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自我は幻。
私達の思考、感情、行動は、全て周りの現象に対して、反射的に起きています。
嫌な上司が居るという悩みは、嫌な上司が居るからこそ。
恋愛で悩む人は、恋する異性が居るからこそ。
怒りが沸くのは、怒りの対象があるからこそ。
当たり前みたいですが、対象が無ければ、それに対するあなたの思考、感情、行動は生まれません。
そして、認識する対象が無ければ、自分(の思考感情行動)も存在しえないはずです。
どんな時も私達は、何かを対象に色々な事を考え、感じています。
その認識の土台になるのは住んでいる国の文化、地域社会、家庭環境、友人関係、職場環境であったりと色々です。
そして、さらに大前提とする土台に、自分という存在そのものがあります。
もし、認識する為の土台が無ければ、対象について色々と思う事もないですよね。
日本に住んでいなければ、日本での暮らしについて悩むこともないですし、全く別の家族と住んでいれば、この家族の事で悩むこともない訳です。
もし、あなたの身体がないとすれば・・・?
そんな事になったら、悩みや願望の、全ての前提、土台が崩れ去ってしまいます。
例えが極端に見えるかもしれません。
しかし、実際に私達は、自分という窓から、色々な出来事を判断せざるおえません。
それは、生まれてこの方、当たり前に行われてきたことですから、そんなものに疑問を持つ事自体がおかしなものだと思うのも当たり前かもしれません。
しかし、自分が自分である事って、本当に確かなものでしょうか?
認識の土台は知らないうちに出来ていたはずです。
それこそ物心がついて、今日までに、細かいディテールが勝手に用意されていませんか。
あなたは車窓から見える、流れる景色に、あーだこーだと言っているだけではありませんか。
そんな風に、流れる景色を見ているだけの私達に、自由意志は無い、と言うと
(´自Д我) 「オレの未来は全部決まっているんすか!そんな不自由なのは嫌っす!自分の運命は自分で切り開きたいっす!」
といったように、全て起きる事が決まっているなんて嫌だ!と思う方が多いようです。
しかし未来だとか運命だとか、それを認識しているのだって自分です。
未来も運命も、それを考えるあなたが居るからこそ、考えられる事。
不自由さ自由さも、それを感じるあなたが居るからこそ、感じられる事。
自由意志があろうがなかろうが、そもそも全てに後出しで反応することしか出来ない自我には、全く関係が無い事です。
というか、自我の範囲ではどうしようも無いといったところでしょうか。
例えば、自由意志が無いと言われて・・・
自由意志が無いなんて嫌だと思う事も。
自由意志が無いなんて楽だなぁと思う事も。
自由意志が無いって言われてもこんなに自由じゃん!と思う事も。
自由意志が無いなら、こんな人生に意味なんてないと思う事も。
これすなわち、その発想に至たるまでの流れすら勝手に起こっているとしたらどうでしょう。
もう笑っちゃうくらい、どうしようも無いと思いませんか?
そんなあなたが消えれば、あなたの見ていた世界も消えます。
あるのは、どうしようも無い自由かもしれません。
それでも、不自由を感じてしまうのかもしれません。
感想は人によって千差万別でしょう。
しかし、きっとそこに以前のような深刻さはもう無いはずです。
車窓に張り付いて景色だけを見ていたあなたは、ふと自分が目的地に向かう車内に居たことを思い出すでしょう。
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(´自ω我) 「車窓って電車っすか?新幹線っすか?」
呉 「どっちでもいいよ・・・ってかそこじゃない!」
自我は幻。
私達の思考、感情、行動は、全て周りの現象に対して、反射的に起きています。
嫌な上司が居るという悩みは、嫌な上司が居るからこそ。
恋愛で悩む人は、恋する異性が居るからこそ。
怒りが沸くのは、怒りの対象があるからこそ。
当たり前みたいですが、対象が無ければ、それに対するあなたの思考、感情、行動は生まれません。
そして、認識する対象が無ければ、自分(の思考感情行動)も存在しえないはずです。
どんな時も私達は、何かを対象に色々な事を考え、感じています。
その認識の土台になるのは住んでいる国の文化、地域社会、家庭環境、友人関係、職場環境であったりと色々です。
そして、さらに大前提とする土台に、自分という存在そのものがあります。
もし、認識する為の土台が無ければ、対象について色々と思う事もないですよね。
日本に住んでいなければ、日本での暮らしについて悩むこともないですし、全く別の家族と住んでいれば、この家族の事で悩むこともない訳です。
もし、あなたの身体がないとすれば・・・?
そんな事になったら、悩みや願望の、全ての前提、土台が崩れ去ってしまいます。
例えが極端に見えるかもしれません。
しかし、実際に私達は、自分という窓から、色々な出来事を判断せざるおえません。
それは、生まれてこの方、当たり前に行われてきたことですから、そんなものに疑問を持つ事自体がおかしなものだと思うのも当たり前かもしれません。
しかし、自分が自分である事って、本当に確かなものでしょうか?
認識の土台は知らないうちに出来ていたはずです。
それこそ物心がついて、今日までに、細かいディテールが勝手に用意されていませんか。
あなたは車窓から見える、流れる景色に、あーだこーだと言っているだけではありませんか。
そんな風に、流れる景色を見ているだけの私達に、自由意志は無い、と言うと
(´自Д我) 「オレの未来は全部決まっているんすか!そんな不自由なのは嫌っす!自分の運命は自分で切り開きたいっす!」
といったように、全て起きる事が決まっているなんて嫌だ!と思う方が多いようです。
しかし未来だとか運命だとか、それを認識しているのだって自分です。
未来も運命も、それを考えるあなたが居るからこそ、考えられる事。
不自由さ自由さも、それを感じるあなたが居るからこそ、感じられる事。
自由意志があろうがなかろうが、そもそも全てに後出しで反応することしか出来ない自我には、全く関係が無い事です。
というか、自我の範囲ではどうしようも無いといったところでしょうか。
例えば、自由意志が無いと言われて・・・
自由意志が無いなんて嫌だと思う事も。
自由意志が無いなんて楽だなぁと思う事も。
自由意志が無いって言われてもこんなに自由じゃん!と思う事も。
自由意志が無いなら、こんな人生に意味なんてないと思う事も。
これすなわち、その発想に至たるまでの流れすら勝手に起こっているとしたらどうでしょう。
もう笑っちゃうくらい、どうしようも無いと思いませんか?
そんなあなたが消えれば、あなたの見ていた世界も消えます。
あるのは、どうしようも無い自由かもしれません。
それでも、不自由を感じてしまうのかもしれません。
感想は人によって千差万別でしょう。
しかし、きっとそこに以前のような深刻さはもう無いはずです。
車窓に張り付いて景色だけを見ていたあなたは、ふと自分が目的地に向かう車内に居たことを思い出すでしょう。
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(´自ω我) 「車窓って電車っすか?新幹線っすか?」
呉 「どっちでもいいよ・・・ってかそこじゃない!」
楽しんでいるみたいで何よりです(笑)
信じてみる→そうとしか思えなくなってくる→確信
僕の場合、ざっくりこんなプロセスでした。
その合間合間に体験みたいなもんもあったかもしれません。
まあ、もう心配することもなさそうですねー。
すごい(≧∇≦)(≧∇≦)(≧∇≦)
とんなに騒いだって、すべては、土台と、私という土台で、動いているだけの話。すべては土台!?
自由すぎて、不自由。。
あと、もー少し。。
もー少しで、落ち着けそう、、。
今も十分に落ち着けてますが!
夢が形に、目に見える形で変われたのを見届けてから、ホント、『私、分かったんだ』と言いたい(≧∇≦)
あと、もー少し(≧∇≦)