先日私の知り合いが、
竹尾 見本帖本店のイベント「聖夜のギフトパッケージ展」に、プレゼントを包むためのサックの展示をしています。

この中央にあるゴールドのリースが、サックから変身したリースです。
元は長方形のプレゼントを入れるサックなのですが、プレゼントを入れるだけでなく、その後このようにしてリースとしても楽しめます。
だいぶ前から過剰包装について色々言われていますが、個人的にはこのように、「包む」ことに「心」が入ることはとても素敵なことだなと思います。
普段は包装なんてなくてもいいけれど、何かの記念日や深い思いがあるときは誰でも、いつもより丁寧に包むと思うのです。
過剰包装とは、必要以上に意味もなく紙などの資源を使うことだと思いますが、こんなふうに心を込めて包むものは、あたたかさが伝わってくるような気がします。
こちらの展示会は、全部で10名のクリエーターがクリスマスに向けてあたたかい贈り物のかたちを提案しています。
また、最近は、デジタルカメラやケータイカメラの普及で、フィルムで写真を撮ることが少なくなりました。
さらに書籍もデジタル化し、紙そのものの存在自体が今後どのようになっていくかという時代になってきました。
メリットとしては、森林伐採などの環境問題のスピードを落とす効果も期待できると思います。
でも、データで見る写真や活字に、私はどうしても心を奪われることはありません。むしろ、冷たく感じます。
ある家族の写真です。(それをケータイで撮りました)
子供の1歳の誕生日に、また新築1年の記念に、家族写真を撮ったものです。
これを撮った写真家はフィルムで撮りました。そして暗室で焼いて、その家族に渡しました。
冬の日の光や、家族のなごやかな雰囲気、まるでそこから声が聞こえてきそうでした。
デジタルカメラで撮って紙焼きしても、ある程度は同じ状況が起こるでしょう。
でも、その家族も写真家も、フィルムで撮り、時間をかけて写真が出来上がることに、デジタルでは得られないあたたかみを感じています。
すべてのデジタル化を否定するつもりは毛頭ないのですが、紙のあたたかさも忘れてしまうほどの時代。これからどうなっていくのかと思うと、少し立ち止まって見直す必要があるのではないかなと思いました。
音楽を、USTで聴くより、ライブで聴いたほうが断然心に響くのと同じなのではないかなと。。。