三番目に驚いたことは、行政運営に一種の心棒を通したことだ。
従来、行政の策定した総合計画は自治体がおかれている現状と課題に対し、10年程度の期間を設定して将来こうあるべきと想定される形を政策項目別に整然と書き連ねているのであるが、肝心な心棒が抜けていたのではないかと私は考えている。確かに、計画に示されたような、府民の暮らしの安心・安全の確保だとか、府経済や雇用の安定化、中小企業対策だとか、福祉への配慮、教育・青少年健全育成など、自治体の目指す方向が示されることは最低限必要であるが、途中経過での評価が行政内部で行われているために、取り組んできた結果に対する評価が杜撰と言わないまでも甘かったと言わざるを得ない。
橋本氏は知事就任に当たり、「府の財政改革、収入に見合った予算編成 = 将来の子供たちにツケを回さない」という目標を示していた。行政運営の評価を計画策定時と評価時点との絶対評価で行うならば、この目標に即したものだったか否かは容易に把握できる。もうひとつの、「子供たちが笑える」との目標は、確かに抽象的で具体性に乏しいようだが、計画策定時点と評価時点とでの子供たちを取り巻く環境がどのように変わったのか、子供たち自身の能力や関心がどのように変化しているのかなどは、ある程度調査すれば、この目標に照らし評価することができる。この2本の心棒をもとに、一定期間後の行政運営結果を評価すれば功罪も府民にとって把握しやすいものになるだろう。
負債による自治体運営がいけないという訳ではないが、負債をどこまでにとどめるのかについては一定の限度を設定しておかなければならない。緊急的な支出や災害等の止むを得ない支出により超過が生じた場合でも、施策のスクラップアンドビルドを厳しく行い、限度を超えた負債を解消するまではスクラップのみで、新規事業は緊急性のあるものしか導入しないとの強い決意が必要だ。今回の橋下知事の表明した目標は、府民にもっとも分かりやすい内容の指針を示したものと言える。
(このことは、一方で府議会にも注文しておきたい。府の施策実施の始まりが、議会での質問や議員から官僚への要請、要望などに端を発していることが結構あるからだ。確かに、府民の生活や安全安心の確保のために強力に取り組まねばならないような事項についてはどんどん発言し、府の尻をたたいて欲しいと思うのである。しかし、選出された地元のみへの利益誘導のような議会発言、行政への要請は控えていただきたい。また、十分な検証がないものや専門家が無駄だと思っているようなものを行政にお願いすることも控えて欲しい。担当者や現場の専門職員が「あきらかに効果がない、意味がない」という判断を下すような事項については、その言に耳を傾けて欲しい。政党会派のほとんどが首長の与党である行政内部では、「議員の顔をつぶさない」ために必要以上の配慮が行われ、議員の発案によるものの中にはたいした成果がなくても行政は過大に評価する傾向があるとされるからだ。また、財政運営が厳しい中では施策は弱者優先になりがちだ。少しは弱者でないものへの配分があってもよい。(そのような視点からの発言が議員からはほとんど出てこないのは残念だが。)しかし、その実現もある程度財政状況がよくならねばどうにもならない。だから、少なくとも府の財政運営が、負債返済に確たる道筋をつけ負債総額の収入に占める割合がかなり減少するときまでは、府の行財政運営の適正化だけに特化したような議員活動であっても府民は納得できるはずだ。なぜなら、8割を超える府民の望みが府の行財政の建て直しであるからだ。) (続く)
従来、行政の策定した総合計画は自治体がおかれている現状と課題に対し、10年程度の期間を設定して将来こうあるべきと想定される形を政策項目別に整然と書き連ねているのであるが、肝心な心棒が抜けていたのではないかと私は考えている。確かに、計画に示されたような、府民の暮らしの安心・安全の確保だとか、府経済や雇用の安定化、中小企業対策だとか、福祉への配慮、教育・青少年健全育成など、自治体の目指す方向が示されることは最低限必要であるが、途中経過での評価が行政内部で行われているために、取り組んできた結果に対する評価が杜撰と言わないまでも甘かったと言わざるを得ない。
橋本氏は知事就任に当たり、「府の財政改革、収入に見合った予算編成 = 将来の子供たちにツケを回さない」という目標を示していた。行政運営の評価を計画策定時と評価時点との絶対評価で行うならば、この目標に即したものだったか否かは容易に把握できる。もうひとつの、「子供たちが笑える」との目標は、確かに抽象的で具体性に乏しいようだが、計画策定時点と評価時点とでの子供たちを取り巻く環境がどのように変わったのか、子供たち自身の能力や関心がどのように変化しているのかなどは、ある程度調査すれば、この目標に照らし評価することができる。この2本の心棒をもとに、一定期間後の行政運営結果を評価すれば功罪も府民にとって把握しやすいものになるだろう。
負債による自治体運営がいけないという訳ではないが、負債をどこまでにとどめるのかについては一定の限度を設定しておかなければならない。緊急的な支出や災害等の止むを得ない支出により超過が生じた場合でも、施策のスクラップアンドビルドを厳しく行い、限度を超えた負債を解消するまではスクラップのみで、新規事業は緊急性のあるものしか導入しないとの強い決意が必要だ。今回の橋下知事の表明した目標は、府民にもっとも分かりやすい内容の指針を示したものと言える。
(このことは、一方で府議会にも注文しておきたい。府の施策実施の始まりが、議会での質問や議員から官僚への要請、要望などに端を発していることが結構あるからだ。確かに、府民の生活や安全安心の確保のために強力に取り組まねばならないような事項についてはどんどん発言し、府の尻をたたいて欲しいと思うのである。しかし、選出された地元のみへの利益誘導のような議会発言、行政への要請は控えていただきたい。また、十分な検証がないものや専門家が無駄だと思っているようなものを行政にお願いすることも控えて欲しい。担当者や現場の専門職員が「あきらかに効果がない、意味がない」という判断を下すような事項については、その言に耳を傾けて欲しい。政党会派のほとんどが首長の与党である行政内部では、「議員の顔をつぶさない」ために必要以上の配慮が行われ、議員の発案によるものの中にはたいした成果がなくても行政は過大に評価する傾向があるとされるからだ。また、財政運営が厳しい中では施策は弱者優先になりがちだ。少しは弱者でないものへの配分があってもよい。(そのような視点からの発言が議員からはほとんど出てこないのは残念だが。)しかし、その実現もある程度財政状況がよくならねばどうにもならない。だから、少なくとも府の財政運営が、負債返済に確たる道筋をつけ負債総額の収入に占める割合がかなり減少するときまでは、府の行財政運営の適正化だけに特化したような議員活動であっても府民は納得できるはずだ。なぜなら、8割を超える府民の望みが府の行財政の建て直しであるからだ。) (続く)