翻れ、橋下維新旗

地方自治改革に取組む 橋下徹氏と大阪維新の会、並びに橋下氏と共に自治体改革に取り組む大阪府職員、同市職員を応援します。

あかん(いかん)、どんかん、すっからかん

2011年01月29日 | 日記
 我われ日本国民は、民主党鳩山首相退陣の後継者として、もっと「マシな人」をと願っていた。そして、後継選挙で現首相が選出されたときには、多くの国民が「堅実かつ現実的な政治」運営が行われるものと信じ、期待もしていたのだった。小沢元党首を破って再選されたときにも、菅カラーが打ち出されるものと大いに期待した。

 ところが、である。市民活動を経て代議士になり、過去には一閣僚として華々しい活躍を見せた姿は、いまやどこにも見出すことができない。首相就任後にどれだけのことができたのか。取り上げるものは何も無い。では、国民に不安と不満を抱かせたものはどれだけか。5本の指ではとても足りない。

 国民から見放された自民党であっても、政権の座についているときには、首相の失政があれば党内から退陣要請があったはずだ。国民の批判ばかりだった派閥運営は確かに権力闘争にしばしば利用されてきたが、首相が国政の舵取りを誤まったと判断されるときは、その首をすげ替えることくらいは自らの責任と判断で行ってきた。

 しかしながら、民主党ではどうだろうか。菅首相就任後、党内の一本化はできていないし、内政、外交とも失敗だらけだ。「政治主導」などと、自己の能力を省みないで官僚をコントロールしようとしたが、結果は官僚からいいように操られることになってしまっている。

 マニフェストも現状認識の甘さを露呈したものが多かったし、その実現に向けては国民の期待しないものを強引に実施するという振る舞いもあった。財政改革にいたっては、再びドツボの底に落ち始めるという体たらくだ。何のために政権をとったのか、と言わざるを得ない。

 内政の問題。
 景気対策、さっぱりアカン。雇用対策、依然としてアカン。年金対策、やっぱりアカン。行財政改革、全くアカン。公務員制度改革、手付かずアカン。国会運営、全然アカン。与野党協力、求めてもアカン。消費税増税、言うたらアカン。子弟の学力、成績アカン。開くのは一体何なのか。なべの底ではあいてもらっては困る。

 外交の問題。
 北朝鮮拉致被害者問題、言いなりになってないとイカン。竹島問題、指銜えてないとイカン。尖閣問題、やられっぱなしに耐えねばイカン。北方領土問題、抗議だけでもせにゃイカン。日米同盟、再構築せにゃイカン。いくのは一体何なのか。地図無き迷路では、国民はたまったものではない。

 首相は、また民主党は、事態をどう切り開いていこうとするのだろうか。マスコミも世論も、事件・政局のたびに政権のあるべき姿と取るべき政策を訴えてきたはずだ。中には、こうして欲しいとの期待感からの発言もいくつも出されていた。しかし、残念なことに、首相にも民主党にもその声は届いていないようだ。

 首相も関係閣僚も、自分たちの取った行動が的を射たものと自画自賛するばかりで、国民の声に一向、耳を傾けようとはしない。小沢一郎元代表の衆院政治倫理審査会出席など、党としてけじめをつけさせることもできないし、離党勧告も出せないでいる。

 内政に鈍感。外交にも鈍感。党内改革にも鈍感。国民世論にも鈍感。自分たちの活動への評価にも鈍感。

 時代の流れや社会経済情勢の変化への認識がダメ、政治や国会運営がダメ、党内刷新もダメ。だめでないのは自らしがみつく政権の維持。これでは国民の不満はますます募る。将来への不安は大きくなる一方。「国民の生活が第一」のスローガンが泣いている。

 アカンにドンカン。これじゃイカンと反省すべきだ。さもなくば、景気対策も雇用対策もうまくいかないし、少子化も解消できない。企業も技術もどんどん海外へ出てしまって、気がつけば国内は「すっからかん」になっていた、ということになってはおしまいだ。

 政権運営に際し「仙石総理」などとのうわさも流れ、存在感の薄いことを揶揄されて、首相はしばしば癇癪を起こしたと言われている。そして今も同様。菅カラーが思うように出せないからだ。しかし我われ国民の側とすれば、首相には、気短な「イラカン」、中身の無い「菅カラー缶」である前に、世情や民意にもっと「ビンカン」であって欲しいものだ。