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Life Together...

命のこと、自然のこと、地球のこと、共生について。。。

野良ネコ キンちゃんの去勢手術

2010-10-21 00:42:32 | 動物たち
先日、ノラのクロちゃんの去勢手術についてエントリーしました。
今回は、同じくノラのキンちゃんの去勢手術です。

キンちゃんは、うち(実家)に来るノラさんの中でも、人一倍警戒心が強い子です。
でも、体の模様はきれいだし、顔も大人のネコのわりには、まんまるな目でかわいらしいネコさんです。


↑キンちゃん


警戒心が強いので、今回は動物病院から捕獲用のかごを借りてきました。



実物を見るのは初めてだったのですが、案外細長い感じでした。
写真では見えにくいのですが、かごの奥のほうに餌をぶら下げるための棒がついていて、そこにネコが触ると、
後ろのふたが、ガシャンと閉まる仕組みになっています。

クロちゃんの手術の際に、病院にかごを借りたいと申し出していたのですが、かごは全部貸し出し中ということで、そのときは借りられませんでした。
ここの病院は、ノラネコの不妊去勢手術を、飼いネコよりも安い値段でやってくれる病院です。
ですので、こういったかごの貸し出しもかなり頻繁なのだろうと思います。

1週間ほどで病院から連絡があり、かごを借りてきました。
かごはもうどれだけのネコさんがここに掛かったかというくらい、金具のつぎはぎがたくさんありました。
ネコの毛もついていたりして、年季の入ったかごでした。

借りてきた翌日の朝から、キンちゃんがいつも来る庭や、ちょっと奥のところに、時々場所を変えながら置いてみました。
餌は、ベーコン。
ベーコンを棒の先に付けて、さらに、かごの奥のほうに、いつもあげているカリカリの餌や缶詰の餌も置いてみました。

一番気をつけなければいけないのが、ほかのネコが入ってしまうことです。

特に少し前に手術をしたばかりのクロちゃんは、好奇心旺盛なので、放っておいたら、かごに入ること、間違いなしです!
ほかにも、食いしん坊のねずちゃんも危険でした。
なんとかほかのネコが入らないように気をつけながら…





こんな感じで近づいてくるのですが、、、

初日はダメでした。
外側からくんくん匂いをかいだりするのですが、かごの中には入ろうとしませんでした。

キンちゃんやほかのノラネコが来るのは、たいてい午前中か、夕方以降です。
病院自体、夜の7時までですので、6時を過ぎた時点で今日の計画は断念しました。

キンちゃんは、そういうわけで、その日一日、ほとんど何も食べれていない状態だったので、夜は少し多めにご飯をあげました。
明日はかごに入ろうね と言いながら…


翌日も朝からかごを置いておきました。
この日は、生のお刺身で挑戦です。
ツイッターで、捕獲作戦に成功した方から、鰹節をパラパラふりかけると、匂いが強くなるから捕獲しやすいかも と教えていただき、鰹節をふりかけてしばらくすると…



ものすごい音がして、キンちゃんが捕まりました。
鰹節の匂いには我慢できなかったようですね。

かごの中では、かごもキンちゃんも壊れてしまうのではないかと思うほど、キンちゃんは暴れました。
キンちゃんの鳴き声なんて、一度も聞いたことがなかったのですが、このときはなんだかわからない声をあげていました。
その暴れように、私もちょっとガクガクしてしまいました。心の準備はしていたのですけれど。。。

とにかく急いで新聞紙を上からかぶせて、暗くしました。新聞紙や布などで暗くすると落ち着くそうです。



新聞紙の脇からそっと覗くと、おびえた顔、泣きそうな顔のキンちゃんがこっちを見ていました。
やっぱりこれは辛いですね。。。

なんとなく上を見たら、物置の上で、やはりノラネコのおいちゃんが、この一部始終を見ていたようです。
まったく他人事の顔して、みていました。。。
キンちゃんからしたら、どんなに恨めしかったことか…



それから急いで車を走らせて病院に行きました。
日曜日だったので、非常に込んでいました。

看護婦さんが来て、布をちょっとはずすと、やっぱり泣き出しそうな顔のキンちゃんが私たちを見ていました。



看護婦さんには、キンちゃんはたまに左目から涙をたらしていることがあるから、それも一緒に見てほしいとお願いして、ひとまず病院をあとにしました。


夕方5時近く、無事に手術が終わり、病院に迎えに行きました。
左目の涙は、子猫のころに風邪をひいたことが、大人になった今でも、風邪などをひくと、目が涙目になるということでした。
「飼い猫であれば、目薬や抗生物質などで治療ができるそうなのですが、ノラネコの場合は、継続的に治療ができないので、これ以上の改善は望めないかもしれませんね」ということでした。
それでも、今回の手術と一緒に、目のための抗生物質で治療してもらいました。

キンちゃんはというと、麻酔から完全に覚めるにはまだまだな様子で、「今夜一晩はこのままキャリーケースでそっとしておいて、明日の朝、ご飯をあげてください」とのことでした。
キャリーケースはずっしりと重かったです。

クロちゃんのときは、キャリーケースより一回り大きい段ボールを用意して、夜中に目が覚めたら、キャリーケースから出て、段ボールの中で動けるようにしてあげたのですが、
キンちゃんの場合は、まったく手の出せない警戒心の強いネコですので、狭いキャリーケースはかわいそうでしたが、そのまま一晩そこで過ごしてもらいました。

夜中、何度か目を覚まし、「ぷぅはぁ」とか「ごにょごにょ」とか、ネコの鳴き声じゃないような鳴き声を何度かあげていました。
きっと、「なんでこんな狭っ苦しいところにいるんだよぉ」とか「おしっこびしょびしょで気持ち悪い」とか「これから先、おいらはどんなになっちまうんだ」とか、そんな感じだったのだろうと思います。
そんなときは、これ以上優しい声が出せないくらい優しい声で私は、「大丈夫だよ、キンちゃん」とキャリーケースの外から声をかけていました。
伝わったかどうかはわかりませんが、静かになりました。(人間の声でおびえて静かになったのかもしれませんが。。)



キンちゃんにとっての長い長い夜が明けました。
キャリーケースごと外に持ち出し、ふたを開ける前に中を覗くと、パッチリ目を開けたキンちゃんが、キャリーケースの奥のほうに小さくぴったりと張り付いていました。
怖かったでしょうね。。。

そしてキャリーケースのふたを開けるや否や、脱兎のごとく走り去りました。
クロちゃんのときは、歩きながら2度ほど振り返り、恨めしそうな顔をこちらに向けて、姿を消しましたが、キンちゃんはそんな余裕すらなく、恐ろしい速さで走り去りました。

去勢手術。
私にとっては2度目だったので、少しは慣れたのですが、捕獲かごがガシャンと大きな音をたてて閉まる音、その中で気がふれたように大暴れするネコ、夜中の鳴き声、逃げ去る後ろ姿。。。

やっぱり心が痛みます。
少しは慣れたと書きましたが、これは、決して慣れてはいけないのではないかと思います。
不妊去勢手術が不幸なネコを減らすことは十分わかっているのですが、やはりすべては人間のエゴから始まったこと。
この活動は、ネコに謝りながら行うべきことなのではないかなと思っています。
決してこの活動は、ネコにとって優しい愛護の活動とはどうしても思えないのです。

当のキンちゃんは、勢い良く逃げ去ったあと、夕方にはいつものように顔を出しました。
手術から今日で3日。
手術前とどう変わったか…
以前より一層、ビクビクしているようです。人間に対しても、ほかのネコに対しても。。。

やはり心が痛みます。
最後まで読んでくださった方。
このことについて、どう思われるか、もしお考えがあれば、コメントいただけるとうれしいです。









去勢手術という愛護活動 その後

2010-10-12 18:00:29 | 動物たち
昨日の記事で、ノラ猫のクロちゃんの去勢手術と愛護活動について書いてみました。
あれを書いた後の話です。

クロはあの後、明け方4時過ぎに、ゴソゴソ動き始めました。
私はその音で目が覚めました。

本当のところはわかりませんが、人間が手術した場合、麻酔が切れると同時に、痛みも襲ってくることが多いので、
おそらくクロは明け方から痛みを感じていたのかもしれません。
それか、まったくへっちゃらだったのか。。。

とにかく明け方ゴソゴソ、にゃあにゃあ鳴き始めました。
意識が戻るにつれ、ここがどこだかわからず、焦ったでしょう。。
何度か声をかけているうちに、ここがいつもよくご飯をもらいに来る人の家だと気づいたかもしれません。

こちらが「クロちゃん」と呼ぶと、「にゃあ」と少し心細い感じで返事をし始めたからです。

病院からは、「手術の翌日にならないとお水もご飯もダメですよ」と言われていたので、朝7時過ぎに、段ボールから出して
(というより、自分からそそくさと出てきた。。)
いつものご飯と水をあげてみました。

でもご飯はほとんど口を付けず、水も飲みませんでした。

そのまま玄関のほうにスタスタ歩いていき、(クロはノラ猫のくせに、我が家の間取りをよく知っています(汗)
外に出たがりました。
トイレかもしれないと思い、玄関を開けると、そのまま行ってしまいました。

そのときの姿は忘れられません。
2度後ろを振り向きました。歩きながら振り向いて、門をくぐり、前の道をどこかに行ってしまいました。

いつもは外に出そうとすると、いやがって抵抗するのに、今朝はスタスタと…
そして2回振り向いて、そのまま行ってしまった…

「裏切りモノ!」って思ったのか…
「トイレ、トイレ…」って思ったのか…

よくわかりません。でも私にも感情があるので、それはなんとなく、恨めしそうな感じがしました。
きっとこれは私の気持ちがそう見させただけなのでしょうが…


その後、クロは夕方まで姿を見せませんでした。
いつもは、日中も顔を出したりするのに、まるっきり寂しい一日でした。
そして天気は午前中、小雨でした。
クロが濡れないようなところにいてくれたらいいと思いました。
痛みがとれていたらいい。どこかでご飯にありつけていたらいい。

もうここに戻ってこなくても、手術の痛みや後遺症がなく、クロがクロとして生きていてくれたらそれでいいや と思いました。



夕方、暗くなってリビングの雨戸を閉めようとしたら、ほかのノラ猫と一緒にクロがやってきました!
「あ、クロ!クロちゃん!」

いつもは、私たちのほうからノラ猫を家に入れることはあまりないのですが、今日だけは特別!
クロをリビングに招き入れました。
思いっきりなでなでしました。
クロはというと、おとといとまったく変わらず、にゃあにゃあ鳴いて、まとわりついて…
いつものクロでした。

本当に手術をしたのだろうか?去勢をしたのだろうかと思うほど、変わらない姿でした。
相変わらず、ほかのメス猫から嫌われていましたし…(汗


クロは元気ないつもの姿で戻ってきてくれました。
私は「ありがとう」と「ごめんね」を心の中で繰り返しました。

そしてやっぱりこれだけは心の中心においておかないといけないと思いました。

「存在そのものをそのまま受け入れて思いやることを忘れてはいけない」ということ。
「ひとつの命を扱っている」ということ…
常に1対1で考えることが元となっていなければいけないということも…


こういう気持ちを忘れていってしまうとき、きっと人間はよいことをしていると思いつつ、
相手を傷つけ、追いつめてしまう結果を引き起こすことになる危険な状態に陥る可能性が出てくるのだろうと思います。
愛護活動という名に隠れて人間主体に、上から目線にならないように…


去勢手術という愛護活動

2010-10-11 18:16:48 | 動物たち


だいぶ前からノラ猫のクロちゃん(♂)の去勢手術をしなければと思っていました。
やっと今日、病院に連れて行くことができました。

クロは、おそらくまだ1歳に満たない元気いっぱいの男の子。
空気を読むのが下手で、ほかのメス猫さんたち(避妊済み)からかなり嫌われています^^;
まだ去勢をしていないキンちゃん(♂)とは時々にらみ合いになりますが、それを除けば
愛嬌のありすぎるヘンテコで愛されるネコさんです。

ちなみに、うちの周辺にはほかにもノラはいるのですが、クロとキンちゃんを除けば今のところ、全員手術済みです。






今朝もクロは、自分が手術されるとは露知らず、窓をあけるやいなや、部屋に入り込み、
にゃあにゃあ鳴きながら、人のジャマばかりしてました。いつものクロです(笑

私と母がクロを抱きかかえ、キャリーケースに入れるときも、まったく抵抗せず…
これほど抵抗しないのは、知らないからだと思うんです。
むしろ、「ボクにかまってくれている!」くらいに思っていたかもしれません(汗
この狭いキャリーケースが、どういう場所なのか、自分の身に何が起こるか、当然彼は知らないんですね。
だからきっと抵抗しない。
なんだかそれも哀れな感じでした。。。


キャリーケースに入れて、車に乗せ、病院に連れて行き…
病院で、いつもと違う雰囲気を感じ始めたあたりから、いつものにゃあにゃあの鳴き声が、
盛んになり始めました。いつも以上に大きな声でひっきりなしに鳴き始めました。
おそらく、そのときになって異変を感じたんでしょうね。。。。

私は頭ではこういった手術をすることが、殺処分される子猫の命を救い、また猫同士のけんかによる怪我、病気を減らすという、
猫にとってのメリットがあることは理解できます。とても理解できます。
でも、にゃあにゃあ鳴き叫ぶ一匹のネコ、クロを見て、人間の手で健康なクロから子孫を残す手段を奪うことは、メスを入れて痛い思いをさせることは、
果たして本当に正しいことなのか、わからなくなってきました。
どんな人生であれ、この世に生まれて今日まで一生懸命生きて、これからもそのつもりでいる、この目の前のクロは、もう子孫を残せないのです。
自らそれを選んだのではなく、「人間の勝手な行い」のために、それを強いられたのです。

「人間の勝手な行い」は今日の私のこともそうですし、今まで人間たちがやってきた繁殖や飼育放棄も含まれます。



私はかつて、ウサギを飼っていました。
雄と雌、両方です。

雌のロニちゃんを買って初めて病院に連れて行ったとき、先生にこう言われました。
「もし赤ちゃんを産ませようと思っていないのだったら、できれば避妊手術したほうがいいですよ。
 子宮の病気は色々あって、ロニちゃんを苦しめることになりますからね。
 癌にもかかりやすくなっちゃうし。。。
 体力のあるうちで、季節のよいときが一番体に負担がかからないから時期を見て
 手術してあげましょうね」

すごく自然に私の中に入ってくる言葉でした。
元々赤ちゃんを産ませるつもりがなかったのもそうですし、先生の進め方も私を自然に納得させる言い方だったのだと思います。

私はロニちゃんが癌になったらかわいそうだし、できるだけ病気とは無縁に元気に人生を全うしてほしい。。
だからある春の日、手術しました。
結局ロニちゃんは別の病気になって死んでしまうのですが、あのとき先生が言われた、優しい言葉は今でも
抵抗なく心に残っています。

なのに、今いざクロの手術をしようとすると心が痛むのはなんでなんだろう。。
飼いウサギとノラ猫の違い??
ならむしろ逆の思いになってもいいはずなのに…

ひとつ違うことは、私自身の中に、「動物愛護活動」についての知識が、ロニのころより随分とはいってきていることです。

ロニのころには、愛護はしていたし、殺処分のことや捨てられる犬猫そしてウサギがいることも知っていましたが、
「愛護活動」について積極的に知識を得たり、何かの集まりに参加したりはしていませんでした。

今でも動物愛護の団体に所属しているわけではありませんが、徐々に知識を得ています。

普通に考えれば、知識を得ているのだから、不妊去勢手術に対して積極的になれるはずなのに、
なぜかそうはならない自分が今いるのです。

なんでかなと色々考えました。
理由はきっとこうです。

かつてウサギのロニのときの先生の言葉には、「愛」を感じることができました。
先生からの思いやいりを感じることができたのです。
一人の先生からの一匹のウサギに対しての思いやりです。
もちろん飼い主の私に対しての思いやりも含まれます。
1対1。対話があったように思います。

でも知識を得た今、それは何か、固い冷たいものになってしまったようなのです。
手術をしなければいけないんだ という圧力のようなもの。
それと、全体主義的なもの。

私は今、一匹のノラ猫、クロと対峙しています。
クロは空気の読めない細っこい、元気いっぱいだけどなんだかヘンテコなノラ猫です。
すごく大きな声で、にゃあにゃあ鳴きます。
窓を開けるとサササっとどこからともなく飛んできます。
木に登ってもたまに降りれなくて困っていたりするのです。おかしなノラ猫です。
そしてほかのノラ同様、ユニークなキャラクターの持ち主なのです。

そのクロが、愛護活動の一環として、去勢手術をさせられること。
これが私の感じる痛みなのです。
おかしな話ですね。。。自分でもおかしいと思います。

ならどうすればいいのか?という答えはありません。
それに、クロはノラ猫で、私の家(正確には実家)では飼うことはできません。
ライバルのキンちゃんとのけんかにいつも仲裁に入ることもできませんし、いつか不妊していない雌猫と出会わないとも限りません。
ましてや、まだ知識の浅い私が、世界中に広がっている愛護活動の一環である不妊去勢手術に「おかしい」なんて言うことのほうが、
きっとおかしいのだろうし、そんなことを言う気もありません。
きっと私の知識不足がそうさせているんだと思います。

それに今のこの思いは、私一人のそれこそ身勝手な、一瞬の感情なのかもしれません。
きっとそうなのだと思います。
時間が経って、クロが再び元気になって、いつもの空気の読めないヘンテコな愛嬌のあるクロに戻れば、手術してよかったと思うのだろうと思います。


でもただ一つ、理想と言われようと妄想と言われようと、現実を見ていないと言われようと、
私はこう思うのです。
「存在そのものをそのまま受け入れて思いやる」ことを忘れてはいけないということ。
また、「ひとつの命を扱っている」ということも…
常に1対1で考えることが元となっていなければいけないということも…


↓手術を終え、帰ってきたクロ。まだ麻酔から覚めないのか、ぼんやり。いつものクロにもどってほしいな。。。



次はキンちゃんの番です。
キンちゃんは警戒心が強いから、とても怖がるだろうな。。。









コロとロニの物語 ~後編

2010-10-01 12:39:44 | 動物たち



ロニは白くてほんの少しグレーっぽい、ブラウンっぽい、ミルクティーみたいな女の子でした。

最初ペットショップで見つけたとき、売れ残りだったせいもあり、仔うさぎというには少し大きくなってしまっていました。(生後7ヶ月くらい)
だんなさんと、「あのうさぎさんは売れちゃったかな、売れなかったらどうなるのかな」と話ながら、
何度かペットショップに足を運んでは気になってよく見ていました。
私というより、だんなさんが一目ぼれした子でしたね(笑

実をいうと、私はロニを飼うのに最初反対でした。
理由は、すでに我が家にはコロがいましたし、仕事などに忙しい私達が2匹の世話をきちんとできるのか、
またロニのこれからの長い人生を考え、今の世の中の経済の不安定さを考えたとき、本当に最期までロニを守り続けることができるのか。
そういった心配もあったからです。

それについて、だんなさんと2週間くらい話をしました。
時にはケンカにまでなりました。
でも、だんなさんの強い思いは揺らぐことはなく、私もそれを信じて、ロニを迎えることになったのです。

ペットを迎えることは、犬猫だけでなく、うさぎを初めとした小動物も同じだけ、飼い主は現状のこと、先のことを考えなくてはいけないんですね。。
結果から話すと、その後ロニは早くに病気になって、3歳と少しで死んでしまうのですが、
かかった医療費は、倍近く生きたコロよりも、多かったと思います。
それでも私たちは精一杯ロニを守ることができたんじゃないかなと思っています。


ロニはペットショップにいたときは、マッタリとしたおとなしそうな子だったのですが、
家に招き入れたとたん、本領発揮!
ピョンピョン跳ね回るわ、グルグル駆け回るわ、超おてんば娘に変身しました。

これはさすがにだんなさんもびっくりして、「オレたちは騙されたか??」というほどでした。
もうすごく元気で元気で、元気すぎて、ゲージの外側にある柵を思いっきり飛び越えて、
足をひっかけてぶら下がってしまったり(だけど怪我はまったくなし!)、
見た目からは想像もできないのですが、「ブゥブゥ」と鼻をいつも鳴らしていたり、
息がすごく荒かったり、目を見張る速さでかけまわったり。。。

男の子のコロのほうがよほど女の子のようでした。

ご飯もよく食べました。ペレットも生野菜も乾燥したワラも、お水も良く飲み、
糞もコロに比べて大きくて。。。。
人間で言ったら、肉食系女子のような・・・(笑

だんなさんのうさぎ という位置づけだったので、だんなさんはよくロニの面倒を見て、
ゲージの掃除をしたり、外に出して遊ばせたり。
大のオトナ(♂)が白い小さなうさぎさんを抱っこしている姿は、なんというか、微笑ましかったです。(笑
だんなさんがロニを思って、掃除をしたりご飯をあげたりすればするほど、
ロニは、なんとなく、付け上がってくるような、思春期の女の子のようでした(笑

本当にロニは心配のいらない元気な子でした。





ところが、避妊手術もして、雌がなりやすい子宮関係の病気の心配もなくなった矢先、
ロニに異変が起こり始めました。

口の中、左側に膿がたまってきたのです。
2008年夏のころで、我が家に来て、1年半すぎでした。
これもうさぎによくある病気のひとつです。

最初はたまった膿を月に1回ほどの通院で取ってもらっていましたが、
あるとき、獣医の先生が「手術をしましょう」ということになって、
子宮の手術以来再び、全身麻酔の手術を選択しました。
小さな顔に、3センチくらいメスを入れて切開し、沢山の膿の袋を摘出しました。

私はその場にいなかったのですが、帰ってきたロニを見て、いつもよりしょぼくれている感じがして、
怖かっただろうなと思いました。
こんな小さな顔から、すごいたくさんの膿が出たそうです。
ほっぺたの3センチもの縫い跡が痛々しかったです。

まったく、飼い始めたころには考えられない事態でした。

それでも手術の経過はまあ順調で、ロニはまだまだ元気で、走り回っていました。
私たちも、心配はしつつも、食欲が落ちなければ、栄養が体に回っていれば、なんとか大丈夫だろうと思っていました。
先生も、「食欲が落ちなければ大丈夫、がんばりましょう」と言ってくれました。

でも残念なことに、膿はまた溜まり始めてしまいました。
白くて小さくてきれいな顔も、だんだんと左のあごの部分が腫れ始め、それが大きくなって。。

当然口の中も膿の固まりがあったでしょう。
2009年に入ると、通院の回数も増えていきました。
先生に診てもらい、なんとか膿を取り除いて欲しいと思うのですが、何箇所もそういうところができてしまっていて、痛い思いをして取り除いたとしても、その空間に別のところからの膿の固まりが集まってきて・・・
そういう悪循環になるからと、できるだけ切開をしない痛みの伴わない治療を続けてくれました。

口の中に異物があるので、もちろん、歯も変形してきました。
歯のかみ合わせが悪くなると、ご飯を食べることができなくなります。
先生も必死で膿と歯の整形治療をしてくださいました。

食欲も少しずつ少しずつ落ちてきました。

それでもだんなさんは、時々抱いて外に連れ出して、太陽の光を浴びさせたり、
仕事から帰ってくると、まっさきにロニのところに行き、膿が出てないか、大きくなっていないか、そのほか、体に変調はないかと、チェックしていました。



2009年の春になり、ロニはますます膿の固まりによる腫れがひどくなり、顔が変形し始めました。
膿によって顔が腫れ、左目の裏にも膿の固まりが出来始めたのでしょう。
左目は突出し、瞬きができなくなってきました。
なるべく目が乾燥しないように、マメに目薬をさしていたのですが、渇いてしまうと、もうどうすることもできないんですね。
そのころには、既に失明していたと思います。
痛いのかなと思っていましたが、先生が言うには、もう痛みもないだろうということでした。

ペットに限らず動物は、例えば事故などで片足を失うと、それにめげず、片足はないものとして、生活し始めるそうです。
ロニも左目が失明しても、きっと耳やひげや右目などで、それをカバーしていたのだと思います。

本来とても小顔だったロニの顔は、1.5倍くらい腫れあがり、その重みで、まっすぐ立っているつもりでも、
なんとなく左に傾いて立っている そんな感じでした。
バランスを取るのも一苦労だったと思います。
ロニは自分のそういう状態をどう考えていたのかな。。

この膿は厄介だと思っていたとは思うのですが、でもきっと私達人間よりも、もう少し楽観していたんじゃないかと思います。
「あー、もうやんなっちゃうわ なんで顔がこんなに重くて痛くて。。これじゃあ左耳の掃除もできないじゃない!」
こんな感じ。
人間みたいに、体の自由が利かなくなってもイライラしたりなんかしていないように思えました。
感覚が鈍いとか、そういうことでなく、その事態をありのまま受け入れる そういった感じでしょうか。。

そしてそのころからロニは見る見る食欲がなくなり始めました。
食欲がなくなるというより、自力で食べれなかったんですね。
膿の重みで下顎がズレてしまい、歯の噛み合わせも悪くなってしまっていました。
口は思うように開かないし、開いたとしても、ペレットを食べれるような充分な歯の状態ではなかった。
あまり食べないからか、あれだけ大きかった糞もだんだんと小さくなって・・・。

先生に相談し、ペレットを水と薬で湿らせてジェル上の流動食を毎回作り、スポイトで口から流し込むことにしました。
初めは嫌がったのですが、そのうち、そういう食事にも慣れてきてくれました。

ロニも本当にがんばっていました。

左目も見えず、左頬の中は膿の固まりだらけ、顔の左側も腫れてほとんど毛が生えていない状態。
もし人間だったら、そんな姿や痛みに耐えられているか。。
しかも女の子です。

2日か3日おきに病院に行くようになりました。
先生も献身的な方だったので、「しばらく続けて様子みたいから毎日来てください」と言ってもらえたりして、毎日通う時もありました。
ちょっとした変化でも私達は心配だったからです。



そんな中、私とだんなさんは、どうしてもある仕事で、5日ほど家を留守にしなければいけない状態になりました。
だんなさんは、その仕事をキャンセルしようかと考えたと後から言っていました。

けれど不思議なことに、その出張の1週間ほど前から、ロニは自分でご飯を食べようとし、水を飲み、排泄もし・・・・。
少し元気になり始めました。

その状況を見て、先生は、「行ってらっしゃい、大丈夫ですよ」と。
ロニを先生に預けて、私たちは出張に出ることにしました。

その間、私達はなるべくロニの話をしないようにしていました。
でも、心の中はロニでいっぱいでした。
当然ですよね。。。

今、病院のゲージの中で、ロニはどんな思いで過ごしているのか。
痛くないか。
看護婦さんや先生は優しくしてくれているか。
ちゃんとご飯を食べているか。

私達は先生を本当に信頼しているのですが、命のことです。
それが尽きるときは、先生がどんなに手厚く治療をしても、私達がどんなに祈っても、
尽きてしまうのです。
それはコロのときに充分理解していたことです。

出張が終わり、さっそく病院に向かえに行きました。
先生は、「ロニちゃんねぇ、お二人(私達)が言ってるように元気ないなんて、ウソのようでしたよ。。よく食べたしねぇ。。」と言って、ロニを連れてきてくれました。

ああ、良かった。
そのときは本当にそれだけでした。
ロニ、帰ってきたよ。。。もう大丈夫だよ。。と。

ただ、連れて帰るためにキャリーケースに入れたとき、ロニはヨロけました。

そう。
既に足や腰のほうに膿の菌がまわってしまっていたんですね。。

先生からは、元気だったとはいえ、「安心できる状況ではないこと」を伝えられました。
当然ですね。
出張から帰ってきたら、元気になってた なんて、そんな話はないですから。。

部屋に戻り、そっとロニをゲージの外側のいつもの遊び場に放しました。
いつもロニが飛び乗る40cmほどの台があるのですが、もうそのときには、そこに飛び乗る力がありませんでした。
飛び乗ろうとするのですが、ジャンプする力が足りず、台の壁にぶつかって落っこちました。
そこはロニのお気に入りの場所だったのに。。。
でももう、自力では上がれなかったのです。

その日の深夜、ちょうど日付が変わるころ、私とだんなさんが、スポイトでご飯をあげようと、
そっとロニを抱き上げました。
もうほとんど食べることが出来ず、もう一度抱き上げ、いつものようにベッドの上に下ろそうとしたとき、
前脚がガクッと崩れ、ロニは前のめりに倒れ込んでしまいました。

力尽きた。。そんな感じでした。

それを見た時、「あ、もうダメだ、、、ロニ、、、お別れだ、、、」と瞬間そう感じました。
グッタリとしたまま息も絶え絶え、眼もうつろでした。

それでもロニは、「二人が帰ってきて、顔を見れたからもういいよ。ありがとう。私、病院でがんばったよ」
そう言っているようでした。

コロのときもそうでしたが、ロニも私達が帰ってくるのを待っていてくれたのです。
病院で元気な姿を見せていたのは、虚勢だったんですね。
周りにいるほかのうさぎや、先生・看護婦さんに、自分の元気さをアピールして、こんなに元気だから、ホラ、大丈夫!って。。

でも確実に死は近づいていたんですね。
本人が一番よく分かっていたはずです。

私たちが出張に出来かける前、一瞬元気になったのも、
「ホラ、大丈夫だから、二人で行っておいで・・」って言ってくれていたんだと思います。
だから、私達が帰ってきたその日の夜、安心したのか、ガックリと力尽きて・・・。


ロニが死んだとき、私は、コロが死んだときより、パニック状態でした。
ロニはどんな思いで私達を待っていてくれたんだろう。
迎えにきた私達を見て、どれだけ安心しただろう。
私達が不在だった5日間、どれだけ踏ん張っていただろう。
そう思うと、声が出るほど泣けてきました。

この、私達への信頼感。絶対に向かえに来てくれるはずだという信頼感。
圧倒的な信頼の気持ちがロニになければ、ロニは私達が帰ってくる前に死んでいたと思います。

これはどう説明したらいいのか、分かりません。
コロは謙虚さから、死のタイミングを選んだ。
ロニは圧倒的な信頼から、死のタイミングを選んだ。

いずれにしても、彼らは私たちを本当に愛していてくれたんです。
それは死の場面で本当によく分かります。
そして、飼い主がどれだけ愛情を注いだかが、重大なポイントでもあるのですね。

私達の、ロニへの対応が正しかったかは分かりません。
それはコロのときも同じです。

だけど、たくさん愛し、愛されたということに間違いはなく、
うさぎたちは、私たちに、死を通してそれを示してくれたことは、確信をもって言えます。


/////

もしあなたがペットを飼っているのなら、このことはきっと理解してくださると思います。
また過去にペットを亡くされたことがあるのなら、なお一層、理解してくださると思います。
そして、もしこれからペットを飼おうと思っているのなら、できるだけの愛情を注いで、
自分もペットも楽しい日々を送れるようにしてあげてください。
一番感動的なことは、死を迎えるとき、それと、死を迎えた後に訪れるような気がします。
いつまでもペットのことが心に残っているのであれば、間違いなく、
ペットも飼い主に同じくらい感謝し、愛し続けているはずです。

そういう意味で、一緒に生活したペットを最期の瞬間まで過ごすことができる飼い主は幸せだと思います。

ペットの命は、飼い主の手にゆだねられています。どんな場合においても。

来年は兎年です。
どうかうさぎたちに優しい年になりますように。
そしてすべてのペットが幸せな一生を送り、その幸せが飼い主さんの心にも残りますように。。








photos by NOJYO

コロとロニの物語 ~前偏

2010-09-30 22:19:36 | 動物たち
私はうさぎを飼っていました。
過去形です。

コロ♂
ロニ♀

コロは7年ほど生きました。老衰でした。
ロニは3年半ほど生きました。病気でした。

コロは2009年1月に、
ロニは2009年5月に、それぞれ旅立ちました。

うさぎは人間より約10倍早く成長します。
なので、コロは、70歳すぎのおじいさん。
ロニは、30歳すぎほどの女性。
人間でいうと、そんな時期にこの世を去ったことになります。

////////




コロの物語です。

コロが私の元に来たときは、生後2ヶ月の小さな仔うさぎでした。
コロは慣れるまでに本当に時間がかかりました。
うさぎは犬や猫以上に表情がない感じがして、最初は戸惑いました。
まだ知識のなかった私は、この子が何を考えているのかよくわからず、いつも不安でした。

でも少しずつ少しずつ、本当に少しずつ、頭・背中・体全体へと、触らせてくれるようになりました。
初めて頭をなでさせてもらえたとき、本当に嬉しかった。。

1年も経つころには、カケッコをしたりかくれんぼをしたりして、毎日遊びました。
こっちが疲れるから止めたくても、コロはいつまでも私の足元にまとわりついて離れないことが何度もありました。

けれど残念なことに、最後の最後まで、コロは抱っこをさせてくれませんでした。
どんなに仲良しになっても、抱っこはさせてくれませんでした。
よほど抱っこが嫌いだったんでしょうね。。
後から飼ったロニのほうが平気で抱かれていましたけど。。
うさぎにも、性格が色々あるんですね。


コロのもう一つの特徴は、私が仕事で1週間近く出張に行くとき、必ず2~3日前から具合が悪くなることでした。
ご飯も水も口に入れず、排泄もほとんどなし。
目ヂカラもなく、見るからにぐったりでした。

そんなとき私は、「どうしていつもこういうときに具合が悪くなるのかな」と思っていました。
私がいなくなることを分かって不安だったのでしょうか。。
やっぱり寂しかったのでしょうか。

でも違いました。多分こうです。

コロは私が出張に行くことを知って、自分(コロ)が私のそばにいてあげることができない苛立ちや不満から、ストレスを感じたのではないかと。
ようは、私のことを心配し、その心配のあまり体調が悪くなったのではないかということです。

私が出張するときはたいてい海外でした。
そして私はグタグタに疲れ果てて帰ってきました。緊張の糸が切れる感じです。

コロはそんな私を何度も見ていたのでしょうね。
自分が寂しくて具合が悪くなるというより、私のそばにいてあげられないことを心配して具合が悪くなっていたんだと思います。
親みたいです。

「そういうことなんだよ、だからコロはアナタ(私)のことが心配で心配で具合が悪くなってしまうんだよ」
と教えてくれただんなさんの言葉を聞いたとき、私は、ハッとし、素直に受け入れられました。
コロ、心配かけてごめんね。と。。。
すごく納得のいく説明でした。

特にうさぎなどの草食動物の場合、自分が不安定な状態になると、元気がなくなるより、
むしろ虚勢を貼って周囲に弱い自分を見せなくするそうです。
そんなうさぎが、飼い主がしばらくいなくなると知ったら、虚勢を貼るはずなのです。
「ボクは飼い主がいなくたって平気なんだ!」と。。

なのに、出張になると必ず具合が悪くなることを考えると、コロはコロ自身のことでなく、
私のことを心配して、具合が悪くなったんだという考えにはとても納得です。


そして、ペットってそういうものだと思うのです。
自分の心配ももちろんあると思うのですが、愛情を注げば注ぐほど、飼い主が辛そうだったり悲しそうだったりするときには、
自分のことのように、辛く悲しく、心配するのだと思います。
それはロニにも言えることでした。(詳しくはロニのところで。。)




また、あるとき気付きました。
私はいつの間にか、コロに頼っているなぁと。。
あんなに小さくて、音もない、静かなコロですが、私はあるときから、コロを頼りにしていました。
ペットが老成していき、飼い主の年齢を超えていくと、そういうことが起こるというのはよく聞く話です。
ペットを飼っていらっしゃる方は、分かると思います。

よくコロの背中で泣いたり、コロに会社の愚痴を言ったり、あるいは、コロをなでることで、その日にあった嫌な出来事を癒してもらったり。
そういうとき、コロは必ず静かにそばにいてくれました。本当です。

仕事で疲れ果てて服も着替えずベッドに横になったとき、コロは私の真横に来て、じっとしていたりもしました。
まるで私を守ってくれていたかのよう。。。






2009年1月、私の中である出来事がありました。
ある一大決心をしたのです。
これで自分の人生のある部分が決定的になるというような出来事です。
それを決心して、それまでの色々なストレスやしがらみや不必要な心の不自由さから解き放つ生き方をしようと決心したときでした。

その決心をして、そのすぐ後だんなさんが1週間ほど出張に行って、、、
帰ってきた次の日の朝、コロは死んでしまいました。

うさぎによくある死に方で、脳にウィルスがまわり、体の自由が利かなくなり、ひきつけのような症状を起し死んでいく病気です。
(実は私の妹もうさぎを飼っていて、そのうさぎも同じ死に方だったので、すぐにわかりました)

もう助からないなと分かっていたので、ベッドの上にそっと寝かし、ずーっとなでていました。
ありがとうと言いながら。。

私はコロが死んで、初めてコロを抱っこできました。
生きているときはイヤがったので、抱っこはできなかったんですね。。
死んだコロはまだ生きている時と同じように毛がふさふさでした。
でも、徐々に体が硬くなって冷たくなっていきました。
死ぬ瞬間、「キュウキュウ」と声を出しました。
心臓が止まるときの苦しさから出た声だったのだと思います。

コロが死んだときに私が思ったことは、
「私が一大決心をしたとき、コロは、もう自分がいなくなってもこの人(私)は大丈夫だって思ったんだろうな」ということです。

ボクがいなくなっても、もう平気だね。。
だんなさんも出張から帰ってきたし、ボクもだんなさんに会えたし、アナタ(私)も強い決心をしたわけだし、、、
もう大丈夫だよね。。

そんな感じです。

これは、飼い主の感傷も入っているかもしれません。

だけど、ペットってそういうものなんだと思います。
すごく謙虚で、自分のタイミングを知っているというか。

コロが私のところに来たときから、私はコロが死ぬときのことを想像していました。
そのとき、私はコロのそばにいてあげることができるだろうか。
コロは辛い思いをして死なないだろうか。
コロが死んだとき、私はどんな気持ちだろうか。(当然悲しいんですけど)
コロがいつもいたゲージを見たら、どんな気持ちになるだろうか。。。

色々考えていましたが、コロは私の人生の中で、私がいてほしいときに現れて、
コロがタイミングを見計らって、私の元から去っていったんだなという思いでした。

すごく悲しくって、涙が溢れて、コロにもっともっと優しくしてあげればよかったと思ったけれど、
その反面、その謙虚さに、本当に感謝しました。
その感謝の気持ちは、まるで、自分のおじいちゃんやおばあちゃんに、私をかわいがってくれてありがとう って言っているときと同じような、甘えたような気持ちでした。

そうやってコロは私の元から去っていきました。
コロが去ってしばらくは、夜寝ていると、なんとなく足元や背中をコロが歩いているような感覚がありました。
多分、私のことが心配で、時々見に来ていたんだと思います。(笑

私とコロ。
人間とペット。

私たちの関係が正しい形だったかわかりません。
コロだって、言いたいこともあるでしょうし。(実際、彼は寡黙という言葉のよく似合ううさぎでした)

でも、ペットを飼うと、飼わないときには考えられなかった色々な感動に出会います。
反対に、触らせてくれなかったり、具合が悪くなったり、心配ごとも増えるのです。

ただ間違いなく言えるのは、飼い主が愛情を注いだ分だけ、必ず、絶対必ず、ペットは何かの形で返してきてくれるということです。
日々の生活の中でかもしれないし、最後のお別れや、死に方でかもしれない。
それは分からないけれど。

一つの大切な愛くるしい命が私の元に来てくれて、そぉっと去っていきました。


明日は、もう一人の子、ロニの命の物語です。







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