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Life Together...

命のこと、自然のこと、地球のこと、共生について。。。

明けましておめでとうございます

2011-01-06 00:09:19 | 日記
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

年が明けて、川口湖に行ってきました。
良く晴れて、富士山がとてもきれいに見えました。
この一年、少しでも人間の営みに美しさが添えられますように。。



下品な島 2010年の終わりに。。

2010-12-29 22:04:48 | 日記
どこかずっと遠くに、下品な島があるんです。
名前はありません。名前をつけるほどの島でもないからです。
とても下品なかたちをした下品な島です。
そこには下品なかたちをした椰子の木がはえています。
そしてその椰子の木は下品な匂いのする椰子の実をつけるんです。
でもそこには下品な猿が住んでいて、その下品な匂いのする椰子の実を好んでたべます。
そして下品な糞をするんです。
その糞は地面に落ちて、下品な土壌を育て、その土壌に生えた下品な椰子の木をもっと下品にするんです。
そういう循環なんですね。

ある種の下品さは、ある種の淀みは、ある種の暗部は、
それ自体の力で、それ自体のサイクルでどんどん増殖していく。
そしてあるポイントを過ぎると、それを止めることは誰にもできなくなってしまう。
たとえ当事者が止めたいと思ってもです。

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村上春樹の小説より。

多分今年最後の投稿になるかなと思う。
最後の投稿は、もっと希望にあふれるものにしようかと思ったけれど、この「下品な島」の物語がなんだかしっくりくる感じがして、これにしました。

この小説のこの部分は、村上作品の中でもかなり上位にくる印象深い箇所です。
すごく絶望的で、滑稽で、現実的なこの箇所は、私の世界への見方とほぼ同等だと思うこともあるし、でも、その絶望感とは別の世界ももう少ししたら広がるのではないかという期待にもなっている。

来年はこの淀みが、もっと世界に発信され、突然変異のように、この淀みからヒョコっと抜け出せる人や考え方がたくさん出るように願います。


今年、このブログを読んでくださいましたみなさま、
ありがとうございました。

来年も、どうぞよろしくお願いいたします。



来年はうさぎ年。すてきな一年になりますように。。

Emmanuel メリークリスマス。。。

2010-12-25 21:12:51 | 日記
12/24 クリスマスイブ。
教会を覗いてみました。



キリスト生誕の礼拝をしており、神父さまのお説教を聞きました。

約2000年前のイエス・キリストの誕生は、非常に貧しいものでした。

今、クリスマスというと、キラキラと輝かしくライトアップされ、街中はざわざわとした賑わいに湧いている。
しかし、この明るい賑わいのずっとずっと奥にあるものに入り込まないと、本当のものを見えてきません。

神父さまはそう、おっしゃっていました。

個人的には、世界中で起きているさまざまな問題を思うと、とても商業主義にのっとったきらびやかなイルミネーションを見ても、「ああ、きれいだな」という思いにはなかなかなれないところです。
宗教として見たとき、歴史的、社会的、政治的な問題をはらんでいるとはいえ、キリストが生まれた日を世界中が何かしかの形で祝うのであれば、もっと慎ましく、静かに祝い、周囲への平和や希望への働きかけに自分がどう関われるかを考える一日になれればいいのにと思います。
もちろん、他にもそういう日はありますが。。。

イルミネーションで使われるお金が、世界の貧しい子供たちや貧困で困っている家庭に届けられるだけでも、それがたとえクリスマスシーズンだけのものであったとしても、どんなに救いになるか。。と思います。



紙のあたたかさ

2010-12-14 02:06:29 | 日記
先日私の知り合いが、竹尾 見本帖本店のイベント「聖夜のギフトパッケージ展」に、プレゼントを包むためのサックの展示をしています。


この中央にあるゴールドのリースが、サックから変身したリースです。
元は長方形のプレゼントを入れるサックなのですが、プレゼントを入れるだけでなく、その後このようにしてリースとしても楽しめます。

だいぶ前から過剰包装について色々言われていますが、個人的にはこのように、「包む」ことに「心」が入ることはとても素敵なことだなと思います。
普段は包装なんてなくてもいいけれど、何かの記念日や深い思いがあるときは誰でも、いつもより丁寧に包むと思うのです。
過剰包装とは、必要以上に意味もなく紙などの資源を使うことだと思いますが、こんなふうに心を込めて包むものは、あたたかさが伝わってくるような気がします。

こちらの展示会は、全部で10名のクリエーターがクリスマスに向けてあたたかい贈り物のかたちを提案しています。


また、最近は、デジタルカメラやケータイカメラの普及で、フィルムで写真を撮ることが少なくなりました。
さらに書籍もデジタル化し、紙そのものの存在自体が今後どのようになっていくかという時代になってきました。
メリットとしては、森林伐採などの環境問題のスピードを落とす効果も期待できると思います。
でも、データで見る写真や活字に、私はどうしても心を奪われることはありません。むしろ、冷たく感じます。



ある家族の写真です。(それをケータイで撮りました)
子供の1歳の誕生日に、また新築1年の記念に、家族写真を撮ったものです。
これを撮った写真家はフィルムで撮りました。そして暗室で焼いて、その家族に渡しました。
冬の日の光や、家族のなごやかな雰囲気、まるでそこから声が聞こえてきそうでした。
デジタルカメラで撮って紙焼きしても、ある程度は同じ状況が起こるでしょう。
でも、その家族も写真家も、フィルムで撮り、時間をかけて写真が出来上がることに、デジタルでは得られないあたたかみを感じています。

すべてのデジタル化を否定するつもりは毛頭ないのですが、紙のあたたかさも忘れてしまうほどの時代。これからどうなっていくのかと思うと、少し立ち止まって見直す必要があるのではないかなと思いました。


音楽を、USTで聴くより、ライブで聴いたほうが断然心に響くのと同じなのではないかなと。。。


ある格言

2010-11-25 21:44:14 | 日記
システムに飲み込まれてはいけない。
人間は一人一人が絶対的な自由を持たないといけない。

Odradekのことば