清廉潔白であることは政治家としての必要条件であるが、十分条件ではない。自民党は政治家としての高い志を持った集団であることを、金権・利権にたからない姿勢を示すことで必要条件を満たすべきだ。その上で、志をもった政治家として国民のために何ができるかを明確かつ具体的に示すべきだ。この「何ができるか」が政治家を政治家たらしめる十分条件になる。
一度は民主党党首のふがいない失策から信頼が回復しかけた自民党ではあったが、看板が付け替えられた途端に国民の支持は遠のきつつある。先の民主党への国民の支持が自民党への失望感からのものであったように、今回の一時的な自民党への支持率回復は民主党政治への失望と不安感から生じたものであった。つまり、国民はどちらの党に対しても全幅の信頼を寄せているわけではないのだ。
選択肢がないから、一方が悪ければ他方へという図式になっているに過ぎない。国民にとっては、自民党にとって代わることができる民主党という政党が誕生したことと、自民党が長期政権の上に胡坐をかいて国民の生活に目を向けてこなかったことから、民主党に政権を委ねることで自民党に対し「お灸」をすえているにすぎないのだ。現状では、政権を担当するのが自民党であっても民主党であっても代わり映えはしない。「帯に短し、襷に長し」だ。
今回の参院選は、民主党が新内閣発足に伴う高い支持率のうちにやってしまえとばかりに、党のご都合で選挙期日を設定したものである。参院での審議が十分になされないままの閉会は、無責任ではないかとの批判の声があがるのは当然である。したがって、参院民主党をコントロールできなかった菅首相に対して、党内での統率力に疑問を抱いた国民は少なからずいるのではないか。内閣支持率が60%台から40%台へ下がりつつあるのもやむを得まい。
それにもかかわらず、自民党への支持があまり伸びないでいるのは、自民党自身が依然として旧来の体質と活動方針を改めようとしないからだ。自民党の半世紀にも及ぶ政権運営で作り出された国内の閉塞感がわずか8ヶ月の民主党政権下でドラスティックに変わり得る筈がないことは、多くの国民が理解している。国民は民主党に政権を任せるには不安が残るものの、自民党が変わらない以上、民主党に、もう少し政権を担当させてみようと判断したのだ。
この判断は民主党を信頼してのものではないから、自民党がこれまでの国政運営の方針を改め、国民の反感を買ってでも財政再建、国と地方の制度改革、不必要な規制の全面緩和策などをとることを示すことができるならば、国民の支持は容易に取り戻せるだろう。同じことは民主党にも言える。実効性のある具体的な政策を打ち出すことが必要なのだ。どちらが先であってもかまわないが、先に党の体質を改善し、政策運営の舵を大きく切り替えたほうに国民の支持が集まるだろう。
民主党と自民党がもたもたしている間に、第三の政党として国民の支持を増やしつつあるのが「みんなの党」であるのは当然だ。代わり映えのしない新旧政権党の公約に対し、「国家公務員を10万人削減、公務員給与を2割カット、今後3年間は増税しない」など、「非常に困難な課題であるがこれが実現できたなら日本は変わることができるかもしれない」と思わせるに足る内容に取り組むことを表明しているからだ。新党改革が打ち出している、「国会議員半減、消費税の地方財源化、大阪特区実践」なども改革の方向性としては正しい。これらは、橋下大阪府知事の改革路線と軌を一にしているところがあるからだ。
大阪府の改革が良い方向へ変わりつつあることを大阪府民は実感しつつあるが、その情報を知らされる他府県の住民にも橋下改革が実効性のあるものとして認識されだしているのは間違いない。少し減ったとはいえ8割近い大阪府民が橋下知事を支持しており、同知事の動向がほぼ毎日のようにマスコミによって報道されることが、それを裏付けている。
橋下知事は住民受けのする施策だけで人気を保っているのではない。府県レベルでおかしいとされながら手をつけてこられなかった課題を次々に白日の下に晒し、解決に導いている。府の組織体制も今の時代にマッチしたものに変えさせている。府政運営では、意味のない又は時代遅れになった制度や仕組みを積極的に改善していきつつある。
それだからこそ、住民の高い支持を維持することができるし、積極的な改革を進めようとする新しい政党が、橋下知事との連携を希望するのだ。
橋下知事には時々行き過ぎた発言があるが、過ちと気づいたら直ちに謝罪し改善する良識を持ち合わせている。この点がこれまでのどの政治家とも異なるところだ。そんな基本的な政治姿勢にとどまらず、効果的な改革方針を示し、その具体的な施策を強いリーダーシップでぐいぐい進めていく橋下知事の姿は、ともに改革の道を歩もうとする者の目には力強いものに映っているに違いない。
有権者の支持を得るために、橋下知事の人気にあやかろう、橋下知事と手を組んでいこうとする政党からの熱いラブコールが、あちらこちらから上げられるのも当然である。
それなのに、ああ!それなのに、である。ラブコールを送りたい一人であり、改革の旗手としても名を挙げるべきである自民党大阪が橋下知事と反目しようとしているのだ。(続く)
一度は民主党党首のふがいない失策から信頼が回復しかけた自民党ではあったが、看板が付け替えられた途端に国民の支持は遠のきつつある。先の民主党への国民の支持が自民党への失望感からのものであったように、今回の一時的な自民党への支持率回復は民主党政治への失望と不安感から生じたものであった。つまり、国民はどちらの党に対しても全幅の信頼を寄せているわけではないのだ。
選択肢がないから、一方が悪ければ他方へという図式になっているに過ぎない。国民にとっては、自民党にとって代わることができる民主党という政党が誕生したことと、自民党が長期政権の上に胡坐をかいて国民の生活に目を向けてこなかったことから、民主党に政権を委ねることで自民党に対し「お灸」をすえているにすぎないのだ。現状では、政権を担当するのが自民党であっても民主党であっても代わり映えはしない。「帯に短し、襷に長し」だ。
今回の参院選は、民主党が新内閣発足に伴う高い支持率のうちにやってしまえとばかりに、党のご都合で選挙期日を設定したものである。参院での審議が十分になされないままの閉会は、無責任ではないかとの批判の声があがるのは当然である。したがって、参院民主党をコントロールできなかった菅首相に対して、党内での統率力に疑問を抱いた国民は少なからずいるのではないか。内閣支持率が60%台から40%台へ下がりつつあるのもやむを得まい。
それにもかかわらず、自民党への支持があまり伸びないでいるのは、自民党自身が依然として旧来の体質と活動方針を改めようとしないからだ。自民党の半世紀にも及ぶ政権運営で作り出された国内の閉塞感がわずか8ヶ月の民主党政権下でドラスティックに変わり得る筈がないことは、多くの国民が理解している。国民は民主党に政権を任せるには不安が残るものの、自民党が変わらない以上、民主党に、もう少し政権を担当させてみようと判断したのだ。
この判断は民主党を信頼してのものではないから、自民党がこれまでの国政運営の方針を改め、国民の反感を買ってでも財政再建、国と地方の制度改革、不必要な規制の全面緩和策などをとることを示すことができるならば、国民の支持は容易に取り戻せるだろう。同じことは民主党にも言える。実効性のある具体的な政策を打ち出すことが必要なのだ。どちらが先であってもかまわないが、先に党の体質を改善し、政策運営の舵を大きく切り替えたほうに国民の支持が集まるだろう。
民主党と自民党がもたもたしている間に、第三の政党として国民の支持を増やしつつあるのが「みんなの党」であるのは当然だ。代わり映えのしない新旧政権党の公約に対し、「国家公務員を10万人削減、公務員給与を2割カット、今後3年間は増税しない」など、「非常に困難な課題であるがこれが実現できたなら日本は変わることができるかもしれない」と思わせるに足る内容に取り組むことを表明しているからだ。新党改革が打ち出している、「国会議員半減、消費税の地方財源化、大阪特区実践」なども改革の方向性としては正しい。これらは、橋下大阪府知事の改革路線と軌を一にしているところがあるからだ。
大阪府の改革が良い方向へ変わりつつあることを大阪府民は実感しつつあるが、その情報を知らされる他府県の住民にも橋下改革が実効性のあるものとして認識されだしているのは間違いない。少し減ったとはいえ8割近い大阪府民が橋下知事を支持しており、同知事の動向がほぼ毎日のようにマスコミによって報道されることが、それを裏付けている。
橋下知事は住民受けのする施策だけで人気を保っているのではない。府県レベルでおかしいとされながら手をつけてこられなかった課題を次々に白日の下に晒し、解決に導いている。府の組織体制も今の時代にマッチしたものに変えさせている。府政運営では、意味のない又は時代遅れになった制度や仕組みを積極的に改善していきつつある。
それだからこそ、住民の高い支持を維持することができるし、積極的な改革を進めようとする新しい政党が、橋下知事との連携を希望するのだ。
橋下知事には時々行き過ぎた発言があるが、過ちと気づいたら直ちに謝罪し改善する良識を持ち合わせている。この点がこれまでのどの政治家とも異なるところだ。そんな基本的な政治姿勢にとどまらず、効果的な改革方針を示し、その具体的な施策を強いリーダーシップでぐいぐい進めていく橋下知事の姿は、ともに改革の道を歩もうとする者の目には力強いものに映っているに違いない。
有権者の支持を得るために、橋下知事の人気にあやかろう、橋下知事と手を組んでいこうとする政党からの熱いラブコールが、あちらこちらから上げられるのも当然である。
それなのに、ああ!それなのに、である。ラブコールを送りたい一人であり、改革の旗手としても名を挙げるべきである自民党大阪が橋下知事と反目しようとしているのだ。(続く)