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翻れ、橋下維新旗

地方自治改革に取組む 橋下徹氏と大阪維新の会、並びに橋下氏と共に自治体改革に取り組む大阪府職員、同市職員を応援します。

白々しい首相式辞2・・・大震災から1年。追悼式で

2012年03月14日 | 日記
 首相の二つ目の誓いが「震災の教訓を未来に伝え、語り継いでいく」というもの。これにも「本気でそう思ってるの?」と疑問を持たざるを得ない。この1月に、震災対策本部ほか、ほとんどの会議の議事録が作成されていないことが判明した。これほど大きな災害に対する会議で議事録が作成されていないはずがない。

( 作成の責任が認識されていなかったなどと、政府関係者の口から聞かされようとは、国民の誰もが信じられないだろう。「委員たち関係者の一部の発言内容に問題があるため表に出せないのだろう」との噂のほうが真実味がある。委員会を運営した事務局職員の誰かが録音なりをしていたはずだから、何年かたったとき、どこからか議事録の一端が少しずつ現われるのではないか。それを期待したい。)

 対策会議の内容と、その結果を受けての実際の対策の実効性の検証が必要だ。だが肝心の議事録がなくて、首相は、どうやって後世に語り伝えていくことができるのか。まさか、「議事録は必ず作成しておかねばならないもの」など、教訓以前の当然なすべきことを後世に伝えていく必要があると誓う心算ではないだろう。

 では、「何故議事録が作成されていなかったの?」との疑問が生じてくるのを我々はとめることができない。何度も会議は開催しておきながら、議事録の存否すら気づかずにいたのだろうか。災害後の状況と対策の手段、その効果の追跡など、会議の場での事務局説明だけでは正確な判断にはつながらない。

 また、会議の議長か副議長など主要な構成員には事務局から会議後速やかに議事録内容の確認を求めるのが当然の手続きだ。まさか、議長らがそんなことも知らない暗愚な者たちだったとは思えない。対策を考えるあまり議事録に眼を通すことさえ頭になかったとでも言うのだろうか。そんなことはありえない。

 首相は議事録不作成の理由を明確に答えることができないだろう。ひょっとすると、自分の仕事ではないなどと責任逃れの発言に終始するかもしれない。だから、第二の誓いの内容も我々の胸の中に「ストンと落ちてこない」のだ

 三つ目の誓いが「助け合いと感謝の心を忘れない」こと。そのとおりだと思う。国民相互間だけでなく、世界中の方々から支援をいただいたことに対し「助け合いと感謝の心」を忘れてはならないだろう。しかし、首相はこの後に、「被災地以外の方々の支えが欠かせない」「海外からの支援に恩返しするためにも,国際社会への積極的貢献に努めていかねばならない」と続けている。

 これも、そのとおりなのだが、首相と政府は「被災地以外の方々の支え」が得られるように努力しているのだろうか。「国際社会への積極的貢献」とは、「無い袖を振る」ばら撒きのことを思っておられるのだろうか。どうも、首相の発言と実際の行動とがぴたっと重なってこない。

 両陛下は、被災民と膝を交えるようにして語り合われた。そのお姿を覚えておいでの方も多いだろう。陛下は追悼式で、「国民皆が被災者に心を寄せ、状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待する」ことや「人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを願う」とのお言葉を述べられた。その重みと真実味に比べると、首相の発言の軽さと「うそ臭さ」はなんともしようがない。

 国政の重要な課題はどれも決着を見ていない。それどころか方向性すら見出せていない。いま、首相が一番力をいれて取り組んでいるとされる消費税増税についても、その結果として、この国がどのように変わっていくのかが全く見えてこない。示されてもいない。無論、政権の寿命も次の選挙で失われる可能性が高いことを思えば、国の将来像を語られたとしても空手形になることは眼に見えている。

 民主党のマニフェストが「実現性の無いものの例え」となりつつあることを見るまでもなく、国の未来に関する首相の発言は眉唾ものと言っても良いのではないか。何を聞いても白々しく感じるのだ。追悼式での首相の発言ではそれが際立っていたのではないか。