3月11日の東日本大震災の発生により、1週間程度は国民の関心が地震、津波で満たされていた。2週目に入った頃からは、徐々に被災地復興に向けた支援活動が始まった。国民の関心は「自分たちにもできること探し」と、その実践に変わっていった。他方、福島第一原発の事故の重大さとその影響の大きさから、国民のもう一方の関心は原発の復旧と安全の確保ということに向けられている。
このような時期に、あいにくとも言える統一地方選の時期が重なってきた。国民の感情からは、「今は選挙をしている場合じゃない」ということなのだろうが、震災の被害が大きい地域を除いて予定通り全国で実施されることになった。被災とその影響を考えると、半年程度の地方選の延期が望ましいのだが。
政府はそうはしなかった。民主党政権は、これまでの未熟な政治運営に続き被災地対策や原発事故対策でも失政続きとの批判を分散するのに、地方選挙は国民の目先を変える好機と思ったのであろうか。
しかし案の定、国民の関心は全くといって良いほど盛り上がらない。震災の影響で街頭演説の自粛ムードが広がっており、地方選の争点が「防災対策」にシフトしていることから、論争になりにくい状況が生じている。
これは大阪でも同じ。府民の関心は選挙どころではない。関心のある向きには、選挙の争点は「あるべき地方自治」から「万全の防災対策」へと変わっていったことが伺われる。
大阪都構想をぶち上げ、府市二元構造の統合分散を目指す橋下大阪府知事にとっては、この状況は痛い。特に、橋下知事を支持する多くの無党派層の関心が、選挙からなくなっているのは大打撃だ。これまで大阪都構想に目くじらを立ててきた平松大阪市長も「今は、枠組み論を議論するときではない。」と余裕ともいえる発言をするに至っている。
だが、本当にこれでよいのだろうか。防災対策は確かに地方自治運営上も重要な案件だ。しかし、これまでにも検討は十分すぎるほど行われてきたし、防災対策も市町村レベルから府県をまたいだ広域的な協力体制まで完成している。災害の範囲も地震だけにはとどまっていない。台風も、航空機事故も、科学物質によるテロ活動にも、考えられる範囲での災害とその備えは整えられている。
問題は、これらの対策が本当に機能するかどうか、そして十分なものであるかどうかということだ。いま、多くの国民の関心が向けられているのは、津波対策と原発対策だ。近畿でも近いうちに「南海地震」や「東南海地震」に見舞われるのではないかと案じられている。今回の東日本大震災のように千年に一度とも言われるような規模の地震で津波が発生したら、近畿の太平洋沿岸各地は大丈夫なのだろうか、大阪湾内沿岸部はどうかという心配である。
しかし、このような議論は専門家に任せておけばよいこととであって、知識も経験も無い素人が云々しても始まらない。また、議論したところで、自治体の行政運営に反映されることは無い。根拠無き行き当たりばったりの施策や予算を必要以上に食う過大な事業は自治体の機能や力を削るだけで一利にもならないからだ。素人考えに予算をつかっては住民自身が黙っていないだろう。
だから、今回の地方選挙で住民を相手に「防災対策」を争点にすることはほとんど無意味に近い。ハード面の対策は、専門家に任せておけばよいことだからだ。防災で争点にしなければならないのは、むしろ人的対策のほうだ。
南海・東南海地震が発生した場合を想定して、中京から紀伊半島、大阪湾岸、四国南部の諸地域に被害が発生したと想定するなら、やはり対策の中心は政府が担当することになるだろう。今回の政府対応が繰り返されるとするとお寒い限りだが、そうでないことを祈ろう。
さて、では大阪はどうなのか。大阪圏域をいち早く復旧させるには、政府頼みの指揮者では心もとない。住民を励まし、復興に向けたしっかりした足取りのできるリーダーが望まれるのだ。そのためには、指揮の対象範囲が分散されているのは好ましくない。大阪圏域を一体のものとして対策が取れるようにしておくべきだ。
大阪都構想は確かにその選択肢の一つになりうる考え方だ。政令都市の連携では復興対策が一体のものにはなりえない。対策に当たる主体が別々であるからだ。また、関西広域連合はうまく使えば復興対策に一役買うことができるだろう。だが、大阪圏域の一体的な復興活動を実現するには、権限も機能も無い。
橋下知事と大阪維新の会は、この地方選で大阪府議会及び大阪市議会の過半数確保を目標にしているが、かなり難しくなったのではないか。ただ、このまま「防災対策」というぼやけた争点を引きずっての選挙戦であってはならないだろう。借金まみれの自治体行政を改善し、真に災害にも強くなるためには、地方はどうあるべきかの論争こそが、今、最も求められているはずだ。
大阪維新の会は、ハード面の「防災対策」に傾きがちな選挙論争を、人的対策による「防災対策」に切り替えて反論していくべきだ。無関心層や無党派層の掘り起こしにかけるにはそれしかない。
このような時期に、あいにくとも言える統一地方選の時期が重なってきた。国民の感情からは、「今は選挙をしている場合じゃない」ということなのだろうが、震災の被害が大きい地域を除いて予定通り全国で実施されることになった。被災とその影響を考えると、半年程度の地方選の延期が望ましいのだが。
政府はそうはしなかった。民主党政権は、これまでの未熟な政治運営に続き被災地対策や原発事故対策でも失政続きとの批判を分散するのに、地方選挙は国民の目先を変える好機と思ったのであろうか。
しかし案の定、国民の関心は全くといって良いほど盛り上がらない。震災の影響で街頭演説の自粛ムードが広がっており、地方選の争点が「防災対策」にシフトしていることから、論争になりにくい状況が生じている。
これは大阪でも同じ。府民の関心は選挙どころではない。関心のある向きには、選挙の争点は「あるべき地方自治」から「万全の防災対策」へと変わっていったことが伺われる。
大阪都構想をぶち上げ、府市二元構造の統合分散を目指す橋下大阪府知事にとっては、この状況は痛い。特に、橋下知事を支持する多くの無党派層の関心が、選挙からなくなっているのは大打撃だ。これまで大阪都構想に目くじらを立ててきた平松大阪市長も「今は、枠組み論を議論するときではない。」と余裕ともいえる発言をするに至っている。
だが、本当にこれでよいのだろうか。防災対策は確かに地方自治運営上も重要な案件だ。しかし、これまでにも検討は十分すぎるほど行われてきたし、防災対策も市町村レベルから府県をまたいだ広域的な協力体制まで完成している。災害の範囲も地震だけにはとどまっていない。台風も、航空機事故も、科学物質によるテロ活動にも、考えられる範囲での災害とその備えは整えられている。
問題は、これらの対策が本当に機能するかどうか、そして十分なものであるかどうかということだ。いま、多くの国民の関心が向けられているのは、津波対策と原発対策だ。近畿でも近いうちに「南海地震」や「東南海地震」に見舞われるのではないかと案じられている。今回の東日本大震災のように千年に一度とも言われるような規模の地震で津波が発生したら、近畿の太平洋沿岸各地は大丈夫なのだろうか、大阪湾内沿岸部はどうかという心配である。
しかし、このような議論は専門家に任せておけばよいこととであって、知識も経験も無い素人が云々しても始まらない。また、議論したところで、自治体の行政運営に反映されることは無い。根拠無き行き当たりばったりの施策や予算を必要以上に食う過大な事業は自治体の機能や力を削るだけで一利にもならないからだ。素人考えに予算をつかっては住民自身が黙っていないだろう。
だから、今回の地方選挙で住民を相手に「防災対策」を争点にすることはほとんど無意味に近い。ハード面の対策は、専門家に任せておけばよいことだからだ。防災で争点にしなければならないのは、むしろ人的対策のほうだ。
南海・東南海地震が発生した場合を想定して、中京から紀伊半島、大阪湾岸、四国南部の諸地域に被害が発生したと想定するなら、やはり対策の中心は政府が担当することになるだろう。今回の政府対応が繰り返されるとするとお寒い限りだが、そうでないことを祈ろう。
さて、では大阪はどうなのか。大阪圏域をいち早く復旧させるには、政府頼みの指揮者では心もとない。住民を励まし、復興に向けたしっかりした足取りのできるリーダーが望まれるのだ。そのためには、指揮の対象範囲が分散されているのは好ましくない。大阪圏域を一体のものとして対策が取れるようにしておくべきだ。
大阪都構想は確かにその選択肢の一つになりうる考え方だ。政令都市の連携では復興対策が一体のものにはなりえない。対策に当たる主体が別々であるからだ。また、関西広域連合はうまく使えば復興対策に一役買うことができるだろう。だが、大阪圏域の一体的な復興活動を実現するには、権限も機能も無い。
橋下知事と大阪維新の会は、この地方選で大阪府議会及び大阪市議会の過半数確保を目標にしているが、かなり難しくなったのではないか。ただ、このまま「防災対策」というぼやけた争点を引きずっての選挙戦であってはならないだろう。借金まみれの自治体行政を改善し、真に災害にも強くなるためには、地方はどうあるべきかの論争こそが、今、最も求められているはずだ。
大阪維新の会は、ハード面の「防災対策」に傾きがちな選挙論争を、人的対策による「防災対策」に切り替えて反論していくべきだ。無関心層や無党派層の掘り起こしにかけるにはそれしかない。