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翻れ、橋下維新旗

地方自治改革に取組む 橋下徹氏と大阪維新の会、並びに橋下氏と共に自治体改革に取り組む大阪府職員、同市職員を応援します。

白々しい首相式辞・・・大震災から1年。追悼式で

2012年03月12日 | 日記
 昨日、3月11日は、東日本大震災からちょうど1年目に当たる。1年という区切りの時を迎え、日本中で追悼の式典や関連行事が持たれた。国外でも幾つもの国と地域で追悼式が設けられたと伝えられている。新聞は、この日にあわせ特集記事を掲載し、復興を急ぐことや国民への協力を求めた。NHKや民放各社も特別番組を組み、今回の大震災関連情報を提供した。

 各社ともそれぞれの視点から記事や番組を工夫しており、読者や視聴者に改めて震災からの復興に国を挙げて取り組まねばならないことを訴えていた。マスコミの伝える内容に我々は一々うなづいたものだった。

 ところで、昨日は政府主催の追悼式も、天皇皇后両陛下のご臨席を賜り、東京千代田区の国立劇場で行われた。この式典の場で首相が行った式辞を聞いていて違和感を覚えられた方が多かったのではないか。

 違和感の最初は、式辞劈頭の「亡くなられた方々の無念さ、最愛の家族を失われた遺族の皆様の深い悲しみに思いを致しますと、悲痛の念に堪えません。」の部分。普通であれば、我々もこの言葉を素直に受け止めたことであろう。しかし、今回はどうしても「それだけじゃないだろう」との思いが否定できないのだ。

 「わが党の対応のまずさから災害の被害を縮小できなかったばかりか、災害後の復興対策においてもその場しのぎにもならない対策しか取れなかったこと、また、未だに復興対策に遅れが生じておりますことに思いを致しますと、悲痛の念に堪えません。」と、正直に語るべきではなかったか。

 第二には、首相の行った三つの誓い。一つ目は「被災地の復興を一日も早く成し遂げること」との誓い。そのとおり。そうであって欲しいものだと誰しも思われていることだろう。被災地の方々をはじめ、国中の人々がそれを願っているし、世界中の人々も被災地の一日も早い復興を望まれている筈だ。

 しかし、この一年間の政府の震災処理の取組みを見直してみると、一体、何を愚図愚図しているのだと言わざるを得ない。原発の問題が一段落した今、急がなければならないのは「がれきの山の処理」ではないか。しかし、被災地での処理には限界があって、他の地域の協力なしには10年以上の期間を要するとされる。

 「がれきの処理」に他の地域の協力を得るには、放射線からの安全確保が必要と言われており、その基準が明確でないため、多くの地域で受け入れ反対運動が生じている。我々は被災者と強い「絆」で結ばれている筈だったが、こんなことで「絆」を弱め復興を遅らせてはいけない。

 首相と政府が取るべきは、放射線量の人体に対する安全基準を一本化し、明確にすることだ。その上で、処理設備を有する自治体には全て一定の処理を割り当てることを考えても良いのではないか。処理に要する経費を全額国の負担とすることも当然だ。また、健康被害を危惧する人々には、瓦礫の処理中に発生する放射線量を人体への影響以下にとどめることを約束して置けばよいだろう。万一、放射線による健康被害が生じた場合についても、国がその補償に全責任を負うことを明らかにしておけば協力が得やすくなるのではないか。

 首相は昨日の記者会見で、都道府県に対し法律に基づく文書による瓦礫の受け入れ要請の考えを表明したが、遅きに過ぎる。今回の震災は想定外の規模だったはずだ。先の阪神大震災の後処理でもこんなに時間と手間隙はかかっていなかった。地震の規模も災害の規模も阪神大震災より格段に大きい今回の震災で、その対策が遅れていることが問題なのだ。「被災地の復興を遅らせること。そして、政権の寿命を一日も先に延ばすこと。」との「裏の誓い」があるのではないかと勘ぐられても仕方あるまい。(続く)