巻の投球を披露した。以降も澤村は、ブルペンに欠かせないリリーバーとして“救世主”と呼ぶに相応しいセンセーショナルな投球を続け、切望していたメジャー移籍の道を切り拓くまでに至った。
一方の香月は移籍後、2020年こそ1軍での出場が8試合にとどまったものの、今季は39試合に出場。ロッテ時代の1軍ではわずか1本塁打だったものの、今季は序盤の段階で3本塁打を記録。現在は2軍だが、虎視眈々と1軍昇格を目指して奮闘中だ。
わずか154日でロッテへ復帰したサブロー
2011年6月に成立した、ロッテ・サブロー(巨人での登録名は大村三郎)と巨人・工藤隆人とのトレードも衝撃的だった。
当時サブローは、右手薬指の打撲により5月に登録を抹消されるなど2軍での調整が続いていたが、前年に下克上日本一を達成したチームの4番打者。生え抜きでプロ17年目を迎え、選手会長も務めるなど“ロッテの顔”とも言える存在だった。
対する工藤は、俊足攻守のプレーヤーで2007年には日本ハムで1軍のレギュラーに定着し、同年のリーグ優勝に貢献。サブローと同じ外野手でありながら、タイプの異なるプレーヤーだった。
サブローは移籍直後の中日戦に代打で登場すると、挨拶代わりとばかりに移籍後初打席でいきなりの勝ち越し本塁打を放ち、存在感を示した。しかし、放った本塁打はこの1本のみ。出場は48試合にとどまり、打率.243、9打点と振るわなかった。
同年、フリーエージェント(FA)宣言し、「巨人にいるときもロッテの試合を常に気にしていた。自分はロッテの人間だなと思った」とロッテ愛を示した形でロッテへ復帰。巨人に在籍した期間はわずか154日と、衝撃的なトレードとともに短期間での電撃復帰も当時話題となった。
一方の工藤はシーズン途中での加入ながら、53試合に出場。俊足攻守の岡田幸文らと鉄壁の外野陣を形成するも、打率は.200と低調だった。以降も層の厚いロッテの外野でレギュラーを獲得することができず、2013年には戦力外通告に。トレードをステップアップのための転機とすることは叶わなかった。
巨人とロッテの交換トレードは10件に満たない
それ以前の交換トレードは1999年までさかのぼる。近鉄時代には33本塁打をマークするなど長打力と勝負強い打撃が特長の石井浩郎と、ロッテで通算93セーブを挙げるなどリリーバーとして活躍した河本育之との交換トレードだ。
石井は移籍1年目に主軸を任されるなど、打率.266、10本塁打、51打点と一定の活躍を見せたが、2年目はわずか36試合の出場にとどまり成績も下降。河本も巨人在籍4年間で5勝8敗2セーブと、全盛期の投球を取り戻すことができなかった。
巨人とロッテの交換トレードは、ロッテの前身の毎日大映オリオンズ(略称は大毎オリオンズ)時代も含めて9件。これまで20件以上行われている巨人と日本ハムの交換トレードに比べると少ない。だが巨人にとって、パ・リーグ球団とのトレードで加入した高梨雄平(元楽天)や鍵谷陽平(元日本ハム)のようなプレーヤーは、戦力として欠かせない存在といえる。
澤村と香月の成功事例もあるように、巨人とロッテとの間で再び衝撃的なトレードが見られるかもしれない。
文=浜田哲男
(SPAIA)
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