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あなたの周りに嫌いな人間、許せない人間、受け付けない人間がいませんか?
「あいつさえ消えてくれれば。」
「あいつなんか不幸になればいい。」
心に黒い炎を燃やしてませんか?
よくスピ系で言われるように、全ては自分を写す鏡です。
これは別にうさんくさい話ではなく、そのまんまのことを表しています。
結果には必ず原因があります。
感情や思考には、土台となる価値観が必ずあります。
非常識な奴が嫌いなら、自分の思う常識という価値観があります。
金持ちが嫌いなら、金というモノや、金を持つ人間への何かしらの強い思いがあります。
試しに、この世で一番許せないような憎い奴が居るなら、そいつを思い浮かべるといいかもしれません。
その人は、あなたの持つ価値観や抵抗をそのまんま全身で表現してくれています。
不快な嫌悪感の原因となるものを、これでもかと教えてくれています。
あなたの持っている価値観を、執拗なまでに披露してくれています。
(´自ω我) 「分かったっす!それを認めて手放せばいいっすね!これこそがカルマだったんすね!」
別にそうは言っていません。
憎ければ、憎いでいいじゃないですか。
その感情を良いとか悪いとか、手放すべきだとか何だとか。
それを決めているのだってまた自分です。
もちろん手放したければ手放せばいいと思います。
許したければ、許せばいいと思います。
それは重い荷物を降ろすようで、とても楽になることでしょう。
でも、それを手放せないから、憎いあいつを許せないからって自分を責め始めたら本末転倒です。
それだって、それが良いことだという価値観に縛られているに過ぎません。
もっと土台を見てください。
良いと思うこと、悪いと思うことを自然と決めている土台。
それこそが、僕の気づいて欲しいただ一つのことです。
ちなみに僕にもどうしても許せない奴、憎い奴が居ました。
しかし、根っからの面倒くさがりな僕の場合、そんな感情すら絶対的じゃないと分かった途端に、全てがどうでもよくなっちゃったんです。
大嫌いなあんな奴が、別に許せない訳でもなく、憎い訳でもない、どうでもいい奴になってしまいました。
不思議とそれから、僕の周りに許せない奴も憎い奴も現れなくなりました。
これを引き寄せの法則だ、とかマインドの力だ、とか何とか言うのは簡単なことかもしれません。
しかし、僕はそうは思いません。
認識が変われば、世界が変わる。
それは特別でも何でもなく、至極当然なことなんです。
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呉 「きっとキリストやブッダにも、『こいつうぜえ・・・』と思う奴は居たと思うよ。」
(´自ω我) 「そんな無責任なこと言うもんじゃないっす!!」
あなたの周りに嫌いな人間、許せない人間、受け付けない人間がいませんか?
「あいつさえ消えてくれれば。」
「あいつなんか不幸になればいい。」
心に黒い炎を燃やしてませんか?
よくスピ系で言われるように、全ては自分を写す鏡です。
これは別にうさんくさい話ではなく、そのまんまのことを表しています。
結果には必ず原因があります。
感情や思考には、土台となる価値観が必ずあります。
非常識な奴が嫌いなら、自分の思う常識という価値観があります。
金持ちが嫌いなら、金というモノや、金を持つ人間への何かしらの強い思いがあります。
試しに、この世で一番許せないような憎い奴が居るなら、そいつを思い浮かべるといいかもしれません。
その人は、あなたの持つ価値観や抵抗をそのまんま全身で表現してくれています。
不快な嫌悪感の原因となるものを、これでもかと教えてくれています。
あなたの持っている価値観を、執拗なまでに披露してくれています。
(´自ω我) 「分かったっす!それを認めて手放せばいいっすね!これこそがカルマだったんすね!」
別にそうは言っていません。
憎ければ、憎いでいいじゃないですか。
その感情を良いとか悪いとか、手放すべきだとか何だとか。
それを決めているのだってまた自分です。
もちろん手放したければ手放せばいいと思います。
許したければ、許せばいいと思います。
それは重い荷物を降ろすようで、とても楽になることでしょう。
でも、それを手放せないから、憎いあいつを許せないからって自分を責め始めたら本末転倒です。
それだって、それが良いことだという価値観に縛られているに過ぎません。
もっと土台を見てください。
良いと思うこと、悪いと思うことを自然と決めている土台。
それこそが、僕の気づいて欲しいただ一つのことです。
ちなみに僕にもどうしても許せない奴、憎い奴が居ました。
しかし、根っからの面倒くさがりな僕の場合、そんな感情すら絶対的じゃないと分かった途端に、全てがどうでもよくなっちゃったんです。
大嫌いなあんな奴が、別に許せない訳でもなく、憎い訳でもない、どうでもいい奴になってしまいました。
不思議とそれから、僕の周りに許せない奴も憎い奴も現れなくなりました。
これを引き寄せの法則だ、とかマインドの力だ、とか何とか言うのは簡単なことかもしれません。
しかし、僕はそうは思いません。
認識が変われば、世界が変わる。
それは特別でも何でもなく、至極当然なことなんです。
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呉 「きっとキリストやブッダにも、『こいつうぜえ・・・』と思う奴は居たと思うよ。」
(´自ω我) 「そんな無責任なこと言うもんじゃないっす!!」
たぶん、今はそう思えなくても仕方ないと思います。
強烈な感情の中とか、思考の中に居るときは、それしか頭にないですし、そのことしか考えられないです。
ただ、一日中嫉妬したり自己嫌悪したりしていることは無いと思うので、冷静でゆったりしている時に考えてみてください。
嫉妬するにも、嫉妬するための思考や感情が必要です。
その思考と感情がもし無かったら嫉妬も嫉妬する自分も居ないわけです。自我という全ての土台が幻なら、嫉妬も幻。そういうことです。
感情が絶対的じゃないと気付くってどんな感じなんでしょう。
ここがよくわかりません。
自分は嫉妬ばかりしていて、それがもう嫌なんですがそれが絶対的じゃなくどうでもいいとよくなる
にはあまりに嫉妬心が強すぎて。
自我は幻でなくてもいいものだから、嫉妬も同じようなものってことでしょうか。
よく考えれば単純なことなんです。
同じことの繰り返しですので、のんびり考えてみてください。
しかしまだ難しいです。
これからもこちらで勉強させていただきます。
ブログを読むのが楽しみなんです。
更新してくださってありがとうございます。
そういうことです。
肉体があって、自我があるから、こんなにも困難になるんでしょうね。
巻き込まれてもいいんです。その巻き込まれているのだって、自分です。どこまでもどこまでも自我が続いています。
どんな混乱に陥っても、私がある。それだけです。
>>ぽったさん
悩みに意味が無いことを知ると、当然ほとんど悩まなくなります。深刻さが抜け落ちます。
そして、幸せということですが、幸せに形をつけているのも同じことなので、幸せを味わおうと思えば、どれだけでもその感覚に重大さ、素晴らしさ、楽しさを見出すことも出来ます。
結果、確かに幸せになったかもしれません。
というか、元から常に幸せであったと気づきました。
>>まるさん
確かにとにかく楽になりますね。
絶望の中ですら、楽しめる・・・?というか結末がハッピーエンドだろうと知っている映画を見ている感覚ですね。
>>読者さん
インドア趣味なんで、色々見てます(笑)
ドグラマグラですね。
呉家の一郎くんの振り回されっぷりが、まさにこれだと感じたので、ハンドルネームに使っています。
とても面白くて、真にせまった本だと思うんですが・・・
そう、いかんせん読みづらいですよね(笑)
>>7番目の方
常に今に居るってことは不可能ですし、今というのは認識できません。
ただ、認識することを諦めると、限りなく今ここに近い感覚になることは出来ます。
その、今を探そうとする自分という感覚。
そこに答えが既にあります。
http://blog.goo.ne.jp/n3bkhkzkdeath/e/ce91b9a25e3d4ac04e5da1d76074d790 ←参考までに
こちらで回答しますね。
「現実は決定している映画だ」と思うならそうなります。
ただ、決定しているとしても私達にそれが認識出来ない以上、考えても無駄なことです。これは映画みたいなもんだと考え、諦めたり。そうじゃない!と抵抗して前に進んだり。自由を感じたり、感じなかったり・・
どっちにしても自我という映画の中に居るからそう悩むだけのことです。
それに気づけば、あとは理屈ではなく、現実が証拠を出してくれます。
全てはまず信じてみることです。
「嫌な奴」は実際に交流を持たなくなったり、そもそもそんな嫌な奴じゃないと気づいたりしました。まあ過程は重要ではなく、結果の後に原因が付いてきたという感じです。
>>からしさん
よく分かります。僕も気が狂うんじゃないかというくらい浮き沈みしました。
「重いコメントばかりで」ということですが・・・
例えば僕は、このコメントを見ても別に重くないと思うんです。そうなるのも当然のことですし、普通だと感じます。
その「重さ」は、からしさんの中でだけ起こっています。消えてしまいたいのも、不安なのも、苦しいのも、全て自分の中でだけ起きています。その自分というのが幻です。どこまでもリアルで、認めがたくて、つらくて、激しい意混乱を伴うと思います。
しかし、全て自分の中でだけ起きています。そして、自分というものも、自分が信じているからあるだけです。
今に意識を集中はなかなか難しくて上手くできません。
呉さんは悟ってから今にいられますか?今ここを実感してますか?
キューブリックから「それ町」まで。
「どんだけ守備範囲、広いねん!」って思いましたw(読∇者)
さてさて。記事と全く関係ない話で恐縮ですが…
呉さんと同姓同名の主人公がでてくる小説、ありますよね?
数年前に「これ以上読むの無理っ!」と投げ出したのですが、
呉さんの名前に触発され、もういちどチャレンジしました。
ひえぇ~!凄過ぎて、もうどうしていいのかわかりません!
しかも、行き着くさきは
呉さんが一貫して伝えている「あの一言」に繋がっちゃうんですね。
とにかく、すごい作家さんでした~(;読□者)ノ
呉さん。触発してくれて有り難うございますw
悟ったから幸せになるわけじゃないって言い切りますよね。
でもそういう人も明らかに悟る前より幸せに生きてるように見えます。
悩みがあってもムダに悩んだりしなくなるからでしょう。
呉一郎さんは悟る前は幸せな感じでなかったけど今は幸せを実感して生きてらっしゃるんですよね?
悟りと幸せは関係あると思うんです。。。
「言葉」とかものの「名前」とかそれはラベルでしかないのに
完全に信じこんでしまっている。
「肉しみ」も「憎しみ」も正しくもないし、間違ってもいない。記号でしかない。
ただ自我が意味付けしているだけ。
そう気づきましたが、やはりすぐに巻き込まれてしまいますね、自我に。
いろいろなことに耐えられなくなってもう消えてしまいたいです。重いコメントばかりですみません。
いなくなったんですか?